14 舟に乗ろう、出発しよう(2)
そんなこんなで兵糧の用意ができ、狐たちと上杉の旗本約900が利根川を下り始めるのは、3月5日の明け方となった。
船着き場には日が昇るのに合わせて、舟の客となる旗本の兵たちが参集していた。
舟着き場の5つの桟橋には、それぞれ20艘の舟がもやい綱で繋がれている。兵糧を運ぶ舟には既に荷が積み終わっている。紗絵たちが舟着き場にくると、石火矢衆が石火矢と弾薬を積んでいた。それが終われば、順次に兵が乗り込むだけだ。
「船頭さん、お疲れさまね」
「ああ、おはよう……いや、やっぱりかわいいねえ。普通は狐というと憎々しげで、人を化かす半分妖怪みたいなもんだと思うもんな。あんたと於佳津さんみたいに半分人間で、すこぶる別嬪さんだと、まるで違って見えるよ」
「あはは……でしょう? 見直した?」
「ああ。人によりけりだろうが、おいらは気に入ったぜ。ただ、昨日のきれいなおべべと違って、今朝はなかなか勇ましい格好だね」
「そういう格好をする日も、たまにあるの」
先頭に立ってやってきた紗絵が声をかけると、船頭たちの元締めが気さくに話を返す。昨日、顔を合わせて打ち合わせているから、もう打ち解けている。
にこやかな少女らしい笑顔を船頭に振りまく紗絵と、余裕のある大人っぽい微笑をたたえる於佳津。2人とも顔の輪郭の流れが細いことも手伝って、狐の美的な一面を強調している。機嫌の良さそうな笑顔を向けたら、男なら誰だっていちころだ。
勇ましい格好と言われたのは、今日は憲政とそろいの革鎧を女たちも身につけていたせいだ。漆黒に着色した革鎧は、下に着た薄紅色の着物と袴に身を包む彼女たちの可憐さを際立たせる。
ここで紗絵が兵たちの方へと振り返る。憲政がその右に並び、女たち4人は左手の方に控える。
兵たちにも、昨日の夕方に寺の広間で江戸へ向かうことは説明した。江戸でやることも伝えてある。
ただ、船頭たちに見せていなかった、かわいいではすまない儀式をやらなければ……。目立ってしまうし、北条の密偵にばれてしまうかもしれないが……。
「えいえい!」
「おう!」
紗絵がごつく長い六角棒の中心あたりをもって軽々とそれを差し上げ、男もかくやの大音声で鬨を作る。集まっていた兵たちは、それにすぐに呼応して雄叫びを挙げ、槍や弓、握り拳を突き上げる。声にも、挙動にも、一糸の乱れもない。よく訓練された兵たちだ。
その1000近い男たちの野太い叫びは、あたりの鳥獣を驚かせる。鳥が羽ばたく音、獣が下生えの草を揺らす音がいくつも続いた。
船頭たちは目を丸くして仰天している。
「明るいうちに一気に江戸まで進むぞ! 北条に目にもの見せてやる!」
「おう!」
「関八州は我らのものだ!」
「おう!」
「だが、何が起こるかはわからん。油断するなよ!」
兵たちが口々に反応する。
「大将に命を預けた!」
「そうだ!」
「江戸城をぶっ壊す!」
すると横に憲政が紗絵の横に出てくる。
「奥はこう言ってるがな、なあに、ちょっとした物見遊山の舟旅だ。気楽に行こう」
「わはははは……」
旗本衆だけに、憲政への忠誠心は強い。憲政が事を深刻にさせない軽味を醸し出すのも常のこと。一行の笑いを誘う。少年にしては落ち着いた声で憲政は続ける。
「では、参ろうか!」
「おう!」
「行くぞ! 舟に乗れ!」
「行くぞ!」
「急げ!」
「うちの組みはこっちだ!」
紗絵が強い感情を煽り、憲政が軽い調子で収める。最近はこれで旗本衆の士気を上げている。
声をあげながら、三々五々、兵たちが動き出す。
もう暗いうちに兵糧を使っているし、昼や夕方に食う腰兵糧も用意済み。舟に乗りこみが始まった。
「ふふ……びっくりさせちゃった?」
紗絵がいたずらっぽい微笑を見せながら、船頭の方へ振り返る。
「すげえ……おいらが兵だったら、命かけていいと思ったね」
それもそのはず。軽い士気高揚の呪いを紗絵は声に乗せいていた……が、呪いのせいだけではない。一同は紗絵に心酔しているし、憲政も神輿として認めている。先だっての朔月の夜に、その思いはますます強まった。
「江戸に着くまでは、あなたたち船頭も、わたしたちの兵よ」
「わかった。それなら命かけてやるよ。野郎ども、しっかり舟を操るんだぞ!」
「おう!」
船頭だちの気持ちまで掴んだ紗絵を見て、於佳津はにこにこ笑う。
殺生石が砕けて、今は本当によかったと思っている。一時は神にも及ぶ力は失われた。今や4人の力を合わせれば、玉藻前1匹だった頃を陵駕する力を発揮できる。彼女を前に立てれば、自分と緒江は黒く暗いことを考え、実行することができる。涼がそこに加わり、茉も殺生石が憑けば一段と強くなれる。
ここにいる6人は、基本は闇の世界の住人なのだ。
昨夜は寺ではなく、市中の遊郭を1軒占拠した。呪いの力を満たすために、尻尾で20人いた遊女たちを犯したのだ。堀部家の手前、女たちを干上がらせて死なせることはしなかったし、金も払った。生身の憲政と茉は早々に寝入ったしまったが、狐憑きの4人は女から生気を吸っては休ませの繰り返し。遊女たちを一晩中、なぶり続けた。そこにお互いの生気のやり取りもして、何とか不安のない程度の呪いの力を回復させた。
「とりあえず、江戸に着くまではのんびりね」
「大きい川だけに、ここまで来ると流れがゆっくりよね」
兵糧や装備を載せているとはいえ、憲政と5人が乗る舟には余裕もあった。楽に座れる。兵糧の手配などできりきり働き、遊郭でも快楽にふけるというより呪いの回復に努めていた紗絵も、於佳津も、今こそ安らぎを感じている。
紗絵たちを乗せた舟を先頭に、100艘の舟が進む。紗絵たち、兵糧、石火矢以外の90艘には、弓兵100、槍兵700、馬廻衆90、呪い師衆10が分乗している。
馬廻衆は、流石に馬を連れていない。金に余裕のある者は弓を持ち、そうでない者は刀のみを持つ。憲政の警護と斬り込み隊として使う。
舟は艪を操る漕ぎ手と、棹を使う船頭の2人が動かしていた。兵たちが持ち込んだ木盾を横置きにして立て、不意打ちに備えていた。
「ひっ……ひぃ……」
半刻で10里ほど進めそうな速度で進む舟のすぐ横に、突如として水中から暗緑色の腕が伸び、手が縁を掴む。舟の舳近くで棹を操る船頭のすぐそば。船頭は腰を抜かしそうになり、ぺたりと座り込んでしまう。辛うじて棹を引き上げて流さずに済んだが。
このあたりの河川では、誰もが恐れる物の怪である、河童が自分の身体を引き上げ、縁を超えて身を表す。
「禰々子か」
「於佳津姉さん、紗絵様、こんにちは」
甲羅を背負った川の妖怪である河童は、亀の物の怪である。長く生きた亀の精の変化であり、変化の過程で人間に憑依した者もいれば、力を高めて四聖獣の玄武の眷属となった者もいる。禰々子は人の女に亀の精が憑依して生まれ、於佳津や紗絵のように半獣半人の姿になった。
「大丈夫よ、船頭さん。この子、わたしたちの味方。水の中から、わたしたちを護ってもらおうと、わたしが頼んだの」
於佳津は上機嫌な声で、船頭の恐怖を解こうとする。とは言え、「禰々子は女棟梁で狂暴。すぐに人の尻子玉を抜く」という子どものころからの刷り込みがひどい。震えが止まったものではない。実際、禰々子は尻から内臓を引き出して惨殺する。もっとも本人に言わせれば「あら? 口から引き出すことだってあるわよ」というところなのだが。
「於佳津さんほど、男に対しての憎しみが取れてないから。気圧されちゃうんでしょう?」
「わたしは自分の不幸の切っ掛けになった男を、殺し尽くしたからね。今は自分の気に入る世の中にすることにまっしぐら。人が丸くなってるのよ」
「そうね……だから、殺す時に、あんなに楽しそうなのね」
縁から舟上にあがって座り、於佳津と際どい会話を交わす禰々子。
彼女の身体は、正面から体形だけみれば、肉付きがよく均整が取れている。しっとりした長い黒髪、丸顔に当世の男が好みそうな切れ長の目が印象的だ。御伽草子に描かれる絵と違って、頭の上に皿は載っていない。ぬるっとした暗緑色の肌に気を取られなければ、かなりの美女だ。
その昔、男に力づくで慰み者にされ、捨てられた女が利根川に身を投げて死ぬ間際……。人を快く思わない亀の精を引き寄せ、憑りつかれた。それが禰々子という女河童の誕生のきっかけだった。
世の中への復讐のため、男と見れば水に引きずり込んで殺し、力を強くし、気がつけば、利根川の河童の女棟梁とまで言われるようになった。
於佳津に玉藻前が憑りついたのとそっくりの経緯……昨年、上野国の枢要部を転戦する時に2人は知り合い、すぐに打ち解けてしまった。そうして今回は渡良瀬川に出てもらって、舟が古河へ出入りするのを水中から妨害してもらったのだ。
一昨年仲間にした鎌鼬やだいだら法師と並んで、物の怪として有力な仲間である。
「ここまでお願いして悪かったわね」
「いいのよ。利根川の下流まで勢力を広げるいい機会だし」
はっきりした数はわからないが、かなりの数の河童が水中にはいるはずだ。
「私からも礼を言うわ。ありがとう。人の男だけど、今回は護ってあげてね」
紗絵にも言われ、禰々子は笑顔を見せる。
「あんたたちにはまた尻尾で気持ちよくして欲しいからね」
「うん、江戸ですべてが片付いたら」
将門の件があるから、万事丸く収める自身はないが……
「それじゃあね。江戸でまた……」
「うん、また後で」
「気をつけてね」
禰々子は再び水中に消えていった。
狐さんたちも憲政くん同様に、この革鎧を着用
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