13 舟に乗ろう、出発しよう(1)
「何で柴田さんも、内藤さんも、留守居役なわけ?」
珍しく於佳津が忌々しそうな表情をしてぼやく。柴田内匠頭は旧津山家筆頭家老で、現在は田上城大人衆の筆頭。兵糧の管理に強く、仕事上の於佳津のお気に入りだ。内藤勘解由は堀部家筆頭家老で、数字に強いうえに人間関係を丸く収めて人を動かすのに巧みである。
どちらかがいれば、戦の準備を委ねられる貴重な人材なのに、今回に限ってどちらも参戦していない。
3月3日。もう少しで午の刻(11時ごろ)だ。
憲政と、於佳津以下の狐たち、そして上杉の旗本衆は、利根川の畔に近い禅寺に陣を変えていた。大きな廻先問屋の船着場に近い。舟で江戸に攻め入るという計を実行に移すための陣所である。書院を使って、紗絵と於佳津が何か台帳を確認しては、書状に書きつけている。兵糧として何がどれだけ必要かの指示書を作っているのだ。
憲政、茉、涼は手伝うが、実務に慣れていない。ことごとくに指示待ちだ。自分で進んで何かできる能力のある緒江は、性格的にこの手の仕事は手を抜く。
「何にしても全部、わたしと紗絵ちゃんが切り回すのよ」
「最後は、中山さんにお任せなぶん、まだましだけどね」
書き物をしながら応じた紗絵も眉間に皺を寄せている。確かに、中山に書状を出しさえすれば、あとは物を整えてもらえるのだから、救いがあった。
古河城を占拠している中山は大局を見るのに優れた武将だし、氷室郡内の一部を統治してきた。兵糧も金銭の出納も目配りできる。今も上野衆が持ってきた兵糧と、元々古河城にあった兵糧とを大過なく預かっている。
ここで準備の手伝いはしないものの、狐たちと上杉の旗本衆1000人……正確には910人と紗絵たち6人の計916人による江戸への急襲に城から兵糧を出すことを請け負っている。2人が覗き込む台帳は、古河城の兵糧蔵の収蔵品の目録で、中山が厚意で貸し出してくれたものだ。そこから何が必要でどれだけ欲しいかを書き抜いているのだ。
舟は集まった。市中に分駐している諸将の協力を得て、それぞれ宿所の近所の商人に当たってもらったのだ。紗絵たちが市中の寺の宿舎で色事にふけっている間に……だったが。
おかげで十分な舟を期限付きだが、雇うことができた。輸送量は飛躍的に増えた。川舟だから、大きくても長さ3丈(約9m)・幅5尺(約1.5m)の細長い形状だ。それが100艘調達でき、利根川と渡良瀬川を結ぶ支流から、近くの船着き場に集まりつつある。明日にはきっちり100艘に達するだろう。
於佳津と紗絵の仕事と、言葉のやり取りが続く。
「100艘も連ねたら、さすがに人目につくわ。あまりいいことじゃないわね」
「そうね……あーやっぱり、石火矢は重いから、1艘に1門。それぞれの火薬、弾……それに組の兵5人ずつで精いっぱいでしょう」
「1艘はわたしたちで、半分は兵糧なんかを乗せましょう」
「ほかの舟は……まず兵は10人載せるのが精いっぱいね。甲冑も着ている。木盾は乗せたい。少し兵糧も載せたい。そうなると10人でいっぱいいっぱい」
「残りの7艘に、それぞれ米5俵。雑穀、芋、味噌、醤油、酒で5俵分相当。重さで考えれば、そこまでよね。だいたい1艘がぴったり1日分で、7日分。あとは分けて載せた分で、10日はもたせられるかしら」
「魚を買える漁村が多いし、狩りもできる。そんなに日数は要らないでしょうけど。念のためね」
「乱捕り(略奪)は避けたいしね」
会話しながら紗絵が最後に依頼状を書き、於佳津は必要なものをまとめた一覧表を仕上げる。
「中山さんに送る書状は……できた」
「こっちも。まったく……仕事をしてない子に、肩でも揉んでほしいわねえ」
「いいわよ、はい……これでいい?」
さぼりにさぼった緒江は、意外に真面目に於佳津の肩を揉む。その傍らで、それぞれが書いた書状を紗絵が確認して、それをきちんと畳んで涼に渡す。
涼は伝奏番の兵を呼び寄せ、城の中山まで馬で届けるように命ずる。
部屋の中を見るその兵の目は、まさに神や仏を崇める目だった。
紗絵、於佳津、緒江だけではない。涼は九尾の狐が憑依して、紗絵と並ぶ圧倒的な武威を発揮した。茉も紗絵に代わって見事に100人を指揮してみせた。そして最後に、憲政も古河公方・足利晴氏を一騎討ちで破ってみせた。
6人に注がれる視線の熱は、一段も二段も上がっている。
ともあれ、仕事は一区切りだ。
於佳津の肩を揉みながら、緒江がつぶやく。
「ふふふ……兵たちは、一段と言うことを聞いてくれそうね」
「それだけに、使いどころを考えるのが難しい。無駄に死なせたくないもの」
「何だかんだで、兵は連れていかないとなのね」
「しょうがないわ。将門さんの怨霊が暴れたら、その後に備えないと」
「はぁ……最後の殺生石が厄介なことになってるなんて。わたし、ついてないわ」
「茉様、大丈夫よ。みんなでやっつけちゃえばいい」
茉が天井を仰いで嘆息すると、涼が慰める。
「まあ、そうね。ただね……憲政様は……ここに残って欲しいんですけど」
「何を言う。お主ら全員で将門と戦うのかも知れんのだろう? その間、旗本衆は誰が統べるのだ? 余しかおらんではないか」
「まあ、そうね」
紗絵の願いを憲政は退け、於佳津はため息をつきながらそれを認める。なかなか難しい。関東管領その人が旗本910人だけ率いて出陣し、江戸を急襲なんて、普通ならあり得ない。
だが、呪いの力が圧倒的だ。将門の霊との戦いの被害が周辺にも及べば大変だ。事後の警固に人手は必要なのだ。陸路で兵を送るよう忠久に相談しても、足りないのなら彼女たちの本拠である大沢宿から、呼び寄せろと言う。
「父上は本当にいざというときに頼りにならない。信然さんと五人衆には、昨日のうちに書状を出したから、明日には江戸に向かって動き始めるでしょう。いっそ和華さんにも来て欲しいくらい」
紗絵がぼやくようにいう。信然は緒江が引き入れた破戒僧。五人衆はお佳津が手下にした足軽たちだ。どちらも絶対の忠誠心と、優れた力の持ち主だ。
これに大沢宿の女領主である和華の呪いの力まで揃えば……。もしかしたら将門の荒ぶる力を抑え込むことができるかもしれない。だが、やはり大沢宿の守りは万全にしたいから、和華も大沢宿に残した兵も呼ぶのは断念した。
「こうなると憲政さんか、お殿様(忠久)に江戸に来てもらうしかない。でも、お殿様も古河の後始末と周辺との交渉で、しばらく動けないわね」
於佳津は紗絵に答えながら……頭のなかには江戸の様子をいろいろ思い浮かべている。
将門の首塚は江戸城の大手門の目の前、芝崎村の南側にある。北隣に時宗芝崎道場がある。
時宗は今、近畿や北陸、東海で流行している浄土真宗(一向宗)と根は同じ。「阿弥陀仏」の念仏を一心不乱に唱える宗派だ。多くの人が来て、そこで念仏を多く唱える。首塚の石棺内に閉じ込められた殺生石の破片を封じ込めるにはもってこいだ。
首塚の将門を供養したのは、時宗の開祖・一遍の通称、遊行上人の二世を名乗る他阿という僧で、首塚に隣接していた荒寺を時宗柴崎道場に改宗した。将門の怨念は弱ったが、首塚からそこそこ動くことはできる。
その後、殺生石の最後の破片は江戸川の畔の葦原に落下。それを将門の霊が排除しようとして首塚から出て捕えようとした。最後の破片は石のまま、瘴気を大量発生させながら将門に抵抗した。
そのお陰で、江戸川沿いの広大な葦原は瘴気に覆われた。「あまりにも汚れきった穢れた土地」だから周囲一体を「穢土」と呼び、そのままでは縁起が悪いから「江戸」の字を当てるようになった……というもっともらしい俗説まで生まれた。仏の教えで穢土というのは、人の世すべてを指すのだが……。
ともあれ、江戸川の川原で将門は殺生石の破片を首塚に持ち帰ることに成功した。どういう狙いがあったのかはわからない。
緒江が於佳津の肩を揉む手を止めてつぶやく。
「石棺のなかではお互いに逃げ場がない。狭いなかで、戦って、傷つけあい、回復してまた戦って……。結界のなかで、呪いの力を琢磨しあっていたら……」
緒江と涼の背後にいる狐たちが応じる。
(結界が強いからわからないのよね)
[道灌の建てた江戸城が、また霊的に強いのよね。わたしたち物の怪には、まったく首塚のなかが見えなくなっちゃってる]
緒江が話を終わらせようとする。
「ねえ、まだ日は高いけど、どうする? 楽しもうよ、もう」
戦なんて真面目にするものではない。それが緒江の本質である。
「何言ってるの?」
戦は真面目に取り組むから面白いと思っている於佳津が、意地悪な声で応ずる。
「船頭たちとの顔合わせ、明日以降の動きの指示、物資が届いてたら収納と舟への積み替えの指示……まだまだやることはあるのよ」
「もう勘弁してよぉ……」
「緒江姉さん、何もしていないんだから、ここから後は少しは手伝ってよぉ」
戦は惚れた人たちのためにやるものと思っている紗絵が、緒江に抱き着いて甘えた声を出す。
「もう……しょうがないわねえ」
緒江がぼやきながら立ち上がると、紗絵と於佳津もそれに続く。
於佳津や緒江、紗絵のようになりたいから戦をする涼と茉も、彼女たちについて座敷の外へ。船着き場の方へと向かった。