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12 江戸への川下りの相談(2)

【ダウングレード】というほどではないけど、一部表現を削除・修正してあります

「上様には、すっかり教えていいかしら」

「そうねえ。この際、すっかりね」


 紗絵の問いかけに於佳津が答える。


「大丈夫よ、ここいらの術者に、あたしが張った遮音の結界は破れないわ」


 緒江が念のために周囲を警戒して、秘密の保持は万全だと教える。

 それに安心して紗絵ははきはきと話し出す。


「父が古河攻めを急いだのは、土の中にいる間に先々を見通した九尾の狐の力のせいなの」

「先々を見通す?」

「そう……すごくよく当たる占いみたいなもの」

「おお、それはすごいな」


 まじないの知識には弱い憲政は、よく当たる占いという喩えに素直に感心する。

 殺生石が封じ込まれた土中で見たのは、今は三河の小領主に過ぎない松平家が天下を統一する「見通し」。呪いも、物の怪も、闇の中に追い込まれる世の中。

 後々、河越城をめぐる戦いで、憲政が8万もの兵を集めた末に、北条の寡兵に破れることは敢えて言わなかった。越後長尾氏に身を委ねる羽目になったことも。堀部家が越後の軍勢のもたらす兵乱のうちに消えてしまうことも。すべてはなくなった未来だ。

 そうした「見通し」は、於佳津への玉藻前の憑依でなくなった。

 本来なら、堀部が津山に勝っても後が続かない。呪いの力が勃興することもない。物の怪たちは人の暮らす地から離れる一方。でも、狐たちと堀部が勝ち続ければ、その流れが完全に逆転する。

 九尾の狐の復活は、それくらい巨大な事件なのだ。

 ただし、彼女たちが直に交わらない場所での流れは……。


「……ただ、すべてがすべて変わるわけじゃないんです。わたしたちのしたことが、日の本全土にすぐに伝わるわけではないから」

「ふむ……それはわかる。関八州は堀部が上野を席巻し、今また、公方様も討った。これは玉藻前たちが見ていた時の流れとは、まったく違うわけだ。だが、西国や北国の様子は、そりゃあ変わらんだろう」


 そこまでのかいつまんだ話で、憲政は正しい理解を示した。


「そう……そして、足元の関八州でも変わらないことがあります」


 それが、扇谷おうぎがやつ上杉の当主、上杉修理大夫朝興うえすぎしゅりたいふともおきの死。その子、朝定ともさだへの家督継承だ。


「朝興が4月の終わり頃に死にます。世継ぎの朝定は幼い。あなたを関東管領に就けたような有力な家臣たちもいない。家督相続の混乱に乗じて7月には北条が河越城と岩付城を落とします。今のところ、わたしたちと扇谷、北条との絡みは薄いから、何も手を打たなければ、そのままです。岩付太田家はもう堀部の味方だから、岩付城は安泰ですけどね」

「わたしのなかの玉藻さんの記憶は薄まってるのだけど……どうやら、わたしが寝てる間に、玉藻さんが目覚めて、こだまちゃんと和華さんが、その『見通し』を聞いてるのよね」

(こそこそ話を紗絵ちゃんに気づかれちゃった……うふふ……いろいろ先のことを知りすぎるのは良くないから、於佳津ちゃん、紗絵ちゃんには秘密にしたかったのだけどねぇ)


 於佳津とこだまの話も聞いて、憲政はだいたいを察した。


「なるほど。それで紗絵が義父上ちちうえを焚き付けたのだな」

「はい。案をいくつか出しました。共通していたのは、機先を制して堀部家で河越城を取ってしまおうということでした」

「でも、古河の公方様が、わしらの重石になるわけだ」

「そうです。下野と常陸の大名・国衆はほとんど公方様のお味方です。下総は小弓公方の一派がいますけど、公方様自身の地盤です。一方で里見や小弓公方に対抗するため、北条と公方様は今のところ手を組んでます……」


 小弓公方とは、晴氏の叔父、先代の古河公方・高基の弟である義明のことだ。晴氏は実権を握り続けようとした父に加えて、自分こそが公方だと無法な離反を演じた叔父も相手取って戦った。結果として、父は謹慎・隠居に追い込み、叔父は小弓城一つを保つのが精いっぱいとなった。だが、叔父は真理谷まりやつ武田氏と里見氏の援助で持ちこたえる。晴氏は叔父を打ち破るために、今は北条と提携しているのだ。


「河越城をこちらで攻めるにしても北条が出てくる。北条に対処しようとすれば、公方様の大軍が背後に差し向けられる。岩付太田や成田もいつまで味方でいるか分からぬ。ならば、危ない根を先に断ってしまおうというわけだ」

「はい。そういう話の流れになったので、いっそ古河を短時日で取れば……と申しました。そしたら、それで即決してしまい……」


 紗絵は思い出して溜め息をついた。


「あはは……そうそう。一番派手な手を打ってしまおう、先のことは進軍しながら考えれば良い……とか言ってたわよねえ。ただ、準備中も、進軍中も良策が出てこないまま、一昨日の軍議ってわけ」


 緒江がけらけら笑いながら、場をかき混ぜる。

 紗絵は溜息をつく。


「田植えの季節の前に全部片付けよう……その一心で急いだだけしたねえ。『兵は巧遅よりも拙速を尊ぶ』とか言ってましたが……今回ばかりは、あまりに策がなかった。事前のはかりごとも……」

「わたしたちに関しては、殺生石のことがあった。芳春院を盛大に焼く算段もついたから好都合。助言らしい助言もしなかったけどね」


 どこまでも微笑を湛えて冷静な於佳津の声が続いた。紗絵がさらに現状の説明を続ける。


「憲政様ご自身が公方様を討ち果たされたことを、父は周囲に宣伝しております。関東管領は健在だと。北条と盟を結んで、山内上杉も討たんとした公坊様の機先を制したと。古河城に籠城していた公方様の総領の藤氏様、藤氏様の祖父にあたる簗田高助は捕えました。まだご幼少の藤氏様に、表向きは公方を継承させて下野・常陸の諸将の離間を図ることになります」

「そこは義父上に任せてよいな」

「ええ、今ごろ、周辺に書状をたくさんしたためていると思います。小弓公方がどう出るかはわかりませんが……」

「それにしても、自分で公方の首を取ったのに、憲政さんも欲がないわねえ。堀部の殿様に、いろいろ褒賞をふっかければいいのに」

「束の間、自在になる時があればよいのよ。紗絵と過ごせる時がな……」


 再び、緒江が茶々を入れるが、憲政は動じない。紗絵を抱き寄せる。

 蕩けそうな表情を浮かべる紗絵……。


「あら、まだ、話は終わってないでしょう?」

「このまま話すから大丈夫……」


 於佳津にからかわれるが、紗絵は憲政の腰に手を回して、離れたくないという意志表示。物欲しそうな表情をしていたが、すぐに話を続けた。


「改めて言うと、わたしたちは舟と兵糧の支度ができたら、利根川を下って江戸湾に出ます。小弓公方や里見の勢力は江戸川の畔までです。利根川を下れば、江戸へ一気に進めます。途中、北条方の葛西城がありますが、今は空城も同然です。河口から江戸前島、日比谷入り江と回り込んで、江戸城下に殴り込むんです」

「うむ。江戸城を奪えば、北条は河越城、岩付城攻略の拠点がなくなる」

「はい。ただですね……古河と同様で、最後の殺生石の破片が江戸にあります」

「うむ。お主らの仲間が増えるのは良いことだと思うぞ」

「ただ、一つ厄介なことがあります。江戸の殺生石は、別の霊と一緒になっています」

「別の霊?」

「はい。平将門たいらのまさかど公です」


 紗絵は憲政から離れ、その表情は硬くなっていた。


「おお、知っておるぞ」


 憲政は無邪気に答える。その名は坂東武者なら知らぬ者はない。関八州に新しい国を建てようとした男。武運拙く破れたが、死してなお再戦を願って咆哮し、首だけになっても関八州に戻ってきた男。

 朝廷や公家と一線を画してきた武家にとっては、かくあるべしの手本だ。首だけになろうと戦え。そういう気概を持てという意味で。

 そういえば殺生石を蘇らせるために、今回、彼女たちは何をした?と、自分の江戸に関する知識を探る。


「確か……江戸城の傍に、将門公を祀る塚と供養を司る寺があったはずだが……」

「殺生石の最後の破片も、塚に一緒に封じられています。共に解き放つことになりますね」


 少し様子がおかしいと憲政は思い始めた。

 5人の調子が少し違う。


「塚やら寺やら、また打ち壊すことになるわ。ただ、今回は将門さんの怨霊が、敵になるか、味方になるか、さっぱり予想がつかないのよね。味方になってくれれば全く問題ないのだけど……」

「日の本の国・最大の怨霊よね。敵に回ったとして、あたしたちで勝てる?」

(江戸城は……戦いになったら、自然に壊れるわねえ。それくらいすごいことになる)

[茉ちゃん以外の生身の人は、やっぱり連れて行かない方がいいのかしら?]


 於佳津も、緒江も真面目な顔をしていた。こだまも、けいの声にも笑いが含まれていない。普段は不敵な狐たちの態度で、憲政は事の重大さを悟った。

R18版でも書いたのだけど、戦国時代の川の流れは、江戸時代にがらりと変えられています。


利根川……上野の枢要部を北から南に流れ、上野と武蔵の国境部分では西から東へ、さらには下総と武蔵の国境部分ではまた北から南に流れ、江戸湾に注いでいました(現在とは全く異なる流れ)。荒川や入間川が流れ込んだ最下流部を「隅田川」や「大川」(大川は江戸時代?)と呼んでいました。

 東へ流れを遷移される東遷事業が江戸時代に行われました。部分部分で人口的な河道が掘られ、東へと流れる川へ合流させられの繰り返しで、霞が浦方面へ向かい、鬼怒川なんかも合流して、銚子で太平洋へと流れ出るように変えられました。

 武蔵と下総の国境となっていた昔の利根川の流れは、埼玉県内に「大落古利根川」(たいらくことねがわ)あるいは単に「古利根川」という名で残っており、現在の本流から分かれ、越谷市内で「中川」という一級河川に合流しています。


渡良瀬川と江戸川……「渡良瀬川」は「利根川」の東を北から南へと流れ、途中で「江戸川」(または「太日川」と呼ぶ)に名前を変えて、ほぼ「利根川」と平行に流れ、今の「旧江戸川」の河口で海に注いでいました。ところどころで、支流が「利根川」と接続しています。

 「利根川」の東遷事業の結果、古河の南で「利根川」に合流させられ、さらに「利根川」は東へ向けて分流させられます。この結果、「渡良瀬川」は「利根川」に合流する支流、「江戸川」は「利根川」から分かれる支流という形になりました。また最下流域では、「江戸川放水路」が南西に向かって開削され、今はそちらを「江戸川」、昔からの「江戸川」の流れを「旧江戸川」と呼びます。


荒川と入間川……「荒川」は元は秩父からスタートし、現在の埼玉県のど真ん中を横断して、「利根川」と平行して西から東へ流れ、下総国境付近で南へ向きを変える「利根川」に合流する川でした。このことが頭に入ってないと、『のぼうの城』をはじめ、北条征伐に伴う忍城の水攻めのスケール感が巨大すぎることになるので要注意ですねw

 それが江戸時代に上流で南に流れを変えられ、南に流れる「入間川」に接続されました。そして「入間川」が「荒川」と呼び名を変えます。「河川の付け替え」というやつです。この入間川は、今の東京都と埼玉県の境に添う流れとなっていました。そして、付け替えにより、今の「入間川」の名は消え、「荒川」となったわけです。

 「荒川」の旧河道は、元の支流の小さな水源から発する「元荒川」と呼ばれる小河川となりました。新しい「荒川」は、現在の北区の岩渕水門あたりから、「隅田川」となったわけです。

 この岩淵水門付近から、洪水対策のための大きな放水路が人工的に開削されました。そして、昔の「利根川」の河口付近(古利根川・中川の流れ)に達しました。これが「荒川放水路」で、今ではこれを普通に「荒川」と呼ぶようになっているわけです。


隅田川……昔は「荒川」が合流し、さらに「入間川」が合流した「利根川」本流の下流部分でした。「利根川」の下流部だったころの河口近くは、江戸時代には「大川」と呼ばれて親しまれていました。

 「利根川」の東遷、「入間川」への「荒川」の付け替えが行われ、現在の東京都北区・岩淵水門付近からの「荒川」を「隅田川」と呼ぶようになりました。さらに、時代を経て大正に入って岩淵水門付近から大規模な「荒川放水路」が掘ら、1930年に完成したことで、「隅田川」は流量の少ない川となりました。

 なお、墨田区は「隅田川」に由来した名前なのですが、区名をつける際に「隅」が当用漢字ではないなどの理由で墨田区となりました。

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