10 古い権威をぶっ潰そう(2)
疲労困憊の旗本衆はそっくり北面の庭園に残し、5人は館の中へと侵入した。
5人が入ったのは板の間で、壁や柱が炭化していたが、辛うじて床板も天井も燃えが小さかった。真っ暗だが、狐も同然の5人の夜目には問題ない。
「さあ、隣の間……いるわよ」
紗絵が六角棒を腰だめに構え、他の4人は抜刀する。
於佳津と緒江が板戸の前に立ち、茉と涼が左右に。後ろに紗絵と憲政が控える。
音で戸の向こうの敵兵の位置を把握する於佳津と緒江……。東面の座敷で5人の兵が矢を外に放っている。煙が回ってきているので気が気でないだろう。
ここからは東面の畳の間が連続している。そのどこかで古河公方が脱出の機会をうかがっているに違いない。
於佳津と緒江がうなずくと、茉と涼が勢いよく、たーんっと板戸を引いて開け放つ。そこへ於佳津と緒江が、太刀を小さく振り上げながら飛び込む。
「ぎゃっ!」
「うわ!」
「何やつ……わあ!」
於佳津と緒江が無駄のない小さな振りで、太刀の刃を兵の首に叩き込む……2人で4人を仕留める。続いて残りの4人が躍り込み、涼が最後の1人の喉元を太刀で突いて、この部屋の殺戮は終わった……はずだった。
だが、この戦いの音を、隣の部屋に気取られた。そこは手練れの坂東武者だ。仕切りの襖を蹴破る屈強な甲冑姿の敵兵が3人、殴り込んできた。館内でも振り回しが利きやすい1間ほどの槍を3人とも抱えている。
だが、先頭を切って部屋に躍り込んできた男に、於佳津と緒江の間から、六角棒が風切って突き出される……
「がふっ」
真ん中の男は鼻を潰され、後へと吹き飛ぶ。
「げっ……」
「ぐふっ……」
残りの男たちも、1人は茉が太刀で頭部を殴りつけて昏倒……。もう1人は緒江の太刀が首を貫いて、呆気なく片付いた。
「ひゃぁ」
ところが、後ろから間抜けな男の声がする。憲政だ。
背後から太刀を構えた足軽が、彼に襲い掛かったのだ。
だが、憲政もさすがに新陰流の高弟になっただけのことはある。直前で気配を感じて、左足を軸にくるっと体を捻り、太刀筋から逃れる。空を切って前にのめったその男の後頭部にめがけて、太刀が振り下ろされ、呆気なく首が斬り落とされた。
「憲政様!……大丈夫?!」
「ああ……」
紗絵の叫びに、意外な反応があった。
「何?! 憲政じゃと?!」
野太い男の声。次の間から、抜き放った太刀を手に、明るい青の小素襖をまとった男が姿を現した。
「公方様、お下がりください」
甲冑姿の男たちが、その男と5人の間に割り込もうとする。
「そやつの名を聞いた以上、下がれるか!」
低音の迫力ある声……古河公方・足利晴氏だ。
「公方様……童の頃の一瞥以来、お久しぶりでござる」
関八州の運命が変わった氷室城戦役の前年。関東管領と古河公方それぞれの継承を原因として起こった享禄の内乱が終結した。
晴氏は父・高基から公方職は譲られたが、家督相続と隠居を渋られ、家中を割って父を封じようとした。父と父の側近どもと戦を繰り広げた結果、父を蟄居に追い込んだ。その間隙を突くように小弓公方を僭称した叔父の義明も退け、古河公方の地位を保った。
上杉でも幼少の憲政の家督継承に不満な家臣が背いたが、忠臣たちの奮戦で関東管領の地位を保った。
乱の間、晴氏と上杉の家臣団は消極的だったが連携した。そして、乱が収まった直後、和議を催し、憲政が古河に出向いて晴氏に臣下の礼を取って05、お互いを公認した。
今の憲政は飄々と会釈しただけだ。もう臣下の礼はとらないという意志の表れだ。
「小童。物の怪に誑かされて、畏れることを忘れたか。だが……和議の時は右も左もわからぬ餓鬼だったが、なかなか立派になったではないか」
「ありがたき褒め言葉……」
将軍家の関八州における分家筋……公家のように堕落しても不思議はなかったが、晴氏は荒くれ武者の陣頭に立って戦ってきた。今も圧の弱い東側にいたとはいえ、兵を指揮していた。
30歳で脂も乗り切り、力量も武芸も申し分がなかった。普通に戦国大名をやる分には……。
「上様、どうします? 討ってもよろしいですか?」
紗絵が前面に出て、尊敬の欠片もない声とともに、六角棒の先を晴氏の顔面に向けて構える。
「ほう、そちが狐の女房殿か。あとは堀部の懐刀の面々か。女子供に頼るとは、上杉にも堀部にも、碌でもない侍しかおらんのだな」
「さすが公方様。怯えの色もない。この期に及んでの、その嫌味はお見事です。いいでしょう。私らの一騎打ちで仕舞いにしませぬか?」
「面白い趣向だ。よかろう、乗るぞ」
「それなら、場を作るわよ」
於佳津の言葉とともに憲政と5人の女子たちは廊下に出て、東側の庭園に降り立つ。そこかしこに、上杉や堀部の馬廻りの騎馬武者がいた。
彼らに憲政と晴氏の一騎打ちを触れ回り、兵たちで輪状に遠巻きにし、一騎打ちの場を作る。
晴氏と取り巻きの兵10人ほども、庭に降りる。
辺りにいた両軍の兵たちがさらに続く。公方と管領の一騎打ちだと知り、両軍合わせて100人ほどの兵が、この場を取り囲んだ。
緒江が楽しそうに言う。
「こんなに衆人環視じゃあ、憲政さんが討たれたら、公方様も配下もこの場から見逃さないとけないわね」
それを受けて於佳津が苦笑混じりに答える。
「戦の目的は、この人を討つか、幽閉することだったのに。憲政さんが負けたら、どうする?」
紗絵が気色ばんで大声で応じる。
「何ですか、2人とも。今の上様が負けるわけない」
晴氏は太刀を晴眼に……。それに対して憲政は、晴氏に対して左半身で八相に構える。
「小童め、構えが様になっておる。やるようだな」
「お師匠にも稽古相手にも恵まれておるので」
憲政の剣術の師は上泉信綱。稽古する相手が紗絵に於佳津に緒江であり、茉や涼は姉妹弟子だ。技の成長の度合いは、凡百の侍の域を超えていた。
(流石ね、自分と兵たちが助かるには、一騎討ちに持ち込むしかないってわかってたわ。腕前は五分かな……憲政さんが負けたら、一旦公方を逃がすわよね?)
「しょうがないわね。憲政さんが勝つのを祈りましょう」
こだまと於佳津が念話を交わす……それを聞いた紗絵は怒気を発するが、憲政が負けた際の備えは了承した。
「負けるわけないわよ」
紗絵は唇を噛むが、五分だというこだまの見積もりは当たっている。
ただ、憲政がまとっている甲冑は、半田村で新しく試作された軽くて強靭な牛革製の鎧だった。
あれなら素早い動きができる。牛馬の村と化している半田村で、牛や馬の皮革を素材として利用しようと作られた。
鋭い槍や剣の刃の直撃は防ぎきれないが、浅い当たりで戦闘力を奪われないくらいには強い。そこに緒江が、動きを速める呪いを込めていた。攻めを回避する体術に重点を置く新陰流に向いた甲冑である。
茉と涼が紗絵の側にそれとなく寄る。憲政の敗北に紗絵が逆上した時に備えてのことだった。
そうこうするうち、合図もなく一騎打ちが始まった。
カーン……キン……カン……カン、カン
すぐに晴氏が憲政の喉へ突きを入れる。右に避けた憲政は、晴氏の左へ左へ回り込み、肩口へ袈裟に斬りかける。それを晴氏が自分の太刀で弾き上げる。憲政は小さく後ろに飛び退りながら、弾き上げられた太刀を上段に。着地しながら晴氏の頭に刃を振り下ろす。晴氏は太刀を横に頭の上にかざして防ぐ。
お互いに後ずさりして、間合いが開く。兵たちはやんやの歓声をあげる。なかなか見ごたえのある攻防だったのだ。
「やるではないか。数合で終わると思っていたのに」
「人並み外れた者どもを稽古の相手にしておりますでな」
再び、晴眼と八相で対峙する2人。
憲政が晴氏の左へ左へと回りこもうとする。晴氏は憲政の喉元へ太刀の先を伸ばし、その場で回転するように憲政の動きを追う。睨み合い……その動きが30を数えるほど続いた。
そして……。
カーン……キン……キン……キン、キン、カン……ガン……ギリギリ……
また晴氏の突きからの攻防……何合か太刀をぶつけ合い、お互いに接近し、最後は鍔迫り合いの力比べ。
「くっ」
「ぐっ」
「小童ぁ……ここまでじゃ……」
「ぬお……」
体格と力は晴氏が優る。鍔迫り合いを晴氏は狙っていたようだ。憲政の背が反り返り、晴氏の上体がのしかかるようになる。
「不味い……これは憲政様が不利だ」
だが、紗絵は自制した。待たねば……。
憲政が独力で晴氏に対抗したことが、政の力になる。若い憲政が古い権威の象徴と戦うことが大切なのだ。
そんな紗絵の心配をよそに……憲政はしたたかな新陰流の高弟だった。
満身の力を籠めて、一瞬、晴氏の身体を押し返す。
その反動を利用して、一歩下がり、自分の右手側へ素早く回りこむ。
再び体重をかけ返そうとしたら、憲政が前から消える。勢い余って晴氏は態勢を前のめりに崩す……
「御印、頂戴!」
横に避けた憲政の前に、首を差し出す格好になった晴氏……憲政の太刀が鋭く振り下ろされた。ズンっと刃が食い込み、延髄を裂き、頚椎を断つ……体と頭部が離れ、声もないまま、晴氏は地面に叩きつけられた。
最後の攻防の消耗は激しかった。憲政の太刀は地面に達し、その態勢のまま、彼は動きを停めた。荒く肩で息をついていた。
「はぁ……ふぅ……はぁ……はぁ……はぁ……」
「勝負あった。古河公方・足利晴氏様を関東管領・上杉憲政様が討ち取ったり! 公方様の兵たちよ! 助命する故に降れ!!」
紗絵が高らかに宣言すると、上杉・堀部の兵たちから歓声がどっと沸いた。
憲政くんの着けている革鎧のイメージはこんな感じ
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