09 古い権威をぶっ潰そう(1)
「がんばったのね」
「ざっと500くらい討ったの? 100人くらいよね、ここにいたのは」
「わたしたち3人も入れて93人」
石火矢衆はまだこの場に来ていないから、ここにいる上杉の旗本衆は100人足らず。西側からの兵力展開の目途がついて駆けつけてきた於佳津と緒江、憲政は、その人数が引き起こしたこの場の惨状に笑顔になる。恐怖に満ちた魂がたくさん散った。於佳津も、緒江もおかげで呪いの器が広がった。
紗絵も、隣の涼も、背後の茉ともども、疲労困憊していた。周囲の旗本衆も無傷ではなく、10人の槍兵、5人の弓兵が戦闘不能の重傷を負い、茉たちの背後に退いていた。
呪い師たちの治癒の力量が足りないわけではない。負傷者の出る頻度が上がり、呪いをかけるのが間に合わなくなったのだ。まだ力を余している者もいる。
於佳津がここまで指揮を執っていた茉をいたわる。
「よくやったわ。替わるわよ」
死に瀕している重症者がいないことを確かめて、於佳津は呪い師の制約を解く。
「呪い師たち! 力が残っている者は、館を壊してしまいなさい!」
紗絵や茉より落ち着いていて、はきはきと通る声が響く。
涼の火球よりは小さな……だが、人を恐怖させるには十分な火球、雷鳴、氷雪の礫が、ばらばらと撃ちこまれる。それぞれが数人の兵を倒し、館の構造を壊す。火災も一段と激しくなった。
緒江は生き残りの敵兵のなかへ躍り込む。そして、黙々と人を斬っていく……
於佳津よりも呪いに長けている緒江だが、人を殺す本能は強い。あえて派手な呪いは使わない。
敵兵の腹部に於佳津と同型の重く肉厚の刃を叩き込んでいく。やられた兵は血と内臓を振り撒きながら倒れるが、即死できない。於佳津と揃いの太刀で、わざと即死を狙わない。死を自覚して苦悶する兵の魂を吸い取るためだ。
そんな緒江の戦いぶりもあって、その太刀は「苦悶丸」とまで呼ばれている。
その通りに最後の敵兵たちは、あえなく緒江の足元でうめき声をあげながら悶絶し、ゆっくり死に向かう。
「ふふふ……美味しいわよ、あなたたちの命……」
緒江のつぶやきは、周辺から敵兵が一掃された合図。
於佳津が手を差し上げる。
「火球よ、来たれ!」
1間ばかりの火の玉が於佳津の上に生じ、館にぶち込まれる。
バリン!……ガシャン!
建材がへし折れる派手な音がして、北面は完全に火の海になった。
炎の勢いが強く、北面から現れる兵は絶えた。炎は屋根にも広がり、館全体に延焼するのも時間の問題だ。
遠くに歓声と金属がぶつかりあう音がする。騎馬が東面を、槍衆・弓衆が南面と西面をふさぎ、もはや数で押せるだろう。公方を守る兵が死兵と化すことだけが心配だ。
気が抜けたのか、3人がへたり込む。
革で作った軽量の甲冑姿の憲政が3人に話しかけ、於佳津と緒江も3人をいたわる。
「もう安心していい。ようやったな、紗絵」
「あなたたちが、ここに兵の注意を引きつけてくれたから、残りの3面を囲むことができたわ」
「ほら……治癒の呪いをかけてあげる」
於佳津が紗絵と涼に、緒江が茉に、手をかざす。外傷がふさがれ、体の疲れが癒えていく。
「敵を紗絵と涼に引きつけて、弓衆が牽制して、槍衆は周りから襲ったのね」
「背後は茉ちゃんが守り切ってくれたの、すごいのよ」
「2人に比べれば大したことしてないわ……よいしょっと」
紗絵の褒め言葉に、照れた茉は強がるように言う。体力、気力をよみがえらせた3人が立ち上がった。
「涼もいきなり頑張ったわね」
[玉藻姉さんが復活してすぐに500人の村を全滅させたんだから、これくらいやれて不思議ないわ]
涼ははにかみ、けいが代わって応ずる。血でべっとり汚れた太刀は相手を殴る鉄棒となっていたし、呪いも使い尽くしていた。
「それもそうか。でも、ここにいるのは曲りなりにも公方様の旗本だからね」
「それを言うなら、こっちだって関東管領の旗本がいたわけだし。うん、皆、奮闘してくれたから……」
紗絵がぐるりと見渡すと、旗本の将兵もほっとした顔をしている。弓兵も弓を射尽くすと、茉の命に従って太刀を抜き、槍兵に混じって敵を切り倒した。弓兵の戦闘不能者は、その時に負った傷のせいだ。呪い師も呪いの力を使い果たした者は勇敢に剣を構えて戦った。
「やったぞ! 死人を出さずに勝った! お主らの奮戦のおかげだ! 傷を負った者はゆっくり休め、誉の傷だぞ!」
紗絵が六角棒を頭上に振りかざして鼓舞すると、共に戦った90人の旗本の将兵はわーわーと歓声をあげる。重症で寝かされている者も、無理やり体を起こして声をあげる。
「そう言えば、本当に死線をくぐったんだよね、あの子」
と、緒江は思う。2年前、紗絵は心の臓を矢で貫かれて、死の間際まで行った。それで九尾の狐と一体になることを選んだ。死の恐怖を知っているから、味方に死人を出したくないのだ。この場にいる茉も涼もそのことを知ってる。だから、3人が上手く連携できたのだと思い当たる。
茉が紗絵を羨む目をしながら見つめ、つぶやく。
「やっぱり紗絵ちゃん、絵になるなあ……。わたしも、ああなりたい……」
「何言ってるの。あたしたちが来たとき、大声を張り上げて、兵を動かしていたのは、誰よ? 格好よかったわよ」
緒江が微笑を向けながら、茉を褒めて抱きしめてやった。
紗絵が涼とともに、敵を引きつける役割を負ったから、誰かが兵に指示を与えねばならなかった。茉はそれを立派にやってのけたのだ。
緒江の背後のこだまの念話が、皆の頭の中に響く。
(さあ、公方様にお目もじしましょうか。今、館の東側で兵を指図しているはず。なかなかやるわよ。乱をくぐり抜けてきた人だからね)
「呪いに理解がもっとあればね。芳春院でもっと法力僧を育てて、ここの守りと一体にしていたら……。そんなことよりも……東側に燃え広がらないようにね。水流よ、火を消し止めよ」
緒江が手を一振りすると、手から水の流れがしなる鞭のように伸び、ザーッと火にかぶさって消し止める。北面東側の一角の火の手が収まり、しゅうしゅうと水が蒸気になる音がする。東側への延焼はしばらく防げるはずだ。
涼がつぶやく。
「わたしたちは、ほとんど呪いが出がらしになっちゃったから、得物で勝負ね」
けいも含めて彼女らには、夜目を効かせる、力を強くする、素早く動ける……の呪いの効果を継続させるくらいしかできそうになかった。
涼と茉は改めて、太刀の血を拭うが、どこまで斬れるかは自信がない。
だが、於佳津と緒江の2人と一緒ならば、もう無敵だ。3人は安心した表情で、館に近づいて行った。