記事7「こよちゃんについて」
20XX/08/23 01:11
記事7「こよちゃんについて」
最近、サルとよく話すようになった。おかげで、サルの好きなこと、学校での悩み、ハマっていることなどについて、色々と知ることができた。
その日は僕がサルの家に行っていた。
幼い頃、よく遊んでいたサルの家。この家で遊んだ昔のことは、よく覚えている。
ゲームをしながら僕らは他愛ない会話をしている。
「だから、俺のクラスは三角関係が2つあるでしょ。なのに、この間の夏祭りでもう一組こじれたから、夏の大三角なんて誰か言い出してさ」
「正三角形3つなら台形になるよ」
お互いにテレビ画面を見ながら、しきりに手元のコントローラーを動かしている。
「お前バカだなぁ。台形になるには三角関係同士が関係してないといけないだろ」
「関係してないの?」
「あれ? ちょっとしてるな。となると何形になるんだ? ひし形? ちげーか。あ、そーいえばお前も彼女いたやん。あれ、どうなったの?」
「ああ、いたらしいね。こよちゃんから聞いたけど、連絡とってない。向こうからも連絡こないし。第一、僕その子のことも覚えてないんだよね」
「うわ、ひっでー。薄情すぎる。彼女のこと忘れちゃうなんて。てか、ラインとかの履歴見ればちょっとは思い出すんじゃないの?」
「なんか全部履歴消えてるんだよね。多分、僕が飛び降りる前に自分で消したんだと思う」
「ご愁傷様。レキも学校始まったら、色々大変だろうな」
「ああ。そうだろうね」
僕は忘れていた。考えないようにしていたのかもしれない。そろそろ夏休みが終わって、新学期が始まることを。夏休みの数日前に自殺未遂を図ったので、クラスの皆、いや学校中に僕が何をしたか知れ渡っているはず。そのやりにくさ、気まずさ。覚えていないクラスメイト4人のこと。この複雑な後遺症をどう皆に伝えるか。皆の反応はどうだろうか。自分がなぜ死のうとしたのか、なぜ6人の記憶がないのか、まだ何も分かっていないのに、皆の好奇の目にさらされる。色々な不安が、どっと僕に押し寄せてきた。
「はい、隙あり! 俺の勝ち!」
不安が頭いっぱいになってぼうっとしていた隙を突かれて、僕はゲームに負けた。
「もう一試合やるか?」
サルが問う。
「いや、やめとくよ」
僕はなんとか返事する。僕の頭の中は、1週間後の新学期への不安でいっぱいになってしまった。
「いや。もう一試合やるぞ」
サルが僕の意見を無視して、ゲームをセットして再開した。僕は相変わらずぼうっとしながら、惰性でコントローラーを操作する。
「そういえばさ、俺、こよちゃんに振られたよ」
まっすぐテレビを見てゲームをしているサルがいきなり呟いた。
「ああ、そっか。―って、え!? それ本当? というか告白したの?」
僕は思わず横を振り向く。が、サルはまっすぐテレビを見ている。
「ああ、そっか。ってひどいな。うん、告白した。レキのこと、お兄さん、と呼びたかったが無理だったわ。すまんな」
「なんで僕に謝るんだよ。まあ、こよちゃんアイドル活動とかで忙しいから、今はしょうがないんじゃないか」
「好きな人がいるらしい」
「なんと…」
先日のガオンモールの主役、松川千のことだと僕は思った。しかし、そうは言えないから、
「あのこよちゃんが好きな人? ちょっと考えられないけど」
「こよちゃん嘘ついたりしないから、本当なんだろ。俺、諦める」
「諦める必要なんてないんじゃないか」
サルに同情する気持ちと、松川千という未知の男よりかはサルのほうがマシだという消去法が混ざりあって、無責任なことを呟いた。
「俺、こよちゃんのこと、小さい頃からずっと好きだったから、諦め切れなくて」
「そうだろ。諦める必要なんてないよ」
「夜、囮城に行ったんだよ」
「囮城…って、まさかあの言い伝え?」
「そう、そのまさか。俺ってバカだろ? いい歳して」
「っていうか、よく入れたな」
「閉門前に見学して、そのまま階段下の隙間に隠れてた。それで夜を明かした」
「すごい行動力だね。それで…?」
この城下町の城、通称「囮城」にはその名に由来した言い伝えがある。
維新のとき、城が幕府軍に包囲される。幕府軍に対して、兵力で圧倒的に劣る藩が苦肉の策で長年秘めていた陽動作戦の一種として、城内の本陣が自ら囮部隊と化して篭城・抗戦し、最終的に負けて陥落する。陥落するや、丘の秘密塹壕に隠してあったアームストロング砲が火を噴く。三方の丘から、当時最強と謳われた最新鋭大砲で一斉射撃を開始。と同時に、三方の山々に伏していた本当の主力部隊が一気呵成に山を駆け下り、アームストロング砲でパニックに陥っていた幕府軍を一瞬のうちに全滅させ勝利した。この勝利を機に、この藩は維新の雄藩として近代日本の形成に主体的に関与していくことになる。
維新後、城は払い下げされ、後に県が城を買い取って修復。市民が見学できるようになった際、城を管理していた宿直の職員らがある現象をたびたび見たという。それは、自ら囮となり作戦に殉じた本陣の侍たちや城勤めしていた女性たち(まとめて維新義士と称される)の霊魂が夜な夜な、城を彷徨い歩くという怪談の類だった。
この当時流行りの怪奇現象の噂が、廃藩置県後の街の青年らの好奇心・義侠心・蛮勇さと結びつき、以下の言い伝えを生んだ。
『夜、囮城に侵入し一晩を明かす。そして、維新義士の霊を見たものは、思い人と永遠に結ばれる』
「結局、俺は維新義士の霊を見ることができなかった」
「うん」
「レキ、夜の城ってめっちゃ怖いぞ。警備員が巡回してきたときは死ぬかと思ったわ。結局俺は、明るくなるまでまともに目を開けることができなかった。だから、維新義士の霊を見る以前に、俺は臆病で、こよちゃんへの思いなんて、所詮その程度だったってこと。だからさ、本当に諦めたし、なんの未練もないよ」
サルはそう言って笑った。ゲーム上のサルが操るキャラクターの動きが止まった。
「あ、隙あり。僕の勝ち」
僕は横を見る。サルの目から涙がこぼれていた。
サルがかわいそうだと思う反面、こよちゃんの「他に好きな人」のことを考えていた。
僕はサルに何を言っていいのか分からず、「もう一試合やろう」とだけ呟いた。
その翌日、こよちゃんと松川千の船上公演に二人で夕方から出かけた。街が面する湾内を周遊する遊覧船で、松川千が所属する大衆演劇座の船上公演が行われる。こよちゃんが松川千本人から招待されたので、僕もこよちゃんに誘われて二人で観に来た。こよちゃんは浴衣を着ている。
僕らは船に乗った。公演までまだ少し時間があるので、甲板で夕暮れの海を眺めている。
こよちゃんは浮かれているのか、ずっと話していた。
「レキ、私船乗るの初めてだけど、船って沈まないよね? なんか心配になってきた。そもそも、船ってなんで浮かんでいられるの? レキ頭いいんだから教えてよ」
「浮力について聞きたいってこと? 簡単な物理の話になるけど、聞きたい?」
「いや、勉強系の話ならいいや。でもさ、レキと船乗れて嬉しいな! あとさ、今日って花火あるらしいよ。楽しみだよね!」
そもそも、なぜこよちゃんが松川千から招待を受けたのか。ガオンモールのライブのとき、楽屋で会話し招待されたそうだが、外では内気でおとなしいこよちゃんが他人とそんなに打ちとけたことが意外だった。だから、サルが言っていたこよちゃんの「他に好きな人」が松川千に違いないと推測した。
ただ、この天真爛漫というか、物事を深く考えないで、くだらないことはベラベラ話すものの基本的には淡々と日常をすごしている姉に、恋愛感情という複雑な感情があることが、僕には見抜けなかった。双子といえど姉弟なんてそんなものかもしれない。近すぎて見えないこともあるのだろう。
そんなことをつらつら考えながら、入り江に沈む夕焼けを眺める。昼まで雨が降っていたからか、色が鮮やかだった。こよちゃんも夕焼けを見ている。潮風に乱された髪を、左手で右耳にかかる後れ毛を掻きわけたとき、こよちゃんの横顔に夕焼けが映える。
こよちゃんに、この夕焼けのような激しい感情があるとしたら、あのICUで取り乱していたときだろうか。
「レキ、なんでこんなことしたの?」
そうだ。僕はなんで、こよちゃんをこの世界に置き残して死のうとしたんだろう。僕は馬鹿だ。
僕の化粧をしながら、「ずっと私のヒーローだよ」と呟いたか細い声が蘇る。
「どうかした?」
こよちゃんと目があう。こよちゃんの目が優しく笑っていた。
これが恋する目か。取り乱した世界を包み込むような優しさにあふれた目。
僕は、なぜだか胸が苦しくなった。
僕らは甲板から船内に戻り、中央ホールで大衆演劇座の公演を観劇した。
演目は源平物ながら、源義経が実は女性だったという創作劇とのことである。
松川千は主役の義経を女形として演じている。
少し揺れる船の上で、美しい女形が勇ましく舞っている。
弁慶は主君である義経に秘めた恋心を抱いている。義経もまた、弁慶を心の中で愛している。
源頼朝に追われた義経は、奥州藤原氏に匿われる。
ラスト、匿われていた奥州藤原氏に裏切られた義経一行は住んでいた館を襲撃される。
館の外で、橋を渡らせまいと身を挺して主人・義経を守ろうとする弁慶。放たれた矢が弁慶の全身に突き刺さる。弁慶は最後の力を振り絞って館のほうに振り返る。館から身を乗り出していた義経と視線があう。
歌舞伎の発声を真似た高い声が、ホールに響く。
「この弁慶、それがしは義経様のことをずっとお慕い申しておりました」
義経は感極まった表情で答える。
「弁慶や、我もぞ。我もそなたのことをずっと愛していた」
弁慶は笑顔で倒れる。義経は急いで館の中へと入っていく。
自室に戻った義経。
「わらわは天下一の幸せものぞ」
義経は自害前、最後の舞を始める。
自害の直前だというのに、義経の表情はこの演目中で一番穏やかな、満ち足りた顔をして舞っていた。
松川千は女義経になりきっていた。美しかった。
完全に暗くすると危ないからか、最小限に灯けられた古い電球の暖色系の光が、こよちゃんの存在をぼんやりと浮かび上がらせる。こよちゃんは唇を軽く噛みながら、見入っていた。目にはうっすらと涙が浮かんでいるようだった。
劇が終わった。客たちの盛大な拍手に迎えられて、エンドロール的に、松川千たち演者一行が深々と礼をしていた。
僕とこよちゃんはまた甲板に出た。すっかりと日は落ちて夜になっていた。
「よかったね」
僕がこよちゃんに呼びかける。
「すごくよかった。外、気持ちいいね。レキ、見て。月が真ん丸できれい」
こよちゃんは、満月を指差す。
僕らは何するでもなく、しばらく夜風に吹かれていた。
「倉橋さん!」
男性の甘い声が後ろから聞こえた。振り返ると、化粧を落とし洋服を着た松川千がいる。化粧をしていなくても、すごく整った綺麗な顔。
「あ、松川さん。今日はありがとうございました」
「こちらこそ、観に来てくれてありがとう。こちらが噂の双子の弟さん?」
「そうなんです! レキ、さっき主役やってた松川さんだよ」
「あ、どうも…。すごくよかったです。感動しました」
「ありがとうございます。自分でも今日はうまくできたと思うから、そう言ってくれて嬉しいです」
「あ、僕、ちょっとトイレ行って来ますね」
僕は気を利かせた。二人から離れたあと、大きな音が聞こえた。
振り返ると、夜空に花火が上がっていた。
花火と恋する若い男女のシルエット。
こんな二人が恋に落ちたら、人類にとってなんて素敵な物語だろう、と僕は思う。
だけど、胸苦しくなった。
サルに対する同情? 申し訳ないが全然違う。
じゃあ何?
分からない。姉を独占したい、双子ならではのエゴ? いや、ちょっと違う気がする。
トイレは長めに時間をかけた。船内を回り道しながら、時間をかけて元の場所に戻ると、すでに松川千はいなかった。寂しそうに、ぽつんとこよちゃんが立っていた。
「あ、レキ! おっそーい! 花火終わっちゃったよ! 一緒に見たかったのに…」
こよちゃんは言葉とは裏腹に僕を見つけて喜んでいた。
「あれ、松川千は?」
「戻ったよ」
「そうなんだ。もっと話すのかと思った」
「なんで? 別に話すことないし」
「え、こよちゃんって、好きな人いるの?」
「え、いきなりなに? ―いるよ」
「松川千?」
「レキ、妬いてるの?」
こよちゃんはニコニコして、顔を左右に傾げながら僕の顔を見る。
「いや、そういうのじゃなくて…」
「心配しないで。松川さんじゃないから。松川さんは単に、楽屋で私が彼のお弁当間違えて食べちゃって、謝りまくったらなぜかもっと謝り返されてチケット2枚くれただけだから」(メッチャ早口)
「え…なにそのアホなエピソード。じゃあ…」
じゃあ誰のことが好きなの? と聞こうとしたがやめた。
「え、やっぱり心配してたわけ?」
「いや、心配とかじゃなくて…」
「レキ、かわいー! えー、意外! そっかそっか。レキ君はヤキモチ妬くタイプなんだ!」
こよちゃんはニタニタして目をわざとらしく細めながら、僕の顔をのぞきこんできた。
ところで、こよちゃんが好きな人って誰?
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