記事6「こよちゃんについて」
20XX/08/15 03:58
記事6「こよちゃんについて」
ライブから帰宅して、僕とこよちゃんは子ども部屋にいる。
こよちゃんは僕のことをじっと見ている。
床に座ってテレビを見ている僕のところにこよちゃんがやってきた。
「どうしたの?」
僕はこよちゃんの思いつめたような生真面目なまなざしを受け、少し戸惑いながら尋ねる。
こよちゃんは僕の顔を隅々まで見てから、
「化粧させて?」
と聞いてきた。顔はいたって真剣。
「いやだよ」
僕は即座に答える。
「お願い! 見てみたいの! ちょっとはお姉ちゃんの言うこと聞きなさい! ね?」
こよちゃんが自分のことを初めてお姉ちゃんと言った。僕は笑う。
「ひっどーい! なにがおかしいの? 私、なんか変なこと言った?」
「お姉ちゃんって…プッ。数分早く生まれただけなのにお姉ちゃん…ププッ。そうだなぁ、こよちゃんよりかわいくしてくれるならいいよ」
「やったー! お姉ちゃんにまかせなさい!」
僕はまた笑った。
僕はこよちゃんにされるがまま、化粧されている。
「レキ、ちょっと目閉じて」
僕は目を閉じたが、しばらくして薄っすらと目を開ける。こよちゃんを見る。
こんなふざけたことをしているのに、すごく真面目な顔をしている。こよちゃんは僕のまなじりにアイラインを引いている。鼻息すら聞こえてくるほど、静かに集中している。
今あのことを聞いてみよう。
「こよちゃんは、チェリーズの活動好きなの?」
尋ねてから少し間が空いて、
「レキはどう思う? 私のライブ見てどうだった? やっぱりかわいかった?」
こよちゃんの声が、やはり化粧をしている集中力はそのままに、投げやりな調子で聞こえてきた。
「うん。すごく、よかった。誰よりも輝いてた」
「ほんと? じゃあアイドルやるの好き。イェーイ」
こよちゃんは相変わらず化粧に努めながら、一本調子な声だった。薄目を開けると、こよちゃんの口元に薄っすらと笑みがこぼれていた。
「それってなんだよ。僕がよければそれでいいわけ?」
「うん。そうだよ? なんで?」
「いや、こよちゃんがいいなら別にいいけど…」
「ていうか、レキが私とお父さんにチェリーズやるのすすめてたんだよ」
「え、そうなの? なんで?」
僕は驚いた。サルが僕をこよちゃんのヒモと言っていたことを思い出した。
「そそ。なんでだろ? 多分、アイドルやってる私がかわいいから、見たかったんだと思う。レキは私にぞっこんだったからねぇ~」
「まじで?」
「うそうそ。レキは私に興味なさそうなのに、なぜかアイドル活動だけはすごくすすめてた」
「そうなんだ。でも、こよちゃんが嫌だったら、断ればよかったのでは?」
「私はレキがやって欲しいなら、なんだってやるもん」
どんな男だったんだろう。僕は。
お金のために、継父と双子の姉を、それとなくけしかけてアイドル活動をやらせるなんて。
僕はなんて嫌なやつだったんだろう。
僕の醸し出していた不気味さは何が原因だったのだろう。自分の利益のために他者をコントロールしようとする、あの不気味さは。
僕は、被害者のはずなのに。
だって、自殺未遂するなんて、被害者のはずでしょ?
きっと、かわいそうなはずなのに。
なんで、出てくる情報が嫌なやつばっかりなんだ。
ここ最近、幸い麻痺してくれていた不安が復活してくる。
「僕は、僕に戻りたくない」
「記憶なくす前のレキにってこと?」
「そう」
「そっか。でもね、小さい頃は、私たちのヒーローだったんだよ」
「私たちって?」
「私とお母さん。ウチにはお父さんがいなかったから、レキはヒーローみたいに私たちを守ろうとしてくれてたんだよ」
「そうだったんだ。それも覚えてないや。でも、なんでヒーローじゃなくなったの?」
こよちゃんの化粧をする手が止まる。沈黙が訪れる。
また例のシリアスアレルギーだ…。
目を開けると、こよちゃんは目を中央に寄せて、唇を尖らせてタコみたいにおどけた顔をしていた。
僕は思わず笑った。
「やっと気づいてくれた! さっきからずっとこの顔してたんだからね! 顔ツルかと思った!」
「アホだろ!」
「アホだとも!」
僕らは一緒に笑った。
「ほらほら、あと少しだから、目つむりなさい! レキちゃん」
こよちゃんにうながされて、僕はまた目をつむる。
唇にリップが塗られている。すごく丁寧に塗っている。ところで、なぜ目をつむる必要があったのか。
「ずっと私のヒーローだよ」
こよちゃんがおもむろに呟く。
「そうなの?」
「口あけちゃダメよ。口裂けオカマになるから」
「LGBTQ案件」
「気をつけます」
リップを塗り終えたらしく、しばらく手が止まっているのに、何も話さない。
いきなり、化粧道具がカチャカチャいう音が聞こえてくる。また唇に筆のようなもので塗り始める。
「でもね、記憶戻らなくていいから」
僕はギクリとした。質問したかったが、口を動かすなと言われた手前、黙っていると、
「だってね、また死のうとしたら、嫌だから。私ね、それは耐えられないの。私たちは2人で1つだから。どっちかが欠けたら、いけないんだから…」
こよちゃんの声がこもった。
「はい。お化粧終わった…。目開けていいよ。グスングスン」
「そもそも、なんで目を閉じる必要があったの? って…、え…」
こよちゃんが泣いていた。しかも、結構泣いていた。だから、まだ落としていなかったライブのときのアイシャドウが溶けて、黒い涙が流れている。
「あー、やっぱりレキかわいいー! うっ…」
こよちゃんは泣きながら、化粧し終えた僕の頬を撫でた。
「嬉しいな。また、こういう私のバカなこと付きあってくれるようになって」
こよちゃんの涙を見て、記憶喪失が、また深刻なテーマを帯びてきた。
【記憶をなくした6人のうちの1人、倉橋こよみとの記憶に関して判明したこと】
・昔の倉橋レキは、倉橋こよみ及びその母にとってヒーロー的存在だったが、あるときからヒーローではなくなる。ヒーローでなくなったあと、こよみに冷たくなった。
・倉橋レキは、倉橋こよみ及び父に、こよみがアイドル活動をするようけしかけていた。それは恐らく、小遣いをもらうため。
・倉橋こよみに対して、倉橋レキは被害者ではなく、加害者である。
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