記事5「こよちゃんについて」
20XX/08/15 02:51
記事5「こよちゃんについて」
先週、初めてこよちゃんのご当地アイドル活動を見てきた。
今日はそのことを書く。
その前に…
最近、僕はバイトを始めた。クレープ屋で。今日が初勤務日だった。
疲れた…。仕事って大変。
また機会があったらバイトのことを書く。って、誰も興味ないか…
では、本題に…
前回、サルから聞いた記憶喪失前の僕のこと、を書いた。
記憶喪失前の僕はこよちゃんを利用していた。
つまり…
僕は東京の大学に行きたい
→勉強しないといけない
→バイトする時間が惜しい
→こよちゃんに小遣いをもらう
という…
この考え方が正しいとすると、僕は間接的に、こよちゃんからもらう小遣いの資金源であるご当地アイドル活動に加担していたと言える。
そもそも、こよちゃんがご当地アイドル活動を始めたきっかけは父らしい。
約2年前、父がこよちゃんにアイドル活動をさせるべく、メンバーを募集して、ご当地アイドルグループ「チェリーズフォー」を結成。父が作詞作曲した曲を、どこからか連れてきた謎の振り付け師や謎のボイストレーナーに指導してもらって、父が営業して獲ってきた舞台やライブハウスで披露する、という活動をしている。
父は普段、介護タクシーの運転手をしているので、二束のわらじというか、よく分からない行動力である。
で、当のこよちゃんがご当地アイドル活動をやることをどう思っているのか?
本当に、こよちゃん自身もやりたくてやっているのか?
それとも…
本当はやりたくないのに、家族のためにしたかなくやっているのか?
僕はこよちゃんを利用していたのか?
その辺が、最近少し分かったから、近況報告ついでに先週のことから書こうと思う。
「大ニュース! ガオン、ガオンモールのライブ獲れた!」
父がすごいテンションで帰ってきた。
「え、すごい!」
嬉しそうに口を押さえるこよちゃん。
ガオンモールは、この街最大の娯楽。
ガオンモールは広く、なんでもある。だから、大ニュースなんだろう。
それからライブまでの1週間、2人の猛特訓が始まった。
ご当地アイドルグループ「チェリーズフォー」のメンバーが揃わない日でも、2人はダンスのレッスンやボイストレーニングを行った。
僕も一度、練習を見せてもらった。
その日は珍しくメンバーが全員揃っていて、熱気・やる気が練習で使用している市の小さな体育館に充満していた。
「みんな、声出していこう!」
リーダーの柴田さん(かよりん)が手を叩きながらメンバーを鼓舞する。
柴田さんは農協勤務の29歳。最近、ボーナスで歯列矯正を始めたらしい。
「事務長! ちょっといいですか? 業務改善なんですけど!」
柴田さんが父を呼ぶ。父はどういうわけか事務長と呼ばれている。
「ここの振り付けなんですけど、右手と腰の動きをこうやってアシメントリーにしたほうが、お客さんビックリさせれると思うんですよ。次の動作にいくときの流れ的にも効率的だし。どう思います?」
柴田さんのブルーのカラコン入りの大きな瞳が父を睨んでいるかのように見据える。父の目が泳ぐ。
「ああ、それはそうだね。そうしよう。さすが柴田さん!」
どうやら父は柴田さんの業務改善力を信頼しているらしく、やや早口の二つ返事で許可した矢先、
「ちょっと待ってください!」
と当山さん(とっちん)のよく通る声が体育館に響いた。
当山さんは少しぽっちゃりしている25歳フリーター、声がメンバーで一番通るので、バラードパートに定評があるそうだ。
「ウチはこれ以上振り付けを複雑にさせるより、歌に集中したほうがいいと思うよ」
「はぁ?」
柴田さんが当山さんを睨みつける。
「なによ?」
「いやぁ(笑)」
柴田さんは思わず鼻で笑ってしまったといった風の嘲笑を挟んで、
「だってさ、とっちんの朗々とした歌、あんまりはりきってやられてもねぇ。カンツォーネじゃないんだし」
「え、ひどっ…」
当山さんは涙ぐみながら、
「そういうリーダーこそ、単なるトリガラの音痴やん…」
とすかさず応酬した。
柴田さんは動揺したらしく、カラコン入りの大きな瞳がせわしなく動いた。
「え、とっちん社会人じゃない…。大人じゃない…。うわぁ、怖い人だぁ…。とっちん、それって名誉毀損だよ? 自分のやらかしたこと、社会的にどれだけヤバいか分かってる?」
柴田さんは意を決したように、さっきよりも強い口調で言い返す。
「そっちこそ、カンツォーネとか、暗にデブって言ってるじゃん!」
当山さんが泣きながら声を張り上げる。
「は!? デブなんて言ってないし! ねえ、ピーター、どう思う? 私悪くないよね?」
「自分は…筋肉っす」
いざこざが始まってからずっとスクワットをやっていた君山さん(ピーター)が謎の照れ笑いを浮かべて呟く。君山さんはボーイッシュで、体育大学の学生。最近、ボディービルを始めたらしい。
「もう、なんなのよ! せっかくの晴れの大舞台に向けて、私は少しでもいいパフォーマンスをしてお客さんを喜ばせたいって思ってるだけなのに…。え、なに、みんな私が悪いってこと?」
柴田さんは皆の顔を見回しながら嘆く。目が潤んでいた。
「まあまあ、みんな落ち着いて…。みんな長所たくさんあるんだから、些細なマイナスポイント言いあってもしょうがないよ」
父が遅まきながら仲裁に入ろうとしたが、
「ちょっと関与しないでくれます? 私たちの問題なんで」と柴田さんに一蹴された。
柴田さんはもう1人の存在に気づいたらしく、こよちゃんを見る。
「ねえ、こよちゃん。こよちゃんはどっちが悪いと思う?」
「そうだ、こよちゃん…。教えてよ?」泣きながら当山さんが続く。
「こよちゃんも筋肉っす…」
三人に見られたこよちゃん。
家でよく喋るこよちゃんは、外では借りてきた猫のようにおとなしくなる。
今は両手を口に当てて、幅広・切れ長な黒目勝ちの潤んだ目を正体なくパチパチさせている。
あ、やばい。
僕は咄嗟にこよちゃんのほうに動く。
「私が悪い…ごめんなさい…」
そう言い残し、こよちゃんは崩れる。あと一歩でこよちゃん。僕が手を伸ばしたとき、さっと、こよちゃんが視界から消えた。
父がこよちゃんを抱きかかえた。
奪われた。
僕は、父の腕の中で虚ろな目をしているこよちゃんを見ながら、そう思った。
そして、頭が強烈に痛くなった。
僕は眩暈がしそうなほどの強烈な頭痛に襲われ、その場に膝をついた。
「双子そろって脳貧血とは。双子の共感力ってすごいな」
帰りの車の中で、父が嬉しそうに言っていたのを覚えている。
僕の心臓がすごい速さで動いていた。
それから、5日後、ついにガオンモールのライブ当日…
東西南北に広がるガオンモールの中央広場の敷地に特設ステージが作られていた。
僕はてっきり、こよちゃんたち「チェリーズフォー」の単独ライブだと思っていたが、彼女たちは前座で、あくまで本番は大衆演劇座の女形・松川千による舞踊とのことだった。
僕と父とサルは、最前列に座って、「チェリーズフォー」の出番を待った。
父とサルは面識があるらしく、よく話している。
客はまばらで、隣には漁協のメッシュ帽を被ったお爺さんが、さっきからひっきりなしに団扇を仰いでいる。その横に座る奥さんは気持ちよさそうに寝息を立てていた。
その隣には子連れのお母さんがハンカチで、男の子の額の汗を拭いてあげている。
「お客さん、あまりいないね」
僕はサルにささやく。
「まあ、今に見てろって」
サルは不敵な笑みを浮かべた。
サルの言うとおり、「チェリーズフォー」の出番が近づくにつれ、四方八方からぞろぞろと30人くらいの男性たちがやってきた。僕らの後ろの席に座った4人組が父に挨拶した。
「誰?」
僕が父に尋ねると、彼らに聞こえたらしく、後ろから僕の肩をトントンと軽く叩き、
「チェリーズ親衛隊」と耳元でささやいてきた。
僕はびっくりして後ろを振り向くと、
「おお! こよちゃんさんの弟君! こよちゃんさんと同じ顔していらっしゃる…。尊い…」
と僕と目があったメガネをかけた痩せたおじさんが僕を見るなりハイテンションだった。
「ご紹介遅れました。私がケチャップ岡本。推しはご周知のとおり、こよちゃんさんです」
メガネをかけたケチャップ岡本さんが僕とサルに握手を求めた。
「ああ、ケチャップさんずるい! オ↓レ↑も! オ↓レ↑はあいにく推しはかよりんで、そこは弟さんよ、面目ない。そもそも、なぜオ↓レ↑がかよりんを推すようになったかというと、それはあの雨の日のことだった…」
「出たー! ルナぽんさんの推し語り! 安心してください。僕は親衛隊一の常識人、ミルナティです。推しはモチのロンでこよちゃん。だからケチャップさんと推し被りのライバル関係なんですよ。で、こちらがウチ一番の若手、切り込み隊長こと、みっつくんです。みっつくんの推しは謎で、ちょっと問題児なんですよ」
「みっつです。推しは…ひ…みっつです」
イントロが流れ始める。市の体育館で練習していた曲だ。
柴田さんを先頭に、4人が舞台に出てくる。
後ろのチェリーズ親衛隊、また他の男性たちがさっと席を立つ。
「はぁーい! みんな、お待たせだよー! チェリーズフォーでーす! まずは、新曲『真夏の家族計画』、聴いてください! ミックスはAでお願いしまーす!」
♪ほい! ほい! ほい!ほい!ほい!ほい!
いっくよぉ!!
(MIX)
「タイガー!ファイヤー!サイバー!ファイバー!
ダイバー!バイバー!ジャージャー!
ファイボー!ワイパー!」
♪
男性たちが野太い声で掛け声を発し始めた。
親衛隊のざわめきが聞こえてくる。
「今日のかよりん、キレすごくない?」
「いや、みんなすごいよ…」
♪
真夏の夢はね つまりね あなたのことよ
(ワイ! ワイ! ワイ!ワイ!ワイ!ワイ!)
実はね ほんとはね 知っているのよ
(うー、リアリぃ?)
こんなに 気持ちが 揺らいでしまうのはねぇ
君の衝動 もろに食らったからだよねぇ
(オー、デンジャラス!)
♪
歌は当山さんがリードしている。当山さんの振り付けが、練習のときより簡略化されていて、彼女は歌に集中することができているようだった。そのせいか、練習のときより声が通り、かつリズミカルですばらしかった。
ダンスは柴田さんと君山さんに迫力がある。
当山さんの振り付けが簡略化されているので、全体の調和が乱れると思われたが、左から右に流れるようなグラデーション的な振り付けに変更されいたので、見ていて心地よい。
特に、最右翼をつとめる柴田さんが頑張っている。
後ろからの声が聞こえてくる。
「おい…。かよりん、あんな右端なのに、言わば黒子なのに、すごく頑張ってるじゃねぇか…」
「そこがかよりんのいいところなんだよ。ちょっと性格きついけど、チェリーズのためなら身を捧げて黒子にだってなるのがかよりんの心意気なんだよな」
「でも、こよちゃんのあの気の抜けてるようで、実は一番リズム感いいから小気味いいダンス、やっぱり私は天才型のこよちゃんさんを推しますね」
「おい! 布陣が変わった! こよラップくるぞ!」
♪
(ラップ)
君の黒髪 漆黒の闇 闇果て天に召します神様 永久不滅のポイントゲットの光が明滅
阿鼻叫喚の羅生門の蜘蛛の糸が垂れに垂れ垂れ 巧言令色 僕は君へと這い上がってみせる!!
(セイ! セイ! セイ! セイ! 入会金は初年度無料!!)
♪
僕は驚いた。普段のこよちゃんからは想像がつかないほど、リリックとともに躍動していた。たしかにリズム感がいい。
♪
いっくよぉ!
「タイガー!ファイヤー!サイバー!ファイバー!
ダイバー!バイバー!ジャージャー!
ファイボー!ワイパー!」
絶望? 失望?
(NO!! NO!!)
展望 明るい!!
(YES!! YES!!)
僕と君との家族計画だ!
(末永く ロング アゴウ!)
永遠目指して 頑張っていこうよ
(オー、ファーラウェイ!)
恋愛 上等! それが我が家訓~
(tell me about the secret!!)
♪
親衛隊の涙ぐむ声が聞こえてくる。
「ケチャップさん…、オ↓レ↑、チェリーズ推しててよかったよ…」
「ルナぽんさん、私も、誰の推しというより、チェリーズが好きだったことに気づきましたよ…」
新曲が終わった。
練習で見たとき、崩壊しそうだったチームが、ここまで立て直されていることに驚いた。正直、感動した。
僕がこよちゃんのことを利用していると思っていたが、よく分からなくなった。
「こよみちゃん、ラップ上手ですけど、どういうところに気をつけてる? なんか僕らからすると、こよみちゃんみたいなおとなしそうな子がラップやってるの見ると、すごく意外で新鮮なんだけど」
ガオンモールが用意した進行役の芸人がこよちゃんにマイクを渡して質問している。マイクを受け取ったこよちゃんは、まず10秒固まって、やっと話し始めたかと思いきや、
「えーっと。うーん。えー。そうですねぇ…」
と要領の得ないMCを展開した。そして、最終的には両手で顔を押さえてしまったので、柴田さんが代わりにすべての受け答えをした。
やはり、利用しているというあの疑念が再燃した。
「はい、ありがとうございまーす! 次の曲は、スタンダードナンバーですね。『胸騒ぎコミュニケーション』いってみよー!」
ライブは成功裏に終わった。
結局、こよちゃんが自分の意思でアイドル活動をやりたいと思っているのかどうか、分からなかった。ただ、外では大人しく恥ずかしがりのこよちゃんが、MCとトーク以外はそつなく淡々と歌と踊りをこなしていた。基本的に無表情なので、楽しそうには見えないが、苦しそうにも見えない。やはりよく分からない。
実のところ、感覚が麻痺してきた。というのも、死のうとした理由も覚えていないし、6人の記憶がないことについても、今、生活するうえで支障がないから。当初は支障があったので、リアルに焦っていたが、こよちゃんも父もサルも優しくしてくれるから、困らなくなった。
だから、色々と不可思議なことがあるのだが、それらは切迫した悩みというより、単純な興味になってきている。
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