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この感情に名を与えよ  作者: エリピス
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記事3「こよちゃんについて」

20XX/07/30 04:03

記事3「こよちゃんについて」


父は僕らと血がつながっていない。


こんな大切なことを、退院してから1ヶ月近く経つのに、自発的に平気で教えないこよちゃんの無神経さに驚愕して、衝撃の事実が少し霞んだ。

「本当のお父さんはどこにいるの?」

僕はそろそろ質問に答えてもらえなくなる不安から、つい早口に尋ねる。

「うーん…。知らないって。ずっと昔に、お母さんと離婚したから。もう無理…」

こよちゃんの頭が、強制終了されたかのごとく、バタンとうなだれた。

「ああ、ごめんごめん。質問、終了です」

「本当? じゃあ、さっきのクイズです! ってその前に動画見て見て!」

こよちゃんの機嫌は一瞬で治った。

僕はこよちゃんが爆笑しながら見せてくれる動画(生真面目な顔をした犬が眠っている飼い主の口を一心不乱になめ続ける動画)を見ながら、頭の中でモヤモヤの正体を暴いていた。


母が3年前に亡くなったことは覚えている。というか、母の記憶はある。

小さいころ、僕と母と(誰か※)は、入り組んだ坂道の路地にある、この団地よりももっと狭くもっと古いトタンの家でもっと貧しい生活をしていた。

※この辺の記憶が曖昧

今思えば生活保護をもらっていたんじゃないだろうか? そのぐらい生活は厳しかった。

しかし、中学に入るころ、この団地に引っ越してきて、前より生活はずっと楽になった。

その原因が母と父の再婚であったことが、僕の記憶からごっそり抜け落ちている。

父の記憶を喪失したことで、父にまつわる母との再婚等の記憶が一緒くたになくなっていた。


そのことが判明すると、自然に、僕のモヤモヤの正体が明らかになっていく。


つまり、

僕は東京の大学に行きたい。

→学費や下宿するお金がかかる。

→父は実父ではないので学費を出してくれるか心配だ。

→学費を出してくれないならば、勉強する意味がなくなってしまう。

という、自分の将来を案じた不安が、勉強すればするほど募ってモヤモヤしていたのだ。


という経緯で、衝撃の事実(僕ら姉弟と父に血のつながりがないこと)が分かった。


でも…


よく考えると…


父は血がつながっていない義理の子どもたちの面倒を看ていた、ということになる。


ここがよく分からない。


というのも、父からすれば、正味5年ぐらいしか一緒に暮らしていない義理の子どもたちを、汗水たらした労働の対価として養っている、ということになる。


すでに母は亡くなっている。

父にとって、僕らは言うなれば赤の他人。


父のモチベーションが謎…



そんな父のことはさて置いて、自分の進学の心配しかしない僕は、なかなか自分勝手な人間だということもよく分かった。


記憶喪失後、初めて自分のことが嫌になる。

元からこうだった?

これから、ブログでたくさんの嫌な自分と再会するのだろう。

そう思うと、気が重くなる。


あと、こよちゃんが言っていた「お金の心配はしなくていいからね」って、どういう意味?

面倒くさいから適当にあしらった?


こよちゃんは、シリアスな話をすると、露骨に嫌がる。ネガティブな感情に対して耐性がないのか、ある事柄を真剣に考えることが辛いのか、とにかくシリアスなことから目をそらそうとする。


でも、そんなこよちゃんがシリアスなことと真っ向から向きあってくれた瞬間がある。

それは、1ヶ月前、僕が自殺未遂で飛び降りて、病院の集中治療室(ICU)に入って奇跡的に目を覚ましたとき。僕はそのときのことをはっきりと覚えている。


「レキ! レキ」


泣き叫ぶ、完全に取り乱した女の子の高い声。

僕はその声に懐かしみを覚えて、目を開ける勇気が持てたんだと思う。


「ああ、よかった! よかった、本当によかったんだから…」


女の子は泣きっ面に、いきなり浮かんだ喜びが行き場を失って、ちょっとおもしろい表情をしている。

女の子は僕の頬を撫でた。


冷たい手。


これがこよちゃんの第一印象。


「レキ、なんでこんなことしたの?」


こよちゃんはそう言って僕の手を握る。


「私、レキのこと守るから。今度は私が守る。努力するから。だから、お願いだから、死のうとなんてしないで…」


こよちゃんの泣き声から搾り出したか細い声が耳に残る。


「もう、私を置いてどこか行ったりしないでね」


こよちゃんは僕の手のひらに額をあてがったまま、さらに泣き出してしまった。


このときの病院でのこよちゃんを思いだすと、普段のこよちゃんと別人のように感じる。


どっちが本当のこよちゃん?

僕には分からない。


ただ、もしかして、僕が記憶喪失なほうがこよちゃんにとって都合がよく、だから記憶を呼び覚ます可能性のある過去の出来事に触れたがらないのかな、という仮説が頭に浮かんでくる。


確認しないといけない。


そう思った僕は、今晩、寝るとき、8畳の子ども部屋が4畳・4畳になったあと、カーテン越しに聞いてみることにした。


「僕の記憶、戻ったほうがいいと思う?」


真っ暗な部屋の天井を見つめながら、僕は小声で問いかける。しばらく間があったので、もしかしたら寝てしまったのかもしれない。


「今のままでいいよ」

突然、こよちゃんが消え入りそうな声で呟く。


「戻らないほうがいいってこと?」

こよちゃんの眠気を覚まさないように、僕は静かに問う。


「どうだろ? そういうわけじゃないけど。でも…」

また長い間がある。ついに小さな寝息が聞こえてきた。


寝落ち…


さあ、僕も寝よう。

そう、思ったとき、


「構ってくれるから、今がいい」


「そんなに前の僕は、嫌なやつだった?」

今の僕が、すがりつくように尋ねる。

こよちゃんの小さな寝息がだんだん大きくなって、小さないびきに変化した。


あれ?


僕は、一体


何者?


寝付けなくなった僕は、今こうしてブログを書いている。


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