6.高嶺の花子さん
もくもくと秋人が作業に取り掛かってからおよそ2時間。作業はすでに終盤に差し掛かっていた。単純作業など秋人の得意とするところ。最初に一個組み立ててしまえば、二個目三個目はお手の物だ。
手際よく三個目の棚も完成させたところで秋人が一息ついていると、不意に首筋をひやりとした感触が襲った。
「ひゃい……!」
「ぷっ、あはははは!!」
振り返るとそこには、秋人を指さしながら腹を抱えて大笑いする聖楽の姿があった。冷たい感触の正体は彼女の手に握られたスポーツ飲料のペットボトルだ。
「あのなぁ、お前……」
いくら心穏やかな秋人でも、こうも手玉に取るようにいたずらされて笑われるとかなり不愉快だった。じめっとした抗議の視線を聖楽に向ける。
「あはっ、あははは、あー面白い。普段静かだからどんな反応するのかなーって思ったんだけど、まさかあんたの口から『ひゃい……!』なんて言葉が出てくるとはねー。あざと系女子かっつーの」
しかし聖楽はなおも秋人の視線に気づかぬまま笑いころげ続ける。
(クソ、このやろう……)
すると、視界のすぐそこに、たった今聖楽が買ってきたであろうコンビニの袋が雑に置かれているのを発見する。そして中からのぞくアイスのパッケージ。
秋人は素早く立ち上がり、袋からアイスを掴み取ると、未だ笑い転げている聖楽の背後にそっと……、
「きゃっ……!?」
仕返しとばかりにそれを聖楽の首筋に当てた。聖楽は、瞬間、猫のように飛び上がる。
「はっ、お前もかわいい反応じゃねぇか。似合わねぇぞ」
そうして、秋人はニタァと卑屈な笑みを浮かべ、してやったりのどや顔を作る。
対する聖楽はと言えば、自分がまんまと仕返しされたことに気づくと、とっさに顔を赤くした。しばらくうつむき腕をプルプルさせている。
(あれ、これ、俺、怒らせちゃった……?)
秋人の中でけたたましく警鐘が鳴り響く。
ああ、自分はなんて愚かなのだろうか。
ついさっき、彼女を怒らせてはいけないと身をもって体感したというのに。
とっさに秋人は、(なぜか鼻を手でガードしながら)、聖楽から距離をとろうと後ずさりする。
「むかつく……!あんたごときに反撃を食らうなんて私がうかつだったわ……。てか、似合わないってなによ!あたしにはかわいい反応は似合わないっていうの?そこんとこ、話し合いが必要みたいね?」
「ひぃ……。わ、悪かった。冗談だって……」
だから物理攻撃だけはやめて!と秋人は涙目で訴える。
そんな秋人の懇願が届いたのか、意外にも聖楽は「はぁ」とひとつため息をついて怒りを収めたようで、
「ったく、あんたごときが私に仕返しなんて百年早いのよ。この飲み物、差し入れね。それと、コンビニでカップ麺買ってきたけど、あんたも食べるでしょ?」
ぴっと聖楽が指さす先には、ピカピカのフローリングに乱雑に置かれた別のコンビニの袋。その中から大量のカップ麺が溢れ出していた。
「おい、あれ、とても二人分には見えないんだけど……」
「はぁ?全部今食べるわけないでしょ、あほなの?一週間分よ。何度も買いに行くのめんどくさいから」
それを聞いた瞬間、秋人の中で聖楽の影にもう一人のダメダメお姉さんの姿が重なった。なんというデジャブ。どうしてカップ麺を買い込んでおけば食事は大丈夫などと思えるのか、秋人には到底理解できない。
「はぁ……、お前もその口か……」
思わず口をついて出た言葉に、聖楽はピクリと眉を上げる。
「なによそれ、どういう意味?お前もって?」
ああ、しまった。これは余計なことを言ってしまったかもしれない。
そう後悔しながらも、秋人はしぶしぶ口にする。
「お前のほかに、カップ麺至上主義、というかカップ麺しか作れないダメ人間というか、そんな人を知ってるってことだよ。ここの2つ隣の琳……いや、吉永さんだ。あいさつしただろ?」
ついいつもの調子で下の名前で呼んでしまいそうになったところをなんとか誤魔化す。
そんなことを口走れば最後、聖楽に関係を追求されるに違いない。いや、追求されてもなんもないんだけどね。
「あー!吉永さん!めっちゃ奇麗だった、あの人!すっごく可愛いのに、大人っぽいんだよね〜、挨拶の時びっくりしちゃった」
「そうそう、そうだよな。かわいいんだけど、大人のお姉さん感もちゃんとあるんだよな!」
「うんうん、わかるわかる……って、ちょっとなにあんた、いきなりテンション高くない?ちょっとキモいんだけど。ってか、よく考えれば、なんであんたが吉永さんの食生活なんて知ってるのよ?」
「うっ、あっ、それは、だな……」
しまった。うっかり琳佳さんの魅力を共有したくてテンションが上がってしまった。それに、ただの隣人が食生活を把握しているというのもおかしな話だ。秋人は既に、十分口を滑らせてしまっていたのだ。
なんと言い逃れ、いや説明をしようかと、秋人がしどろもどろしている合間にも、加速度的に聖楽からの疑惑の目は強まっていく。そしてついには、秋人は諦めて本当のことを話すことにした。
少し前から、秋人が夕飯を作って、琳佳と一緒に食べるようになったこと。その見返りとして、夕食後には勉強を教えてもらっていること。
全部、聖楽に話してしまった。
「は!?あんたたち、一体どんな関係よ!?」
「いや、これにはどうしようも無い事情があってだな……」
「事情?ただのお隣同士の男女が、夕食を共にするに足る事情って何よ?しかも、吉永さんよ?」
「いや、あの人だからこその事情なんだけど……」
あぁ、こまった。流石に琳佳の異臭ごみ山大事件のことはありのままに話すわけにはいかない。
そんなことをしようものなら、今度は琳佳に殺される。精神的に。
そんな感じに絶賛板挟み状態で何も言えなくなった秋人に、聖楽の不審げな視線は強まる一方だった。
「間違っても、変な誤解はするなよ。琳佳さんとはそれ以上でもそれ以下でもないからな」
あごに人差し指をあてて、お決まりの考え事ポーズに入っている聖楽に慌てて補足を入れておく。しかし、それを聞いた聖楽は、顔をゆがめて
「はぁ?何言ってんの、そんなのわかってるわよ。あんたと吉永さんじゃ、到底釣り合わないもん」
「お、おう……」
ですよねー。わかってはいたつもりだったが、改めて第三者にそう言われると、予想以上にへこんでいる自分がいたことに気づく。
そんな秋人の微妙な反応に、しかし聖楽は何かを確信したように「ははーん」と挑発するような笑みを浮かべながら秋人に詰め寄る。大きな黒縁メガネから上目遣いにこちらを覗く聖楽と目が合い、不覚にも秋人の胸が大きく脈打った。
「あんた、狙ってんの?」
「は……?」
「だから、あんた、吉永さんのこと、好きなんでしょ?」
「い、いや、違うっ。俺はそんなっ……」
自然、秋人は自分の顔が熱くなり、真っ赤に染まっていくのを感じる。隠そうと思えば思うほど、反応はぎこちなくなり、身体が火照りだす。心をいくら騙そうとしても、身体の反応は正直だった。
(くそっ、俺、なんでこんなどうようしてんだよっ!)
思い通りにならない身体を恨めしく思いながら、とっさに聖楽から目を背けた。
「ふーん、か、く、て、い、ね」
そして聖楽はまるで罪人に判決を下すかのように、ゆっくりとその言葉を言い放った。その表情は面白いものを見つけたといわんばかりに笑みがにじみ出ており、その視線はまるでこちらを値踏みするかのようだった。
「へぇ~、学校では一人で本ばっか読んで一匹狼を気取ってる奴だとしか思わなかったけど、そっか~、あんたも意外な一面あるんだね〜」
どうやら本当に聖楽の中では秋人が琳佳に好意を抱いているということで確定してしまったらしい。ここまで来たら、もはや否定を重ねるのは焼け石に水だろう。
「なんだ、悪いかよ」
秋人は照れ隠しのために少し悪態をつきながらボソッとそうつぶやいた。
「いやー?悪いなんて言ってないじゃん。ただ、意外な面もあるんだなって。今まで何考えてるか分かんなかったけど、おんなじ高校生としてちょっと見直したっていうか~」
「不釣り合いなのは自覚してるからほっといてくれ」
これ以上、この件でからかわれ続けるのはさすがにしんどいと思い、秋人は話題を振り切るためにカップ麺の山から適当に一つ選び取ると、お湯を沸かすためにコンロへ向かう。
しかし、聖楽はそんな秋人の意図などおかまいなしに、背後からこんな言葉を投げかけてきた。
「その恋、私が手伝ってあげよっか?」
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