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5.やっぱり女は恐ろしい

 なんと始まって以来ろくに予定などなかった秋人の春休み、その最終日にとんでもなく厄介な予定が舞い込んできた。

 舞い込んできた表現はもっともで、寝ぼけた頭のせいで、当事者の秋人にもどうしてこんなことになったのか分からない。


 隣に引っ越してきた、秋人が一番苦手とする部類の同級生。まさかそいつの引っ越しの手伝いをさせられるとは。


 しかし一度約束した以上、そして今後隣同士で住む以上、逃げることは許されない。加えて、何かを頼まれればむげには断れない秋人だった。


 仕方ないのでいそいそと部屋着から外向きの格好へと着替える。洗面台で鏡を見ながら寝癖を治しつつ、ふと秋人は思う。この春休み期間、午前中にこうして出かける準備をするのは初めてだ。


 友達もいなければ、家族もいない一人の生活で長期休みとなれば必然と昼夜逆転してしまうのだ。用事といえば日用品の買い物と琳佳さんとの晩ご飯くらい。それ以外はほとんど小説を読みながらダラダラして眠くなったら寝るだけ。そんな生活だった。


 用事といってもすぐ隣の部屋に出向くだけ。徒歩およそ5秒の距離。最低限の身だしなみを整えて手ぶらでアパートの廊下に出る。朝特有のひんやりとした空気と日差しを浴びると、それまで(もや)がかかっていた寝起きの思考が、すうーっと研ぎ澄まされていく感覚がした。


(まぁ、たまにはこんなのもいいな。って言っても明日から学校だからこれが当たり前なんだけど)


 よく考えれば今日は春休み最後の貴重な日。ダラダラできる最後の日を潰されたことに思い至るが、もはやどうしようも無い。

 うぅーっと大きく体を伸ばしてから、


(よしっ……、いくか)


 自らを鼓舞して秋人はその重い足を動かした。時間にしておよそ5秒、歩数にして約3歩。そのあまりにも近い目的地に、しかしたどり着いた頃には精神が疲労していた。秋人の部屋の右隣、201号室の扉の前に立つ。


 ああ、やだなぁなどと心で呟きつつ、しぶしぶインターホンを押す。

 ピンポーン。

 ……。

 ピンポーン。

 ……。


(出やがらないだと......?自分から呼んでおいてあいつ......)


 秋人の内側から寝起きからずっと燻っていた苛立ちがふつふつと再燃する。つい30分ほど前のぶしつけなインターホン連打の恨みを忘れはしない。


 秋人の口がにやりと裂ける。ただでさえ悪い三白眼の目つきは今や明らかに悪者のそれである。女子高生の一人暮らしの部屋前でとなれば、傍から見れば不審者確定、通報レベルだ。秋人は徐にインターホンに人差し指を乗せると、構える。


 相手の在宅は確認済み、その相手は同級生だとすれば遠慮はいらない。ええい、思いのままに――


 ピンポーン、ピポピポピンポーン。ピピピンポーン、ピンポピンポピンポー......


「うるっっっっっっっさああああああい!!」


 中から猛獣の方向が聞こえた瞬間、秋人はゾクリと震え上がる。まずい、やりすぎた、逃げなければ――。しかし、間に合わない。


 バンッ、ガコッ、ドスン、バタリ。

 物騒な音の連続が終わったあと、その場に残っているのは、地面に倒れて動かなくなった男とふぅーっふぅーっと肩で息をしながら鬼の形相でそれを見下す猛獣の姿だった。


 説明しよう。バンッは怒りに任せて聖楽がドアを開け放った音。ガコッはドア前に立っていた秋人にまんまとドアが直撃した音。ドスン、バタリはもはや想像に(かた)くないだろう。


「あんた、いい加減にしなさいよ……!一回押せば聞こえてるっつーの!ちょっと手が離せなかったことくらい察しろ、このアホ!」

「う、うぅ……、はい……、痛い......」


 ようやく起き上がった秋人は自分の鼻をすりすり。


(よ、良かった......、折れてない......)


 しかし掌を見るとじわぁっと赤い液体が滲んでいた。それからポタポタと同じものが地面に垂れている。


「はぁ......、もうしょうがないやつね」


 そう言って聖楽は一度部屋に戻ったかと思うと、ティッシュの箱を手に戻ってきた。


「ほら、これで鼻詰めなさい。あと……、目立つから早く入って」


 聖楽がドアを押さえながらほれほれと片手で手招きするのに従って秋人は大人しく中に入った。

 もはやここまでくると秋人の中には怒りや不満などではなく恐怖、従順の心しか残っていなかった。


(この女は琳佳さんと違って物理的に怖い......。おっかねぇ......。くそ、思い出したら琳佳さんに会いたくなってきた......)


「ったく、ほらここ座って」


 とぼとぼと素直に聖楽のに促されるまま部屋に上がり、床に腰を下ろす。当然、引っ越したばかりで敷物などなく、フローリングのままだ。


「他痛いところある?」

「いは、こへいはいはだいじょうぶだ」


 意:いや、これ以外は大丈夫だ。

 もれなく両方の鼻にティッシュを詰め、白髭のサンタクロース状態の秋人は鼻声でうまく喋れない。

 一応は心配している様子の聖楽は、ジロジロと秋人の顔を見つめてはどこか異常はないかと手で触ってみたりしている。時折顔を近づけたりされると思わず秋人は息を止めたりしてしまうのだった。


(う、なにこれ、めちゃくちゃ恥ずかしい......。そんなジロジロ見ないで。え、俺臭くないよね?良かった......さっき風呂入っといて。でも念のため息は止めておこう......あぁ、もう調子狂う。だから苦手なんだよ)


 聖楽の触診中、視線をあちこち、呼吸は荒くなる(鼻が塞がっているから自然と口がはぁはぁする)。ふと、視線を移すと大きくキラキラした目の聖楽と目が合う。一瞬心臓がドキンッと異常に跳ね上がる。


(んっ......、なんでこいつこんな目がキラキラなの?少女マンガの住人か?……てか普通にかわい――)


「ふーん、あんた別に顔の見た目は悪くないのね。目つきがひっどいだけで」

「んなっ、う、うるせえ……」

「ははっ、照れてやんのーきもーい」


(ほんっといい性格してんなこいつ……)


 聖楽から視線を外して部屋を見回す。そこには隅に寄せられた山積み段ボールの他は何もない。本当に引っ越し仕立てなのだとわかる。


 間取りは秋人の部屋と全く同じだが、物がないとここまで広く見えるのかと感心する。


 玄関に入って短い廊下、その途中右側にユニットバスの部屋がある。廊下の終わりに一枚扉があり、その先に左手に小さなキッチン、奥に6畳ほどのワンルームがあるだけ。

 壁や扉フローリングも綺麗で、築年数は覚えていないが新しい部類に入ると思う。都内の高校生の一人暮らしにしては少し贅沢なほどの部屋だった。


「本当に何にもないんだな」


 秋人はようやくティッシュを鼻から外しポツリと呟いた。


「当たり前でしょー?さっき荷物届けてもらっただけなんだから。だからあんたが働くんでしょ?」

「はいはい。なんかよくわからんが、さっさと終わらせよう。何すればいいんだ?」


 秋人がそう尋ねると、聖楽は「んー」と顎に手をあてて眉を寄せる。どうやらそのポーズが癖のようだ。聖楽が何やらポツポツと呟くのが耳に入る。


「どうせやってもらうんなら一番めんどいのがいいよね。テレビ?いや本棚の組み立て?あ、でも……」

「全部聞こえてるっつーの。わざとだろ。いいよ、暇だし最後までやるからなんか言ってくれ」


 さっきまでは憂鬱でしかたなかったし、鼻血の件のごたごたもあったが、いざやるとなれば満更でもなかった。


 一人暮らしを初めて早一年、料理をはじめとし着々と家庭力を身につけた秋人はこの状況に少しワクワクしていた。整理整頓、片付けはもちろん、家具の組み立てなどの地味な作業にはつい夢中になってしまう性分なのだ。


(めんどいやつの方が無駄に喋らなくて済みそうだしな)


「んーまぁ、あんたがそういうなら本棚お願いできる?5つあるんだけど」

「い、5つ...?お前、そんな本持ってるのかよ?」

「あっ、いや別にそういうわけじゃなくて.......。いや違くないんだけど......」

「なんだ?」


 急にどこか歯切れの悪くなった聖楽に少し違和感を覚える。なぜかもじもじして動揺しているようだ。


「とにかくっ、あんたは本棚!よろしくね!あと、私物の箱中身見たら()()()()


 殺す、と口にするその一瞬だけ無表情なその様子からは一切の冗談が感じられなかった。先ほどの猛獣のような彼女の姿を思い出して秋人はぶるりと身震いする。


「あ、ああ。分かってるよ、見ない見ない」


 秋人が引きつらせた笑みでそう言うも、聖楽じーっと疑いの目を向け、しばらくして「じゃ、よろしく」と言って自分の作業に取りかかり始めた。


(っふー......。怖っ、怖すぎでしょ……。人の私物なんか勝手に見るかよ。それにそんなに嫌だったら俺なんかを呼ぶなよなぁ……)


「はぁ、じゃあ俺もやるか」


 気持ちの切り替えにそう呟くと、秋人は早速指示された本棚の箱に手を出す。箱には大きくIK◯Aの文字。軽い木材でできた3段のシンプルな本棚のようだ。


(これならまぁ一つ30分もかからないか......?)


 そんなことをぼんやり頭の中で考えながら、説明書とともに作業に取りかかり始めた。


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