11.ラッキースケベは良いもんじゃない
2日連続更新!奇跡!
ピピッ、ピピピッ、と部屋に響き渡る甲高い電子音が徐々に大きくなっていく。寝返りをうって音源から遠ざかり、それでも足りないとなれば布団を頭から被る。しかし、そんな些細な抵抗もむなしく、その耳障りな電子音は際限なく大きくなっていき、ついに我慢の限界を超える。顔を枕にうずめたまま、手探りでその音を止めようとするが、振り回していた手が不意に何かに衝突する。ガンッと床に何かが落ちた音。しかし、肝心の電子音はすこし遠ざかった気がするが止まってはいない。
と、ようやくここにきて秋人はむくりと身体をベッドの上から起こす。床に転がってしまった目覚まし時計の上部のボタンを恨みを込めて少し強く押した。時間を確認すると、起きようと思っていた時間を10分ほど過ぎていた。これは秋人と時計との戦いの時間を示している。時間がたてばたつほど音を大きくしていく仕組みの時計だが、10分も経てば設定上の最大音量に達していたことだろう。さすがに秋人も時計の本気にはかなわなかったというわけだ。
しかし、昨日の秋人はこれを見越して起床時間を早めに設定している。この時間ならば、しっかりと朝食を食べるくらいの余裕はある。洗面所で顔を洗い、乱暴に寝ぐせを直す。春に入り、気温は暖かくなったが、水道から出る水はいまだ冷たく、ふわふわとしていた秋人の頭を一気に覚醒させた。洗面台の鏡で確認する自分の顔はいつも通り――、
(ほんと、目つき悪ぃな……。え?なに、怒ってんの?)
鏡の中の自分にそう問いかけるが、答えは自分がよくわかっている。怒ってなどいない、これが標準の顔なのだ。そういえば昨日、聖楽に普段から表情を気にするよう言われたことを思い出す。試しに、口角を上げて笑顔を作ってみる。鏡に映された自分の顔を見た瞬間、ぞわっと鳥肌が全身を駆け巡った。
(ああっ、もう、やめだ、やめ。もう二度とやらん、こんなこと)
朝からどうして、わざわざ自己嫌悪を深めるようなことをしなければいけないのか。ただでさえ常日頃から自分など嫌っているのに。秋人はさっさと洗面所を後にし、トースターにパンを一切れセット。その間に、久々に取り出した制服に袖を通す。高校二年生にもなれば、著しい成長など感じることもなく、制服はぴったりとフィットした。学年が一つ上がるからといって何も特別なことはない。長い休みが終わって、またあの退屈な学校監禁生活に戻るだけ。どうせクラスがどう変わろうと、秋人の周りは全く知らない赤の他人か、大して仲良くもない顔見知りだけだ。新学期初日、家を出る前からすでに鬱屈とした学校生活を想像しながら制服に着替え終わると、チンっとちょうどトースターが鳴った。
漠然とテレビに目を通しながら、トーストを食べ終わると、家を出るにはちょうどいい時間になっていた。よっこいしょとつぶやきながら重い腰を上げて、てさげタイプのカバンを持つと、玄関の鏡でネクタイをチェックする。少し緩んでいたストライプ柄の青いネクタイをくねくねさせながら、シュッと締めなおす。ローファーを履いて、とんとんとつま先を地面に当てて調節しながら何気なくドアを開けて外に出た、その瞬間。
「あ……」
「げ……」
目が合った瞬間、二つの間抜けな声が重なった。そして数秒間、アパートの廊下で制服を着た男女が動きを停止させる。先に動いたのは男の方。
「あーやべー忘れ物、忘れ物……」
そう呟きながら、秋人は今出てきたばかりの部屋に戻り扉を閉めようとする、が、しかし。閉まりきるまであと数cmといったところでガンッと扉の動きが止まる。秋人が内側から扉を引っ張ろうとするが、外側から反対方向に猛烈な力がかかる。
「ちょ、失礼ね!なんで逃げるのよ!」
「ちがっ、逃げてねぇ、忘れ物思い出しただけだ!」
「はぁ!?新学年初日に忘れるような荷物なんてないでしょ!」
プルプルと二人の間で扉が震える。その扉をまたいで会話する両者は、どちらも全体重をかけて何とか扉を自分の方へ引っ張ろうと必死だった。
「放せっ!大体、なんでそんな必死になってんだよ……!なんか俺に用でもあんのかよっ」
「そんなあからさまに避けようとされたら誰だってイラっと来るでしょうがっ……!」
そんなこんなで、一体何分経過しただろうか、ついに一方がしびれを切らした。
「ああっ、もういい、分かった、分かったよ」
秋人が観念したように力を緩めた瞬間、
「え、ちょ、まっ」
がばっとドアが勢いよく外に開かれると同時に、ガンッと鈍い音が鳴った。秋人は思わず片目を瞑ってしまったが、目を開けてみてみると、聖楽がしりもちをついて頭をさすっていた。聖楽は昨日とは違い、地味な黒ぶち眼鏡はかけておらず、うっすらと化粧でもしているのか昨日よりどこかあか抜けた印象を受ける。「わるい、大丈夫か」と声をかけながら、転んだ聖楽に手を差し伸べようと視線をさらに下にやると――、
「ぬおっ!?」
突然の秋人の奇声に驚いた聖楽が顔を上げるが、
「……っ!ひゃあ!」
事態に気づいた聖楽が今度は奇声をあげて、慌ててめくりあがってしまっていたスカートをおさえた。
(白……、いや、忘れろ忘れろ……!)
秋人は何とか今見た光景を忘れそうと、目を瞑って頭をぶんぶん振り回すが、意識すればするほどそれが脳裏に焼き付いて離れない。仕方ないので記憶を消すことを諦め、とりあえずまず平静を取り戻そうと深呼吸をする。
(ふぅ……。落ち着け、何も考えるな。そう、ただ白いものが見えただけだ。あれはただの物体、それ以上のなにものでもない……)
そうして瞑想を終え、落ち着きを取り戻した秋人は、あれからずっと黙って異様に静かな聖楽を不思議に思って目線を下に向ける。すると、聖楽もちょうど顔を上げたタイミングでつい目が合ってしまう。はっとしてお互いすぐに目線をそらすが、一瞬目に映った真っ赤に染まった聖楽の顔が目に焼き付いてしまった。
(き、気まずい……。どうするのが正解なんだよ、この状況……!神様おしえてくれ!)
秋人には信仰している神などいないのだが、こんな時にだけ都合よく懇願するのだった。しかし、当然神様が正解を教えてくれるわけでもなく、時間がたてばたつほど気まずさは増していった。
これ以上こんなところで固まっていれば、新学年初日からもれなく二人揃って遅刻してしまう。秋人は意を決して、んんっとわざとらしく喉を鳴らすと、
「えと、その、なんだ、いきなり力抜いて悪かったな……」
とりあえずは謝罪を口にしておくことにした。あえて、アレには触れず、単純に聖楽を転ばせてしまったことへの謝罪を。
「う、うん……」
意外にも、聖楽の反応はそれだけだった。もっといつもの調子で怒鳴り声をあげてフルボッコにされる覚悟くらいはしていた秋人にしてみればかなり拍子抜けだった。
片手でスカートを抑えていた状態からようやく立ち上がった聖楽は、しかし顔を伏せたままで目を合わせようとはしない。きちんと手入れされているサラサラの長い黒髪のせいか、トマトのように真っ赤に染まっている耳が目立っていた。
恥ずかしすぎて怒る調子も出ないといったところだろうか。さすがの秋人でもここで空気を読めないほどあほではなく、聖楽の意を汲んで余計なことは言わないことにした。
「そ、そろそろ、行かないとまずいな……」
「そう、ね……」
ぽつりとつぶやいた聖楽は静かに下に降りる階段に向かって歩き出した。秋人も自室のカギを閉めてから、すこし遅れて聖楽の後ろをついていく形になる。
気まずさは一向に解決していないが、顔を見合わせなくていいこの適度な距離はずいぶんと助かる。学校までは徒歩でおよそ20分ほど。この距離をキープしようと決意する。秋人は一気にたまった心労をまとめて吐き出すようにして大きなため息をついた。
(ラッキースケベっていうほどいいもんでもねぇな、こりゃ……)
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