1.残念美人お姉さん
ジュウっと小気味よい音が小さなワンルームに広がる。フライパンの上に乗せられた2枚の鶏もも肉を見て、ジャージにエプロン姿の家庭的陰キャ高校生、佐藤 秋人は満足げな笑みをうかべる。ぼさぼさ頭の男子高校生が、エプロン姿でフンフンとテンションの低い鼻歌を口ずさむその光景は、何かひどくアンバランスな感じがするが本人は気にしていない。
(よしっ……!皮目もパリッとこんがりきつね色だ。あとは皿に盛りつけてっと)
フライパンをもって、焼きあがったチキンステーキを大皿に移す。そしてその脇に千切りのキャベツとポテトサラダ盛り付け、仕上げに先に用意しておいたガーリックのきいた自家製オニオンソースをチキンにかけて完成だ。
瞬間、食欲をそそるにんにくのにおいが、ふわぁっと部屋に充満する。その匂いに秋人が今日の夕食の優勝を確信していると、ふとその背後からも女性の歓喜の声が上がった。
「わぁ、いい匂い。秋人くん、できた?」
「はい、今日も優勝は確実です」
「あはは、なにそれ」
そう苦笑まじりに返事をするのは、吉永 琳佳。この部屋の隣人であり、一人暮らしの大学二年生だ。
短く切り揃えられた控えめな色の茶髪はセンター分けにされており、琳佳のくっきりと整った目鼻立ちを強調している。更には、薄いピンクの口紅に、耳元には大人っぽさを感じさせる小さめの丸いイヤリング。座っていても分かる、スラッとしたスタイルはまるでモデルのよう。
その上、彼女の通う大学は国内でも最難関大学に分類される名門だ。将来は数学の教員を目指しているらしい。
容姿端麗、頭脳明晰、まさに才色兼備を体現したような彼女が、一体どうしてただの陰キャ高校生である秋人と夕食を共にするようになったのか。
その経緯はおよそ3ヶ月前の「ある事件」にまで遡ることになる――。
***
あれは学校帰りのある日のこと。
時刻はちょうど夕食どきで、一人暮らしの秋人は冷蔵庫の中身を思い出しながら今日の献立を考えていた。
そうしてアパートの階段を上がって、自室の前に立ったとき、異臭を感じた。
スンスンと鼻を鳴らしてみると、それは鼻の奥を刺激する焦げ特有の匂い。
その匂いは次第に強くなっていき、気がつけば隣の部屋からうっすらと黒い煙が上がり始めていた。
「なっ、火事かっ!?」
秋人は荷物をその場に捨て、廊下に備え付けてある消化器に目を向ける。
(ためらってる場合じゃ……)
さらにキツくなった異臭と煙に後押しされ、秋人は消化器を掴み取ると、すぐさま隣の部屋のインターフォンを押した。
すると、中から「きゃあっ!?」という驚いたような女性の声が聞こえてきた。
中でまずいことが起きたに違いない。そう判断して、秋人がドアノブに手をかけると、意外にもそれはあっさりと開いてしまう。入っていいものかと逡巡して、とりあえず中に呼びかけてみることにした。
「だ、大丈夫ですか!」
「ひゃっ!?え、だれ!?ううん、誰でもいいから助けて!」
それを了承の合図と受け取り、秋人は勢いよく扉を開け放ち部屋へと飛び入る。
その瞬間、秋人はまず目を見張った。
玄関から奥のリビングにまで続く5m程の廊下。明人の部屋と同じ間取りのその空間は、足の踏み場もないほどに、ゴミの山に埋め尽くされていた。
ゴミ、ゴミ、ゴミ、ゴミ。
綺麗好きの秋人には信じられないその光景に卒倒しかけるが、強烈なコゲ臭で今が緊急事態であることを思い出す。
(ええい、まずは奥だ……!!)
秋人は消化器を両手に抱えながら廊下を、いやゴミ山を踏んづけて奥へと向かう。
リビングの戸を開け放つと、むわっと黒い煙に襲われる。秋人はそれを手で払い除けつつ、状況を確認すると、足元にはワナワナと手足を震わせながら涙目でこちらを見ている女性が、そしてその女性が指差す先では火にかかったままの鍋がモクモクと黒い煙を上げていた。
「あれ、どうしたらいいの!?」
「どうしたらいいもなにも、まず火消すでしょ!!」
秋人は柄にもなく大声をあげながら、消化器を捨ててコンロの栓を閉める。そうして近くに放ってあった布巾を取手に巻きつけてシンクへ投げ飛ばした。
「あちっ、おりゃっ!!」
水をかけてやると、シュゥゥと限界まで熱された鍋が水を激しく蒸発させたが、お陰で煙は収まった。
「ふぅ……、これで大丈夫……か?」
秋人が一息つくと、どさっと秋人の足元に何かが絡み付いてきた。
「あ、あ、ありがとおぉぉ……怖かったよ…」
グスングスンと鼻を鳴らしながら先ほどの女性が足に抱きついてきているのだった。
「あ、あの……これは一体……」
女性を乱暴に振り払うことも出来ず、なされるがまま棒立ちの状態で秋人はとりあえず状況の説明を求めた。
「……お味噌汁を、ね」
「はい?」
「お味噌汁を作ろうとしたら、なんか煙がブワーって……それで焦っちゃって、なにがなんだか分からなくなって……」
どうしたら味噌汁で火事が起きるのだろうか。
(そもそもあの鍋、水入ってなかったぞ……。意味分からん……)
しかし、秋人にはもう一つ聞いておきたいことがあった。それは、ともすればこんなボヤ騒ぎよりも遥かに深刻であろう問題について--、
「あのーこのゴミは一体……?」
***
それから秋人は、美人で秀才なお姉さんの残念すぎる真実を知ることになった。
料理が全く出来ず、カップ麺オンリーの乱れた食生活。
ゴミの捨て方が分からず半年間貯めたゴミの山。
洗濯は週に一回ほどで、頻繁に着る服はクリーニングだより。
物が散乱し、秋人と同じ間取りの部屋は床が見えないほどであった。
料理、洗濯、掃除、日常生活に必要とされるありとあらゆるスキルが壊滅的に欠如しているのだった。
ちなみに、あの事件は一念発起して『味噌汁くらい自分でも作れるだろう』と甘くみた結果らしい。
(今思い返せば、いくらあんな状況でも『うちでご飯食べますか?』はちょっと気持ち悪いよなぁ、俺……。ああ、やべえ死にたい)
琳佳の惨状を見かねた秋人が夕食に誘ったのがこの奇妙な関係の始まりだった。以降、ほぼ毎日夕食を共にし、まれに琳佳の部屋の掃除を手伝うこともある。
(そう思うと、琳佳さんの場合、容姿と学力をもってしても有り余るマイナス面でバランス調整されてんのかね。何はともあれ、こうして一緒の部屋で飯を食えるのは、そのマイナスのおかげだ。グッジョブだ神様......!)
そんな秋人の気持ち悪い&失礼な脳内思考などつゆ知らず、琳佳は料理を手に持って静止したままの秋人に手を振って呼びかける。
「おーい、秋人くん?」
「ああ、すみません」
「どうしたの?急に突っ立って。考え事?」
「いや、世界はうまく作られてるなぁって考えてました」
「両手にチキンソテーを持ちながら?ふふふ、面白いテーマだね、興味深ーい」
琳佳はそう言ってからかい、小さく腹を抱えて笑った。まさか自分のことを言われてるなど思いもしていない琳佳に、秋人は内心少し謝罪をしながら、チキンソテーの乗った大皿をテーブルの上に置いた。
「お待たせしました。それじゃ、食べましょうか」
言いながら、ご飯をよそったお茶碗と箸を順にテーブルの上に並べていく。最後にコップを2つとペットボトルの麦茶をおいて準備完了だ。
エプロンを脱いで畳み、秋人はテーブルをはさんで琳佳と対面になるよう腰を下ろした。
「いただきます」
二人でお箸を持ちながら両手を添えてそう言うと、琳佳はさっそくメインのチキンソテーに手を付けた。秋人はまだ料理には手を付けずに、その様子をじっと見つめていた。
こうしてただの隣人であるはずの琳佳と夕食を共にする奇妙な関係が続いて早三か月。しかし、他人に自分の料理を食べてもらう瞬間の緊張はいまだに慣れることはない。
ドクドクと木霊する胸の鼓動を感じながら、ゴクリと唾を飲む。
「ん~、美味しい!やっぱり秋人くんの料理にハズレなしだね。秋人くん風に言うと、今日も優勝、かな?」
その言葉を聞いた瞬間、ほっと胸をなでおろす。同時に秋人の胸に喜びがぱっと広がった。人に料理を食べてもらうのはいつまでも緊張するが、美味しいと言ってもらえた瞬間の喜びも飽きることはないのだ。間違いなく、この瞬間が秋人の人生において最高の喜びと言える。
(よし……!あー、今日も可愛いなぁ琳佳さん。この笑顔を見るために料理作ってるまである。いや、確かにちょっとあざとい。けどむしろそこがいい……)
と、今すぐにでも叫んでしまいたいほどだが、陰キャ高校生はうかつに感情を表に出さない。
「……良かったです。じゃ、俺もいただきます」
よって、ついぞ口から出る言葉はこれだけである。しかし、いくら言葉で表に出さないとはいえ顔に滲み出るニヤケを抑えられていない。これで立派な陰キャ高校生の完成だ。
大皿に乗せられたチキンソテーは、キラキラと光る油と香ばしいガーリックの匂いが際限なく食欲をそそった。白米と一緒にチキンを口に入れた瞬間、言い表せない幸福感に包まれる。
(よし、今日も完璧...優勝だ)
最近SNSで流行りのこの“優勝”というワードは、非常に便利で秋人のお気に入りだ。空腹時に美味しいものを味わう最高の幸福感を見事に表現しきる言葉だと思う。これ考えた人は天才に違いない。
それから秋人が黙々と自分の料理に舌鼓を打っていると、不意に琳佳が話題を振ってきた。
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書き貯めもすこしあるのでしばらくは更新は滞らないと思います。