0.ざる
この世界の植物にはほとんどバラのようなトゲが付いている。そのため迂闊に触ると怪我をする。
どの植物に棘があって、どれにないのかは生活していると自然と覚えるらしい。
どの花から蜜が吸えるのか吸えないのかを知っている子供みたいだな、と僕は思った。
「植物も、人間に食べられないために進化したのかもしれないわね」
どこかの店から観葉植物を『余ったから』と言う理由で貰って帰ってきたステラは、少し機嫌よく土の植え替えをしながら言った。
「僕の知っている限りでは、植物は食べられやすいように人間に改良されていたよ」
だから食べられないように変化する植物もいるかもしれない。
「……それって、改良って言うのかしら」
「植物自体が死ぬわけでもないし。むしろ食べられるからこそそういう植物は生きていけるのかも」
「食べられないものこそ深く広く根を張って、葉を広げたりするわよ」
ワルビナス、カタバミが思い浮かんだ。毒もある、食べられない、けれど繁殖力は強い。
「絶滅しないためには一気に繁殖するか強くなるしかないのかな」
「そうかもしれないわね。けれど絶滅するものはどうやっても絶滅する気がするわ」
土のついた手を少し払った。
朝、目を覚ますと使い魔がクッキーを食べていた。食べていること自体は別に良い。でも食べかすを落としたら殴ってやろうと見ていたけれど、全く落とさなかった。座って食べないこと以外は食事中のマナーは良いのかもしれない。いや、座って食べていない時点でマナーも何もないか。
ところでそのクッキーどういう理由で、と聞くより先に風呂の脱衣所にある洗面台で顔を洗った。口をゆすいで、寝癖を直して、服を着替えた。
部屋に戻ると部屋の中央にいつのまにかテーブルと椅子が置いてあった。テーブルの上には蠅帳のようなものが置いてあり、中にはサンドイッチ二つと紅茶が見える。
「蠅帳だ! いつのまに……」
「クロッシュだのドームカバーだのもっと言い方があるだろ……」
「お前が置いたの?」
「ステラが朝ごはんだって置いて行った」
「あとそのクッキーはどうしたの?」
「お前を夜まで部屋から出さないって約束の代わりにもらった」
何だそれ。
蠅帳を取ると、サンドイッチはホットサンドに変わり、紅茶からは湯気が出ていた。
「わあ、魔法って凄い」
「それ魔法じゃねえけど」
「かがくのちからって」
「早く食べないと冷めるぞ」
「いただきます」
ハムとチーズと卵が入ったホットサンドを食べた。チーズが伸びて美味しい。何故か懐かしく感じる。昔食べたことがあるんだろうか。考えても分からないものはわからない。
使い魔が頭を触ってくる。
「ご飯食べてる時は邪魔しないで」
「寝癖ついてるからなおしてる」
「食べたいの?」
「食べたい」
二つあるうちの一つをあげた。使い魔は一口が大きい。けれどよく噛んで食べている。丸呑みしても関係ないと思うが、よく噛む方が良いとかあるんだろうか。
「料理は美味しいのになあ、クッキーは味がしないんだよな」
「食べておいて……」
「だから交渉不成立だ。お前は自由にどこにでもいける」
とは言われたものの、使い魔に夜まで部屋から出さないように頼んだということはステラは僕に部屋から出て欲しくないんだ。直接頼まれてはいないけれど、それくらいなら聞いてあげよう。
「夜って何時まで?」
「ステラが来るまで」
ご飯を食べ終わって、歯を磨く。その間に使い魔が皿やコップを返しに行ってくれたのか、皿がなかった。
夜まですることがなかったので、ステラの部屋から借りて来た本を読むことにした。食べたばかりなので寝転がらずに、ベットの上に座って、壁にもたれて読み始める。
本を一冊読み終えた頃、いつのまにかベッドに小動物に化けた使い魔が布団をかぶって寝ていた。それに覆いかぶさるように寝転がって新しい本を読むと、使い魔が布団から這い出て来た。
本を四分の一ほど読み終えた。ふと使い魔を見るとまだ動物の姿で、枕の上で丸まって眠っていた。
ドアをノックする音が聞こえた。返事をするとドアが開いて、アマリアが部屋に入って来た。
「チュール、お待たせいたしました」
「あ、アマリア、もういいの?」
「はい。お嬢様の部屋まで来てください」
本を置いて、透明ポンチョを着てアマリアを先頭にステラの部屋に向かう。
「お嬢様、失礼いたします」
アマリアがドアを開けるように言うのでドアを開けて部屋に入ると、パン、と大きな音が鳴った。紙吹雪が散る。
「チュール! 誕生日おめでとう!」
小さいリボンのついたカチューシャにフリルのついた白いシャツ、珍しく黒い短パンを履いたステラが杖をくるくる回している。部屋に紙吹雪が舞って消えた。
「そっか、もうそんな時期なんだ」
「お前、誕生日なんてあるんだな」
使い魔がなぜか僕ポンチョの脱がしながら言った。
「ここに来た日が誕生日って決めたのよね」
ステラは使い魔からポンチョを受け取った。
部屋の中心にはテーブルではなく座卓があった。座卓の上には白いホールケーキと、ワイン。その奥には小型冷蔵庫が。
「チュールももうさすがにお酒の飲める歳よね」
「僕お酒なんて飲んだことないよ」
「誰にでも初めてはあるものよ。ワインが飲めなくてもいろいろあるし」
アマリアは黙ってケーキを四当分に切り分けて皿に乗せて行く。ケーキの中央にあった板チョコは僕の皿に乗せてくれた。
「なんかクリスマスみたいだ」
「クリスチャンだったの?」
「ううん。たぶん仏教だよ」
「…………まあ、ここでは関係のないことよ」
ステラがワインを注いでくれて、乾杯した。
初めて飲んだお酒は喉に張りつくような感じがした。果物の味がする。口の中が少しだけピリピリする。ジュースみたいだ。
「美味しいね」
「赤ワインだったから飲みにくいかと思ったんだけど……」
どうして飲みにくいものを選んだんだ。
「いろんな酒を飲ませようぜ、何杯で潰れるか見たい」
酷いことを言う。
けれど今まで制限されていたものを出されると次々と飲んでしまうものだ。アマリアはコップにお酒を注いでは僕に渡してくる。
ケーキはとても美味しかったけど、甘くて少しくどかった。
お酒だけを飲むと明日が辛いから、とアマリアはお茶とお酒を交互に渡してくる。
画家を魅了したというお酒は緑色で見た目は人が飲むものとは思えなかったけれど、飲んでみるとスッと透き通るハーブのような味がした。むしろハーブの味が強すぎるくらいだった。
「これはちょっと苦手かも」
「それは水で薄めるもんだろ」
「角砂糖を用意しましょうか?」
「普通に飲んでしまっているからいらないわ……」
お茶もお酒もたくさん飲めばトイレが近くなるもので、トイレから帰って来ると使い魔は全身が真っ赤になっていた。空中ではなく床に寝転がっている。なるほど、床に寝転がれるからテーブルではなく座卓なのか。
「チュール、ふらついたりはしない?」
「ううん。少し体が熱いかな」
「あなたお酒に強いわね」
「そうなの?」
アマリアに渡された少し緑色で梅の香りのするお酒を飲むと、喉がひりひりしたが、甘みがある。ワインよりも、ハーブのようなお酒よりも、飲みやすい。
「この梅酒が一番美味しいね。ワインは僕には早かったかも」
「梅酒を作るために使ったお酒もありますよ」
「やめなさい」
「こちらです」
「アーマーリーアー……」
ステラの話を聞かずにアマリアはコップに透明なお酒を入れて、それを少し大きいスプーンですくって僕に差し出した。
奇しくも「あーん」状態で、一口飲んでみると、消毒液のような味がした。
「うーん……これはこのまま飲むものじゃないね、梅酒だから美味しいんだ」
「それ用のお酒ですから」
「そのお酒で…果実酒や梅酒を作って、それをさらにソーダや水で割って飲むのよ」
「すごく割れるんだね」
割るってどういうことなのかいまいち分かっていないけど。
「少量ずつ使うのでなかなか減らずコストパフォーマンスがとてもよろしいのです」
「もう一口飲んでも良い?」
「ダメ……」
それだけいってステラはベッドに入っていった。
「みんな寝ちゃったね」
「チュールがこんなにも飲めるとは誰も予想していませんでしたから」
「こんなに度数が高いお酒ばかりあるのはなんで?」
「いろんなお酒を飲ませたかったんです」
「アマリアも僕のために選んでくれた?」
そう言って渡して来たのが梅酒だった。
「今日のために作りました」
「だから一番美味しかったのかも」
アマリアは首を傾げた。いくら酒が飲めるようになったからと言っても、口説き文句は難しい。