0.山羊
この世界がどうして平和でいられるか知っているかしら。桜の樹の下や教会の下には屍体があるなんて話と一緒で、世界の中心にある大きな木の下には生きた人間がいるのよ。
木は人間の魔力や空から降る雨を吸って永遠に生きる。木の役目は世界を腐らせないことよ。
そんな神話がこの世界にはあるの。
ステラは動物を飼っていない。魔女のような格好をして魔法を使うのに猫も飼わなければコウモリすら見たことないと言う。
「コウモリは病気を持っているし猫って少し気味悪いじゃない」
「そうかなあ、猫って可愛いと思うけど」
「あなたの時代の猫とは違うから」
「そんなに動物って変わるものなの?」
「私の時代にいたゾウという生き物は、人間にキバを狙われ殺されていったことで、キバを狙われないためにキバを小さく進化させていきました」
「僕の時代にもゾウはいたよ。そんなことになっていたなんて知らなかった」
「チュールからアマリアの時代にゾウは進化していったのだから、チュールからこの時代にいる猫が進化しないわけがないわ」
大きな広い家の中にある広い書斎に来ている。本がたくさんあったが、本棚に並んでいる本は少数で、ほとんどの本が床に散らばっていて本の山を作っていた。書斎というよりも散らかった図書室に近い気がする。
「この中に確か私の使い魔がいるのよね。アマリア」
「はい」
アマリアはキョロキョロと辺りを見渡して「あの辺りです」と部屋の一角を指差した。
「あの辺にいるらしいわ」
探し出せ、いや、掘り出せ。ということだ。
どうして使い魔を探しているのかというと、使い魔は猫に変身できるからだそうだ。今すぐ見られる猫はここにしかいないらしい。
本をかき分けてアマリアが指差した方へ向かうが、片付ければ崩れ退ければ崩れで埒があかない。果たしてそこまでして猫を見る意味はあるのだろうか。
「部屋を、掃除する魔法とか、ないの?」
「あるけど使い魔まで掃除されちゃうから」
なんだか言い方が怖い。
「生きているもの、以外、片付けるっ、とか、さあ」
辞書のように分厚くて重い本が増えて来た。
「生きているの定義って何かしら」
「は!?」
「心臓は動いていない血も通っていない。けれど意思もあり動けるモノは死んでいるのかしら、生きているのかしら」
なんだか近づくのが怖くなって来た。
「って言うか、なんでこんなことに」
「あなたが猫を見たいと言うから」
「現代の猫や犬に野良はいません。人に飼われているものばかりなので、外に行っても見られません」
この世界で野良の愛玩動物は即殺処分だそうだ。
「怖い世の中だ」
「あなたの世界ではノラ、っていうの? 野生動物? はどうしてたのよ」
「保健所が……ああ、最終的には殺されてるね」
「同じじゃないの」
ふんわりと良い匂いがして後ろにいるステラを見ると、椅子に座って紅茶を飲んでいた。隣に立っているアマリアの手にはクッキーが。
「お嬢様か!!!」
「お嬢さまですよ」
「メイドを従えてるお嬢様か!!!」
「その通りでございます」
「まあまあ。はい、あーん」
クッキーを一枚差し出された。ステラの側に戻ってそのまま口で食べずに手で受け取って一口食べる。
「卵の味がする」
「入っております。アレルギーでしたか?」
「卵アレルギーの人はクッキーを食べない」
「偏見ね」
卵以外の味がしない。甘くもない。
「アマリアってもしかして、お菓子作るの下手?」
「そのためのメイドじゃないからねー」
そう言いながらステラはクッキーを食べている。あまり美味しくないと思いながら食べているのか。それともこの味が好きなのか。
「とにかく、ありがとう。頑張る」
本を掘って使い魔とやらを掘り出す作業に戻る。重い本が減ってきて文庫本が増えてきたので運びやすくなってきた。
「男手があると助かるわね。使い魔に会うのは何年ぶりなのかしら」
「私が記憶する限り二十一年ぶりです」
「二十一年もなんで本に埋まって……」
「図書室には魔法のかかった本ばかりあるのよ」
意識のある本もある。読むだけで眠らせる本もある。魔法使いを捕まえる本もある。触れるだけで悪魔の力を奪う本もある。本の中にいろんなものを閉じ込められる本もある。触れるだけで魔力を吸い取る本もある。最悪、それらを殺す本も。
読まなければ、なんの知識も力もない人間が一番本の影響を受けない。だから人間であるチュールしか使い魔を助けられない。と。
「きっと本棚が倒れて生き埋めになっちゃったのね」
「恐ろしい話だなあ」
こんな中に二十一年も。
少しずつ絵本のように薄く表紙に絵の描いてある本が増えてきた。散らばっている中にも順番があるのか厚い大きい本から小さい文庫本になり、次に薄い絵本になっている。
この次はメモ帳とか出てきたりして。
「あ、何か布がある!」
本の間から赤い布が出てきた。
「服か、ただの布か、どっちでしょうか」
「ただの布とか混じってるの?」
「混じっているかもね」
布を追って掘っていくとエンジニアブーツが見えた。触って調べると中に棒のようなものがある。恐らく足だ。
ブーツとは反対方向に本を分けて掘り出すと胴があり、薄々気づいてはいたがどうやら布は服だと分かった。
乱雑に本を使い魔(?)から退けるとこめかみ辺りからひつじのようなツノが生えた白髪の男が出てきた。
パッチリと紫色の目が開きこちらを見て一言。
「た、たひゅけ、へ」
呂律が回っていない。口もあまり動いていない。
「いかにも使い魔っぽい人が出てきたんだけど」
「よかったわ」
「助けてって言ってるんだけど」
「生きてるのなら何よりね」
「他人事だあ」
手当たり次第周辺の本を退けた。
猫が見たいと言ったはずなのにどうして男の人を本の山から助けているんだろう。
男は背中にコウモリのような羽が生えていて、知らず知らずのうちに羽を踏んでいた。
羽の上の本まで移動させてようやく男は起き上がった。
「よっっっっっしゃー!!!」
伸びをしながらその場で男は飛び上がる。天井に着きそうなほど浮いて、そのまま落ちてはこない。羽やツノは透けるように消え、ただ男が浮いているように見えた。
「出たわね」
「出ましたねお嬢さま」
「本当に騒がしいわ」
「あの人が使い魔なの?」
「一応ね」
ステラは相変わらずクッキーを食べていた。それを見た使い魔が急に宙を漂うのをやめ、落下してきた。
ステラにぶつかる、と思わず「危ない」と言いかけたが、寸前のところで使い魔は逆さに止まっていた。
「俺にもそれちょうだい」
「どうぞ」
ステラが差し出すと、使い魔はそのまま口で受け取って食べた。
「あんまりおいしくねーなー」
また宙を飛んで、天井近くをぐるぐると回り出した。
二十一年ぶりに会うはずなのにあまりにも無反応。感動の再会を期待していたわけではないけど、何か、もう少し反応があっても良いんじゃないか。
それに、
「あれのどこが猫なのさ」
「なんだ、猫がみたいのか?」
ドスンッ、と目と鼻の先に何かが落ちてきて、驚いて尻餅をついた。地面ではなく本に。
そこには「ニャア、ニャア」と鳴く目の色が紫色の黒い猫がいた。撫でるとゴロゴロと喉を鳴らしながら手に擦り寄ってくる。
「なにも進化してないじゃないか」
「それは昔の猫ね。その子は今の猫を見たことがないの、見せてあげて」
「ステラ、新しい下僕はいいはんのうをするなあ」
「下僕じゃないわ」
「いーなーこいついーなー」
俯いている僕の頭を宙に浮かんだまま撫でてくる。
「俺が飼っていい?」
飼うとか飼わないとかじゃあないだろ。
「ダメよ、あなたがチュールに飼われるの」
「えー、飼いたい」
人が気分悪いときになんて会話をしているんだ。
背後から抱きしめられ、胃が圧迫された。
「あ、出る! お腹やめて! また吐く!」
「犬みたいだな! いーなーいーなー! 飼いた
二度目の嘔吐をしてしまった。