0.気分
この世界の文字はステラに教えてもらった。
部屋に置いてある本を片っ端から読んで分からないところはステラに聞いて、ようやく一冊読み切ることが出来たころには一体どれくらいの時間が経ったのか分からない。ここに来て何日経ったのか、もしくは何年経ったのか。
時間は分からないが決まった時間に起きてご飯を食べてステラが出かけている間に、本を読んでお昼ご飯を食べてまた本を読んでステラが帰って来たら話を聞いて、話をして、晩御飯を食べて、お風呂に入って眠るまで本を読む。
毎日同じことを繰り返していた。
そりゃあ、暇だ。
「パンをもらったわ」
ある日いつも通り出かけたステラが紙袋に入ったビニール袋で個包装されたパンをたくさん持って帰って来た。
「なんで? パンの日?」
「今日はパンの日じゃないわ」
紙袋から一つパンを出してこちらに渡してくれたので受け取って、ビニール袋から出して見る。一口サイズの四葉のクローバーのような形をしたパンだった。原材料の影響か、ところどころに小さく黒いものが点々とついている。柔らかさも匂いもよく知っているパンの匂い。
「そんな警戒しなくてもちゃんと食べられるわよ?」
僕に渡して来たものと同じものを取り出して食べた。ニコニコと笑いながら食べている。
「いただきます」
食べてみると、柔らかく、舌触りも滑らかで、中には自分の知っているくるみと似たものが入っていた。
「くるみパンだ」
そう言うと、ステラは首を傾げた。なので、恐らく中身はくるみではない。
くるみに似たものは硬すぎずパンと区別できるくらいには柔らかすぎない歯ごたえがある。パン全体の味としては甘くはなく少し塩っぱい。けれど塩気が強すぎるわけではなく丁度良い。
くるみのようなものに塩気があるんだろうか、それともパン自体に塩が入っているのか? 何にしても、
「美味しいね」
この一言に尽きる。
「でしょう。いっぱい、いろんなパンをもらったから食べて」
コンコンコン、とドアが三回ノックされた。アマリアだ。ステラに二回ノックされたら急いで隠れて、と言われているが、一度もそんな場面に遭遇したことはない。
ステラがドアを開けると、アマリアが紅茶を乗せたお盆を持って部屋に入った。
「お茶にしましょう」
「ありがとうアマリア」
「アマリアってパン食べられるの?」
「食べられますが、食べません」
ステラがテーブルに魔法でテーブルクロスをかけた後、どこからともなく大きな皿が出て来た。紙袋からパンを全部出して、包装も全部外して皿に並べた。
巻貝やホタテガイの形をしたパン、三つ編みに編み込んであるパン、緑色のパンもあった。どれも一口で食べられそうなほど小さく、まるでおもちゃのようだった。これが食べられるなんて少し不思議だ。
「アマリアも食べるでしょ?」
「食べません」
「こう見えてアマリアってパン好きなのよ」
「そうなんだ」
「お嬢様、食べません」
ステラはわざとらしくため息をついた。
「じゃあ、二人で頂きましょうか」
「え、う、うん」
ステラがホタテガイの形のパンを手にとって食べた。
改めてパンを見る。
「本当にいろんなパンがあるね」
「全部見たことない?」
「ない」
たぶん。
「ところでこんなにいっぱいどうしたの?」
「魔法使いといえばパンでしょう?」
「どちらかというと配達だね」
緑色のパンを手にとってみると、先ほど食べたパンよりも少し重く感じた。食パン一斤のような形。6枚切りしたような厚さ。匂いは少しお茶のような匂いがする。この緑色は抹茶の色か。
「チュールはパンをすごく嗅ぐわね」
「見たことないから匂いとか嗅ぎたくなるんだよ」
「食べたことのない食べ物を警戒することはとても素晴らしいと思います」
「アマリア、チュールは匂いを嗅いでパンを堪能しているのよ」
「そうでしたか、失礼しました」
警戒してないわけでもないけど、堪能しているといえばしているんだろうか。あと、パンを食べたことがないわけではない……はず。
抹茶の匂いのする緑色のパンを食べてみた。
「苦い!」
「抹茶のパンだもの、そりゃあ苦いわよ。においで気づかなかった?」
気づいていた。気づいていましたとも。でもこんなに苦く作るか!? 茶道で使う抹茶よりも苦いじゃないか!
「チュール、これを」
アマリアが砂糖を多めに入れた紅茶をテーブルに置いた。飲むと甘すぎるように感じた。
「う、ありがとうアマリア」
「紅茶だと甘すぎるかもね、これを食べてみて」
と、巻貝の形をしたパンを渡されて素直に食べた。渦巻いた形の中にはクリームのようなチョコレートが入っていて甘い。抹茶のパンを食べた後だからなのか尚更甘い。
パン自体は生地に何か入っているわけでも、硬いわけでもなく、ふんわりと柔らかく甘くも塩っぱくもない。普通の柔らかいパン。けれど中身のチョコと一緒に食べると甘いチョコのくどさが緩和される。
「これは美味しい!」
「抹茶のパンは甘いものと一緒に食べるものよ。好きな人はそれだけで食べるけど」
ステラも食べてみて、と言おうと思ったのに苦いパンは一つしかなく、それを僕が食べてしまったので食べてみてと言えなくなった。
「来週はケーキを貰うわ」
「ねえ、本当になんでこんなにたくさんパンを貰ったの?」
ステラは人差し指を立てて口元に当てた。
「内緒」
食べないとは言っていたけれどアマリアも一緒にパンを食べた。少し嬉しそうにたくさん食べていたのでステラの言う通りアマリアはパンが好きなようだ。それはどこに消化されるの、とは聞けなかった。