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ナイロン製  作者: 朝しょく
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0.呪い

 アマリアから入浴剤を貰った。5度目、2週間ぶり。今のところ、貰った入浴剤は全て泡風呂である。

 初めて入浴剤を貰ってからたまに、というか定期的に湯船に浸かっていて気づいたけれど、僕は何故だか湯船の中でじっとしていられない。お風呂の中では時間が分からないからはっきりとは言えないがおそらく10分も経たずに湯船から出てしまっている。

 お湯が勿体ない。と思っていたけれど、僕が入った後に使い魔が入っているようで、夜中に隣で寝る黒いフェネックから僕と同じ甘い匂いがした。



 僕にはこの世界に来た時点で以前いた世界の記憶があまりない。なのにたまに懐かしい感覚に陥る。それは平成生まれが大正ロマンや昭和レトロに触れたときに懐かしさを感じるような、感慨深いとかケミカルとかそういう話なんだと思う。

「海に行かないか」

 使い魔は僕にコートを渡してきた。

「今、クジラが海面に上がってきているらしい」

「鯨?」

 前の世界でも見たことない。

「見たい」

 コートを着て、以前外に出たときに使った裏口へ向かう。

「ホエールウォッチングだね」

「そうだな」

 髪の色は家を出る前に使い魔に変えてもらった。今は暗い水色になっているらしい。なので人と会っても騒がれることはないし、通報されることもないはすだ。たぶん。

 徒歩で、一時間程かけて海に向かった。途中で世界樹が祀られている神社に寄ったけれど扉は開いていなかった。そのせいか、以前はたくさんあった屋台も一つしかなかった。

 殆ど人がいない街や森を通り過ぎて、途中何度か寄り道しようとして使い魔に止められながら海に着いた。冬の海は冷たくて風がしきりに吹いている。コートを着ていても、寒いものは寒い。あとやけに首元が冷たいと思ったら以前ステラに貰ったネックレスの金属部分が冷えて、それが肌に触れて冷たく感じていたので服の外に出した。

「海を見たらもっと懐かしい気持ちになると思ってた」

 実際は全然知らない土地の海だった。砂浜も白くて綺麗なものではなく細かい石の浜だ。途中に寄った神社の方が懐かしいような気がした。

「夏だったら泳げたな」

「見られただけで充分」

 そもそも、そんなことは目的ではない。今日は鯨を見に来たんだ。

「全然人がいないね」

 この国では鯨が見えるのはそんなに珍しくないのだろうか、僕たち以外には誰もいない。

 少し曇っているせいでくすんでしまっている海の向こうに島が見える。

「もう少し近くで見られる場所があるからそこに集まっているんだろ」

「なんでそこに連れて行ってくれなかったの?」

「俺にとってクジラは目的じゃない」

 何だそれ。

「前に行ってた外に出してやるってやつ?」

「それ」

「僕は何をしたら良い?」

「人に会ってほしい」

 答えてくれた。

「分かった。ステラが帰ってくるまでに帰らなきゃね」

「そうだな」

 なんか、変だ。使い魔の態度がいつもより落ち着いているというか……いや、むしろ緊張している?

「何かあった?」

 近くで砂を踏む音がした。振り返ると誰もいなかったはずの砂浜に人がいた。

「やあこんにちは、久しぶり」

 話しかけてきた。

 目が赤っぽい。顔に切り傷のような跡がある。深く被った帽子で髪の色はわかりにくいが赤毛? で毛先が少し黒い。黒い大きめのコートを着ているので体型も分かりにくい。声で男であることはなんとなくわかった。

「こんにちは……」

「グレアムくんもこんにちは」

「どうも」

 使い魔が会ってほしいって言ってた人はこの人か。

「この間言ってた子は彼かな?」

「そうです。魔力を見てほしくて」

 使い魔は彼にも僕のことを話していたらしい。

 男は僕を見て手を差し出した。

「みてもいいかな?」

「……どうぞ」

 僕は男の手を握った。

「どうですか?」

 男は何も答えずに手を離して、懐から小さい長方形の箱を取り出して蓋を開けると、中から棒状に丸めた紙を一つ取り出した。その紙を男が口に咥えてようやくそれがタバコだと気付いた。

 この世界のタバコって初めて見た。未来の世界だったらみんな禁煙しているか、電子タバコにでもなっていると思っていた。

「ふーん……二人きりで話がしたいね」

「え、それってどういうことですか」

「夕方までには帰るさ」

 使い魔が敬語を使っていて珍しく感じている間に男はいつのまにか火のついていたタバコの煙を僕に向かって吐いた。思わず目を閉じる。

 誰かに肩を押されて尻餅をついた。

 目を開けると、僕はソファに座っていた。正面には机を挟んで、浜辺にいた男が座っているソファ。部屋の隅にはベッドと小さい本棚。

 立ち上がる。床が砂浜ではなく絨毯だ。靴には砂もついていない。振り返って見ると後ろにはドアが二つある。

 使い魔はどこにもいない様子だった。

 二人きりで話がしたいと言った男の言葉を思い出した。いや、それよりもこの部屋には来たことがある。ガルムの部屋だ。

「ここ……なんで」

 本も踏んでいないのにどうやってきた?

「何だ、ここに来たことがあるのか」

 男はタバコではなくマグカップを持っていた。この光景もなんとなく見たことがある。

「ということは、もしかしてあなたは」

 男はマグカップを置いて足を組んだ。コーヒーの匂いがした。

「いかにも俺はガルム・イミタシオンだ」

「本物? それとも本ですか?」

「お前が思えばどちらにでも」

 なんだそれ。

「質問のルールはありますか?」

 ガルムは首を横に振った。

「ない」

 つまり何でも聞ける。

「どうしてケニーは僕にあなたを会わせたかったんでしょうか?」

 口に出して気づいた。もしかして逆? ガルムに僕を会わせたかったんだろうか?

「チュールに魔力があるのかどうかを知りたかったんだ。俺はその辺の専門家じゃないし、調べるのであればグレアムとよく連んでる魔物の方が詳しいのにな」

 よく連んでいる魔物。

 もしかして、亡くなった友人ってその魔物なんじゃないか? 調べられる人がいなくなって彼に会わせたんじゃないか? あくまで想像だけれど。

「どうする? グレアムに『魔力がない』と伝えてもいいのかな?」

「ダメなんですか?」

「……大事な個人情報だから確認だよ」

 使い魔は僕に魔力があってほしいと思っているんだろうか、それともない方を望んでいるんだろうか?

「ある、って言った方がいいんでしょうか」

「俺はその方がいいと思う」

「どうしてですか?」

「過去から来て魔力がない、ということはあまり声高に言うものではないよ」

 使い魔は僕が過去から来たことも話しているのか。

「そうなんですか」

 ガルムは天井を見上げて、少し考えてから僕を見た。

「ないものをあると虚実するのは難しいよな……協力してあげようか?」

「そこまでしてもらっていいんですか」

「全然いいよ。もっと無茶苦茶なこと頼んでくる奴もいる」

 過去を変えることができる、という話のことかな。

「それとも魔女に貸しを作るなとか言われてる?」

「いえ……何も」

「じゃあいいでしょ、それにこんなの貸しになんてならないよ、俺は魔女じゃないし」

「魔女じゃない? 時間の魔女、なのに?」

「俺は人間だよ。人間だからこそ気まぐれで助けてあげられるよ」

「じゃあ、お願いします」

 ガルムは立ち上がって左手を、手のひらを上にして出してきた。

「手を出して」

 僕も立ち上がって左手のひらを合わせると、手をひっくり返された。僕の手の甲がガルムの手のひらに触れている形になる。

 服の袖を肘の上まで捲られた。

「今から俺の魔力を少しお前に与える」

「はい」

「全く魔力のない人間の体の中に魔力が入ると」

 ガルムは僕の手のひらを右手の人差し指と中指で触れた。

「稀に拒絶反応で死んだり気持ち悪くなったり体質や性格が変わったりする」

 そんな怖いこと言いながら手のひらから肘窩まで指を滑らせた。

「後で言わないでよ!」

「大丈夫。君なら吐き気と、めまいと多少の筋肉痛……まあ、寝ていれば治る程度で全て済む」

 ガルムは僕の手を離した。

 左腕を見ても触っても擦っても何ともないようにみえる。今のところ体調もなんともない。

「これ、魔力入ってるんですか?」

「入っているよ」

 机に左手を向けて火をイメージした。机がごうごうと燃える様を思い描いた。

 ステラがやっていたように、火を沸かせる。


 燃やす。


 机を燃やす!


「アゴーニ!」


 何にも起こらなかった。

「……何で?」

「いやこんな密室で火事を起こそうとするなよ、怖いな……」

 確かに、イメージでは机が全部燃えるイメージだった。

「ごめんなさい」

「腕の痛みが取れたら多少は魔法が使えるようになるだろう。魔法の使い方は誰かに教えてもらえ」

「分かりました」

「じゃあ、一応グレアムには魔力があったが滞っていたから少し流れを良くしておいたって言うからお前も合わせろよ」

 血行改善みたいだ。

「分かりました」

 男はマグカップを手に持って振った。火のついたタバコに代わっていた。

「ここでの話はグレアムくんには内緒だよ」

「はい。あの、他にも質問いいですか」

 ガルムは笑って僕を見た。

「少しだけならいいよ」

「あなたは、僕が過去から来たって知ってますよね?」

「ああ」

「僕が過去に戻ったら、ここでの記憶は全て消えるんでしょうか」

「知らない。俺が時間を行き来しているから質問したんだろうが、俺は過去へ戻っているんじゃなくて過去へ進んでいるんだ。明日過去へ行く俺は、今の俺よりも未来を生きているんだから」

 そういうことか。

「あと、本の中のあなたから」

 手紙を受け取ったんですが、と言いかけている途中でガルムが僕に煙を吐いた。

「時間切れだ、チュール。夕飯までに戻らなくてはね」


 煙にむせて咳き込んだ。少し濃い青色の空が広がっている。さっきまで立っていたのに、僕は今、地面に寝転がっている。

 起き上がるとさっきまでいた部屋ではなく使い魔と一緒に来た浜辺だった。太陽が少し落ちていてもう夕方になっていた。

「帰るぞ」

 使い魔が近くに立っていた。少し悲しそうな表情をしている気がする。気のせいかもしれない。

「ケニー」

「聞いた。帰ろう」

 立ち上がると使い魔に抱き抱えられた。

「歩いてる時間がない」

 と言って使い魔は空を飛んだ。高い。高くて使い魔にしがみついた。けれど早くないから怖さはあまりない。

 嘘をついて良かったんだろうか。

 遠くに見える島から噴水のように水が噴き出ていた。

「もしかしてあれ、鯨?」

「ああ。見れて良かったな」

 僕が島だと思って見ていた物体が、鯨?

「いや……デカすぎでしょ」

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