0.兄妹
図書室で本を読んでいたら、窓から差し込む日の暖かさに眠くなってきた。
一度目をギュッと閉じて開ける。空中に漂う細かい埃が日に照らされてキラキラ光っている。
自分が通っていた学校の図書室を思い出す。十分しかない休み時間に図書室に来て、本を読んでいるとき不意に顔を上げると、誰もいない空間の中にただ埃だけが舞っていた。
はしゃぐ下級生の声がずっと遠くから聞こえる。
いつの記憶だろう。
どこの学校の図書室だろう。
「墓場が荒らされている」
「うん」
ぼんやりと返事をしたことが気に入らないのか、使い魔は狐になって勉強中の僕とノートの間に立った。
ペンを置いて作業を中断する。
「ごめん、お墓が何?」
「墓が荒らされている」
この世界でも墓荒らしってあるんだ。
「ケニーの友達のお墓?」
「いや。そもそも、墓荒らしをする意味は分かるか?」
「骨壺に入っている金品を盗んだり、死体に性的な興奮をする人が死体目当てに掘り返したり……」
「ああ」
使い魔はわざわざノートの上に座った。
「この国の墓荒らしは死体の中にある魔力が目的なんだ」
「亡くなっていても魔力は得られるんだね」
「魔力は肉体に宿るからな」
「精神的なものかと思ってた」
「魔力は肉体に宿り魔法は精神で使う」
「そうなんだ」
「適当言った」
だと思った。
魔力を狙っての墓荒らし。金品を狙うことは非効率だし、死体を犯すのは個人的に理解できないが、死体から魔力を奪うのはまだ納得できる気がする。生きている人間から奪うよりもバレにくいだろう。死人に口無しだし。
この国の事情はよく知らないけれど。
狐を抱き上げようと手を出したら引っ掻かれた。
「お墓が荒らされていてケニーに何か困ることでもあるの?」
「警備が多くなる」
「そうなんだ」
悪いことでもしようとしてたのか。
狐はフン、と鼻を鳴らした。
「お前が外に出づらくなる」
「そういうことか……」
そういえば前に職質されたんだ。
「でも、ケニーに髪の色を変えてもらったら……」
「勘のいいやつならすぐ分かる」
髪の毛の色なんてみんな変えているだろうに。
「じゃあしばらく家からは出られないのか……」
元から出られてなかったけれど、出られないと思うと出たくなる。
「いいや、出す」
「え?」
狐は机から降りて、ベッドの方へ歩き出した。
「出来る限り人に見つからないように移動する。飛ぶと目立つからたくさん歩くぞ」
「そこまでして出ないといけないの?」
「そこまでして出ないといけない」
使い魔はベッドに上がって布団に潜り込んだ。
「なんで?」
と聞いても返事はなかった。布団を剥がしても使い魔はいない。呼んだら現れるかもしれないが、理由を聞いても答えてくれないだろう。
いや、今呼んでも無視されるか。
夜、ご飯を食べ終わるとステラが話がある、と言った。いつもは食べ終わると早々に部屋の中で何かの作業を再開したり本を読み始めたりするのに珍しい、いや、久しかった。
「実は少し、家を空けなければならなくて」
追い出されるのかと思った。
「そうなんだ」
タイミングが良い。使い魔は僕を外に出したがっていたし、ステラがいない日に出られたらバレずに済むかもしれない。
「ちゃんと家を守ります」
「よろしくお願いします。あと……」
ポケットから封筒を取り出した。封筒から三つ折りされた便箋を広げて僕に差し出したので受け取った。
「いつか紹介しようと思っていたのよ」
「紹介?」
花柄の便箋にとても綺麗な字。
もしかして、たまに庭の葉を取りに来ると言う友人のことかな。
『お互い積もる話もあるかと思います。十五日に仕事でギベリトラへ行きます。何泊かする予定ですので、都合が合えば会って話しましょう。
イスズ・トラモント』
「ギベリトラ……?」
「この街のこと。アルヒ国、ギベリトラ市、みたいな」
そう言われると分かりやすい。
「ギベリトラへ誰が来るの?」
「お兄ちゃん」
「え?」
お兄ちゃん!? ステラってお兄さんいたのか!
家族の話は禁句だと思ってほとんど聞いたことがなかった。この広い屋敷に一人で住んでいるのに一切会いに来ないから、両親や兄弟は居ないか、とても不干渉か、仲が悪い、そのどれかだと思っていた。
お兄さんいるんだ。
「お兄さんいるんだ……」
「うん。毎週文通してるのよ」
毎週。仲良いな。それとも報告書的なものとして手紙を書いているのかな。
詳しく聞いても良いんだろうか? 何で名前が全然違うのかとか、この世界では普通なのか? 苗字という概念がない? スミダステラのスミダって苗字じゃないの?
「そうなんだ」
はぐらかされたら嫌で、何も聞けなかった。
手紙を返すと、ステラはその手紙を見て微笑んだ。
「この日は私、家を留守にする日なの。でも、兄さんは何日かこっちにいるみたいだから帰ってきたら会えるかな」
会いたいのか。ということは、仲は悪くなさそうだ。
「この日にお兄さんが家にきたらまずくない?」
「その日は出かけているから二、三日後に会いましょうってお返事を書いたから家には来ないと思うけれど……」
手紙を折りたたんでポケットにしまった。
「チュールって人見知り?」
首を横に振った。
「そういうことじゃなくて、僕の髪」
「兄さんにはちゃんと説明してあるから大丈夫よ」
「そうなんだ、なら……」
大丈夫。
大丈夫? 何が大丈夫なんだ。
「どうしたの?」
「何が?」
「ため息ついてたわよ」
無意識だった。
「兄さんに会いたくないなら家には来ないでって言っておくけれど」
「いや、大丈夫! 訪ねてきたらちゃんと……ちゃんとするよ」
ステラのお兄さん見てみたいし。
「じゃあ、お願いね。来るかはわからないけれど」
「ちゃんと持て成します」
「話し相手になるくらいで良いからね」
「うん。分かった」
と答えたものの、この世界の人って何を話すんだろう。
スポーツの話とか、ドラマや映画の話とか、この世界の話題なんて全然知らない。この家にはテレビも新聞も……新聞はあるのか。でも読んでいないから、僕は外の、世間の情報は一切知らない。
ステラは外に出かけているから多少は世間のことを知っているんだろうな。そりゃそうだ。この世界の住人なんだから。
いつまで僕はここに住んでいれば良いんだろう。そもそも、何のためにここで暮らしているんだろう。
たまには帰ってみようかな。でも記憶がなくなるんだっけ。何か、上手いことこの世界のものを持って帰って元の世界で懐かしい気持ちになったり、ふとしたときに思い出したりしないのかな。
この世界にきて元の世界のことを思い出すのはどんなときだっけ……。
と、考えながら眠ったせいか、妙な夢を見た。恐らく元の世界で起こった出来事の夢だ。起きたら全て忘れてしまっていて、ただ昔の夢を見たということしか覚えていなかった。
何も覚えていないのに昔の夢を見たと思う矛盾。
夢を思い出そうと矛盾に浸ってもどんどんその感覚から遠ざかり、目が覚めるばかりだった。
思い出せなくて気持ち悪い。
夢の続きが見れないかと布団に包まって目を閉じたが、使い魔に布団を引き剥がされた。
「おはよう」
体を起こして目を閉じた。
「おはよう……」
肩を掴まれて体を揺さぶられた。
「ごめん、起きるから」
目を開けてベッドから出た。
「お前、ステラの兄弟が来るって知ってるか」
「来るかも、ってだけで、絶対に訪ねてくるわけじゃないらしいよ」
朝の支度をして着替えていると、使い魔は狐になって机の上に登った。普段机の上に登らないのに、もしかして遊んでほしいのか。
「どうしたの」
使い魔は何も答えないで机の上で丸まった。尻尾を触るととてもふわふわしていて気持ちが良い。
「そういえば、お兄さんが来る日はステラが留守なんだって」
尻尾に触れられるのが嫌だったのか使い魔は僕の手を叩いて机から降りた。
「留守の日に外に出られないかな」
「留守なのに訪ねてくるかもしれないということは、ステラは兄弟にお前のことを話しているんだろ」
「説明してあるって言ってたね」
「バレたら厄介」
ステラが家族に僕をどこまで説明しているのか分からない。外に出してはいけないと言っていたら確かに厄介か。
「じゃあ留守にする前か、終わった後に出ないといけないんだね」
「いつ留守にするって言ってたんだ?」
「直接は聞いていないけれど、十五日にギベリトラに来るって書いてあったからたぶん十五日かそれより少し前かな」
何日後の話なのかは分からないが。
「ステラはそんなに留守にするのか」
「少し留守にするって言ってただけで何日間留守にするとは……でもお兄さんも何日かこの町に留まるらしくて、その間にステラは帰ってくるんじゃないかな」
「なるほどな」
とだけ言って使い魔はドアをすり抜けて部屋から出て行ってしまった。
僕から聞くだけ聞いて使い魔からは説明してくれないのか。別にいいけれど、何だか最近ピリピリしていると言うか、いつも通りを演じているような気がする。
友人が亡くなって、落ち込まないようにしているんだろうか。無理していないといいけれど。




