0.しろ
針と糸はあるというので、ステラに捨てる布をもらった。ライラプスにぬいぐるみを作ってやろうと思った。その練習のために捨てる布で一つぬいぐるみを作ってみたが、出来上がる頃には指もぬいぐるみもボロボロだった。
「へー、お前って不器用なんだな!」
使い魔が僕の手を治しながらぬいぐるみをじろじろと見ていた。あまりに酷い出来なのでできれば今すぐ捨てたい。
「練習したら上手くなるかな」
「諦めない心はえらいねえ」
頭を撫でられた。バカにされている気しかしない。
「人間の体に動物の耳だけ生やすことってできないの?」
使い魔はわざとらしく大きなため息を吐いた。またか、という気持ちなんだろう。
「ほれ」
面倒臭そうに人間の耳を動物の耳に変えた。
読んでいた本を閉じて耳を触ろうとすると僕の手の届かない高さまで浮いて行った。
「なんで?」
「……なんでだあ?」
天井に座って、見上げて、いや、見下ろしてくる。
「逆に聞くが、なんで男の耳を触りたがるのかね」
またため息をつく。
触りたいのは動物の耳であって男の耳ではない。
「じゃあ女の人になってよ」
「もう男の耳でも良いってバレてるぞ」
「じゃあ動物になってよ」
「耳だけじゃ済まないだろ……」
そりゃあ、目の前に触っても良いモフモフの動物がいたら触りまくるだろう。
「我慢するから……」
使い魔が落ちてきた。地面に落ちたのは猫だった。
触って良いってことなんだろう。猫の前に座ってそっと手を出しても逃げない。
胸に抱き寄せた。
「イ゛キ゛ァ゛ーーー」
苦しそうな猫みたいな声を出したが、強く抱きしめているわけではない。ただ抱きしめられているのが嫌なんだろう。普段はベタベタとしてくるくせにべたべたされるのは嫌なんだ。
腕の中から這い出ようとする猫のうなじを嗅いだ。毛は抜けない、においもしない、ただふわふわとした毛がある。
猫は腕の中で唸っていて、抱きしめる腕に爪を立ててくる。痛いが、それ以上にふわふわでプニプニで柔らかい。
使い魔でも猫になれば可愛いものだ。
「よしよし」
堪能したので耳を触ろう。
シャー! と威嚇されたかと思えば急に猫の体重が増え、体積も大きくなり仰向けに押し倒された。黒猫から黒豹に変わっている。
顔を硬い肉球で踏まれた。肉球を顔から退かしつつ触ると、表面は硬くて全体的には柔らかい。頭を撫でると毛もつやつやとしている。柔らかくない。
けど
「大きくても猫は猫だなあ」
顔をまた踏まれた。柔らかい。
肉球を退けて顔を見た。
豹……だよな。たぶん。もしかして虎? どちらにしてもネコ科の動物だけれど。
「あ、ねえ、口開けてみて」
と言うと黙って口を開けてくれた。
「本当に舌がざらざらしてるんだね」
猫だと少し分かりにくいが、ここまで大きいと分かりやすい。
「触ってみても」
頬にぺたりと舌をつけられた。ザラザラとした舌が少し痛い。
「え、け、けにー……」
これは、そのまま舐められたら、怪我をする。気がする。虎やライオンの舌は骨についた肉をとるくらい強力だとか、本で読んだような。
「ごめん、もうなでないから」
ザリ、と舐められた。が少しザラザラしているものが通ったような感触がしただけで、痛くはない。舐められた頬を触っても涎すらついていなかった。
「怖いことしないでよ」
じっと僕を見た。紫色の目に吸い込まれそうだ。
「たまには逆になってみてもいいんじゃないか」
「なにが?」
視界が低い。地面が近い。階段降りるの怖い。逃げるために一段だけ降りられたが、恐怖で動けずに隅で蹲っていると、僕を猫の姿に変えた使い魔に見つかった。
「やっと見つけた」
抱き上げられて、抱きしめられた。
「よしよし、怖かったねえ」
やめろ、触るな、なでるな、おろせ。ゆっくりおろせ、地面に僕の足をつけてから手を離せ。そして体を戻せ。
腕の中で暴れてうっかり落とされたら堪らない。使い魔の服にしがみつくように爪を立てた。
「そんなに嬉しいか」
違う違う、おろせバカ。戻せバカ。
「さあ、ステラに見てもらいに行こうな」
絶対に嫌だ。見られたくないから逃げたのに。
使い魔の腕に爪を立てても痛がらない。地面に落下する気で体を蹴っても微動だにしない。それどころか僕を持ち上げて腹に顔をつけたり、背中に顔を埋めた。
「こらこら暴れるな。落ちたら危ないぞ」
お前だって僕を猫に変えたなんてステラに知られたら怒られるだろ。むしろ怒られろ。いややっぱり見られたくない。
「何をしていらっしゃるのですか」
アマリアだ。僕を見て、首を傾げた。
「その猫はなんですか?」
「んー……さっき拾った」
当然だが、アマリアは僕と気付いていない。最悪だ。
「人懐こくてついてきたから連れてきた」
無意味な嘘をつくな。
「あまり懐いているようには見えませんし、人に慣れていたのであれば飼い猫ではないのでしょうか?」
「あー、確かに」
「元の場所に返してきた方がよろしいのでは……」
「そうだな……返してくるか」
その元の場所って、僕の部屋のことだよな。アマリアの言うことに乗っかっているだけで、外に放すことはしないよな?
「ステラちゃんに見せてから返してくるよ、ステラちゃん猫好きだろ」
「好きと言っていた記憶はありませんが」
むしろ昔は気味が悪いとすら言っていた。
「こんなに“可愛い”のに」
お前が言うと嘘くさい。
「まあいいや、返してくる」
「チュールには見せてあげないのですか?」
「あいつ猫嫌いだし」
そんなこと言ったことない。
使い魔に頭を撫でられながら部屋に帰ってきた。ベッドの上におろされてホッとしていると、喉を撫でられた。
「……可愛い猫ちゃん、声を聞かせておくれ」
「…………あ」
声が出た。人間の声だ。
「気持ちが分かったか?」
「わかっら」
でも少し話しにくい。
「よしよし。良い子だね」
頭を撫でてきた。
「もどせ」
「もう少し」
使い魔はニヤニヤして、顎の下を撫で、もう片方の手で背中を撫でた。使い魔自身がたまに猫になるだけあってか、撫でるのが上手いというか、気持ち良い。
耐え切れずベッドに寝転がった。猫だけに。
何も言わずに使い魔は僕の全身を隈なく撫でる。ふいに尻尾を掴まれたときだけ抵抗して、それ以外は身を委ねた。
「嫌がってほしいんだが」
「う……きもちよくて、つい……」
「まあ、許してやろう」
無抵抗なまま抱きあげられた。
「次に調子乗って触りまくってきたら問答無用で猫にするからな」
「はい……」
「よろしい」
使い魔は僕の顔の前で指を鳴らした。僕は晴れて人間に戻った。
手をグーパーさせて、立ち上がる。視界が高い。
「戻ってよかったー」
ホッとしてベッドに座った。僕を猫に変えるなんて、なんて無茶苦茶なことをするんだ。
そういえばその使い魔がいない。と思ったら足下に黒いフェネックがいた。こちらを見上げて心なしか笑っているように見える。
こいつ、僕を試している。
頭を撫でても逃げない。無防備だ。
抱き上げて腹に顔を埋めると自分の体が床に倒れた感覚。
人間姿の使い魔の顔が近くに見えて、自分がまた猫になったと気づいた。
話せない。使い魔をじっと見つめるが、鼻で笑われた。
「許しません。反省しろ」
約束を即破ってごめんなさい。我慢できませんでした。反省します。
落ち込む僕の顔を両手で包んだ。首を掻くように撫でられて気持ち良い。
反省なんてする暇ないくらい撫でられると気持ちが良い。使い魔が撫でているから気持ち良いんだろうか。ステラやアマリアに撫でられたら、各々撫で方が違って面白そうだ。
そう考えると使い魔が僕に撫でられたくないというのは、僕の撫で方が下手だからか?
「チュール、もう猫として生きた方が良いんじゃないか」
それは嫌だ。キャットフードは美味しくなさそうだし、なによりも階段が怖い。あとこの家犬飼ってるじゃん。
「なんだ、嫌なのか。人間が良いのか」
なんで思ったことが分かるんだ。
「俺も人間になりたいもんだね」
何を言ってるんだ。
「ケニーは人間だろ」
声が出た。ベッドに仰向けに寝転がったまま、人間に戻っていた。使い魔は人間姿のまま、人間である僕の頭を撫でた。
「猫の姿にして構うと嬉しそうで腹立つからもうやらねえ」
「実際嬉しいよ。たぶんケニーは撫でるのが上手いんだよ」
「ムカつくな」
空中に浮いて、使い魔は猫に変わった。そのまま天井まで上がって寝転がった。猫だけに。




