0.日記
イポーニアからコントセリーまで、ざっくりと一万キロ程離れているらしい。だいたい日本からフランスくらい。じゃあコントセリーはフランスなのかというと、そうでもないようだ。
そもそもここが日本かどうかすら怪しいのだ。逆に、ここがフランスかもしれない。
……いや、そういうどちらがどうという話ではなくて。
使い魔はふらふらと宛てもなく気ままに世界中を旅して一万キロ離れたイポーニアまで来た。
その間に何があったのだろう。どうやってここに来たんだろう。飛行機で? それとも魔法で? 魔物だけに魔法陣で転送されたとか。
「キャトられてはねえよ」
「じゃあどうやって来たの?」
「普通に宙に浮いて来た」
「浮いて?」
「浮いて」
「そうやって?」
「そうそう」
風に流されてきたのか。
屋根裏に行けば地下にも行ってみたくなる。ステラに内緒で来た屋根裏で影狼を撫でていたらそんなことを思った。
地下室への扉は知っている。一度地下へ続く階段を見つけた。けれど怖くてそれ以来行っていない。
とにかく場所は分かっている。
「地下の実験室はロマンだなあ」
上下青いジャージを着ている使い魔に思ったことを呟くと、宙に浮きながら僕の頭を撫でてきた。影狼を撫でていると使い魔はよく撫でてくる。僕のことをペット扱いしているのかもしれない。
「この家の地下ってどうなってるのかな?」
「魔女の家の地下にあるのってだいたいは拷問室だろ」
どこの常識だ。
ここの常識か。
「勝手に行ったら怒るかな?」
「やめておけ」
撫でてくる手を払って使い魔を見ると何ともない、普通の、いつもの無表情をしていた。
何故だか怒っている気がしたのだ。
「さすがに怒られる?」
「怒られる怒られる」
「そうか……残念だなあ……」
と、言いつつ数日後、僕は地下への扉の前に来ていた。
いつものポンチョを着て一人で。
使い魔は夜になるとたまにいなくなるので、その晩が来るまで待ってこっそりと部屋を抜け出した。
白い扉は開けると廊下からの薄暗い光がコンクリートの階段を照らした。鍵はかけないんだろうか。
閉めたら真っ暗になる。でも開いていたらバレる。
扉を閉めて、真っ暗になった階段を、壁を伝ってゆっくり足音を立てないように、何があるのかとわくわくしながら降りた。
物音一つしない。降りた先で人がいてバレるなんてのは勘弁したい。
少しずつ暗闇に目が慣れて来た。と言うより、確かこれはポンチョの機能だった気がする。少しずつ階段の段差が見えだした。
そして広くて白い部屋に出た。扉はなく、入ると勝手に電気がついた。地下だけあってひんやりしている。部屋の隅には長机がズラリと並んでいる。椅子はない。床にも机にもノートの束がたくさんあった。
見覚えがある。僕がこの世界に来て初めて見た部屋だ。
床にあった魔法陣は消えているが、部屋の左右の隅にある机やノートの束がそのままだ。
よく分からないままここに来て理解しないままステラの部屋に行ったから、自分が地下で召喚されたのだと知らなかった。階段を上がった記憶がない。
埃を被ったノートをペラペラとめくって見ると、魔法陣がいくつも書いてあった。何の魔法陣なのかは分からない。文字は書いていない。
机に申し訳程度についている引き出しを見ても、全部空だった。引き出しは使っていなかったようだ。
これだけで帰るのはもったいなく感じて周りを見渡して見ると、出入り口から一番遠い部屋の角に、白い扉があるのに気づいた。
壁と同化している。ドアノブがなければ気づかなかった。
何も考えずに開けてから、防犯システムが働いたらどうしようと思ったが、そんなものがあるなら地下に来たときすでに働いている。
白い部屋の中はベッド以外何もなかった。部屋の中にももう二つ部屋があり見てみるとトイレと風呂だった。
なんとなく僕の部屋に似ている。使用人が住んでいたのだろうか。地下に? 地下に使用人の部屋なんてもはや監禁されていたとしか思えない。
後でステラに聞こうにも、聞くということはバレるということだし聞けない。
スミダ家の闇だ……なんて考えてベッドに座ると違和感があった。
ベッドと薄いマットの隙間に手を入れてみると、何かが挟まっていた。取り出すとさっきあったものと同じノートが出てきた。
ペラペラとめくってみると、日記らしかった。
恨み辛みが書かれているわけではないようだ。日本語で書いてあるので、もしかすると記憶がなくなる前の僕の日記かもしれない。確証はない。
じっくり読みたい。でも、もうそろそろ部屋に戻らないと使い魔が帰ってくるかもしれない。部屋に持って行って使い魔に見つかったら……と考えているといい場所を思いついた。
たぶん、きっとバレないんじゃないか。
日記をその場所に隠してから部屋に行くと、まだ使い魔は帰って来ていなかった。
良かったーバレずに終わった。と一安心して眠りについた朝、息苦しさで目を覚ました。
使い魔が黒い犬の姿で眠る僕の胸の上に立っていた。
「……おはようございます」
「おはよう。お前昨日の夜、地下に行っただろ」
バレてた。
「行ってないよ」
「魔法のにおいがする」
「魔法のにおい?」
何だそのにおい。
「気のせいじゃない?」
僕の上に乗ったまま、すんすんとにおいを嗅いで来た。本当ににおいで分かるのか。
髪の毛のにおいを嗅いでいる間に撫でようとしたら威嚇された。
「魔法のにおいする?」
「する」
「嘘だ……」
「読んだのか?」
「読んでないよ」
「へえ」
あ。
「何を読んでないんだ?」
使い魔がパーカーを着た人間の姿になって、僕を見た。怒っている気がする。僕の上からも馬乗りになって退かない。
「何も見てません……」
「何か読むものが置いてあったんだな」
そこからハッタリだったのか!
「地下に、行ったことある?」
「ない」
使い魔は召喚されて来たわけじゃないから知らないのか。
「一緒に行きたかった?」
「そういうことじゃない。何を見た?」
何を?
「何もなかったよ。机とノートがたくさん」
「そうか」
やっと僕の上から退いた。尋問がやっと終わった。前にもこんなことがあった気がする。
「ステラには内緒にしてくれる?」
宙に浮いている使い魔の背中に問いかけた。
「内緒にしてほしいことならやるな」
仰るとおりです。
起き上がって座る。こちらを見ない使い魔は本気で怒っているようで少し怖い。
「でも、ステラには直接ダメって言われてないよ」
「じゃあなんで内緒にしてほしいんだ?」
「ケニーがバレたら怒るって言うから……」
「ステラにはバレても怒られると思わなかったから行ったんだろ? なら内緒にする必要はない」
「でもケニーはバレたら怒ると思うんでしょ?」
「俺がどう思うかじゃなくてお前がどう思って行動したかが重要じゃないのか」
やっと振り返った。が普通。眉間に皺も寄っていない。けれど笑ってもいない。
「ステラには直接行くなとは言われてないから行った。と理由を考えるのはいいが、それを内緒にするってことは後ろめたく思っているからだろ」
ぐうの音も出ないほど痛いところをつかれた。
「後ろめたいからです……」
認めると鼻で笑われた。
「それじゃあお前のすべきことは一つだ」
そう言って手を伸ばしてきた。叩かれる、と思って目を瞑る。指を鳴らす音が聞こえた後、何かで軽く頭を叩かれた。
目を開けると僕が図書室に隠したはずのノートだった。木を隠すなら森。本を隠すなら図書室。僕の作戦はあっけなく散った。
「うまく隠せ」
ノートを受け取ると、使い魔は部屋から出て行った。
地下に行った事実を隠せということなんだろう。読んでも読まなくても良いからノートは返して来い、それかうまく処分しろ。
……使い魔は中身を見たのかな。
トントントン、と部屋をノックする音が聞こえた。三回。アマリアかステラだ。
急いでノートを隠す。皮肉にも似た部屋で似た場所に隠されるノートが気の毒に思ったが、同じ場所、ベッドとマットレスの隙間に入れた。できるだけ奥に。
「チュール、おはようございます。朝ごはんの時間ですよ」
ドアは開かないままアマリアの声だけが聞こえた。
もうそんな時間なのか。
「ごめん、すぐ行く」
すぐ、と言っても今から着替えて準備……。
「数分だけ待って。今起きたところで」
「お寝坊さんですね」
「ごめんなさい」
「待ってますから」
急いで準備をして部屋を出ると、アマリアは居なかった。待ってますからって部屋の前で待っているという意味かと思った。
ステラの部屋に行くと、すでに朝食の準備ができていた。




