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ナイロン製  作者: 朝しょく
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0.世界

 窓から見える森の向こう側が明るく光っている。大きな娯楽施設でもあるのか。

 ステラに聞いてみると「祭りがあるのよ」と教えてくれた。

 こっそり使い魔を呼んで祭りに行けないか聞いてみたが断られた。

「人目が多いところは行かない」

 目立ちたがり屋だと思ってた。

「お前も嫌な思いをするだけだぞ」

 お前、も?

「黒髪だから?」

「黒髪だし魔法使えないし」

 花火が上がらないかな、と見ていたけれど上がらなかった。何の祭りだったのだろう。



「死んだかと思ったよ」

 図書室に入って真っ先に言われた。

 警備員と呼ばれていながら全く警備している様子がない警備員の姿は相変わらず見えないが、どこからか見ているらしい。

「本も返さないくせによく言うよ」

 声だけはやけにはっきりと聞こえる。

「勉強してたから……」

「それで? コントセリー語は極めたかい?」

「全然、全く、これっぽっちも」

 本を手に取って床に座る。

「こんなことしていて良いの?」

 そうは言っても、覚えなければいけない状況でもないので、あまり頭に入ってこない。寝る前に単語帳を開いたりして少しずつ少しずつ覚えることにはしているけれど、それも睡眠導入剤のようになってしまっている。

「あららやる気がなくなってしまったのだね。でもきっぱり辞めていないだけまだ良いね」

「ケニーが毎日何かしらの単語と、その単語の意味を聞いてくるから……勉強というとそれだけだね」

「良い友人を持ったものだ」

 良い友人。確かに、そうかも。

「ところで開放式のことなんだけど」

 無視して本を読んだ。


 きりの良いところで本を閉じた。日が落ちかけて図書室に夕日が差し込んでいる。

 ここの図書室には三段組の本が多く置いてある。しかも分厚いので一ページ読むのに時間がかかる。僕が本を読むのが遅いということもあると思うけれど、一日だけでは読みきれない。

 それに本が古いので分からない単語も出てくる。

 勉強不足を痛感する。コントセリー語の勉強をしている場合ではないのかもしれない。

 けれど勉強しなければと思えば思うほど気持ちが焦る。何かしなくてはいけない気がしてくる。何もすることはないのに。

「ステラちゃんは何もしなくていいって言ってんだからさ」

「考えを読まないでよ」

「考えは読んではいないよ。いや読んでいるのか。いやいやそんな話じゃなくて、好きに生きていいなら僕なら喜んで好きに生きるよ」

 今だって好きに生きてるじゃないか。

「いいや。僕はここから出られないからね、君以下の範囲で楽しまなければいけないんだよ。まあ僕の場合はたくさん本があるから、飽きないけどね」

 アハハハハ、とわざとらしい笑い声が聞こえた。

「外に出たいと思わないの?」

「出たくないよ。本の世界の方が楽しい」

 超インドア派なんだ。

「超アウトドア派だよ。そうだ、少しチュールも行ってみるかね?」

「本の世界に? もう行ってるよ」

 本を読めばもう本の世界だ。

「それはインドアじゃないか。そうじゃなくてさ、物語の中だよ。登場人物が生きている世界だ」

 本の中の世界か。

「行けるの?」

「行けるものだよ、僕にとっては朝飯前さんだよ」

 誰だよ。

 足元に本が大量に降ってきた。

「どれか入りたい本があれば踏んでみて」

 本を踏むのは少し気が引ける……。

「足から入らないと危ないよ」

「そういう感じなんだ」

 一冊、手に取って中身をめくる。どうせなら明るくて楽しい本に入りたい。

「不思議の国のアリスとか?」

「そうなると僕は何になるの?」

「君は君になるんだよ」

「主人公?」

「主人公はアリスだ」

「じゃあ僕は?」

「ちゅーるだね」

 僕というキャラクターが増えるのか。ちょっと嫌だな……。

「本に入ったら本に影響出る?」

「出ない出ない。そんなヘボしないよ」

「じゃあ……」

 田舎にある病院に勤務することになった主人公が、あれやこれやと奮闘する話『メ・ラ・ケアリー』を軽く踏んだ。


 水に落ちた感覚。水面に見える図書室が遠くなっていく。水底へ流されている。

 警備員の名前を呼んでも声が出ない。空気だけが上へ抜けていく。目を開けてもぼやけて何も見えない。雑音しか聞こえない。

 あの本にこんなシーンあったっけ。

 水面を目指して踠いても、どんどん底に落ちていく。


「あ……」

 体が動く。

 起き上がると夕日の見える広い草原にいた。いつの間に外に? ここが本の中?

 水に流されたと思ったのに、体は一切濡れていなかった。痛いところもない。服も図書室で着ていたときのものだ。

「起きたかい」

 振り返ると白髪に赤い目をした少年が立っていた。前にこの姿を見たことがある。

「リリー?」

「そうだよ」

「ここは?」

「本の世界だよ」

「ここが?」

 こんな山小屋に住む少女と山羊飼いの少年が駆け回りそうな草原の描写なんてあったっけ?

「あまり草原について描写はされていなかったけど、遠くに山があることは書かれているよ」

 辺りを見回すと遠くの方に町があった。教会のようなものが見える。

「そうそうその町が主人公の住む町だ」

 もっと本の世界だと分かりやすい場所に連れて行ってくれればよかったのに。

「これから町に連れて行ってあげるよ」

 手を差し出されたので手を繋ぐと、警備員は歩き出した。

「もしかして目が見えてる?」

「いいや? 読めてはいるけどね」

 前は本は見るものって言ってなかったか……突っ込むのはやめよう。考えれば考えるほどややこしいので警備員の視覚についてはあまり触れないことにする。

 と思っても、この美しい風景が見られないのは可哀想だ。

 確か本には、真っ白な病室を真っ赤に染める夕日のことについては描かれていたが、青い空に真っ赤な太陽が混じる奇跡のような夕日のことは書かれてなかった。草木が風に揺れて、夕日に照らされて煌めいている。

「僕に読ませようとしているのかい」

「うん。本当に綺麗なんだ。主人公もこの空を見れば良かったのに」

「君は本に出てくる町よりも、病室を真っ赤に染めた夕日に恋してしまったのか」

 恥ずかしい言い方をするな。

「町に行くのはやめよう」

「え、何で?」

「夢は現のまま、偽物は本物のまま終わるのが良いのさ。この世界のようにね」

「ま、まって、町には行きたいんだけれど」

 というかそれが目的だ。

「また、今度行こう」

「今度って」

 風で警備員の白髪が揺れている。もし自分の髪がそんな髪色なら、現実の世界でもこうして外に出られたのだろうか。

「主人公が嫌った町よりも、君は綺麗な夕日が見られた。それで良いじゃないか」

 少し困ったような顔をして、僕から目を逸らす。赤い目が夕日を見た。

「……本当に綺麗だね。君の見る世界は」

「え?」


 警備員の手が離れると地面が抜けて穴に落ちた。真っ暗闇の地面に吸い込まれて警備員の姿も自分の姿も見えない。声も出ない。雑音しか聞こえない。来るときは水の中だったのに帰りは真っ暗闇だ。

 というか、いくらなんでも帰るのが早すぎる! 町に行って楽しみたかった。雰囲気だけでも楽しみたかった。主人公が落ち込んだときに食べて元気を出すスポンジのようなバサバサなパンケーキを食べてみたかった!

「それって美味いのか?」


 目が覚めた。

 辺りを見回すと見慣れた図書室で、床に倒れていた。警備員が降らせた本もない。でも手にはメ・ラ・ケアリーを持っていた。

「夢?」

 いや現実だよ、君は本に入ったんだ。なんて言う警備員の声もしない。

 あの景色が夢だったら、僕はとんでもなく想像力があることになるじゃないか。

 図書室を出て廊下の窓から外を見た。いつも通りの空だった。まだ日は落ちていないのでそんなに時間は経っていないようだ。

 きっと僕はもうあの感動を味わえないのだろう。でもそれくらいで丁度良いのかもしれない。ああいうものは一回だけ、初めてみたときだけ味わえるものだ。

 また連れて行ってくれると言っていたけれど、本当に連れて行ってくれるのか。次こそ町に行ってみたい。

 使い魔に自慢してやろうと意気揚々と部屋に帰ったが、心底興味がなさそうだった。

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