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ナイロン製  作者: 朝しょく
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0.陽炎

 使い魔はよく悪戯をした。

 朝起きるとベッドの上に蛇がいると思えば蛇の正体は使い魔で、驚いて飛び起きる僕をみて笑ったり。ステラの部屋に向かって廊下を歩いているとき、壁から手だけを飛び出させて驚く僕をみて笑ったり。

 悪戯をした後僕はいつも使い魔を叱るのだが、使い魔は気にせず悪戯を繰り返す。

 ある日部屋のドアを開けると花が降って来て部屋中花だらけになったことがある。いつも通り使い魔か、でも今日はやけに上品と言うか、お洒落な悪戯だ。と思えば、ステラと使い魔が共謀してやったことだった。

 ステラを叱ることが出来ずに使い魔にえこひいきだと文句を言われた。部屋中に散った花を全て片付けて、後日その花で押し花を作ったら、使い魔は感心していた。



 アマリアはやることがあるから、使い魔は興味がないから、と各々の理由で屋根裏には来なかった。

 廊下の隅にある屋根裏の壊れた階段を見てステラはため息をついて袖を捲った。杖を出して階段の幅を測る。

 そして、魔法で直すのかと思えば、外にあるらしい小屋からいくつかの大きさに切られた木を持ってきた。僕は外出禁止の身なのでその間、その場で待たされた。

 ステラは釘と金槌で階段を手際良くあっという間に直した。

「魔法で直すのかと思った」

「魔法を使うと嫌がるのよ」

「その犬っていうのはどういう犬なの?」

「隠れるのが上手いわ」

「でしょうね」

「見たいなら見せてあげる。あの子もお腹が空いているでしょうしね」

 ステラは口笛を吹いた。

「それで来るの?」

「従順な犬なのよ」

「噛まない?」

「そうそう噛むことはないわ」

「噛まれたことある?」

「うーん……」

「あるね?」

「初めて会ったときね。人見知りするのよ」

「人見知りって」

 ことは僕にも人見知りするんじゃ、と言いかけたらステラは廊下の方を見た。

「チュール、噛まれたら噛まれたところを喉の奥に突っ込んで嘔吐かせなさい」

「やっぱり噛むの?」

 ダン、と何かが落ちたような音が聞こえた。廊下の方を見ると、奥の方で炎に包まれた大型犬がこちらを見ていた。

「あれ?」

「あれ」

「思ってたのと全然違う!」

 一歩一歩地団駄を踏んでいるような足音を轟かせながらこちらに向かって走って来る。

「なんか怒ってない?」

「逃げないで落ち着いて。私から離れないで」

 そう言われても怖いものは怖い。

 走りながら大きく吠える犬の声は犬というよりもライオンのようだ。そもそも見た目も犬というよりは狼に似ている。燃える体から熱気も感じる。

 あと数歩でぶつかる。なのに止まる気があるようには見えない。身構えて目を瞑ると、横から衝撃が来て僕は廊下に倒れた。

 犬にぶん殴られた!

 でもそんなに痛くはない。恐る恐る目を開けると、僕はステラに押し倒されていた。

「ス、ステラ……」

 犬の前には大きな黒いトラがいた。

 犬はトラに驚いて立ち止まったらしい。唸りながらにらみ合い、やがて犬を包んでいた炎が消えて、犬は煙に包まれ、煙が晴れると犬はすっと消えていた。

 このトラはステラが出したものだと思ったのに、ステラも驚いた顔をしている。

「この駄犬チュールを食おうとしたぞ」

 黒いトラは姿を変えて使い魔になった。

「や、やっぱりそう見えた?」

 押し倒してきたのは守ろうとしてくれたからか。

 ステラが立ち上がって手を差し出してくれたので、手を取って僕も立ち上がった。

「おい擦り寄るな」

 使い魔が何かを避けるような動きをした。

 よく見ると、ぼんやり空間が歪んで見えた。

「え、こ……これ?」

「こいつどうにかしてくれ」

 使い魔が僕の後ろに隠れると透明な歪みは僕の目の前に来た。歪んだ空間から唸る声が聞こえる。

「何も見えないんだけど……」

 ステラがしゃがんで手を出すと、唸る声が止んだ。空間を撫でている。

「この人は敵じゃないのよ」

「なんでケニーには唸らないの?」

「勝てないって思ってるから媚びてるのよ」

「言い方が悪い」

「お腹が空いて気が立っているのだと思う。ご飯をあげましょうか。チュール、先に屋根裏に上がって」

「もう俺は帰る」

「僕がまた襲われたらどうするの」

「自分で何とかしろ」

 そう言いながらも助けてくれるであろう使い魔は壁をすり抜けて外に出て行った。


 屋根裏に上がると、後からステラが上がって来た。その後ろに目に見えない犬が来ているらしく小さな足音が聞こえる。

 廊下ではうっすらと歪んでいたのが分かったのに、暗い部屋に来ると全く見えない。

 犬が上がってくると、部屋中からカタカタと音がしてクローゼットが開いた。クローゼットの中にはクッションと空っぽの皿。

 ステラが古びたタンスを開いて木の棒を二本僕にくれた。

「これ……」

「おやつよ、いつもは機械が勝手にあげてくれるんだけど今日はチュールが皿に入れてあげて」

 木の棒がおやつ? いや、目に見えない犬がいる時点であまり気にしてはいけないか。大きさも、燃えていた時よりも随分小さくなっているように思う。

 皿に入れると食べているのか、棒が宙に浮いてボキッと折れて、半分消えた。ゴリゴリと空間から音が聞こえる。

「凄い……」

 本当にそこに生き物がいるんだ。なんて考えていると、足に何かが当たった。けれど見ても何かが触れているようには見えない。

「この子のご飯は太陽の陽なのよ。最近は雨ばかりで、しかも階段が壊れてて上がれなかったからおやつも食べられなくてお腹空いちゃったのね」

 ステラはしゃがんで、何もない空間を撫でている。

 座って恐る恐る手を差し出してみると、指先に何か湿ったものが触れた。

「落ち着いたわね」

「これって本当に犬?」

「カゲロウって言うのよ」

 その名前は初めにステラが言っていた気がする。

「カゲロー、おすわりできる?」

「名前じゃないわよ」

 それでもお座りしたように見えた。

「透明な、狼の姿をした生き物なの。透明と言ってもよく見れば見えるんだけど。日に当たったり興奮するとさっきみたいに燃えるのよ」

「犬じゃなくて狼なんだ」

「影の狼で影狼。でもこの子は小さいから、影犬ね」

「かげいぬ……」

 これで小さいのか。いやそもそも狼が小さかったら犬なのか?

 燃えていた姿を思い出す。あれで小さいのか? 僕なんか二口で食べられそうだったけれど。

 撫でるとふわふわと柔らかい毛に覆われた生き物だと分かる。あんなに恐ろしく見えたのに、やけに可愛らしく思う。

「なんて名前?」

「知らないわ」

 ステラは立ち上がって屋根裏に唯一ある小さな窓を開けた。雨が降っているので日は差さなかった。

「あ、興味ないとかつけないとかそういう意味じゃないのよ、誰かがこっそり飼っていた犬みたいで、家の持ち主だったひいお祖母様が亡くなった後にこの子の存在を知ったの」

「うまく隠れていたんだね」

「隠れるのが上手いから」

 もしかしてこの犬は今、仰向けになっているんだろうか。多少の硬さがあった毛がふわふわで柔らかく、触った皮膚越しに骨があるように感じない。上の方を触ると手を舐められた。

「ステラは名前をつけるなら何にする?」

「ライラプスかな」

「由来は?」

「狙った獲物は逃がさない犬の名前よ」

「反対に、誰にも捕まらない犬とかいるの?」

「捕まらない狐なら」

「面白いね」

 狼だからこいつも獲物を取りたくなったりするんだろうな。

 撫でるのをやめると顔を舐められた。犬の独特なにおいがしない。無臭だった。けれどしっかり湿っている。

「てるてる坊主は危ないからあれで遊んじゃダメだよ」

「影狼は人の言うことは聞かないわよ。人よりも家に懐くから」

「猫みたいだね」

 影狼は人には懐かない。とても気分屋でお腹が空いていると先程のように襲って来ることもある。なので、一人でいるときはあまり関わらないように。

 とステラに言われたが、数日後、窓の前に燃えるライラプスを見た。雨の降る外を見ていた。日は差していないのに燃えていた。ライラプスにも透明ポンチョは効くらしく、こちらには気づかなかった。

「外に出たいのかな」

「外には出られるわよ。最近はよく庭で日向ぼっこしているし」

 そうか、庭は濡れないから出ても平気なのか。そもそもライラプスは濡れてはいけないわけではないのか?

 とにかく外に出たいわけじゃないのなら、ともう一つてるてる坊主を作って同じ場所に吊るしておいたら、次の日に吊るしていた紐が噛みちぎられて、先についていたてるてる坊主が無くなっていた。その代わりなのか、木の棒が廊下に落ちていた。

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