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ナイロン製  作者: 朝しょく
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0.サケ

 僕の部屋からステラの部屋に行くまでの廊下の窓から月は見えなかったが、月明かりだけはぼんやり見えた。満月の日は、空が明るいからなんとなく満月だと分かった。でもそう思うだけで、正解は分からなかった。分からなくても困らない。

 そもそも夜に廊下に出ることは少なかったから、月の形なんて深く考えたことはなかった。

 ある日使い魔に起こされて薄暗い廊下に出た。時間は分からなかったけれど夜も更けていて、空は薄暗くて今日は満月じゃないんだろうな、と思った。

 何もない星が光っている空を見ていたら、空に線が引かれた。

 初めは気のせいだと思ったが、どうも僕はその線を見るために起こされたらしい。次々と空に線が引かれては消える。

「あれはメテオールって言うんだぞ」

「綺麗だね」

 ステラを起こしに行ったら嫌がるだろうか。と思っていたのに次の日の朝、ステラが夜に見た星の話をした。

「夜中だったから嫌がるかなと思ったんだけど」

 あのときステラと僕は同じ空を見ていた。



 蒼色の処刑人、朱色の処刑人、所謂ビューレイストの処刑人シリーズと言われる本を二日で二冊読み切った。ビューレイストが今まで出した本と比べ描写が細かく無駄も隙もない。少し難しいけれど凄く面白かった。

 蒼色での死刑執行する側であった刑務官が冤罪で死刑になり、執行室へ歩く緊張感には自分も嫌な汗が流れ心臓がドキドキした。

 朱色では模倣犯だった囚人が誰にも信じてもらえずヤキモキして囚人が刑務官を殺したときは本当に殺してしまったのかと読み返しては変えようのない現実に呆然としてしまった。

 面白かった、としか言いようがないけれど笑える面白さではない。凄かった、と言うべきか。素晴らしかった、と言うべきか。

 本来の目的であったコントセリー語を勉強することも忘れてしまうほどだった。

 僕自身が荒れた図書室の整理をするほどの暇人で、思い立ったら即行動してしまうことを理解しているのか、次の日にはステラが処刑人シリーズの原語版を買って来てくれた。なのにアルヒ版の方を先に読んでしまった。一ページだけ、と思ったら一気に……。

 切り替えて、さあ次は原語版を、と辞書を引きながら読んで分かった。コントセリー語は分からない。何が分からないのかすらわからない。

 コントセリー語を公用語にしている国は多いらしいので、覚えておけばいろんな国の人と話せるとステラから借りた本に書いてあったが、いろんな国の人と会うことがあるんだろうか。

 いろんな人と話すことが楽しそうだと思えないのは、僕が社交的ではないからか。でも旅行には行ってみたい。その国ならではの独特な街並みを見て、美味しいものを食べて、花を見て……それは、言葉や歴史を知っておいた方がより一層楽しめるはずだ。

 そういえば、使い魔に教えて貰えば、とステラは言っていたけれど、蔦を燃やしてから五日ほど経つのに使い魔は帰ってこない。本はもうとっくに片付いている。

 理解出来ない勉強を投げ出してベッドに寝転んだ。

 静かだ。ずっと静かだ。使い魔がくる前は、こんなに静かだったっけ。

 いや、静かだった。

 彼は基本的に寝るか、外に出ていたな。不意に無意味に名前を呼んでみるとすぐに出てきたので近くにはいたはずだけれど、声が聞こえるほど近いが部屋にはいないとなると、どこにいたんだろう。

 もしかすると僕も使い魔に魔法をかけられていて呼べば分かるようになっているんだろうか?

「ケニー」

 と言っても返事はない。姿も見せない。

 大丈夫なんだろうか。いや、僕が心配したところでどうにもできない。ステラはそのうち帰ってくると言っていたから、そのうち帰ってくるだろう。

 帰って来なかったら? でもステラが言っていたんだから。

 ステラしか信じていないか。

 それに、何もしたくないと考えながら旅行に出るために言語を学ぼうとしている。いや、これは、ただの趣味だから。

 眠る前に起き上がって机に向かった。


 集中するとお腹も空かなくなるのか、動かないからお腹が空かないのか。晩ご飯の時間を忘れていたら部屋にステラが来て、机に向かっていた僕を見下ろして言った。

 拗ねているようだったけれど、ステラは僕に拗ねられないだろう。

「そんなに楽しい?」

「楽しくない」

 一つ覚えれば一つ忘れるような気持ち悪い感覚がずっとある。簡単な単語を覚えても、本一ページも、一行も読めない。

「勉強下手なのかも。それか頭が悪いのかも」

「二か国語も言葉を覚えていてよく言うわね」

「でも……」

 それは生きるために必要だったからだ。

「ご飯だけはちゃんと食べて。頭を使うならちゃんと栄養を取らないと」

「栄養とったら賢くなるの?」

「頭の良い人はちゃんとご飯を食べて、ちゃんと睡眠を取ってるわ。あなただってそうだったでしょう」

 皮肉で言ったのにな。

「ステラは偉いね」

「チュールはバカね」

「よく知ってるね」

「努力家なのも知ってる」

 努力らしい努力をしたことなんてあっただろうか。

「ありがとう」

 美味しそうな匂いを嗅いで、お腹が空いていることを自覚した。ご飯を食べて朝ごはんも食べていなかったことを思い出した。

 これじゃあ言葉が頭に入らないな。と、勉強が出来ないことを空腹のせいにして、アマリアの作る料理の中で一番美味しい魚の入ったグラタンを食べる。チーズをいつもより多く入れてくれている気がする。

 ステラはご飯を食べ終わった後に僕を呼びに来たらしく、食後の紅茶を飲んでいた。

「チュールは、いつか学校に行くといいわね」

「学校?」

 どうやって行くんだ、どこの学校に行くんだ。

「魔法の学校?」

「そうよ。フリーワースか、タワーならどっちがいいかしら」

「フリーワースの方がよろしいのではないかと」

 小さなクッキーがたくさん乗った皿をテーブルに置きながらアマリアが答えた。

「え、ま、マジで言ってんの」

「いつか、ね。いつか。私の今やっていることが落ち着いてから」

「今って、何やってるの?」

「まだ、内緒」

「いつか教えてくれる?」

「ちゃんと教えるわ」

「分かった」

 そう言うのなら詮索はしないでおこう。

「……ご飯美味しい?」

「うん。美味しい。アマリアありがとう」

「今日のご飯はお嬢さまが作りました」

「本当?」

 空腹だったからいつもより美味しいでしょ、とか言われるんだと思った。

「美味しい?」

「美味しい。ありがとう」

「どういたしまして」

「いつもよりチーズが多くて美味しい」

「うんうん、よく気づきました」

「魚の骨が一本も入ってなくて食べやすい」

「ああ、アマリアはよく取り逃がすから……」

「じゃがいもと玉ねぎが自己主張をし過ぎてなくて美味しい」

「うん、もう、分かった、いいから」

「焼き加減が」

「もういい、もういい、褒めて欲しかったわけじゃないの。久しぶりに作ったから、口に合ったかどうかが知りたかったの」

「とても合います。とても美味しいです」

「それはよかったわ」

「私はもっと精進しますね」

「アマリアのはアマリアので美味しいよ」

「明日はアマリアのご飯を褒めてくれるって」

「楽しみにしてます」

「感想言うの苦手だから、期待しないで……」


 ご飯を食べた後、部屋に戻っても勉強を再開しなかった。再開して変わらずできなかったら……落ち込む。今は落ち込みたい気分じゃない。

 お風呂に入って寝る準備をしてから翠色の処刑人のアルヒ版を読んだ。

 相変わらず面白かったけれどこのまま読んでしまっては朝になってしまう。きり良く第十章に入る前にしおりを挟んで、本を閉じて机の上に置いた。

 トイレに行った後、電気を消して布団に入る。

 暗闇の中、お腹の上に何かが乗った。布団から手を出してそれを撫でると、ふさふさと全身毛が生えていて、小動物のようだった。

 撫でるのをやめて手を布団にしまうと、小動物はゆっくり歩いて僕の頭の横にきた。枕の上に寝転がって伸びをした。僕の顔を小さい肉球でぐいぐい押すので少し端へ寄ると満足したのかあくびをした。

 ほのかにシャンプーの匂いがする。風呂上り。外の温泉にでも入ったんだろう。

「おやすみケニー」

「おやすみチュール」

 やっぱり使い魔だった。

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