0.留守
ステラは買ったばかりの本は読み終わるまで肌身離さず持ち歩いていた。少しの時間ができれば読んで、読み終われば自室の本棚に置いていた。
「そんなに面白い本なの?」
と聞くと、少し考えてから
「普通ね」
といつも言っていた。普通だからこそ肌身離さず持ち歩いて読むくらいしないと読み終えないのだという。
僕はそのとき、その行動の意味はよく分からなかった。けれど今なら分かる。
面白く興味の引く本なら持ち歩かなくてもどこに置いてあろうが自分自身が本の方へ近寄ってしまうし、その本を読むために時間を作ってしまうものだ。
つまりステラのいう“普通”は“つまらない”ということだ。
「図書室開放式をして」
何か面白い本はないかと図書室で本を見ていると、本棚の上から声がした。姿は見えない。
「嫌だ」
返事をして青い本を一冊手に取った。タイトルに、見慣れない単語がある。習ったはず……使わない単語で忘れた。
頭にタイトルを思い浮かべた。
「朱色の処刑人……だから、そんな翻訳機みたいな使い方やめてよ」
そう言いながらも毎回翻訳機のように翻訳してくれるじゃないか。
「困ってる人がいるのなら助けてあげないとね。でさあ開放式なんだけど、チュールが主催で少し頑張ってみてよ」
滅多に出てこないはずなのに結構頻繁に出てきてくれるし翻訳までしてくれる警備員さんは、最近会うたびにお祝いをしろと強請ってくる。
今日は開放式と言っているけれど、昨日はオープン記念と言っていた。四人しかいない屋敷でそんなことしてどうするんだ。と聞けば、結局のところ集まってパーティがしたいらしい。
「僕だけ誕生日会に呼ばれてないからね。ハブはやだ。グレアムくんだってもう来ないし来るのはほとんどチュールくらいだしステラちゃんは本を持って行っちゃったまま返しに来ないし」
「それはまだ読んでるからだよ」
「昔は一日で二冊や三冊は軽く読んでいたのに」
「最近忙しそうだから仕方ない」
僕だって構ってもらえていない。毎日会うことには会うが、ゆっくり話す時間が
「どうでもいいよ、そんなこと。ステラちゃんが何をしているのか知らないなら、今からグレアムくんを呼ぼうよ、話したい。あいつ図書室が片付いたのにまだ来てないんだぜ、探してた本はどうしたっつーんだよ」
「ケニーは……」
蔦を燃やしてからまだ帰ってきていない。
「可哀想にグレアムくん、本に埋められるわ、子守を任せられるわ、追い出されるわ、散々だね」
「追い出したわけじゃ……」
いや、追い出したか。使い魔に直接ステラの部屋には魔物を捕まえる植物があるから近づくなと言えば良かったかも。
「ああ、あの魔法を使ったんだね。昔やったときは部屋に入れない程度だったから、今回もその程度と思ったんでしょ」
なんで今回はこんなに影響が出たんだろう。
「人間は成長をする生き物なんだよ」
その言葉、よく聞く。
「ステラちゃんはまだまだ伸び代があるよ。昔から優秀というか、両立が上手かった」
「両立……」
僕は下手だな。今も本を手に取ったまま、読まないどころか戻さないでいる。読むかすら迷っている。
「優柔不断だねえ」
ステラとは正反対だよ。
「いや優柔不断が悪いとは言っていないよ。ステラちゃんもずっと迷ってるしね。迷わない生き物なんていない。迷うことは当然だ。その上で選択は義務だよ。優柔不断で何もしなくても、何もしないという選択をしているんだからね」
「じゃあ今、僕は本を読まない選択をしていて、しかも君の話を聞くという選択までしているのか……」
「生きるとはそういうことなのだよ」
「そういうものかな」
じゃあパーティをしないという選択をしようかな。
「や、や、それとこれとは話が別でしょ。僕は図書室から出られないんだよ、チュールより選択肢が少ないんだよ、選択肢が多い人間が少ないもののために動くべきだと思わないの?」
「僕一人じゃ決められないからね……」
「ステラちゃんに聞くだけ聞いてみてよ、きっと良いって言うよ」
その自信はどこから来るんだ。
本を読みに行ったのに、警備員と話をしていて気づけば日が落ち始めていた。その上図書室の開室時間は夕方までだからと追い出された。明日からは朝から図書室に行くことにしよう。
本は読めず仕舞いだったけれど、持っている本をそのまま持ってきてしまったので、仕方なく部屋で読むことにした。
タイトルが読めなかった本だ。念のため辞書も持ってベッドに座った。本を捲ると登場人物の紹介が書いてあった。
違和感があり、後半の解説を見ると、どうやらこれは蒼色の処刑人という本の続編のようだ。この本の次は翠色の処刑人。
けれど一番最後に載っていたシリーズの原題を見ると、処刑人の文字が違った。一作目から順にExecutioner、Bourreau、kaijosha、と書かれている。
一番目と二番目の意味は分からないが、三番目は、そのまま介助者という意味なんじゃないだろうか。介錯のために首を切る、所謂これも処刑人だ。
この世界に日本語が存在している国がある。もしくは日本語を理解している人間がいる。
作者を見ると、ビューレイストと書かれていた。彼の本はこの屋敷には山ほどある。けれどそれは全部翻訳されたものだ。日本語だったとしてもそれはアルヒ語に訳されているはずだ。kaijoshaを処刑人と訳したように。
こんな身近なところに日本語が紛れているとは気づかなかった。僕は普段、一番後ろの原題どころか、解説すらあまり読まない。
ステラは知っているんだろうか。使い魔は、警備員は。
誰かに言いたくて堪らなくなって、ポンチョを着て部屋を出た。
アマリアに本を見せて気づいたことの説明をすると、一言。
「お嬢さまもニホンゴを話せます」
「あ」
初めて会った時は日本語を話していたんだった。
「そういえば、そうだった……」
「言葉は完全に廃れてはいませんよ。一部のマニアの間で引き継がれております。わかる人には楽しめる、言葉遊びのようなものですね」
つまり、僕はまんまと楽しんでしまったわけだ。
「ステラも、これ、知ってるのかな……」
「分かりません。教えてあげてください」
知らない可能性もあるのか。
夕飯の手伝いをしながらステラを待った。ステラが帰ってくると待ってましたとばかりに僕は本をステラに見せた。
「なるほど、面白いわね」
「知ってた?」
「原題が違うのは知っていたけれど、カイジョシャがニホンゴだったなんて」
知らなかった、と聞いてやけに嬉しくなってしまった。
「他にもあると思う?」
「あるでしょうけれど……」
今まで普通に読んでいた本を読み返したくて堪らない。が、ただ読み返してもそれはアルヒ語に訳されたものだ。日本語もアルヒ語に訳されている。
「翻訳される前のものを読まなきゃニホンゴが混じっているかどうか分からないわね」
「翻訳される前というと……」
「コントセリー語……コンシュトを覚えないと」
趣味でアルヒ語を覚えろと言われてもきっと僕は覚えなかった。この世界で生きるためだったから死に物狂いでアルヒ語を覚えたんだ。
「前の世界で他国の言語を学ぶ授業でね、英語という教科があったんだけれど、全く身につかなかったよ……」
「へえ、どの時代にもあるのね。コントセリー語ならケニーに教えて貰えばいいじゃない」
「ケニーなら僕をコントセリーに連れて行ってそのまま放置すると思う」
「そんなこと……ないと言い切れないわね」
でもそれも楽しそうではある。
「ステラはコントセリー語って話せるの?」
「話せないわね、昔は勉強して読めたけど今は少し読める程度かしら」
「君は本当になんでも出来るね……」
「出来ることしか出来ませんとも」
それは誰でもそうだろう。
ステラから勉強するために使っていたという本や辞書を借りた。
今後何かの役にたつかもしれないし、覚えておいて損はないはずだ。




