0.45
楽しいニュースだけを書いた新聞紙を鳩が届けてくれるサービスがある。届くか届かないのか分からない新聞が届くのが楽しいらしい。ステラはそれを利用していて、毎朝その新聞を読んでいた。
届くか届かないか分からないと言いつつ毎朝きちんと届いているということだ。
「この世界にテレビはないの?」
「暗いニュースは出来るだけ見たくないのよ。大きな事件は嫌でも知ることになるからこれでも困らないし……あ、もしかしてチュールはニュース見たい人?」
「あんまり見たくない人」
この世界のニュースは少し見てみたい気もするが。
「テレビで放送しているのはニュースだけじゃないのは分かっているけれど、まあ今は無くて困ってはいないし」
困ったら買うわ。と言ってはいたが、恐らくその日は来ないだろうなと思った。
犬の遠吠えのような声で目を覚ますと、目の前に小型犬がいた。なんて言うんだっけ、短足の……ダックス? 毛がふさふさしている。
「おはよう……ケニー……」
「おはようございます」
ベッドの脇にアマリアが立っていた。
「おはようございます……」
もうそんな時間なのか。いや、でも、アマリアは5分遅れただけで来る。
使い魔犬は僕の胸の上で伏せをしている。頭を撫でると尻尾を振った。
アマリアが待ちかねて使い魔犬を僕の上から退けた。
「起きてください」
「はい……」
いつも通りに朝起きて準備をした。顔を洗っている間にアマリアは部屋から出ていて、使い魔はいつもの人間の姿になって空中に漂っていた。
「犬になるなんて珍しいね」
「朝起こすなら犬だ……」
どんなイメージだ。
フェネックになって空中から落ちてきた使い魔を抱っこして部屋を出る。
「動物の毛ってなんでこんなにふわふわしているんだろうね」
動物になると使い魔もこんなに可愛い。しかし何も答えなかった。急に静かになった。少し体を僕に預けすぎな気がする。
「何かあった?」
落ち込んでるのかと思ってそう聞いても返事はない。
ステラの部屋に行こうとすると、使い魔は急に腕の中で暴れて、廊下の床に落ちる前に人間になった。
蹲ったままの使い魔に話しかけても返事がない。背中をさするとようやく答えた。
「気分悪い」
「大丈夫?」
「外に出てくる」
歩いてきた廊下を戻って窓から外に出て行った。僕の腕の中で酔ったのだろうか。
「おはよう……どうしたのこれ」
ステラの部屋に入ると本が不規則に置いてあった。紙も数枚落ちていて、正直、部屋がとても散らかっている。本をよく見ると僕が整理した図書室の本が何冊がある。
「おはようございます。今、お嬢さまは勉強されていて……」
「こんなに部屋を散らかして?」
「『動かさないように』と言われておりますので、そのように」
乱雑に置かれたようにした見えないが、何か魔法陣のような役割を果たしているんだろうか。
だから使い魔は外に出たのか。
「ステラはどこにいるの?」
「奥の部屋におります」
僕が魔法を教えてもらった部屋を指差した。滅多に使わない部屋が使われている。
「行って良いの?」
「開いてます」
入れってことか。
いつもクローゼットがあった場所に四角く穴が開いている。覗いてみると中がツタや草にまみれている部屋の中心に、ステラがこちらに背を向けて立っていた。
以前来た時は真っ白な部屋だった気がするんだけど、いったい何をしているんだろう。
壁をノックしてみると、ステラが振り返った。
「おはようチュール」
「入って良い?」
「ええ」
そうは言っても葉を踏んでしまっていいものなのか分からず、入り口に立って部屋を見回した。
何十年も経った空き家みたいだ。
「何してるの?」
「ゼレニーを……」
とだけ呟いて、その場にしゃがみ込んだ。
「大丈夫?」
「ええ」
葉を見ると全てハートの形をしていて、壁を這う蔦も頑丈そうだ。これは、日本でいう葛みたいなものだろうか。
「これにはトゲがないんだね」
「必要がないんでしょう」
無くても充分、もしくはそれ以上に繁殖するから、ということか。
「これをどうするの?」
「チュール、あなたの世界に……いえ……ないわね」
質問する直前で解決した。僕の世界にないものといえば魔法しかない。
「この草は魔法でも使えるの?」
「マヤクソウなのよ」
「まやくそう」
麻薬草、いや、魔薬草?
「魔法に反応する……魔法ではなくて……火とか水とか、四元素に反応するのかしら」
なんだそれは。
「火にかけると煙が出るとか?」
「チュール、部屋から出て」
「はい……」
うるさかっただろうか。ステラに背中を押されながら部屋を出て、蔦だらけの部屋にゴルフボールほどの火の玉を魔法で出した。
宙に浮いている火がゆっくり葉に近づいてくと、葉から水滴が出て、水滴が凍って霜が出来た。
そのまま火に炙られた葉は完全に凍ってしまった。
火に炙られて凍る、なんて意味が分からない。
「凄い……」
思わず呟くと、ステラは火を消した。
「こうなると、半径三十cm以内にあるもの全て凍らせるわ」
その言葉通り、氷はどんどん広がっていく。
「これ、どうやって止めるの?」
「氷が溶けるまで」
「どうやったら溶けるの?」
「放っておくしかないわ」
と言ってステラは大きな火を一気に出して蔦を全部燃やした。熱風に驚いて顔をそらして部屋から離れたが、ステラは全く動じていなかった。
あんなに熱かったのに、あっという間に葉は凍り、部屋からひんやりとした空気が流れてくる。
「す、凄いね」
「けれど厄介ね」
人魂のような炎を出して凍った部屋の中央に浮かせた。
「高温にならなければいいんだね」
「ええ」
蔦には触れずに炎は宙を浮いたまま。氷を溶かすために部屋の温度を上げている。
「溶けたら葉はどうなるの?」
「どうなるのでしょう? ご飯を食べたらまた見に来ましょうか」
子供を諭すように、僕の背中を押してテーブルに向かった。
本が散らかった部屋で、本を動かさないように席についてご飯を食べた。テーブルの上にも本があるが、アマリアもステラも気にしていなかった。
「あの……この本はなんなの?」
「あの蔦、魔物の魔力を吸い取ってしまうのよ。だからケニーを部屋に入れないためにね」
やっぱりそうなんだ。
「あの蔦はどうやって人間と魔物の区別をつけているの?」
「分からないのよ。魔力には種類があるんじゃないかという説があるのだけれど、未だに種類があるのかどうか分かっていないわ」
人間のふりをしている魔物からすると、魔力に種類があるのかどうか分からないことは良いことなのかもしれない。でも、魔物を狙う蔦が存在するのは良いことではない。
僕が襲われなかったのは僕が魔物ではないからだけれど、あそこで襲われていたら僕は魔物ということになったのか。と考えると、蔦は本当に魔物だけを狙っているんだろうか。
そもそも僕には魔力があるのか、どうか。
「ごちそうさまでした」
ご飯を食べ終わって蔦を見に行く前にマスクを渡された。それをつけて見に行くと、燃えたように真っ黒になって枯れていた。
「これは、燃えたからこうなったの?」
「そうね」
ステラが手袋をしてから蔦に触れると、ボロボロに崩れてしまった。
「これ……お湯とかで温めたらどうなるの?」
「どうなるんでしょう?」
好奇心を揺さぶる言い方だ。
汁が凍るのなら、お湯の中に入れたら汁はお湯と混ざるんじゃないか。そうなったらお湯は凍るんだろうか。本体はどうなるんだろう。
「面白いね、魔法の世界って感じだ」
「この魔薬草は特にね。こうやって真っ黒にしてしまえばお茶に出来るのよ」
「本当? 飲んでみたい」
「チュールは好奇心旺盛ね」
「みんなそう思うよ」
ステラは笑って、風を吹かせた。それだけで蔦も葉もボロボロに崩れて、床にも天井にも張っていた蔦が全て部屋の床に落ちた。
「このまま三日ほど待ちます」
「楽しみ」
「お湯に入れるのはまた別の日に」
「楽しみ!」
念のため三日間、ステラの部屋の本は動かさず、使い魔も三日間帰ってこなかった。




