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ナイロン製  作者: 朝しょく
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14/33

0.本人

 僕は見たことがないので本当かどうかは分からないけれど、この屋敷には大浴場があるらしい。

 理由はステラのひいお祖母さんが風呂好きだったからだそう。

 昔は使用人もたくさんいて、大浴場も賑わったらしいけれど今は男女で別れてしまえば二人しかいない。それで大浴場なんて使ってしまえば水道代が大変なことになりそうだ。

 とは言っても使わない理由はそれだけではなく、ステラは大きい風呂よりも小さい風呂の方が好きなのだ。

 僕の部屋にある風呂はステラの部屋にあるものとほぼ同じで、浴槽は小さく脱衣所の方が広い気がするほど。僕は体が洗えれば広かろうが狭かろうがどちらでも良いと思う。思うけれど。

 その大浴場に一度入ってみたい。

 大浴場があるという話を使い魔から聞いたので、アマリアに本当にあるのかと聞いてみた。

「あります。私は毎日入ってます」

 使ってるんだ。

「なんで!?」

「あるなら使わなければ。もったいないでしょう」

「僕も入ってみたいなあ」

「それは無理でしょうね」

「なんで?」

「大浴場に行くのには外に出なければいけませんから」

 後からひいお祖母さんが無理やり作ったから、屋敷の中にはないらしい。



 図書室の本棚を全て片付けるのに、朝から晩まで毎日本を運んで三ヶ月ほどかかった。あれから警備員は出てきていない。一人でやり遂げた。

 ステラが帰ってくるまで、アマリアに箒を借りて床を掃除した。

 とは言っても何年も放置されたとは思えないほどゴミが出ない。埃も出ない。本棚にも埃が乗っていなかった。

 これも魔法なんだろうか。時間が止まる魔法とか。

 そういえばステラに言われた青い本は結局見つからなかった。見つからなかったと言っても探していたわけではないが、やっぱりどういう外見の本なのかは気になる。開くとどうなるのかも気にはなるが恐怖の方が勝る。

 箒で床を掃いたあとモップをかけてみても、モップも床も綺麗なままだ。本棚のように誰かが拭いているのか、警備員が掃除をしてくれているのか、それとも魔法か。

 図書室の掃除は終わった。入り口に立って自分の成果を改めて見回す。

 本が一冊も落ちていない。ここからどうなるのかは分からないが本もサイズごとに並べた。初めと比べて、いや、比べるほどもないほど綺麗だ。

 達成感が凄くある。

 本を積み上げているときも並べているときも本の名前を見ないようにしていたけれど、こうして見てみると本当にいろんな本がある。名前を見ながら、青い本を心の隅に置きつつ、何か面白そうな本がないかと探していた。

 そもそも僕の好きな本ってなんだ? 魔法に関するものか? この世界の歴史や生物に関する本は、現実的ではなさすぎて創作の物語のように読んでしまう。

 現実世界にトロールや床下に住む小人なんて本当にいるんだろうか。僕の世界でもいくつか創作としてそういう本があったけれど、あれはもしかすると本当の話だったのかもしれない。

 この世界のトロールはふわふわしているのか、つるつるしているのか、どっちなんだろう。

「ねえ チュール。白い方はつるつるじゃなくてちゃんと毛が生えているんだよ」

 頭上から声が聞こえたあと、両肩に何か乗った。見上げると警備員が僕の肩に両手を置いて宙に浮いている。

「久しぶりだね。出て来てくれなかったからもう出てこないのかと思った」

「僕からするとほんの一ヶ月くらいだったんだけど、まあ感じ方って人によって違うしね」

 警備員は床に降りて、部屋を歩いた。

「凄く綺麗になったね、歩きやすい」

「見えるの?」

「歩いても足に本が当たらない」

 そういうことか。そういえば使い魔は常に浮いていたけれど、警備員は歩いているんだな。

「浮いているとぶつかってしまうからね」

「動物の姿にはなれないの?」

「図書室はペット禁止ですよ」

 もっともらしいことを言う。

 警備員はふらふらと歩いて僕から離れていく。本当に目が見えていないのか? と思うほど本棚にはぶつからない。図書室を歩くのに慣れているんだろう。

「その姿って素の姿じゃないんだよね?」

「うん。君の前だからこの姿なんだよ」

 赤い目に白髪で、僕が着ていた服装を着た男の子の姿。その姿で僕の前に現れることに何の意味があるんだろう。

「もともとはどんな姿なの?」

「どんな姿だろうねえ」

 本棚の隙間から見えた姿は使い魔で、ステラで、アマリアで、白髪の男の子で、そして僕の姿だった。

 鏡越しでもない僕の姿に違和感はあるけれど、確かに僕の姿だった。

「この格好でグレアムくんでもからかおうかな」

「やめて」

 本物の僕が怒られる。

「怒らないって。君もからかい通してしまえばいい」

 バレたときが……いや、違う。バレるバレないの問題ではなくて、僕がただ乗り気ではないからやめてほしいんだ。

「良いじゃないか、いつもからかわれているんだから」

「からかわれているからからかっても良いというわけでもない」

「じゃあ君の大好きなステラちゃんをからかおう」

 なんでステラを。

「今からステラちゃんが来るんだよね? 丁度いいじゃん」

 丁度よさでからかう相手を選ぶな。

「君は本棚の影に隠れていてよ。僕が君のフリをしてステラちゃんの前に出る」

 ダメだってそんなこと。


 ノックの音がしてステラが図書室から入ってきた。

「ステラおかえり」

 ダメだろ、と思いながらも、僕は本棚の影に隠れている。静かな図書室では二人の会話がよく聞こえる。

「わー……綺麗になったわね、ありがとう」

「えへへ、でしょ?」

「凄く頑張ってくれたんでしょう。お礼に図書室の本を読んでいいわよ」

「それよりもっと、良いことしてほしいな」

「良いこと?」

「ちゅーとか」

「あら、そんなこと」

 近くにあった本を取って警備員にぶん投げた。上手く頭に当たって警備員は頭を抑えて「痛い」としゃがみ込んだ。

 けれどそれよりもステラの言葉が気になった。

「そんなこと? “そんなこと”? ““そんなこと””? って何?」

 ワンピースにカーディガンを羽織ったステラを問い詰める。けれど僕の投げた本を手にとって飄々としていた。

「ただいまチュール」

「ステラ、きみ……あの」

 言葉がまとまらない。

 どういうつもりで言った言葉なのか理解できない。

「キスくらい良いじゃーん」

 警備員がふざけて言った。

「良くない、全然良くない」

「チュールの姿をした僕がステラちゃんとキスしたらチュールとステラちゃんがキスしたことになるよ」

「君は僕の姿をした警備員であって僕ではないから」

「じゃあ、チュールは、ステラちゃんにキスしてもらうことは別にご褒美だと思わないでしょ? 得するのは僕だけでチュールにも迷惑はかからないよ?」

「な」

 殴りてえこいつ。

 って、考えたこともばれているのだ。考えるよりも先に殴って仕舞えばよかった。

 あと損得で言えば目の前で僕の姿をした人間がステラとキスすることに腹が立つから損して

「ふふ……」

 ステラが笑った。

「な、何、笑って」

「チュール、冗談よ、リリーだってちゃんと分かっているから」

「僕じゃなければキスするの?」

「そういうことじゃなくて、ただ彼女の冗談に乗っただけだから」

「彼女?」

「僕」

 警備員が自分自身を指差した。

「彼女?」

「この子は女の子なのよ」

「女の子同士ならキスも平気なの?」

「本当に一回冷静になって」

 座っていた警備員が立ち上がった。もう僕の姿ではなく、淡い青色の髪を二つに結んだ女の子の姿になっている。

「本当の、とはいかないけどこれが僕の姿だよ」

 警備員は裸足でくるくる回っている。勝手に男だと思ってた。いや、本当の姿じゃないなら性別も違うんじゃ……。

「私にイタズラするつもりが、あなたの方が引っかかってしまったわね」

「あ、じゃあ、ステラのも冗談?」

「そう言ってるでしょ」

 自然とため息が出た。

「よかった」

 いや、何が。

「改めてチュール、本を片付けてくれてありがとう」

「どういたしまして……」

 お礼を言われたけれどモヤモヤ、いや、イライラする。

 なんでだ。

「チュールくん疲れているみたいだねえ」

「疲れてる?」

「そうそう」

 警備員がうんうん頷く。そうだ、彼女には僕の心が読めているんだ。僕より僕の気持ちが分かるのではないか。いや、でも……。

「もう今日は早いけど、寝るよ」

 考えるのが面倒になった。お風呂に入って寝よう。頭を冷やせばモヤモヤも取れるかもしれない。

 図書室から出ようとするとステラに呼び止められた。

「本当にありがとうチュール。ここの本はどれも好きなのを読んでいいからね」

「分かった。ありがとう」

 手を振って図書室の外に出る。閉まった扉越しからうっすら声が聞こえた。二人でお喋りしているんだろう。

 モヤモヤを引きずったまま部屋に帰ってシャワーを浴びた。布団に入って眼が覚めると、次の日の夕方だった。

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