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ナイロン製  作者: 朝しょく
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0.自分

 この世界のご飯の見た目は僕の世界とあまり変わらない。よくわからない動物の肉も魚も調理してしまえばほとんど原型が残っていないので、だから変わらないとも言える。

 怖いことを言ってしまうと、人間の肉だって解体してしまえば見た目は豚や牛の肉と対して変わらないはずだ。脂身が多い少ないでバレるかもしれないが、人間の肉を見たことのない人間にはそうと分からないのではないかと僕は思う。

 あと、それは魚も同じで、形が残っていなければ元の形が分からないので、変な魚を食べさせられていても気づかない。

 そもそも僕は魚に詳しくないので、『チュールの世界にもいる魚』と言われてしまえば、よっぽど変な魚じゃなければ信じてしまうかもしれない。

 そんな中、違和感があるのはほとんど素のまま出てくる果物。イチゴやりんごとは違う、紫色の小さい目玉のような果物がたまに出てくる。皮ごと食べられると言われても、見た目が気味悪くて食べるのに勇気がいる。味はブルーベリーに近い。

 僕はきっとブルーベリーが苦手だった。あまり美味しいと思えない。

 ほとんど噛まずに飲み込んでいたら、ステラに苦い顔をされた。

「皮をむいてから食べてみたら?」

 そう言われて小さい目玉の皮を少しずつ剥いて、ひとつ食べてみるとブルーベリーの味が消えた。水っぽいさくらんぼの味がする。苦手に感じたあの味は皮の味だったのか。

 でもきっと、僕はさくらんぼも苦手だった。



 イポーニアは雨季に入った。けれど屋敷がジメジメすることはない。

 使い魔は何故か外に出ることが増えて、見張りのいなくなった僕は僕で何故か部屋にこもる時間が増えた。元々引きこもってはいるけれど、部屋から出ることすら減った。

 それを自覚したので無意味に屋敷中を歩き回ることにした。たまには運動しなければ……。

 そしてある部屋の前を通ったとき、ふと思いついた。


 運動不足の解消も兼ねて図書室の掃除をかって出ると、ステラはとても喜んでくれた。

 図書室の前でステラから銀色の小さいフダのついたネックレスと軍手とマスクを渡されて、早速つけてみると手に違和感もなく息苦しくもなかった。これも魔法なんだろうか。

「私じゃ片付けられないからありがたいわ」

 下手に魔法を使って本を動かせられないらしい。“生きているものの定義”の話だ。本は何をもって本とするのか。

「とりあえず本を本棚に入れてくれると助かるわ」

「分かった。片付けたら本読んでもいい?」

「片付けてからね。あ、青い本は開いちゃダメよ、絶対!」

「わかりました」

 手を開いたり閉じたりしていると、ステラがネックレスをつけてくれた。

「これは何?」

「これはもしもの時のため。何かあったら口に咥えて」

 何かあったら。

 使い魔を二十数年動けなくした本があるような図書室で、何かあっても誰も助けに来られない。むしろ、誰かがいれば僕の足手まといになるとまで言われた。

「運が良ければ警備員が現れるかもしれないわ」

「警備員?」

「この図書室を守っているのよ。もしかしたら手伝ってくれるかも」

「それなら……」

 良いのかな。

「チュール、ちゃんと休憩するのよ。今日は私、夕方まで帰って来ないから、一人でもちゃんとお昼ごはんは食べるのよ」

 お母さんか。

「わかった。ありがとう」

 お昼ご飯は最近ずっと一人で食べてるよ。と言ったら気遣われそうだ。


 図書室には二メートルほどある高さの棚に本を入れるスペースが縦に四つ。その本棚が壁一面。部屋の中央にも同じ高さの本棚が並んでいる。本は床に落ちているが本棚は倒れていない。

 本を避けて歩かなくてもいいように、床を歩けるように本を片付けよう。時間はたくさんある。ゆっくりやっていけばいい。

 確か青い本は開いちゃダメなんだっけ。床に落ちている本の中にはすでに開いているものもあるけれど、青い本は開いていなさそうだ。

 開いてる本を全部閉じるだけじゃダメなんだろうか。ダメなんだろうな。

 本がたくさん落ちているので本棚に近づくことすらできない。適当に入り口に一番近い本を何冊か拾って邪魔にならないところに積んだ。

 順番はバラバラでも良いんだろうか。本棚にさえ入れてしまえば後でステラが直してくれるんだったら、下手に順番通りにするよりはあるものを入れてしまえば良いか。

 本の大きさだけは分けた。積んだときのバランスが悪い。

 重くて分厚い本から小さく薄い本まで様々な形の本を積み上げる。青い本はまだ見ていないけれど、青い本でもそうじゃなくても本は開かないように気をつけた。

 ひたすら仕分け作業をしていると背中が痛くなってきた。普段動かないのに、座ったり立ったり重いものを運んだりして体が痛むのは当然か。

 休憩。立ち上がって背中を反らした。運動不足を実感する。準備運動してからやれば良かったかもしれない。

 図書室全体を見回した。全然片付いていないことを改めて確認してしまった。途方もないけど、まだ始めたばかりだ。たぶん一時間も経っていない。

 時間はまだたくさんある。ゆっくりやればいい。

 少し本棚の前が空いたので、近寄って埃が溜まってないか見た。指で線も引けないほど綺麗で、二十年以上も放置されていたとは思えない。

 本を置く前に本棚を拭こうと思っていたのに。

 一体誰が。

 警備員が拭いてくれていたんだろうか。ステラもアマリアも使い魔もだめならそうとしか考えられないが、本棚の前には本がたくさんある。本棚を拭くには本の上に上がるか、使い魔のように宙に浮くかしか……。

 おそらく後者なんだろうな。幽霊みたいなやつだったらどうしよう。

 僕の世界では幽霊は信じる派と信じない派がいたけれど、この世界ではどうなんだろう。信じる信じないということよりそもそも幽霊は存在するものとして存在しているんだろうか。

 普通に出てきてくれるならまだいい。分からないからこそ怖い。いるなら堂々と出てきてほしい。

「じゃあ堂々と出てきてあげよう」

 後ろから首に腕を回して抱きつかれた。視界の端に白髪が見える。

 使い魔だ。

「いたのか」

 振り返ると僕から離れて白髪で赤目の青年は微笑んだ。使い魔だと思ったのに使い魔でも何でもない人間が立っていた。いや、立ってはいない。宙を浮いて、僕と目線が合うようにしている。靴を履いていないのも浮いている理由の一つかもしれない。

「残念ながら、僕は使い魔じゃない」

 服装が僕がこの世界に来たときに着ていた服だった。二千年代日本の学生服。

「なんで、その格好」

 まず誰だ。

「え? 僕は君の姿で登場しているはずなんだけど」

 両手の人差し指を頬につけて笑っている。

「全然違う」

 と言うと、口をへの字にした。

「あらら、まあ、この世界の人間にはよくあることだ」

 この世界?

「君も別の世界から来たの?」

 青年は腕を組んでワザとらしくため息をついた。

「いいや。僕はずっとこの世界の人間だよ」

 ずっと、ってことは。

「もしかして、警備員?」

「そうだよ。ずっとチュールのことを見ていたよ」

 言い方が怖いうえに名前を知られている。誰が教えたんだろう。誰が教えられるんだろう。

 いや、僕は何度か図書室で名前を呼ばれているんだ。そのときに知ったのか。それとも本当に見ていたのか。

「察しが良い人は好きだよ、わざわざ説明しなくても良いからね」

 何か違和感がある。

「説明するのって苦手なんだよ、説明しているとだんだん面倒になってくるんだ」

 その割によく喋る。

「ずっとこんなところにいるんだよ? 飽きはしないけどたまには人間とお話ししなきゃね」

「飽きはしないって……」

 本でも読んでるのかな。二十年もあればここの本を読み尽くしてしまいそう。

「泥棒も来ないから毎日暇で暇さえあれば本を読んでいるよ。チュールと同じだ。二十年もあればここの本を読み尽くすけど、飽きないんだ」

「ああ」

 違和感の正体がわかった。この人心が読めるんだ。僕が口に出していないことにも答えている。

「本当に察しが良くて助かるよ。その通り、読んでいるよ。今もね」

 近づいてきて、僕の頬に手を当てた。僕の目をじっと見つめている、気がした。この人、目が見えていないみたいだ。

「本当に、察しが良いね。読めるだけで、見えないんだ」

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