0.悪食
アップルパイが好きだった。焼けたリンゴの食感が好きで、リンゴをたくさん入れて作ってくれた。
だからなのか、アマリアの作るアップルパイを食べると少し物足りなく感じる。
誰がリンゴのたくさん入ったアップルパイを作ってくれていたのかは思い出せないのに、僕が食べる姿を、作ってくれた人は笑って見ていた、という記憶はある。
僕はその人に、リンゴの食感が好きだと言った覚えはない。それは、今の僕が覚えていないだけなのか、それとも、その時の僕が言った覚えがないのか、どちらなのかなんて考える。答えが出るはずないのに僕は、そんなことを。
窓の外を眺めていたら真っ黒な鳥が塀に止まった。カラスかと思えばやけに小さい気がする。鳴きもせず、こちらを見ている気がした。
周りを見渡して、誰もいないことを確認してから使い魔を呼んだ。
「ケニーいる?」
見当たらなくても使い魔は呼ぶとたまに出てくる。ボディガードなんて冗談のように思えたステラの言いつけは一応ちゃんと守っているみたいだった。それともただの暇つぶしなのか。何にしてもだいたいは近くにいる。でもたまにいない。
「呼んだか?」
今回はいた。Tシャツに黒いジーンズ。天井から出て来たということは屋根裏にいたんだろうか? 屋根裏にいたら僕の声は聞こえないか。
「あの鳥ってカラスかな?」
黒い鳥を指差すと、使い魔は少し考えていた。
「分かる?」
「……お前、そんなことで俺を呼んだのか?」
あ、そっちか。名前のことを考えてくれていたのかと思った。
「うん」
「召喚覚えたてのサモナーかよ! どうでもいいことで呼ぶんじゃねえよ」
「ごめん、忙しかった?」
「暇だった」
なら別にいいだろ。
使い魔は窓に近づいて、鳥を見て言った。
「カタカケフウチョウ」
「変な名前だ」
絶対、適当な名前を言っている。
「追い出すか?」
「なんで」
「変な鳥だから」
「そんな理由で……」
「変な鳥だしこの国にはいないはずの鳥だ」
何が言いたいのか分からない。
「はっきり言って」
「こっちを見ている」
見ている気がするのは僕だけじゃないのか。こっちを見ているように見える柄の鳥、とか。見れば見るほどそう思えてくる。真っ黒すぎて目がどこにあるのか分からないし。
「気のせいじゃないの?」
使い魔を見ると、黒猫の姿になっていた。
「そういえば何で君って髪の毛は白いのに変身すると黒くなるの?」
と言い切る前にはもう使い魔は壁を抜けて外に出ていた。
なんでそう話しを聞かないんだ。
窓から鳥を見ていると少しずつ黒猫である使い魔が近づいて行くのが見えた。鳥が猫の方に頭を動かした。
何か話しているんだろうか。使い魔は動物になると鳥と話せるようになるのか? それとも動物にならなくても話せる? なんて考えても仕方ない。
黒猫が鳥を威嚇している。が、鳥は動じない。鳥は塀から降りて猫の前に立った。
使い魔は猫のまま、まだ何かを話している。
ふいに鳥が僕を見た。僕の話をしているのか、屋敷の話をしているのか? それとも知り合いだったのかな。
話していること、長引くかな。お腹が空いたからご飯を食べに行きたい。でも離れたら離れたで後で使い魔に呼んだくせに云々と文句を言われそうだ。どうしたものか。
……本当にどうしよう。
廊下の窓と対面にある壁に背をつけて寄りかかって窓の外を見た。空しか見えない。今日もいい天気だなあ。なんて呑気なことを考えていたら、窓に黒いものが張り付いた。
鳥だった。さっき塀にいた真っ黒の鳥。
驚いていると、窓に人間姿の使い魔が足から着地した。窓に張り付いた鳥を見下ろすように、窓に垂直に立っている。まるで僕の背にある壁が地面で、穴に落ちた僕を使い魔が見ているみたいだ。
使い魔は鳥の向こうにいる僕に手を振ってくる。
鳥を投げたのは使い魔なのか? 全く状況が理解できない。
何もせずに見ていると使い魔はしゃがんで鳥の首を掴むと、窓を抜けて中に入ってきた。ちゃんと床に足をつけて僕に鳥を見せる。
「敵だった」
鳥は首を掴まれてぐったりしている。使い魔がやったのか。しかもまさか、それを持ってくるとは。
「ど、どうするの」
使い魔は頭と胴体を引っ張った。咄嗟に腕を掴んで止めると使い魔は驚いた顔で僕を見る。
「待て待て何やってるの何の敵?」
「人間の敵だよ。つまりはお前の敵。魔物は俺みたいに優しいやつばかりじゃない」
「お前は別に優しくない」
「うるせえ。魔物は人間を食うんだよ、こいつはお前を食おうとしてたんだ」
僕を蹴り倒して鳥を引きちぎった。ブチブチと肉の千切れる嫌な音が廊下に響く。
思わず顔を背けた。
「血が出ていないだろう」
呆然とする僕に使い魔は言った。
たしかに、頭と胴体からは太い糸のようなものは出ているが血は出ていないし羽も落ちなかった。
その頭を、使い魔は食べた。バキバキと骨の折れる音に驚いていると胴体は燃え上がり灰も残らずに消えた。
「た、食べた!」
引きちぎるだけだと思っていた。
「食べられるから」
使い魔が手を差し出して来た。手を取って立ち上がると、使い魔は両手で頭を撫でて来た。
「よーしよし怖かったねえ」
「殺したの?」
「本体は生きてる。あれは勝手に魔力を取ってくるために出していた分身だ」
その分身が、僕を狙っていたのか。
「ケニーも……人間を食べるの?」
恐る恐る聞くと、使い魔は手を止めて微笑んだ。
「どう言う意味で?」
「……どういう意味で?」
首をかしげる僕をみて使い魔はニヤニヤと笑っていた。
「何? どういう意味?」
「いやあ? お前には分からないか」
…………あ、そういう意味か!
「食糧的な意味で!」
自分で言っててゾッとした。人間を食糧的な意味で食うのか。
使い魔が? “優しい”使い魔が?
「食うよ。そういう意味で」
「そういう意味……」
どういう意味だ。
「お前にはまだわからないだろうけどな」
そういう意味。
ぐしゃぐしゃに頭を撫でられる。誤魔化されて少しホッとした。
「それでも魔力って取れるんだね」
と、呟いた言葉に使い魔が反応してしまった。
「試してみるか?」
僕がもたれていた壁に手をついて見下ろしてくる。圧迫感。なんとなく前に神社であった尋問を思い出した。
「いや、いやいやいや冗談でしょ」
「魔力のない人間から魔力が取れるのか試してみたい」
「どっちの……」
顔を背けると首を掴まれた。怒らせたんだろうか。強引に頭を左に向けさせたれる。このままボキッといかれたらどうしよう。
「……跡消えないんだな」
使い魔が呟いた。
外に出たとき使い魔に切られた傷のことだろう。
使い魔を見ると目があって、すぐニヤニヤと笑いだした。
「冗談だ、食うなら女の方がいい」
それはどっちの意味だ。
……どっちの意味でもか。
宙に浮いて僕から離れて行く。ステラの部屋に行こうとしているようだ。僕が行こうとしていたからか。
「あ!」
急に声をあげたので使い魔は振り返って首を傾げた。
思い出した。魔物は食後、たまに気持ちが昂ぶる個体もいるんだと本で読んだ。使い魔はそのタイプなのか、だからしょうもないいたずらを。
「ご飯食べたから興奮したんだね」
余計なことを言ったのか、使い魔の地雷を踏んだのか、使い魔は僕を担いで凄い速さで歩いて来た廊下を戻り僕の部屋へ入ると、僕の服を剥いで部屋から出て行った。
二度目。勘弁して。しかも今度はポンチョまで持ち去っていった。アマリアが様子を見に来るまで僕は部屋にこもるしかなかった。




