唐揚げにレモンはかけない派なのに、あえて無断で飲み会の大皿唐揚げにレモンをかけた男の話
もう、他に打つ手がなかった。
次のオリンピックを目指すには、上の人たちが圧倒的過ぎる。
誰か一人でも欠ければその枠を奪い取る最有力は自他共に俺だと言われているが、逆に言えば、欠けてくれなければ自力で奪い取るのは厳しいだろうとの評価でもある。
その次のオリンピックを狙うことも考えられるが、その時の俺は三十歳手前。陸上短距離選手としてはまだやれたとしても、今の『黄金世代』と早くも呼ばれている十代の選手たちがさらに成長を遂げているのだ。次のオリンピックのための選考では押さえられても、その次のオリンピックのための選考では、『黄金世代』の連中に確実に勝てる保証がないどころか、負ける公算が高いと思う。
だから、今しかなかった。
普段なら絶対に参加しなかったであろう、実業団の懇親会。
次のオリンピック候補の同じ実業団の先輩の真ん前に陣取り、内心を押し隠して、それはもうにこやかに対応していたさ。
「お待たせしました! コース料理の鳥唐揚げでーす!」
――来た。
時間を与えれば意味がない。
ここは、速攻あるのみ!
「あ、レモ――」
「レモン、ブシャっといっちゃいますねー」
無慈悲にぶちまけられる酸味の効いた液体が、カラッと揚げられた衣を侵してゆく。
標的の先輩は唐揚げにレモンをかけない派で、飲み屋で唐揚げが来た時には真っ先にレモンをかけるのを止めることは、後輩どもからリサーチ済みだ。
その上、このテーブルでは、俺は当の先輩に次いで二番手で、先輩以外に俺を怒れる奴なんていない。
そこまで計算した上での蛮行だ。俺が先輩の立場なら、こんな万死に値する後輩を野放しになんかしておけないね。
そして、俺の計算され尽くした完全なる煽りの前に、俺に殴りかかるが良い!
傷害事件となれば当分は戻ってこれず、俺が枠に入るための『空き』が出来るって作戦だ。
さあ、無断で唐揚げにレモンをぶちまけるとの暴挙に、ブチギレるがいい!
「……よう、この前のアレだけどさ」
こっちに向かって、特に反応がない。
レモンに触れず先輩は隣の後輩と関係ない話を始め、周りの後輩たちが何事もなかったかのように平然と唐揚げをつまんでいく。
おかしい。
これほどの暴挙に反応一つしないとは、何かアクシデントがあったのか?
まあいい。ここは切り替えて、次の作戦へ移行だ。
ちょうど良く先輩はお菓子の話をしている。ここは、プランDの出番だろう。
「え? 先輩、キノコ派っすか? マジ? キwノwコw派w いやいや、時代はタケノコ一択っしょww キノコとか、ありえねぇーww」
「う、うん。そうか」
……なぜだ?
キノコ派の同志であると後輩たちからリサーチ済みの先輩ならば、キノコを否定し、あまつさえ煽ってまでくるタケノコ派など、黙っていていいわけがない。
戦争だろう?
どうして、どうしてだ?
レモンといい、タケノコといい、宿敵どもを相手に、どうしてこう見て見ぬふりが出来る?
こんな腑抜けなんかが、日の丸を背負って世界で戦う……?
信じられない事実に、目の前が真っ白になっていく。
そのまま遠くなっていくのかと思っていれば、一つの光景が目に留まり、意識が取り戻されていく。
レモン汁のたっぷりかかった唐揚げを割り箸で持ち上げ、そのまま口の中へと運んでいく先輩。
その時が、我慢の限界だった。
「テメェ! 唐揚げレモンかけない派として、俺の暴挙を見逃すばかりか、そのレモン汁塗れの唐揚げを平然と食べるとは何事だ!? 挙句、キノコ派の誇りまで投げ捨てやがって! 表出ろ! 戦争だ!」
「これが、追い詰められた結果あんなくだらない『戦争』に飛び込み、あれだけ排除したかった先輩にたった全治2週間ばかりのケガを与えるのと引き換えに、すべてを失ってしまった男の話ですよ。笑ってやってください、検事さん」
「お、おう……」
※本作はフィクションです。
なので、陸上選手の食生活とかさっぱりな作者は、某足袋屋がランニングシューズを開発するドラマで長距離選手が飲み屋に行ってたようなシーンがあったはずだしええやろ(うろ覚え)、と今回の舞台設定を行いました。
それ以上の深い理由とか、設定考証とかないです。あしからず。