生きてるだけの木偶ならば、あるいは
面倒だから爪は伸ばしっぱなし。
そろそろ折れそうかな、という何となくの自分の線引きで切るくらい。
そんな爪を持っていれば、ぎゅっ、と手を握った時には、手の平に爪の跡が残るのだ。
僅かに赤く変色した爪の跡を見て、三人掛けのソファーを使い、横たわる幼馴染みを見た。
見慣れた顔だが、寝顔はいつもより、ほんの少し珍しい。
伏せられた睫毛は男の子の割に長かった。
オミくん、本名は創間 緒美。
大切で大事な幼馴染みである。
ぎゅっぎゅっと両手を握りながら、その寝顔を覗き込む。
細い寝息は近くで聞かなくては聞き取れず、正直遠目で見ると身動ぎ一つしないので、生きているのか死んでいるのか心配になる。
静かに上下する胸元は、その細い体に似合わず、嫌にしっかりとした筋肉が付いていた。
握った手を解き、その胸元に触れれば、微かな寝息がより鮮明に感じ取れる。
スルリと指先を動かし、胸元から鎖骨へ。
今日はVネックシャツを着ているので、しっかりと見える鎖骨。
浮き上がった骨の形を確かめる様に撫でる。
寝顔を見れば、形の良い眉が歪められていた。
指先は更に上がっていく。
生憎、女のボクには無いような喉仏。
飲み物を飲んでいる時には、ゴクゴクと上下するのを見るのが楽しい。
指の腹で撫で回し、時折ほんの少しの圧を掛けるように、指に力を込めた。
その後は、手を広げて、喉を掴んでみる。
これが男と女の差なのか、片手では掴み切れない。
手の平にぶつかる喉仏が何だか熱かった。
「うーん……あぁ、そっか。こうだ」
何か違うな、と首を捻って数秒。
その違いが分かり、一度手を離して、腰を上げる。
よっこいしょ、大して重労働でもないけれど、間の抜けた掛け声と共に、ソファーに上がった。
オミくんの体があるので、正直動きにくいが、よっこいしょ、馬乗りになる。
こうすれば、ちゃんと喉を、首を掴めるだろう。
腕を伸ばし、その首に両手を引っ掛ければ、ちゃんと掴めて満足だ。
「……ちょっと待て、何絞めようとしてんだ」
目を瞬く。
「あれ、起きた?」
両手で首を掴んだまま、首を捻る。
絞めている、と言われて気付いたのは、徐々に上半身が前のめりになり、掴んだ首に圧を掛けていたということだ。
気付いた今は、手の力を緩めた状態で、馬乗りのままである。
「何だその目。私純粋です、何のことか分かりません、みたいな顔を止めろ」
寝起きとは思えない滑舌の良さである。
眉間には深い皺が刻まれているが、首を捻ることを止めようとは思わない。
手も離さなかったのだが、オミくんの手が手首を掴み、無理矢理引き剥がした。
酷い、痛い。
首を捻ったまま、ボクも眉を動かせば、オミくんは深い深い溜息を吐き出す。
それこそ、肺の中の空気を丸っと入れ替えるくらい。
その後は、一度目を閉じて、開いたその青味掛かった黒目をこちらに向けるのだ。
「真面目な話」
「うん」
「何しようとしてた。無理心中か」
今度は、ボクが目を閉じる。
それから死んだ魚のような目と言われる、光の宿っていない目で、オミくんの顔を見た。
端正な顔立ちは、不機嫌そうに歪められても、変わらずに綺麗なものだ。
「オミくん、幼馴染みでしょう。無理心中にはならない」
首の位置を戻し、真横に数回振る。
サイドに結い上げた髪が頬に当たるのが、ほんの少し痒かった。
しかし、ボクの答えが気に入らなかったのか、オミくんの顔は更に難しいものになる。
大切で大事な幼馴染みのオミくん。
少なくとも、本気で頼めば、一緒に死んでくれると思っている。
「仮にそうだとしても、俺の答えを待たずに首絞めてる時点で無理矢理だろう」
成程、頷いてしまった。
じゃあ死のう、の言葉には、当然のようにNOと返ってくるので、つい、ほぼ反射で舌打ち。
普段はなかなか出ないレアだ。
ゆっくりと離された手首を見て、自分の膝の上に自分の手を置いた。
馬乗りは変わらず、オミくんもそのことを特に言うことは無かったが、話の流れは何で首を絞めていたのか、に漂着。
何でも何も、特別な理由がある訳ではなかった。
爪が伸び過ぎていたので、そろそろ折れるかもしれないと思ったのが最初。
爪切りを探したのに誰が何処で使い、何処にやっとのか分からず見付けられなかった。
仕方なく、リビングのソファーで眠っているオミくんに聞こうと思ったのだ。
起こすべきか、起きるのを待つべきか、ぼんやりと考えながら爪を手の平に食い込ませるように握ったり、開いたりを繰り返した。
暇なんだな、と言われれば、そうだね、と返す他なかったのだが。
兎にも角にも、何となくそうしてオミくんを見ているとそうなったのだ。
「……つまり、何と言うか。隠さずに言えば、生きてるから死のう、殺そうって思った」
「サイコパスかよ」
爪が刺さって痛かった。
寝息が聞こえて、胸が上下するのを見た。
生きてるなぁ、と感じるには十分だったのだ。
「生きてるから死ぬのは自然の摂理だよね」
首を傾ければ、またしても、深い深い溜息が落とされ、強引に上半身を起こしてくる。
およよ、と反対にボクの体が後方へ倒れそうになれば、オミくんが支えて、ボクの手の平を見た。
不健康な白さの肌は、ボク自身見慣れて見飽きたもので、オミくんも慣れているのでわざわざ触れない。
手の平はまだほのかに赤く、爪の細い三日月のような跡を残していた。
背中の辺りに回された腕が思いの外太く、しっかりとしている上に、ボクよりも体温が高めだ。
身動げば、今度は爪を撫でられる。
「爪、切るんだろ」
片眉を寄せたところで、そんなことをオミくんが言って立ち上がり、ぽい、とボクの体をソファーへ投げた。
爪切りは、救急箱に入れられているらしい。
何故だ。
「オミくんオミくん」
ソファーの上で正座をしながら、爪切りを取り出しているオミくんの背中に声を投げた。
返答はない。
聞こえているのは分かっているので、相手の返事を待つことも、催促することもなく、更に言葉を投げ付けた。
「爪切り終わったら心中してみよう」
今度は短い溜息。
まともな返答ではないその代わり、続け様に先程のボクと良く似た舌打ちが一つ。
つまり、答えは変わらずにNOだ。
だからボクも、チッ、と一つ音を立てた。