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予知姫と年下婚約者

君ありて幸福

作者: チャーコ

挿絵(By みてみん)

 部屋の中央に位置するベッドの上で、涼風が通り過ぎるのを感じ、刺繍をしていた私は顔を窓辺に向けた。白いレースのカーテンが、七月のよく晴れた青空を縁取り、風をはらんで舞っている。照りつける太陽の眩しさに目を細めていると、僅かに躊躇った風情で扉がノックされたので、私は微笑んだ。

 こんなノックをするのは彼しかいない。「どうぞ」と返事をすると、予想通りの人物が誰かに怒られるのではないかというように、部屋にそっと忍び込んできた。


「……お嬢様、見舞いに来ました」


 生粋の日本人だが、日差しの加減で薔薇輝石のように見える赤い髪色の彼は、手に持っていた花を私に差し出した。


康介こうすけ、ありがとう。──いつになったら雛子ひなこと呼んでくれるのかしら」

「お嬢様を名前で呼ぶなど、できるわけがありません」


 薔薇輝石色の髪が、やんわり左右に揺れる。頑なな康介の態度に苦笑しながら、私は花を受け取った。赤いゼラニウムの花弁が愛らしく、うっとり見とれた。


 私──虹川にじかわ雛子ひなこは、日本でも有数の財閥、虹川財閥の一人娘である。康介は、虹川家に婿入り──つまり、近い将来私と結婚することになっていた。二年前、婚約の話が決まったとき、冷静を常とする康介は相当狼狽えていた。


「私がお嬢様の婿なんて、虹川財閥の跡取りなんて無理です」


 康介がそう言った心情は慮ることができる。何しろ、当時の康介は虹川家の一書生に過ぎなかったのだから。


 そこをなんとか私の父に押し切られ、私たちは婚約した。二年前の彼はまだ十八歳で、三歳年上の私にかなり恐縮している様子が見受けられた。私は生まれつき身体が弱く、婚約が決まるのが二十一歳ということで、世間から見ると、身分の割に遅い年齢だったようだ。


「そんなに緊張しなくてもいいのよ。私、ほとんど学校に行けなくて、同じ年頃の人とあまり話したことがないの。だから、年齢が近いあなたが婚約者になってくれて、とても嬉しいわ」


 親しみを込めて笑いかけながら言ったのだが、康介は困り果てた表情で、小さく呟くように返答した。


「でも、お嬢様……」

「あ、お嬢様と呼ぶのはやめて頂戴。私たち夫婦になるのでしょう? 名前で呼んで欲しいわ」


 そう注文をつけると、彼はますます困惑したようだった。端整な眉を微かにひそめている。


「ね、雛子って呼んでくれないかしら」


 小首を傾げて、お願いする。唯一の自慢の長い黒髪が、動きに合わせて、さらりと流れた。

 随分な時間が経過して、康介は掠れ声を出した。


「……恐れ多くて、お名前では呼べません。申し訳ありません」

「そう?」


 名前呼びが受け入れられなくて、私は残念に思った。いつか呼んでもらいたい。

 でも仕方ないか、と考え直す。自分が書生として働いていた家への婿入り話なんて、突然持ちかけられても戸惑うばかりだろう。二年を経ても呼び方が変わらないとは予想しなかったが──。



 それでも康介は、二年間努力をしていた。父に付いて財閥を継ぐよう勉学を怠らず、空いた時間には私の部屋へ顔を出してくれた。今日手渡された赤いゼラニウムのように、毎回お土産を持参してくれる康介の心遣いが胸に沁みわたる。ベッドからあまり出られない私が外の話をせがむと、彼は瞳に優しい色を浮かべて、ぽつりぽつりと語ってくれた。学校のことや、流行りの活動写真のことや、最近食べたというオムレツライスのことなど、私には楽しく興味を引く内容ばかり。


「お嬢様は何かありましたか?」

「私? そうねえ……。あ、そうだわ」


 ベッドの反対側に置いていた竹久夢二デザインの小物を見せる。手に入れたばかりで、康介に見せようと手近に置いていたのだ。


「これは綺麗ですね。竹久夢二の雑貨がありましたら、お嬢様に贈りましょう」

「本当? 期待しているわね」


 しばし康介と会話を楽しみ、少しばかり日が西に傾いた頃、彼は立ち上がった。


「それでは、お嬢様。お身体ご自愛ください」


 秀麗な面に穏やかな笑みを乗せて、来たときと同じように静かに部屋から出ていく。もう少し話したかったな、と我儘に思いつつ、私は刺繍を再開した。


 ♦ ♦ ♦


 虹川家直系女子は眠るたび予知夢を視る。少し先の未来がわかる予知夢のおかげで、虹川財閥は発展してきた。予知夢の内容を父に伝えると、父はそれをもとに事業を拡大し、日本でも有数の財閥と数え上げられるようになったのだ。


 現在虹川家直系女子は私しかいない。つまり、私はどうしても女の子を生まなければいけないのだ。予知を的中させるには伴侶も限られていて、その中で選ばれたのが康介だったのである。虹川家の最大の秘密なので、結婚するまで予知夢のことは康介には知らせることができない。……虹川家のせいで、康介の将来や結婚相手を決めてしまって、心から悪いと思っている。


 ──康介にはもっと似合いの女性がいるでしょうね。私はひとつ咳をこぼした。


「大丈夫かしら……」


 予知夢で多少未来がわかっても、自分の未来のことはわからないという欠点がある。私はこの病弱な身体で、無事出産できるだろうか。熱を出して寝込むこともしばしば。都度、康介に心配をかけてしまっている。本当に康介に申し訳ない。

 刺繍に没頭していたせいか、眩暈がしてきた。少し横になって休もう。目を閉じると、すぐに私は夢の世界にいざなわれた。


 ──また、この夢。悪夢に私はうなされる。夏の暑さが容易に察することができる埃っぽい道路の上で、康介が死んだように倒れていた。私は心中もがきながら、その映像を見ていることしかできない。

 こんな夢は予知夢ではないはずだ。外れているに違いない──。


 ♦ ♦ ♦


「お引き取りください。雛子お嬢様はお加減が悪いのです」


 階段を下りると、玄関から使用人の声が聞こえた。それに食い下がる男性の声も聞こえてきて、再び階段を上がろうか迷っていると。


「やあ、これは雛子さん。今日は元気みたいだね」


 先に男性に姿を見つけられてしまった。ここで返事をしないのも礼儀に欠ける。いやいやながら、私は頭を下げた。


「ごきげんよう、神楽坂かぐらざか大和やまとさん。お久しぶりですね」

「久しぶりだね、雛子さん。相変わらず雛子さんはお美しい」


 私は美しくはありません。上辺のみのお世辞にうんざりした。

 神楽坂子爵の次男である大和は、何かというと家に訪ねてくる。たまにしか出席しない夜会でも絡まれることが多く、私はそのしつこさに嫌気が差す。彼の目的はわかっている。私と康介の婚約の邪魔をして、自分が婚約者になろうというのだろう。財産目当ての大和の接近は、鬱陶しいことこの上なかった。


 適当にあしらって、早々にご帰宅願おう。大和の値踏みするような、舐めるような視線が気色悪い。康介に見つめられると、そんなことはないのだけれど。


「どうかしましたか」


 康介のことを考えていたら、いきなり本人が玄関口に現れたので驚いた。これから出かける予定だったのか、珍しく洋装である。康介の肌触りのよい布地に包まれた腕に、私の身体は引き寄せられた。彼は鋭い目つきで大和を睨みつける。


「何か特別なご用でもおありですか」

「い、いや、特別な用ってほどじゃないんだ。ただ、雛子さんの具合が気になっただけだよ」

「それでしたら、婚約者の私が保証いたします。自動車はどちらですか? いつもの黒い自動車ですよね。どうぞお帰りくださいませ」


 康介の眼光が恐ろしかったのか、大和はカンカン帽を慌ててかぶり、挨拶もそこそこに帰っていった。康介は私から手を離し、正面から覗き込んだ。


「お嬢様、少し顔色がすぐれないですよ。大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫よ。康介が庇ってくれたから……」


 私が大和を嫌がっているのを敏感に察知して、康介は追い払ってくれたらしい。まったく会いたくない人物に会ってしまった。だけど──。


「ふふ……」

「? どうしました?」


 康介が私のことを婚約者と公言してくれたことが嬉しい。自然と表情が緩むのを止められなかった。


 ♦ ♦ ♦


 刺繍を施したハンケチーフを、私は日の光にかざす。薔薇輝石色の艶やかな康介の髪の毛をイメージした刺繍は、我ながらいい出来である。しばらく眺めて、作業の達成感に満足しながら、私は眠りに落ちていった。


 ──あの、悪夢が私をさいなむ。倒れ伏している康介の髪の艶は悪く、まるで生気のない人形のよう。私は周囲を見渡し、走り去る自動車を視界に捉えた。


 私はがばりと起き上がった。嫌な予感に胸がどきどきする。夏だというのに身体が冷え冷えとして、その寒さを取り除こうと、私は寝巻のまま外に飛び出した。


 予知夢の導くまま、私は炎天下の中、足を速める。通行人の奇異な視線も意に介さず、私は裸足でひたすらに目的地に向かう。あの埃っぽい、自動車が走る大通りにたどり着き、周囲をぐるりと眺めまわした。


 ──いた!


 陽光を弾く薔薇輝石色の髪の持ち主は、背後から猛スピードで迫る黒い自動車に気づいていない。私は無我夢中で康介に駆け寄り、精一杯の力で突き飛ばした。刹那、私の身体は吹っ飛ばされ、宙を舞う。時が止まったような僅かな瞬間、自動車の運転手と目が合った。私を撥ねた人物──深夜の暗闇を思わせるような目をした神楽坂大和だった。


「──お嬢様!!」


 喧騒の中、その声は不思議と辺りに響いた。道に倒れていた私は、真っ青な顔をした康介に抱き起こされる。私は無理矢理、口の端を上げた。


「よかった……康介が無事で」

「しっかりしてください、お嬢様! 全然よくありません! まだ私は……!」


 康介に抱きしめられたまま、その温もりに安堵し、私の意識は沈んでいった。


 ♦ ♦ ♦


 ふと、瞼の裏に、いつかもらったゼラニウムの赤が浮かび上がった。


「起きて……起きてください。私は待っているんですよ、雛子」


 優しい声が私の名を呼ぶ。朦朧としながら、私は耳を澄ました。


「私なんかを庇って……馬鹿ですね、雛子。まだきちんと伝えていませんのに」


 何を伝えていないのだろう。必死に耳を傾けるが、雑音混じりの声は、私の名前しか明瞭に聞こえない。


「雛子……きですよ、……していますよ。だから起きてください。雛子……雛子」


 ぱたり、ぱたりと水滴が私の頬に当たる。冷たくて……温かくて。私の手を握りしめる大きな手も、冷たく、そして温かい。

 唇に何か震えるものが触れた。冷たく、温かく、柔らかい感触は一瞬のみで、また遠ざかる。途端、寂しさのあまり、私は喘いだ。

 私は息を切らし、酸素を求める。助けを乞うた相手は私の手を握りしめたまま、再度唇に触れた。


「……こ……すけ」


 うっすらと開けた目に、涙を流す康介の顔が映る。唇から酸素とともに、何か力のようなものが入ってきた。私は十分に酸素と力をもらってから、康介の背中を軽く叩いた。


「あり……がとう」


 唇を重ねていた彼は、私から顔を離し、涙が乾いた瞳でじっと見つめる。やがて明るくふわりと笑った。


「私にもあったみたいですね、不思議な能力。雛子への治癒の能力」

「……え?」

「聞きましたよ、予知夢のこと」


 予知夢のこと……と聞き流しそうになり、はっと我に返る。門外不出の能力のことを、康介が知っていることが謎だった。彼は艶やかな髪の先をいじって視線を彷徨わせる。


「雛子のお父上から聞きました。緊急事態だからだと。私を助けたのは、恐らく予知夢を視たからだと」

「そう……」


 私は小さく頷いた。予知夢を視ることしかできない病弱な私より、健康で未来ある康介を助けたかったのは事実だ。彼は目を伏せて、言い聞かせるように私に言葉を連ねる。


「その気持ちは嬉しいですけど……もう、無茶はしないでくださいね。雛子を撥ねた犯人の顔は見ました。神楽坂大和ですね? 彼は虹川家を通じて、然るべきところに引き渡されました」

「然るべきところ?」

「はい。然るべきところは然るべきところです」


 不自然なカーブを描く口元が怖くて、私はそれ以上訊けなかった。きっと、神楽坂大和は、二度と私たちの前に現れないのだろう。

 康介は活けたばかりに見える赤いゼラニウムを窓際の花瓶から取り出し、差し出した。晴れ渡った夏空のように澄んだ瞳を私に向けて。


「雛子の目が覚めたら言おうと思っていました。──愛しています」


 反射的にゼラニウムを受け取りながら、私は戸惑いを隠せなかった。


「え、あ、愛して、る……?」

「そうです。ずっと愛していますよ、雛子」


 康介の強い断言口調に、私は呆気にとられる。


「気づかなかったんですか? 私の心は既に貴女のものですよ」

「そう、だったの……?」

「鈍感ですね、雛子は」


 苦笑しながら、彼は冊子も広げて差し出す。そこには赤いゼラニウムの花言葉が載っていた。読んで私は破顔する。


『君ありて幸福』


 ──なんて素晴らしい花言葉だろう。私も自覚した想いを口にした。


「……そうね、私も幸福よ。愛しているわ、康介」


 もう、康介のいない人生など考えられない。康介に生き返らせてもらった。力をもらった。愛をもらった。──名前を、呼んでもらった。

 私も花瓶からゼラニウムを抜き出し、康介に捧げた。彼にぴったりの可憐な花。


「ハンケチーフを贈るつもりだったんだけど……。先にこの花を贈るわ。お誕生日おめでとう」


 今日、七月二十七日に間に合うように作ったハンケチーフよりも、この誕生花が贈りものに相応しい。冊子には七月二十七日の誕生花も載っていた。偶然かもしれないけれど、私は花言葉も贈りたい。


「ずっと一緒に幸福に暮らしましょうね」

「ありがとうございます。愛しあって幸福に暮らしましょう」


 ひとつ大人になった康介の薔薇輝石色の髪が微笑みとともに揺れる。彼が学校を卒業したら婚礼だろう。結婚したら、素敵な予知夢が視られるかしら。

 素敵な予知夢を視たら──忘れないように詩として宝箱に入れよう。私と宝箱を見た人だけの秘密の未来予知。まだこの世にはいない人に幸せのお裾分けができたらいいなと思いを馳せつつ、愛しい康介の綺麗な髪を撫でた。


 ♦ ♦ ♦


宝箱の中の未来予知

~不思議な恋物語~


恋をするのは魔法のように

気づいたら好きになっていた

そんな不思議な恋物語があった


初めは恋ではなかったと思い出す

突き付けられた婚約という事実

仮初の恋愛を押し付けられた


それでも心惹かれるものがあった

私には不釣り合いと分かっていても

彼は事実を果たそうと努力してくれる


それが頼もしく見えてきて私の心は

メトロノームのように揺れ動いている

針のテンポはだんだんと速くなっていく


それほどに私の中の恋心は揺れ動いて

どんどんと彼に惹かれていってしまう

彼と私は不釣り合いなのだと分かっても


付き合っていく内いくつか言葉を交わす

私の中でカチリと何かが変わる音がした

それが恋から愛へと変わる瞬間なのだと


不思議な魔法に掛かったように惹かれあう

そうして二人は結ばれ幸せになっていった

これは最初に掛けられた魔法のおかげかな


不思議な恋物語はこれからも永遠に続いていく


こんにちは、チャーコと申します。大正浪漫に憧れて、一生懸命調べながら書いてみました(少し時代考証が甘いところがあります。ご容赦いただけますと幸いです)

この短編は『予知姫と年下婚約者』のスピンオフです。現代より時代を遡ってみました。最後に藤井まや様から本編へつながる詩をいただきましたので、許可を得まして掲載しました。この短編にも本編にも通じるところがある詩を頂戴しまして、改めて藤井まや様へお礼申し上げます。また、タイトルバナーを及川りのせ様に作っていただきました。素敵なバナーをありがとうございます。


なんちゃって大正浪漫にお付き合いいただき、ありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「予知姫と年下婚約者」より二世代前?のお話でしょうか。 本編がまだあまり読めていなくて申し訳ないのですが、これ単体で充分に面白かったです! 大笑浪漫……いいですね♪ すごく雰囲気が表れてい…
[一言] 日本初のガソリンスタンドは大正8年ですので蒸気かガソリン車かの区別の描写を行った方がいいと思います。
[一言] 大正浪漫、良いですねー 昔読んだ本で、「作家は時代物を書けるようになって一人前」みたいなことが書かれていて、ああ、僕は一生一人前にはなれないな、た落胆したことがありました。 予知夢で婚約者を…
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