日本刀と勇者 第三話 勇者、修行をする。
読者の皆様、2017年にあけましておめでとうございます。
旧年の投稿から些か時間が空きましたが、新年最初の投稿となります。
自分の拙い文章力の所為で、本作はまだまだ長々としたものになりますが、それでも根気よくお付き合いいただければ幸いでございます。
それでは、読者様の今年の一年が幸いでありますように。
清盛は、夜の王都を走り込んでいた。
首にはタオルを巻きつけ、元の世界から持ってきた高校のジャージを着込んで、ジョギングに精を出していると、中高時代の部活の走り込みを思い出してしまう。
しかし、やっている事は同じでも、状況は大きく違う。
先ずは、スピードだ。
現在清盛は、およそ時速に直して、七十キロから、八十キロほどのスピードを出して夜の王都を疾走している。
人間の瞬間最高時速は、短距離の世界的トップ選手にして、およそ三十キロから、四十キロだと言われ、マラソンなどの持久走になると、大体二十キロほどだという話を聞いたことがある。
だが今の清盛のスピードは、軽くその二倍は出ている。
何をどう頑張ったところで、一般人が出しうるスピードでは無い。
そして何より、地球に居た時には考えられないことに、足には、両脚合わせて二十キロ相当になる重りを張り付けており、本来ならば、走る以前に歩くだけでも相当な負担が体にかかるはずであるが、清盛はそんな事が想像できない程に軽やかに王都の街中を走り回っている。
(…………やはりか)
そんな自分の体の変化に、清盛は隠そうにも隠し切れない笑みを口元に浮かべながら、路地裏で月に向かって、助走も無しに軽く跳び上がる。
すると、清盛は悠に十メートルはあるであろう周囲の建物を容易に飛び越えて屋上に乗り上がり、清盛は満月の下に建ち並ぶ王都の街並みを見下ろした。
(やはり、儂の予想は間違いなかった。魔力路とは、経絡。魔力とは、気。こう考えれば、魔法を使いこなすことができるようじゃ。この分ならば、儂は近いうちにもこの世界の魔法を制覇するかもしれんのう)
清盛は、自分の予想が当たっていたことに有頂天になるあまり、ついつい、そんな調子に乗ったことを考えながら、脚を踏み出し、そのまま足元を滑らせてすっころんで建物を転がり落ちた。
「ははは。調子に乗りすぎたわ。流石に、天も神仏も阿呆には手厳しいのう」
清盛は上手く受け身を取って、路地裏のゴミ捨て場の中に突っ込んだ自分に苦笑しながら立ち上がると、地面に叩き付けられて痛む全身を引き摺りながら、王都の繁華街へと顔を出していく。
清盛の予想。それは、先述したように、魔力路とは、経絡ではないか、という者である。
経絡。それは、日本伝統の医学体形である『漢方』その根本思想の一つである。
実はあまり知られていないことだが、『漢方』というのは、中華大陸から渡来してきた『中医学』と呼ばれる医学から派生し、独自に進歩を遂げてきた学問であり、今では、大病院などでも主要な治療として研究されている自然科学である。
今では、医学としての『漢方』のその完成度の高さから、逆に中国の方から『漢方』を学びにやって来る者もいるという。
さて、その『漢方』の思想の一つに、『血・水・気』というものがある。
人間の体の中には、これらの三つの構成要素が循環を続けており、『血』とは文字通りに血液の事を差し、『水』とは血液以外の水分の事を差す。
そして最後に『気』とは、体中に流れるエネルギーの事を差す。
そしてこの『気』は、経絡と呼ばれる体中に張り巡らされた道を通って流れるとされ、そのうちの『気』と『血』とが行き交う重要地点を経穴、もしくはツボと呼ぶ。
先日、魔力路というものの存在を知った清盛の頭の中をよぎったのは、この漢方の基本思想だった。
そこで清盛は魔力と魔術の関係を独自に漢方の思想を元に構築し直し、『魔力』を『気』、『魔力路』を『経絡』と置き換えることで、建物を飛び越えることができる程の脚力に加え、音速にほど近い速度を出すことのできる速力、ハーフマラソン分の距離を走り抜けても全く疲労しないほどの持久力、片手だけで百キロの重りを持ち上げることができる程の腕力、と言った身体強化の魔術を発動することには成功した。
成功はしたのだが…………。
(…………じゃが、この理論にもまだ穴がありそうじゃのう)
清盛は、大分痛みの引いて来た腕をさすりながら、そう思考を巡らしていく。
漢方の理論の応用だけで魔法を発動すると、どういう訳だか身体強化以外の魔法が使えないようで、火を操る、氷を出すと言った、所謂、属性魔法と呼ばれる種類の魔法は使えそうな気配が無く、今の所清盛の魔法では、体力バカか、筋力バカになることしかできない。
今までの状況とは違い、いざという時に使える強力な手札を手に入れたのは、大きな前進だ。とは言え、それでも、使えるのは凄い怪力であることだけである。
別に悪いわけではないが、それでもいざという時のことを考えれば、あと一つか二つは、切り札が欲しいところである。
もしかすると、属性魔法を操るのに必要な能力は、この世界に生まれた者にしか存在しない。という、可能性もあるが、その場合はもうきっぱりと諦めるしかない。
と、そこまで考えた清盛は、仮説と皮算用で成り立つ計算を頭を振って追い出すと、目的地の前に立ち、自分がこれからしようとしていることに向き直った。
(イカンイカン。取らぬ狸の何とやらは、一文無しの始まりよ。今さっきも、屋上から転げ落ちたばっかりじゃろうに。今の所は、儂でも魔法が使えるようになったことを喜ぶだけでええ。それよりも先ずは、あの王様の視界の内から逃げることだけを考えるべきじゃ。魔法の種類を増やすのは、それからでも遅くはない。とにかく今は、)
そこまで考えて目的地にたどり着いた清盛は、少しばかり楽しそうに口角を上げて、その場所を見上げた。
(修行と言ったところじゃのう)
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「おうおう。今日もにぎやかじゃのう。ええこっちゃええこっちゃ」
目的地の酒場にやってきた清盛は、そう言って酒場に溜まる無法者や荒くれ者どもを相手にして、呑気な事を言うと、適当な席に座って強い酒を頼むと同時に周囲を見渡しては、めぼしい者を探していく。
店の中では、無法者や荒くれ者が、ところ構わず騒ぎ続け、ケンカ騒ぎや乱痴気騒ぎを起こしては、所々で怪我人を作り、そんな騒ぎを眺めて、賭けをする男達が溢れていた。
騒々しい店内にある一席に適当に目をつけて座ると、何処からともなくやって来た無愛想な顔をした給仕の中年女性が机の上に叩き付ける様に安い酒の入った、樽に似た形をした木製のジョッキを置いた。
清盛は、まるで西部劇の様な酒場の様子に苦笑をしつつ店内の連中を眺めると、ジョッキを口元へとやり、中の酒を呑むフリをして、口に持って行ったタオルに酒を含ませて、ジョッキを空にする。
清盛の目的は、腕っぷしが強くて血の気が多く、短気で喧嘩っ早くてすぐに調子に乗るタイプの男を見つけることだ。
この店に集まるのは、良くも悪くも大抵がそう言うタイプのバカなのだが、清盛が望むレベルになるほどの腕っぷしを持つ者、となると、中々お眼にかかれない。
そういう時は、店を変えるか、兎に角片っ端から喧嘩を売っていくのに限るのだが、出来ればそう言う荒っぽすぎる手段はとりたくない。
と、清盛がそう考えていると、店の奥からひときわ大きな歓声が聞こえ、あちこちの喧騒の入り混じる店の中に一際大きな喝采が巻き起こった。
清盛がその方向に視線をやると、そこでは、一人の剃っているのか脱けているのか、綺麗なスキンヘッドをした髭面の、いかにも無法者。と言った風の顔と恰好をしており、下手をすればどこかの山賊かと勘違いしてしまいそうになるほどだ。
(凄まじく鍛え上げられている体付きをしているが、体運びや足さばきが完全なド素人じゃ。これは、別に武道や武術を嗜んでおるわけじゃないのう。じゃが、筋肉の着き方は良い。鈍重そうな見た目とは裏腹に、反射速度が高く、瞬発力がある。……これは、ボディービルダーの様な魅せる為の筋肉ではなく、実戦で必要な筋肉を鍛えておる結果じゃな。冒険者ランクは、青銅のようじゃが、実力的には、中の上。と言ったところかの)
清盛は、騒ぎの中心に居る人物を眺めながら、冷静にそう観察する。
清盛が夜の街で遊び始めてから初めて知ったことであるが、このファンタジー世界では、テンプレートにも、冒険者という職業がしっかりと存在していた。
冒険者の仕事は大きく分けて五つになる。
魔物の討伐、ないし、素材の採取。
商隊および行商などの護衛。
未開拓地域、または古代遺跡の調査。
戦争などの非常時の戦闘要員。
その他、雑用。
特に、行商の護衛と魔物の討伐は冒険者に依頼されるものの中では、六割から七割に及ぶほどの膨大な数に及び、冒険者の花形と言っていい仕事である。
ちなみに、魔物の討伐と素材の採取が同列として扱われているのは、魔物の死体には何がしかの製品の材料になる物が多く、それ等の採取が討伐依頼の主な物だったりするからだ。
冒険者のランクは大きく十段階に分類されており、そのランクは、神聖白金、神聖金、神聖銀、聖水晶、白金、黄金、白銀、赤銅、青銅、鋼鉄と、夫々のランクを鉱石の名前で表される。
冒険者になった者は、ランクの名前と同じ名前の鉱石で出来たドッグタッグに似たネックレス式のネームプレートを渡され、依頼の達成率や戦闘力などの各種能力を加味されて、徐々にランクを上げていくのである。
そして、冒険者としてランクが上位の者は社会的な地位も高く、依頼の報酬も高い。また、冒険者になるには、資格や制限などはなく、その国にある冒険者ギルドに登録して、冒険者の照明となるプレートを所有するだけでいいので、なるだけなら簡単ではある。
腕っぷし一本だけで国一番の英雄になることも可能な職業であることから、当然の如くに人気も高く、多くの若者が立身出世と一攫千金を狙ってこの冒険者になるが、是もまた当然の如く、上位の冒険者になるのは、本当に一握りの限られた者だけである。
こうした夢の多い職業ではあるが、清盛としては、情報源が酒場のおかみさんであったこともあり、端的に仕事を選ばない何でも屋としてだけ記憶している。
さて、こういった諸々の事情はさておいて、今、清盛の視線の先に居る男の首からは、ブロンズ製のプレートが下げられており、下から二番目のランクにある順位であることを示していた。
(ふうむ……。おかしいのう、儂の見立てでは、あの男はそこそこに実力のある男じゃと思うっとったんじゃが、……まあ、どうでもええ。今日の獲物はあいつじゃな)
清盛は唇だけジョッキにつけながら、薄い笑みをその口元に張り付けると、獲物と定めたその禿げ頭の冒険者に向かって、手にした木製のジョッキを勢いよく投げつけた。
すると、清盛の投げたジョッキは狙いたがわず禿げ頭に直撃し、天井に向かって軽く跳ねてから、拍手喝采で沸く店内の中で軽やかな音を立てて床に落ちた。
このコントールなら儂もカープに入れるのう。と、意味のない自画自賛を小さく呟きつつ、清盛はわざとらしいほどに荒々しく席を立ちながら、今まさにジョッキを投げつけた大男に向かって近づいて行く。
「何じゃいワリャアァァ!調子乗ってんじゃねえぞ!このハゲがァ!ぶっ倒してヤルわあッ!!」
清盛は、威勢よく酔ったふりをしつつ、酒を染み込ませたタオルを使って酒臭い臭いをさせて大声を上げると、禿げた大男のの前に立塞がり、盛大に粋がった態度を取って相手の神経を逆なでる。
「上等だオラあ!このガキが!テメエこそ調子乗ってんじゃねえ!この喧嘩勝手やラア!」
すると、相手も大分酔っているのだろう。清盛より頭一つ分ほど背の高い、体格のいいその大男は、清盛の酔った演技にあっさりと引っかかって、何の躊躇も遠慮も無く、清盛の頬桁に勢いよく拳を叩き込み、それを受けて、清盛もまた大男の頬桁に向かって渾身の拳を叩き込む。
そうして、二人の喧嘩の熱に当てられて、店内に再び酒の勢いと熱狂が舞い戻り、突然始まった喧嘩をネタに博奕が再び始まり出した。
これが清盛の訓練である。
あの王様の監視下で、正直に体を鍛えることのできない清盛にとっては、こういう酒場で直接に殴り合いをすることで、格闘の実戦訓練を積んでいるのだ。
時には何も考えず。時には空手やボクシングなどの技法を交えつつ、兎に角本気で殴り合う。
こういう繁華街の裏側や、貧民街の近くに居を構える酒場には、冒険者を初めとして、王城に使える末端の兵士や、素行の悪い不良騎士、兎に角柄だけが悪いチンピラなど、有象無象が犇き合っており、喧嘩相手には事欠かない。
お蔭で、たかだか一か月間しかしていないこの修行で、本物の実力者や見掛け倒しなだけのバカの区別がつくようになってしまった始末だ。
清盛の個人的な主観で言えば、あくまでただの殴り合いの喧嘩で培っただけの技術や体力など、本気の殺し合いで使い物になるのかは疑わしい。
オレは村で一番喧嘩が強いんだ。と言った男が真っ先に死ぬのは、こういうファンタジーものではテンプレ通り越して、マンネリである。
玉石混交どころか、ほぼ砂利だけを詰め込んだようなこんな場末の店で名を上げたからと言って、それで何が役に立つ。というものではないだろう。
だが、それでもやらぬよりは、やった方がいい。
実際、この修行を始めて一か月そこそこかしか経っていないのにも関わらず、わりかし殴り合いの基本的な動きはこなせるようになって来ているのだから、成果が出ていないわけではないのだから。
それにこの修行には、体を鍛える事とは別の目的があるのだ。それも含めて考えるのなら、これが一番、清盛の現状に合った修行なのだ。
清盛は、大男の拳を躱しながら、心中で真っ当な鍛錬もせずに、修行と称して場末の喧嘩に打ち込む我が身を情けなく思いながらも、そんな思いを振り切るように、がら空きとなった大男のボディーに向けてフックを叩き込んだ。
(ふむ。やはり、中々やる)
脇腹に強烈な打ち込みを掛けた後、清盛は意識を本格的に眼の前の大男に向けながらそう思った。
清盛は大男よりも低い身長を生かして懐に潜り込み、手数を叩き込むという、ボクシングで言う所のインファイトに近い戦い方をしている。
こういう戦術をとると、大抵の場合は一発相手に叩き込むごと相手に殴り返されるものだが、今の所、清盛は一発として対戦相手からは殴られていなかった。
理由は単純で、相手は酔っている所為なのか、必ず大ぶりの一撃しか放って来ない為、避けるのが簡単であり、カウンターを容易に叩き込みやすかったからだ。
だが、相手の方も然るもので、見た目通りのタフさと頑丈さで、清盛が何発となく急所を抉る良いパンチを直撃しても、何度も何度も立ち上がり、清盛に殴りかかって来る。
それに勝負勘もいいのだろう。
懐に潜り込み殴り掛かる清盛に対して、徐々にではあるが防御を取って迎え撃つ戦法を取るようになり、清盛のパンチの威力を少しでも抑え、喰らわないようにしているのだ。
動きを見る限りでは完全なるド素人。
顔と体格の割には人とやり合った事が無いのではないだろうか。
(この世界では、武道・武術や、格闘技の類が発展していないのか、或いはこの男がそう言った技術を学んでいないのか……。どちらにせよ、勿体ないのう。才能に関していえば、群を抜いておろうに)
清盛はそうは思いながらも、相手に対して何かを言う事はせず、隙を作って急所を攻める。という事を続けるだけである。
そうこうしている内に、遂に清盛の対戦相手である禿げた大男は酒場の床に膝をつき、そのまま仰向けに倒れて、大男の仲間と見える数人の男女に囲まれて介抱され始めた。
その瞬間、店内には熱狂の渦が巻き起こった。
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清盛が喧嘩に勝った店内には、今までの喧騒でもまだ足りないほどの熱狂が溢れかえった。
どうやら、清盛と大男の賭けは、清盛二、大男八の割合で掛けの比率が偏っていたようで、清盛が勝ったことが原因で、大勝ちした野郎どもが、酒瓶を片手に嬉しそうに笑い声をあげる姿は、毎度毎度のことながら、苦笑を誘ってしまう。
清盛はそんな店内の様子を一辺ぐるりと見回すと、適当なテーブルの上にある水の入ったジョッキを取り上げて、未だに意識の戻らない男の顔に向かって、ジョッキの中の水の半分ほどをかけた。
清盛のあまりに無礼な仕打ちに、流石に大男の仲間達が怒りを見せたが、それも一瞬のことで、清盛のかけた水が気付けとなったのか、今まで力無く床に寝転がっていた大男が、唸り声を上げて目を覚ました。
それを見た清盛は、軽い笑い声をあげると、ジョッキの中に残っていた水を差し出しながら、未だに信じられない。と言った顔をする大男に話しかけだした。
「どうも。大丈夫ですかいのう?あんまり大けがをした様子には見えんのですが、一応は確認はせんとイカンなあ、と思いましてのう。床で寝転んどっても寒いだけでしょう。立てますかいのう?」
「人をあんだけタコ殴りしといて、随分な言い草だな。そりゃあ。ったく、乱暴な起こし方しやがって。遠慮っつーモンを知らねえのか?」
酔っていちゃもんをつけて来たとは思えない程、爽やかな笑みを浮かべながら右手を差し出して来る清盛に、大男は文句をつけながらもその手を取ると、一瞬だけ足元をふらつかせながらもしっかりとした足取りで立ち、片手を挙げて仲間達に心配をかけたことを詫びた。
「はっはっは。すんませんのう。何しろ、ワシャァつい最近、ここら辺に来たばかりでのう。あんま、ここら辺のルールっつーモンを理解しとりゃあせんのじゃあ。ああ、言い忘れておったのう。儂の名前は、織田・清盛ッチューもんじゃ。最近、城勤めの身の上になったもんじゃけえ、城じゃの、軍じゃの言うところに世話になることが有ったら、儂の名前を出しちゃれよ。まあ、何もできんが、お茶くらいは出してくれえけえの」
「おお、最近話題の酒場荒らしってのは、お前の事かよ!オレの名前は、ガストンってんだ。冒険者をやっている。ンで、後ろに居るこいつ等は、『黄金の雨』っつー、オレが作ったパーティーのメンバーだ」
そう言ってガストンが無造作に顎で示したのは、ガストンを介抱するするべく集まっていた三人の男女である。
男一人、女二人の集まりで、女の方は、赤い髪と少しソバカスのかかった顔が特徴的な少し背の低い猫目の女性と、プラチナブロンドの髪を肩口で切り揃えた垂れ目がちの碧い瞳が印象的な女性のコンビだ。
一方で男の方は、涼し気な切れ長の瞳が特徴的な、茶髪を背中まで伸ばした男で、整った顔立ちと細く引き締まった長身をした美男子だった。
「酒場荒らしって、変な通り名が点いたもんじゃのう。ちゅーか、ガストンって。ごつい顔の上に、名前までごついのう。ちょっとはなんとかならんもんかいのう?」
「うるせー、ほっとけ。気にしてんだからよ。この顔の所為で、姪っ子甥っ子にゃ、ビビられてばっかなんだからよ」
ガストンの仲間の紹介を聞き、ひとしきりガストンとの会話を交わした清盛は、どうやら後ろのパーティーメンバーも多少は警戒心を薄れさせた様子を視界の端で見て取って、近くの空いた席に腰を下ろした。
「まあ、ええわ。ちょいと酒飲みに混ぜてもらってもええですかのう。なんせ、一緒に呑みに付き合う様な奴がおらんでのう。お詫び代わりに、儂が今日の分は全額奢るけえ」
「ハハ!そりゃ、景気の良いことだな。おら、野郎ども今夜はただ酒が飲めるゾ!ジャンジャン飲むぞ!」
清盛の言葉に遠慮なくのっかかって、ガストンはパーティーメンバーと一緒に清盛の勧めた席に座ると、大声を上げて安酒をどんどんと注文していく。
その気安さは、先刻に合うなりイキナリ殴り合いの喧嘩をした者同士とはとても思えなかった。
だが、これが夜の店の日常の風景である。
大体、清盛が喧嘩をふっかけた相手というのは、喧嘩が終ると、こうして一緒に酒を呑み、何気に重要な情報を教えてくれるようになるのだ。
実際、清盛が冒険者のランクや内部事情を知るようになったのも、こうした喧嘩終りの冒険者に酒をおごりながら、愚痴を聞いての事からだった。
それだけにとどまらず、実際の魔族との戦争の状況や、国内の本当の政治情勢など、多くの情報や生の声を知ることができたのは、その殆どが喧嘩終りの酒からだった。
こういう店での修行という名の殴り合いで手に入れた最も大きい実益が、これ等の情報であることは言ううまでもない。
正直、清盛としては、夜更けにふらりとやって来ては、酔っ払いから順に喧嘩を吹っかける人間に対して、こんな対応を取って来る人間がいるなど、思いもよらぬことであり、結果的には、行儀の悪い連中であったとしても、気兼ねなく付き合いのできる人間ができる。という、ある意味で、この世界に無理矢理連れてこられた人間としては、最も救われる状態となったのである。
無論、これらの人間の中にバスティアン王から派遣された監視員がいないとも限らないし、こういう行儀の悪い酒場に集まる人間である以上、本当の意味で性根の腐った人間だってゼロではないのだが、完全に味方の消え失せた王城よりかは、遥かに居心地が良い場所であるのは確かだ。
さて、それはともかく。
清盛は、今夜の酒盛り相手のガストンに酒を勧めながら、喧嘩中に気になっていたことを早速切り出した。
「それはそうと、気になっておったんじゃが、アンタ何で青銅プレート何て、下げておるんじゃ?喧嘩した限りじゃあ、白銀か、黄金クラスの実力じゃと思ったんじゃが、ギルドの昇格試験にでも落ちたんか?」
「あー、それは」
清盛の質問に対して、ガストンは言い辛そうに顔を歪めると、他のパーティーメンバーも、苦虫を噛み潰した様な顔になってガストンの様子を窺った。
「何じゃ?なんぞ、誰かを思い出させてしまったか?あんま、聞いてはイカン話だったんかいのう?」
ガストンたちの放つ微妙な空気に、流石に踏み込み過ぎた話をしたかと、清盛は申し訳なさそうこの話を切り上げようとすると、ガストンは軽く苦笑してそれを手で制した。
「いやあ、そう言うんじゃねえよ。ただ単純に、カネの問題でな」
「カネ?」
「ああ、冒険者ってのは、以来を受ける時にギルドへまず依頼の仲介料を払うんだけど、この仲介料ってのが、冒険者ランクが上がるごとに、値段が上がってくんだ」
「おお、そりゃ知っておる。確か、仲介料がかかるのは青銅クラスからで、銀貨一枚からじゃったな」
仲介料とは、一種の保証金である。
基本的に冒険者ギルドは、私営組織であり、活動資金は自分達で稼ぎださなければならない。
だが、冒険者ギルド自体は、討伐した魔物を加工する訳でも無ければ、それ自体を売って生計を立てている訳でも無い。無論ゼロではないが、それは特殊な場合に限るのだ。
冒険者ギルドの主な収入源は、仲介料と紹介料である。
仲介料とは、冒険者から徴収する金。
紹介料とは、依頼者から徴収する金だ。
この二つの金について詳しく説明すると、冒険者ギルドは、冒険者に依頼を紹介する際に、紹介料として本来の依頼料に何割かの報酬を上乗せしており、この上乗せ分が冒険者ギルドの報酬となる。
だが、この紹介料は、『冒険者の報酬』に付随する金である為、冒険者が依頼に失敗した際には冒険者ギルドはこの紹介料を受け取ることができず、冒険者ギルドは丸損することになる。
そこで冒険者ギルドは、依頼を冒険者に発注する際に冒険者の側に、仲介料という名目で紹介料と同等の金額を冒険者に払ってもらうのだ。
この仲介料は、冒険者が依頼に成功した際には、冒険者への報酬とともに返却されるが、失敗した場合にはギルドに没収されてしまい、それがそのままギルドの収入となる。
こういう仕組みを作る事で、冒険者ギルドは冒険者が依頼が成功しようが失敗しようが報酬を手に入れる形となっており、私営でありながらも国政に影響を与える程大きな組織に成長したのだ。
依頼人と冒険者の双方から金をせしめるなど、何とも阿漕な仕事をしているように見えるが、冒険者ギルドの仕事とは本来、冒険者と依頼者とを繋ぐまでなのだ。
冒険者の依頼が成功するか失敗するかまで付き合うのは、最早ただのギャンブルであり、そこまでして世話を焼くのは善人ではなく、ギャンブラーである。
そして冒険者ギルドで働く人員の殆どはギャンブラーではないのだから、確実に生活ができるだけの賃金を手に入れる仕組みを構築しなければならないのである。
とは言え、そこは冒険者と持ちつもたれるつの冒険者ギルド。
仲介料を取るのは、全部で十段階ある階級の内の下から二番目、青銅クラスからであり、その料金も紹介料ほどは高くなっておらず、仲介料と紹介料は冒険者の階級が上がるごとに高くなる仕組みとなっている。
そう言う旨の事を清盛は復習もかねてガストンに説明すると、清盛の説明にガストンは鷹揚に頷いた。
「そこまで知ってりゃ、後は話が早え。最近、この仲介料の料金が上がって来てな、それだけなら何とかなったんだが、加えて、最近、オレらの間で出費が重なる事態が起こってよ。あんま、高ランクの依頼を受けられねぇ状態になっちまったんだ」
「何じゃそりゃ。博奕でもやってスッたんか」
「バカ言え!そんな下らねえことを誰がするか!いや、博奕と言えば博奕か……」
どうやら出費の内容にはあまりよろしい思い出が無いようで、一瞬怒りを見せたガストンも、『黄金の雨』のパーティーメンバーも沈んだ空気を醸し出し、ガストンはそれを振り払うように明るい声を出して、清盛に言う。
「まあ、兎に角アレダ。色々あってな、そんで、仕方ねえからオレ等のランクを落せるとこまで落としてもらって、仲介料を最低にまで下げてもらってるんだ。顔なじみの依頼は、無理を言って些細な依頼でも指名依頼に変更してもらってるし、今は少しずつだが、貯えを作っている最中だ」
ガストンの話を聞いた清盛は、顎を撫でながらも成程。と、頷いた。
冒険者のランクが落ちる事自体は、実は結構頻繁に起こる。
例えば、大けがが元で以前とは同じ動きができなくなった者や、階級は上がったものの素行が悪くてギルドに苦情が来た者、上がったは良いが、実はまだまだ実力が足らず依頼の成功率が上がらなかった者など、その内実は様々ではあるが、一定のランクを維持し続ける者というのは、実は思っているよりも少なかったりする。
だが、その中でも最も多く、それ故に嘲笑される事が多いのが、カネの問題である。
冒険者というのは、一発逆転、一攫千金が可能なほどの超実力主義の仕事だが、それ故に実力さえあれば、金に困るという事は、まずない。
にも関わらずに、金が無くて降格した。等とは、自分は実力も無いのに冒険者をやっている。という事を公言しているようなものであり、実力のある冒険者としては、あんまり外聞のヨロシクない話ではある。
ガストンも、本当はそんなことを言いたくないのだろう。根も葉もない悪評を酒の力で無理矢理に笑い飛ばそうとしているようで、ジョッキの中の酒を一気に呷ると、やや無理に笑いながら早口でまくし立てのだ。
或いは、ガストンとしてはそのまま笑い飛ばしてもらいたかったのかもしれないが、清盛は少しばかり落ちぶれた様子を見せるガストンたちの様子に、口にすることのできない哀愁を感じてしまい、静かに溜息を吐くことしかできなかった。
「ほうか……。いつの世も、何処の世も、金が仇の世の中じゃからのう。仕方の無いことじゃのう」
清盛のその科白を聞いたガストンは、笑われることを覚悟していたのだろう。
思わぬ科白にどこか毒気を抜かれた様な顔で清盛を見やると、右の目尻から一筋分の涙を流して慌ててそれを拭っていた。
勝気な美女が見せればそれは色っぽい姿なのかもしれないが、筋骨たくましい禿げた大男がそんな泣き顔を見せたところで、特異な性癖を持たない清盛からしてみれば、反応に困るところである。
「はっはっは。おっさんの泣き崩れる姿を見ても、儂から出るのは、酒代かフケ位よ。期待されても、ロクなモンは出んぞお」
「うるせーな。言われなくても分ってらあ。つーかテメエみたいなあ若造に言われるまでもねえよ。……ただ、あれだな。少し、気ィ楽になったのは確かだわ」
「ほう?そうかい?」
どことなく肩の荷が下りた様な表情をするガストンに、清盛は間の抜けた顔で返答すると、ガストンはしみじみとして深く頷いた。
「ああ。こんなことを言うと愚痴をこぼしてみてえだが、オレ達だって別に好き好んでこんな落ちぶれた真似をしてるわけじゃねえんだ。ただ、色んな事情が重なっちまって、どうしてもこんな身になっちまった。けれども、事情も知らねえ連中は、否、事情も知らねえ連中程、今の俺らを見て、ある事ない事言いふらして、面白おかしく言い立てる。オレ等の言い分は聞いちゃくれねえ。まあ、世の中そんなもんだと知っちゃあいるが、だからと言って、面白いわけねえよ」
ガストンは、ため込んだ鬱憤を吐き出すように泥の様な言葉を吐き出すと、ジョッキの中の酒を飲み干して、やや無造作にテーブルの上にジョッキを叩きつけた。
「ほうか。そりゃ良かったのう、落ちぶれて」
すると清盛は、そんな少しやけ酒の入ったガストンを見ながら、からりと笑いながらそう言った。
無遠慮に放たれた暴言にも似たその科白に、ガストンは思わず声を荒げて席を立ち上がり、何喰わぬ顔でジョッキを呷る清盛を睨みつけた。
「…………なんだと?どういう意味だそりゃ?」
ドスの利いた声で睨みつけて来るガストンに対して、だが清盛はジョッキを手にしながら涼し気な笑顔を浮かべると、ガストンの後ろに居るパーティーメンバーを指差して見せた。
「おどれは今、他人が自分が苦しい時に誰も助けてくれんと言うとるが。逆に言えば、今おどれは、本当に苦しい時に助けてくれる本物の仲間を手に入れとるわけじゃろ?今、おどれを助けとる人たちは、銀貨一枚二枚位の助けにしかならんじゃろうが、それでもそう言う人と出会えることは、金貨千枚二千枚を積んでも難しい。言い換えるなら、おどれは落ちぶれたことで、金貨千枚二千枚にも変えられない仲間を手に入れたっちゅうっこっちゃ」
ニコニコと笑いながらパーティーメンバーを指差しながらそんなことを言う清盛に、ガストンははっとしたような顔付きで清盛の指差すパーティーメンバーを振り返り、そのまま、何かの力が抜けて崩れる様に席に着いた。
「そうか、そうだな。それは、その通りだ。ふふふふははははは。あーあ、お前、面白い事を言う奴だな。こんなすっきりした夜は、久しぶりだ。……良いだろう。気に入ったよ」
ガストンは、ひとしきり野太い笑い声をあげると、これまでとは違ったニヤリとした笑顔を浮かべて、清盛にジョッキを向けた。
「もしもなんか冒険者が入用になったら言ってくれ。オレで良ければ力になる。何なら、タダでだって依頼を引き受けてやるよ!」
「ほうか。そりゃあ、頼もしいのう!それじゃあ、その時にはヨロシク頼むわ!」
今までに無く力強い笑みでそう言ってのけるガストンのジョッキをジョッキで弾きながら、清盛は明るくそう言うとガストンとともに大笑いしながら酒盛りに明け暮れ始めた。
(…………仲間、か)
バカ騒ぎに身を任せながらガストンのパーティーメンバーに一瞬だけ目をやった清盛は、心中で溜息を吐く。
ガストンの様に、清盛の言葉に気を良くして、何かあれば協力する。という、内容の事を言う人間は何人も居たし、その言葉を疑うつもりは無い。だが、丸呑みするつもりも、無論ない。
だが、いや、だからこそ最近身につまされる様に思うことがある。
(そろそろ、本格的に儂の力になってくれる仲間が欲しいんもんじゃのう)
仲間と言えるほど心を開くことのできる存在でなくていい。
契約書を通したビジネスライクの協力者でもいい。
ただ、清盛の当座の目的である、王城からの脱出や、その先の事を考えるなら、いざという時や強硬策を取れるときに着き合せることのできる存在。というものが、絶対的に必要になる。
それに、
何より、単純な事として、
(飯にしろ、酒にしろ、一人で飲み食いしても詰まらんからなあ)
清盛は、店内の騒々しい喧騒を快く思いながら、テーブルの上に置かれた貧相なつまみの小魚を口にした。