日本刀と勇者 第二話 勇者、姫様と出会う。
清盛が娼館通いを始めて早、一か月と一週間が経過した。
「ふん。女遊びにうつつを抜かした後に朝帰り、いや昼帰りか。随分と良いご身分だことで」
「勇気を振り絞って戦場に行くから勇者では無いのか。夜の戦場でしか戦えぬとはとんだ勇者だな」
娼館から王城へと戻った清盛は、後ろの方で舌打ち混じりに叩かれた門番たちの陰口に、聞こえぬふりをして自分に当てられた部屋に向かって行った。
そんな清盛の悠々とした態度がますます癇に障ったのだろう。
「全く、一体いつになったらここから出ていくのだ」
清盛が門をくぐる間際に、忌々し気な舌打ちをしながら。わざわざ清盛に聞こえるギリギリの音声で厭味を言って、清盛が門をくぐるのを見届けたのである。
(本当にな。一体、何時になったらここから出れるのやら)
小声で囁かれたその陰口に、多少は傷つきながらも清盛は心中で同意した。
清盛としては、首の周りに絡まっているこの首輪さえどうにかなってくれるのであれば、戦争でも下水道でも諸手を挙げて出ていくところである。
そもそも、事情はともかく、タダ飯を喰らわせてもらっているのは事実なのだから、その程度の恩ならば幾らでも返すつもりはあるのである。
ただしそれ等の行動の前提として、道具として使い潰されなければ。という条件が付くのであるが。
ちなみに清盛の行状に対して不満を抱いているのは、実は貴族階級よりも一般庶民の方が多かったりする。
考えてみれば当たり前のことで、清盛の女遊びの金は全て、庶民の払った税金から出ているのである。
王国の暗い現状を打ち破るための一縷の希望という触れ込みで、やっていることが娼館に入り浸って女を買うだけというのは、正気を疑う行動で有ろう。
一方で、貴族階級の方はというと、女を無節操に買い漁ることに対して、上流階級の思想ではないと、見下す者が半分、野蛮人らしくて頼もしい、と、頭にくるような褒め方をするのが半分、と言ったところである。
ちなみに、国王の反応は少し複雑で、前者の反応が六割、後者の反応が四割といった感じで、女遊びもほどほどにしないと、身を亡ぼすぞ。と言った内容の、まともな説教を垂れて来た。
是は、女遊びにうつつを抜かすようなボンクラであれば行動を御しやすい、というのが半分と、その反面、ボンクラすぎて魔族との戦争で戦果を挙げられないのは困る。と言ったジレンマが出した発言で有ろうと、清盛は見ている。
清盛にあほな行動をとらせている張本人の口から、清盛が一番まともだと思える言葉が出るのだから、中々に皮肉が聞いている。
清盛はその時のことを思い出して薄ら笑いを浮かべつつ、自室へと辿り着くと、柏手を叩くように両手を二回叩くと、別に誰がいるわけでもない扉に向かって恭しく頭下げた。
「さてと、それじゃあ、今日もよろしく頼んます」
そう言って清盛は、内開きになっている扉を押し開けると、その中へと入りこみ、ほう。と、息を吐いた。
尖塔の頂上に設けられたにしては、意外なほどに広い清盛の専用部屋のその最奥には、本棚に似た戸棚が据え置かれ、その中には、清盛のコレクションである仏像フィギュアが丁寧に鎮座されている。
それを見て清盛は、実家にいた頃ではついに叶えることができなかったコレクションの陳列、という、ささやかながら強く憧れていた夢を叶えることができた嬉しさのあまり、涙ぐみながら、一体一体の仏像をつぶさに眺めていく。
(……初めて仏像に出会ってから、苦節十五年。本当に、こんな夢を叶える日が来るとは、思わなかったわい。仏像自体が高くてなかなか買えない上に、実家は狭いアパート暮らしじゃったからのう。仏像を拝むために、買ったフィギュアを狭苦しい押入れの中に押し込み、時に邪険にされながら、時に片腕が取れながらも拝み続け、漸く今の幸せがあるんじゃなあ。本当に、勇者召喚されたんのも、無駄ばかりじゃなかったケエの)
誰もいない部屋の中で、仏像フィギュアを手に取り眺めながら、一人で感無量の涙を流す。
その姿はまさしく、変態である。
そうして清盛は、自室に飾られた仏像フィギュアに向かって、真言を唱えながら一体一体ずつ手を合わせると、この異世界に来る前からの日課である、般若心経の読経と写経を始め、それが終了すると、軽く瞑想を始める。
それ等を終えると、今度は、別の場所に飾られている模造刀と、柄に洞爺湖と彫り込まれた木刀の点検をしたのちに、それらの中に混じって二振りの真剣の手入れを行い、それ等を再び元の場所に戻して保管する。特に、真剣の手入れなどには、わざわざ懐紙を口に咥えた上で打ち子を振るう、という本格的なものだ。
清盛の作戦であるボンクラのフリをするには、正直これらの行動は不要どころか、下手すれば自分がボンクラのフリをしているだけであるという事を明確にしてしまう、危険な行為であるのだが、清盛としてはそれを判った上でも、絶対に辞めようとは思わないし、例え作戦が失敗しても辞める気は無い。
刀の手入れや鑑賞を好きな時に行い、仏像を心行くまで鑑賞する。
そもそも、こういう生活をするために今、清盛はボンクラのふりをしているのだ。それらができなくなるのであれば、全く持ってこの作戦を実行する意味はない。
計算高く、抜け目のないことを良く考えている清盛としては、著しく非合理的で非論理的な結論ではあるのだが、オタク特有の無駄に揺るぎない無意味すぎる信念をもって、強くそう思っていた。
そうして、日々の日課を終えた清盛は、出ていく前にもう一度だけ仏像フィギュアの群れに向かって深く頭を下げると、王宮図書館で見つけた初心者用の魔術辞典を手に取って、扉の前に立ち、
「ほんじゃあ、まあ。今日も一日頑張りますのでよろしく頼みます」
と、元気よくそう声をかけて自室を出て行った。
ーーーー☆ーーー
自室を出た清盛は、迷うことなく下級兵士の訓練場へと足を運び、適当なところで腰を下ろすと、持って来た本を広げて、何度となく目を通したのに、中々頭に入ってくれない内容を再び頭の中に入れていく。
幸いにもこの世界に来た際に、言語が翻訳される魔法というのが清盛に懸けられたようであるが、それは文字にしても同じらしく、清盛としては見たことも聞いたことも無い様な文字ばかりが書き連ねられた本でも容易く読み込むことができた。
元々、興味のある事柄はすぐに覚えるタイプの人間である上に、此処数日の間、何度なく読み返している本であるのだ。実は、その内容の七割くらいは、もう暗記していると言ってもいい。
だから問題は、この本に書かれている知識ではない。
その知識を実践できないことなのだ。
清盛が図書館から借りぱなっしになっているこの本の中には、魔法を操る方法は幾つも書かれているのだが、どれをとっても清盛には実践できないのだ。
まず、こういう教科書的な本の中には、魔法を使う為に必要な前提として、魔力を練る。という事が書かれているのだが、そもそも、その魔力を練る。という、事が清盛には理解できない。
書かれている文章を読む度に、魔力を練るために体を捻ったり、脚を絡ませたり、腕を捩ったりと、何だか訳の分からないヨガのポーズみたいなことをしても、全然魔法が使える気配が無いのだ。
それで清盛は、日がな一日、午後に行われる兵士の訓練を眺め、自分が行えそうな訓練内容を記録しつつも、何処かの本に自分が魔法を使えるようになるヒントはないかと探し回るのが日課になっていた。
だが、そんな清盛に浴びせかけられる視線は、中々に冷たいものばかりであった。
まあ、そうだろう。
訓練に参加すると言いつつ、やってることは日陰で読書。
そもそも記録を取るくらいならば、自分が訓練に参加しろという話だ。
清盛ならば、校舎裏に呼び出して、半殺しにしている様な行いである。
それでも、清盛の行いが暗黙の裡に許されているのは、清盛が異世界から来た勇者であることと、この訓練場では、清盛の取っている行動が軍隊にとっては、正式に禁止された行動ではないからである。
なぜなら、この国の軍隊の軍法によると、軍の訓練場で明確に禁止されているのは二点。
指揮官への明確な反逆行為と、訓練の阻害であるからだ。
清盛はそもそも、正式に軍に配属された人間ではないので、配下でもない人間が指揮官に反逆することは出来っこないし、清盛が読んでいる本は魔法の研究所であり、魔法を研究することは軍人たちにとって、後々には必ず命を救うことになるので、清盛はサボるどころか、寧ろ、軍人と訓練するも同義である。
という理屈で、清盛は日中は軍隊の訓練をサボって、日陰で読書をしているのだ。
はっきり言って屁理屈をこねただけの詭弁にすぎない上に、滅茶苦茶むかっ腹が経つ理屈なのだが、わざわざお偉いさんの怒りを買ってまで詭弁を正そうとするほどには、清盛は戦力として期待されていない。
というわけで清盛は、多少の居心地の悪さは感じつつも、今日も読書に精を出すのであった。
「コラ!勇者ともあろう者が、ここで一体何をやってるのですか!ここは、王国を守護する騎士や、志ある兵たちが心身を鍛える神聖な場です!そんな場所でサボっているとは何事ですか!他の者を尻目にしてそんなことをするなど、恥ずかしくないのですか!」
すると、そんな清盛に対して、少女のように高い声で突っかかる声が聞こえ、清盛は珍しいとは思いながらも、読んでいる本から眼を離さずに適当な事を言って手を振った。
「見てわからんかあ?訓練中じゃあ。わしゃあ、今魔法を使えるようになるべく、勉強中じゃあ、邪魔をするんじゃないケエのお」
清盛の此処数日の経験上、何人か勇者である清盛に対して、反省を促して来る人間はいたが、こう言っておけば、大抵の場合は、清盛の昼行燈ぶりに嫌気がさして、勝手に引き下がっていく。
と思っていたのだが。
「軟弱者!それでも選ばれた勇者ですか!ここは軍隊の訓練場です!魔法を使いたくなりたければ、研究室なり、図書館になりに籠ればいいのです!そんな道理も弁えずに、わざわざここで魔法を勉強するなど言語道断!今すぐ剣を取るか、この場から出ていくかを選びなさい!」
声の主は、清盛の屁理屈とも言えない言い訳に対して、大声で正論を叩き付け、清盛の持っている本を取っ払ったのだった。
是にはさすがに、清盛も相手の顔を確認しないわけにはいかず、渋々ながらも顔を上げると、そこには、肩口で切り揃えた金色の髪と翡翠色の左眼と蒼氷色の右眼を輝かせた、十二、三歳ほどの年の軍服を着て腰に細剣を下げた少女が居た。
卵のように白く血色の良い肌は柔らかな艶を持っており、薄桃色に染まった唇によく映えていた。
長い睫毛や、細くしなやかな四肢、形の良い耳たぶ、歳の所為か胸の方は慎ましやかだが、それを差し引いても、何処をとっても絵に描かれたように美しく、一度でもその姿を目にすれば、忘れることの方が難しい美少女であった。
とは言え、一度見れば忘れることの方が難しい美少女であったが、清盛の方は一度としてその少女を見たことが無いので、名前など知る由も無く、頭を大きく傾げて無造作に掻きながら、少女に話しかける。
「ええ、と。申し訳ありませんが、アンタさんは誰でしたかいのう?今まで見たことも聞いたことも無い顔ですけえ、お名前を窺っても?」
すると、清盛と少女のやり取りを遠くから見ていた軍隊の隊長の一人が急ぎ足で駆け寄って来ては、少女を庇う様に清盛との間に立ち、険しい顔をしてその美少女を叱責した。
「王女様!なぜこのような所に在られるのですか!ここは軍事訓練場!訓練のための場所とは言え、戦いの場!何が起こるかわからないのですぞ!そこに、護衛も連れず、女中も連れずに出張るなど、一体何を考えているのですか!」
「マルケルス軍隊長こそ、何故このような者を遊ばせているのです!ここは、護国の兵を養う国の要です!民は血税を持って軍人を支えるのです!ただの一人として、怠けさせるわけにはいきません!よしんば、怠け者が出るのは仕方ないとしても、このように堂々と怠ける者を放っておくなど、害悪の極みです!」
当人を前にして、歯に衣着せぬ物言いで痛烈に批判する美少女に、清盛は内心大いに舌を巻いたが、今までの会話で無視できない言葉が出て来たので、少しばかり二人の会話を遮った。
「すいません。ちょいとええですか?さっき隊長さんの方から、王女様、とか言われましとったが、そりゃ、どういう意味ですかいのう?」
どうもこうも、そのまま意味だろう。とは、思いつつも、それを確認する為に、清盛は敢えて判り切っているであろう事を口にすると、軍隊長の方は多少呆れた様な表情をして清盛に説明しようとするが、それを少女が軽く手で制すると、清盛の前に進み出て、自分から口を開いた。
「そうですね。自己紹介が遅れましたね。私の名前はベアトリス・フルール。バスティアン陛下の第一王女であり、この国の第五位王位継承者です!」
「おお、こりゃあ御叮嚀にどうも。儂の名前は、織田・清盛と言います。ちなみに、名字で織田で、名前が清盛ですけえ。下の方の名前で呼んでくださいやあ」
「知っています!陛下が召喚された勇者とは、貴方の事でしょう。そうでも無ければ、話しかける前に貴方を軍から除籍しています!」
今更ながら、申し訳なさそうにいそいそと頭を下げる清盛に、美少女改め、ベアトリス王女は辛辣な口調で清盛を評価すると、清盛は一瞬だけきょとんとすると、すぐにニヤニヤと笑いながらベアトリスの言葉に反論する。
「酷いですのう。それだと、儂が遊びほうけてばかりで、役立たずじゃけえ、とっとと辞めちまえ。ちゅうとる様に聞こえますなあ。そりゃあ、幾ら何でも横暴すぎるでしょうに」
「そう言っているのです!それともなんですか?貴方は、日夜国を思って訓練を積む彼らに匹敵するほどの鍛錬を行っているのですか?そうでなくとも、国の有事に活躍することができるだけの力を持っているのですか?」
ベアトリスは勝気そうに吊り上がった両眼を、ますます鋭く吊り上げながら清盛に強く問い詰めるが、当の清盛は、そんなことは当然とばかりに悠々と頷いて見せるのだった。
「無論ですとも。儂は、こう見えても、剣の極意を伝えられた数少ない使い手!恐らくは、儂の様な剣技を持つ者は、この国では、数える程もおらんでしょうなあ。一度見れば、あっと驚くはずじゃあ」
「極意?何ですかそれは?それでは、貴方は稀代の剣技の使い手であるという風に聞こえますが?」
「ええ、ですからそう言うとるでしょう。古今東西探しても、儂の様な剣技の使い手は、まあ、おりますまい。儂はこういう事はあまり口にせん性質ですが、是ばかりは断言できますなあ」
胸を張って大口を叩く清盛に、ベアトリスは興味深そうに目尻を上げると、腰に下げた細剣を抜き放って清盛に突き付け、堂々と胸を張って宣言する。
「面白い。ならば、その剣の極意とやらで、私に一太刀浴びせて見せなさい!そうすれば、私も貴方を真の勇者と認め、貴方のやる事全てを許容して見せましょう!」
「な、何を言っているのです!ベアトリス様!」
細剣を片手に戦意を見せるベアトリスに、軍隊長は思わず顔を真っ青にして止めるが、当のベアトリス王女は聞く耳など持たず、清盛に剣を向けては、さあ剣を取れ!と、熱り立って行く。
しかし、清盛は、そんなベアトリス王女に対して、悠々と首を横に振って見せた。
「あっはっは。そりゃあ、元気のええ事ですのう。じゃがのう、そりゃあ無理な相談というもんじゃあ」
「む?逃げるのですか!あれだけの大口を切っておきながら、いざとなれば逃げるなど、腰抜けにも程がありますよ!」
「何を言うとるんじゃ、このあほんだら!儂は、この国を救う為に呼び出されはしたがのう、この国の姫と戦う為に呼び出さた訳では無いわ!ましてや、真剣試合など殺し合いと変わらん。それとも何か?おどれらの言う勇者は、この国の王を殺す勇者なんか?ほいじゃったら儂は、今すぐにでも王様を殺しに行かねばならんのう?」
清盛は、態とらしく大声をあげてベアトリスの罵倒を否定すると、バスティアンの居室を指し示しながら大仰に腕を組んで見せた。
流石にベアトリスも、清盛のその発言と態度には冷静にならざるを得ず、渋々ながらも細剣を納めた。
「分かりました。貴方の言う通り、此処で剣を交えるのはやめましょう。けれども、貴方の言葉が、真実か否かを示すことだけは、してもらいます。今から三十分後、私が指定する場所に来なさい。こちらで木剣を用意します。貴方が本当に貴方の言う通りに剣技の妙手だと言うなら、どこであろうとも、力を発揮できるはずですよね?」
泰然と胸を張る清盛に対して、ベアトリスは何処か試す様な視線で清盛を見上げるが、清盛をその視線を受け止めて尚も悠々と頷いて見せたのだった。
そんな清盛の態度に、ベアトリスは何処かムッとしながらも、良いでしょう。と、頷くと、
「では、三十分後!私の用意する決闘場へと来なさい!もしも逃げようものなら、その場で貴方を軍法違反で有罪とし、地下牢へと投獄します!」
そう、力強く言い切った。
ベアトリスの言に、いつの間にやら決闘する事になったのか。とか、そんな簡単に軍法を動かして良いのか。とか、色々と言いたい事はあったが、一先ず其れ等の言い分は飲み込んで、清盛も鷹揚に頷いた。
「ほいじゃあ、分りました。お姫さん。三十分後、儂の国に伝わる剣技の極意をご覧に入れましょう。余りの妙技に、腰を抜かして、後悔召されるなよ?」
「本当に、言葉だけは威勢がよろしいですね。やれるものなら、やってみなさい!」
そう言うとベアトリスは、さっさとその身を翻して急ぎ足でその場を離れて行った。
ーーーーーー☆ーーーーー
それから三十分後。
清盛は、ベアトリスの用意した屋内体育館の一角に駆り出され、兵士から差し出された木剣を無造作に振り回していた。
どうやらベアトリスが決闘をすると言う事が軍隊内で広がったらしく、体育館内には、数多くの兵士が所狭しとと詰めかけ、あちこちで押し合い圧し合いしており、清盛は自分の事は棚に上げ、並み居る兵士に、どれだけ暇なのだろう。と、呆れた感想を抱いていた。
当然の事ながら、詰めかけた兵隊達のその全てが、ベアトリスの応援を行なっており、中にはかなり熱狂的なファンもいる様であった。
(ふうむ。どうやら、あのお姫さん。ただの有名な王女と言うだけではない様じゃのう。こう、パッと見ただけでもかなり軍部に影響力がある様じゃなぁ)
その様子に、清盛は思わず一抹の不安と若干の恐怖を抱いていた。
(儂が見た限り、あの王女様はまだ十二、三歳じゃろ?幼い内に、これだけ人気と影響力のある人間が、現王以外の王族におる。と言うのは、どう考えても、ヤバイじゃろう。あのお姫さんが、近い内に命でも狙われなきゃあええがのう)
と、清盛は、周囲に詰めかける兵士の様子から、近い内に起こりえる動乱を想像して思わず眉を顰めた。
すると、
「どうやら、本当に逃げずに来た様ですね。その度胸だけは名人級と、褒めてあげましょう」
清盛の思いとは裏腹に、顔に似合わぬ剥き出しの闘志を燃やすベアトリスが現れ、間合いを取る様に清盛から幾らか離れた所で、威嚇の様に大袈裟な素振りする。
「はっはっは!そりゃあそうでしょうよ。吐いた唾は飲めません。言うた言葉は取り消せません。大言叩いたからには、全身全霊を掛けて戦わせてもらいわすわ」
「そうですか。それは美事な心構えです。それでは、私も遠慮は要らない様ですね。構えなさい!貴方の言う剣の極意とやら、私に見せて見なさい!」
「では、その眼を確と開けて、とくと御覧じろ」
やる気を漲らせて剣を構えたベアトリスにそう言うった清盛は、木剣を手にしてベアトリスの前に立塞がると、木剣を手にしたまま、ゆっくりとした動きでその場に寝転び、手足から力を抜いて、そのまま眠る様にじっと横たわったのだった
「は?」
今まで威勢のいいことを言って来た清盛の取ったあまりに場違いの行動に、ベアトリスは咄嗟には反応することができず、その場でぽかんと口を開けて固まった。
それは、周囲の兵士達も同じで、その場にいた全員が声も無く固まったので、あれだけ騒がしかった体育館が一瞬の内に静まり返った。
やがて清盛が目の前で取った行動を理解すると、体育館を埋め尽くした兵士達は清盛の行動に怒りの感情を露わにして、清盛に罵詈雑言の嵐を叩きつけた。
ベアトリスもまた、勝負を放棄する様な清盛の行動に怒りで顔を真っ赤に染めると、床に寝転ぶ清盛に足音も荒く近づき、清盛の鼻面に手にした木剣を突きつけて、絶叫する様に罵倒の言葉を叩きつけた。
「な、何ですか!その態度は!バカにするのはいい加減にしなさい!いくら何でも、不敬が過ぎます!不敬罪で投獄されたいのですか!」
「…………………………」
しかし、清盛は、騒然となった体育館の罵詈雑言にも、間近で叩きつけられたベアトリスの罵倒に対しても、一切の微動だもせずにその場に横たわり続け、まるで死んだ様にただ静かにその身を床に投げ出していた。
「ちょっと、聞いているの?まさか、いきなり具合が悪くなったわけでもないでしょう?」
「…………………………」
まさかとは思いつつも、ベアトリスはピクリともしない清盛に近づくと、木剣を床に置き、清盛を起こそうと、その肩をゆすった。
流石に此処までになると兵士達の方にも、清盛の状態に異変を感じ、まさかの事態が起きたのかと、先程とは違う騒めきが体育館の内部を覆い始める。
「ちょ、ちょっと!本当に大丈夫?ねえ、ちょっと、勇者殿?勇者殿!」
「…………………………」
「勇者殿!まさか、本当に何か具合が悪いのですか?誰か、医者を!早く!」
余りにも動かなさ過ぎる清盛を心配して、ベアトリスは思わず大声を上げて医者を呼び出し始め、兵士達の方も清盛の異変を信じ切ってしまい、とうとう、大騒ぎになり始めた。
と、次の瞬間だった。
「これが、我が国の剣の極意!死んだふりですけえの!」
「きゃあああああああああああああああああああああ!」
今までピクリとも動かなかった清盛が突然に大声を上げて動き出し、その衝撃に、ベアトリスは思わず大きな悲鳴を上げて腰を抜かしてしまう。
その隙を見逃さずに、清盛はベアトリスの近くにあった木剣を蹴り飛ばして遠くに捨てると、突然の事に硬直して地面にへたり込んだベアトリスに手にした木剣を突き付けて、得意げに笑い声をあげる。
「いやあ、はっはっはっは!すんませんのう。驚いて慌てふためくお姫さんが面白いもんじゃけえ、ついつい、見物しすぎてしまいましたわ。じゃが、これで儂の勝ちですけえ。儂の言葉が真実だと、お分かりいただけましたかな?」
「な、な、な、な、何を、何を、一体、何をするのです!と言うか、何が!どうなって??え?え?え?」
意表を突かれた行動に、ベアトリスは驚きが抜けきらず、兎に角今何が起こったのかを聞こうとする口が上手く回らず、意味のない言葉になって宙を漂う。そんなベアトリスの様子に、清盛は、余裕綽々で指を左右に振って、得意げに言い放つ。
「ちっちっち。今の状況を見たら分かるでしょう。お姫さんは地面に這いつくばって、儂が立って居る。それに何より、もし儂が真剣を握っとったら、お姫さんは今死んどったじゃろう?つまりは、儂の勝ちじゃ」
「ッ……!!それは!」
清盛の言葉に漸く状況を理解したベアトリスは、咄嗟に何かを言い返そうと思うものの、頭では上手く論理が組み立てられず、何も言い返すことができず、思わずベアトリスは唇を噛みしめて黙り込みかけるが、そんな二人のやり取りに、軍隊長が割り込んだ。
「それこそ詭弁だ。もしもの話をするのならば、戦場でそんなことをして、動けない所を確実に襲われてしまえばどうするつもりだ?なすすべもなく、やられるだけだぞ?」
鋭く言い返す隊長の言葉に、しかし、清盛は動揺の色も見せずに、軽く舌を出して見せると、
「あっはっはっはっは!バレテーラ。そうなったらもう、どうしようもないわ。死ぬしかないのう」
と、悪びれもせずにぬけぬけとそう言った。
そんな清盛の態度に、ベアトリスは怒り心頭に発したとばかりに、顔を真っ赤に染め上げて清盛へと詰め寄ると、全身を腹の底から湧き上がる激情に震わせて、清盛を責め立てた。
「わ、私を、だ、騙したのですね!貴方は凄まじい剣技の使い手で、誰よりも強いと申したではありませんか!それなのに、こんな卑怯な真似をして!あんな堂々と大嘘をついて恥ずかしくないんですか!」
「何を言うとりますかぁ。儂は、儂の様な剣技の使い手はこの国には数えるほどしかおらん、とは申し上げましたがのう。儂は、剣を握れば誰よりも強い。とは、申しておりません。実際、儂のように戦場で死んだふりをする剣の使い手はおりますかのう?」
けれども清盛は、ベアトリスのそんな怒り等、どこ吹く風とばかりにいけしゃあしゃあと言い放った。
そんな清盛の論理に対して、ベアトリスは食い下がる様に反論するが、
「ですが貴方は、自ら稀代の『剣技の使い手』だと認めたではありませんか!」
「ええ、ですから儂の剣技は、どれほどの使い手もおらぬ『稀代の剣技』でございましょう?戦場でほぼ確実に死ぬような剣技など、物珍しすぎてだあれも使いません剣技ですけえのお」
「----ッ!ですが、一目でも見ればあっと驚くほどの剣技だと!」
「ええ。ですから、お姫さんは悲鳴上げる程驚きましたじゃろ?」
「ーーーーーーーッ~!」
詰め寄られる度に言い返される清盛の言葉に、何も言い返す事が出来ないベアトリスは、そこで完全にしてやられたことに気付き、悔しさのあまりに、顔どころか目元も真っ赤に染めて、殆ど半泣きの状態になると、
「ふえええん!アンタ何か、大っ嫌い!」
と、泣きながら何処へとも無く走り去っていたのだった。
(なかなか面白い姫様がいたもんじゃなあ)
清盛は、ベアトリスと言う名の、この中学生ほどの年をした王女をかわいらしく思うと、この世界に来てから初めて心の底からの快い笑い声をあげて、目の前で怒りまくる軍人たちをどう治めたらいいかと、思案する。
ーーー★ーーー
「……どうも、雲行きが怪しくなってきたな」
水晶玉から清盛の様子を覗いたバスティアンは、眉根を険しく寄せてそう呟いた。
稀代の大魔術である『勇者召喚』の儀式を行ってから、一か月以上が経過した。
当初は、扱い辛い、嫌な男がやって来たものだ。と、思ったのだが、そうでもなかった。
召喚された当初こそ、鋭い眼つきで周囲の至る物を値踏みするように睨みつけていた男であったが、場末の適当な女を買っただけで一瞬で骨抜きにされ、高々場末の娼婦如きに、まるで犬のように尻尾を振りまくっている。
酒も飲めば、博奕もする。挙句には、冒険者を相手にして喧嘩して、一緒に酔っぱらって娼館に帰る。という、自堕落な生活をしているのだ。
わざわざこんな首輪まで用意して『勇者』の支配に気を使ったというのに、拍子抜けにもほどがある。
だが問題は、扱いやす過ぎたことである。
戦闘訓練は途中で投げ出し、魔術の才能は薄い、その上、国の金を湯水のごとくに使い込んでは娼館に入り浸っているようでもある。
正直、それを聞いた時には、「勇者召喚」が失敗したと思い、殺すか、何処かの国に体よく追い出そうか、とも思ったものである。
だがその割には、娼館に入り浸っていようとも、必ず定刻には帰って来て彼の語るところによる神像に手を合わせて、聖句らしきものを読み上げ、書き連ねているのだ。
全部合わせても一時間ほどにも満たぬその行動であるが、その行動だけを見れば、敬虔な聖職者とも言えなくはない。
もしも彼が聖職者であるとするならば、魔術とは別の力である祝福や祈祷、上位聖霊の召喚と言った『神の奇跡』を起こすことも可能である。
そうであれば、矢張り「勇者召喚」は成功した。という事であり、下手に殺したり、国から追放したりしてしまえば、多大な損害となる。
だが、今のところは、武術は元より、魔術においても、神術においても、力の片鱗どころ、素養の欠片さえもわからないのだ。
獅子の皮を被っただけの猫か、それとも、蜥蜴の振りした龍であるのか、それは、今の所バスティアンには判断のつけようがなかった。
「…………まあ、いい。いずれにせよ、今はまだ戦線は安定している。『勇者』を使うのは、もう少し様子見をしてからでも問題はあるまい」
バスティアンは、水晶玉から眼を離すと、椅子から立ち上がり、眼下に王城の景色が広がる窓の傍へと移動する
「…………それよりも、問題はあの小娘の方か」
バスティアンは、窓から見える訓練場の兵士たちの姿に、水晶玉に映った自分自身の血を引く少女を思い出し、忌々し気に呟いた。
最近、ベアトリスの母の実家であるラ・トゥール公爵家は、バスティアンの政策に対しては全面的に反発しており、王宮内でも度々バスティアンと激突することがあり、その都度、苦い思いさせられた。
ラ・トゥール公爵家は、元々軍功によって取り立てられた一族であり生粋の武闘派であるが、だからと言って、必ずしも武力によって物事の解決を誇るタイプではなく、対話や金銭で解決できるところはそう言う解決法を取る貴族であり、国の内外からの人気が高い。
先王はそのラ・トゥール公爵家の力を取り込むなり、抑えるなりするべく、現当主の妹であり先代当主の娘であるクリスティーナをバスティアンの妃として迎え入れたが、生まれたのは王位継承権の低い娘のベアトリスであり、妃のクリスティーナ自身、ベアトリスを出産すると同時に死亡してしまった。
その為、ラ・トゥール公爵家の王宮内での地位は抑えられたものだと思っていたのだが、最近になって、ベアトリスが時おり軍隊の訓練に参加し始めたことから、軍部ではベアトリスを擁立する声が高まるようになっていた。
「何処までも、何処までも邪魔する砂利娘め」
バスティアンは、ベアトリスの顔見る度に脳裏によぎる一人の男の顔に忌々しそうにそう舌打ちをするのであった。
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軍隊の訓練を冷やかすだけ冷やかした清盛は、あの後四苦八苦して漸くの事で清盛を痛めつけようと目をぎらつかせる軍人たちの間から抜け出し、図書館へと顔を出していた。
あの後、清盛のあまりに手を選ばない勝ち方に、あの場に集まった兵士達は血眼になって怒り狂うは、清盛が死んだ。だの、重体だ。だの、不穏な噂が流れ出て、城内が大騒ぎになったりと、完全に清盛の自業自得に後始末に奔走し、いつも以上にくたびれながら、清盛は目に付く本を漁っていた。
初日に清盛には魔術の才能が無い。と知った魔術の授業の先生は、それ以来、最早、貴方に教えること等、何もありませぬ。と、体よく授業を断るようになったので、清盛は広大な図書館に群がる無数の図書を濫読して、兎に角少しでも魔法を使えるヒントを探すべく、悪戦苦闘中なのである。
清盛としては、そっちの都合で呼び出された上に、勝手に期待を掛けて来て、勝手に失望して、さよならを決めるというその姿勢には、教育者として些かの疑問も抱かぬではないが、監視の目が少しでも減る。という事と、少しでも自由に研究できる。という二点から、この状況に甘んじることにしている。
ちなみに今、清盛が興味を示しているのは、魔法の薬によって魔法を使えるようにならないか。と言うことであり、多くの野草や薬草、それと、魔法道具の素材を中心に調べてはいるのだが、調査の具合は、芳しくは無い。
(ふうむ。ここまで調べた限りじゃぁ、魔法を使えるようになる薬、と言うのは無いようじゃのう。ただ、魔力に反応して魔法を起こす薬、ちゅうのはあるようじゃから、可能性はありそう……ん?」
清盛は、今読み進めている本の一文にふと興味を引かれ、思わず心の声が最後の方だけ漏れ出てしまった。
そこには、幾つかの小難しい資料と共に端的な結論が述べられていた。
『ーーーー以上の事柄から、魔力とは魔力路を通して発動されるものである。と、考えられる』
清盛は、その一文を何度も指でなぞると、本を最初の方から読み返し、関連する本を何冊か開く。
(魔力路。魔力路か……)
清盛は心中でその単語を何度も反芻しながら、何冊かの本を読み返していく内に、脳裏に、平安時代以前から伝わるある学問体系を思い浮かぶのを感じていた。。
(……これは案外、使えるかもしれんのう)
清盛は、頭をよぎるそのアイディアに対して、薄い微笑みを浮かべながらそう思った。
プロローグ、改稿しました。
清盛が一年後にフルール王国を滅ぼした所を、六年後に変更しました。
そこから、プロローグ、及び、清盛の未来の年齢も二十五歳に変更します。
本年は拙作にお付き合い頂きありがとうございました。この話が、2016年最後の更新となります。
遅々として進まぬ筆には、作者たる自分自身、苛立つ事が多いのですか、それでも完結までいつまでかかるか分からないこの作品に少しでも長くお付き合い頂ければ幸いでございます。
それでは、皆さん。良いお年を。