日本刀と仏像 第一話 勇者が召喚された日
その日、織田清盛は、まだ越して来たばかりの大阪の新世界、その片隅にある六畳一間のボロアパートの中心に立ち、大きく背伸びをした。
今時、風呂無し、共同トイレの壁の薄いボロアパートには、エアコンすらもついてなく、ネット環境もこれから自分で整理するしかない。
人生の新たな一歩を踏み出すために親から用意されたのが、こんな安かろう悪かろうのボロ家だったのは、実は中学時代の情報の授業のお蔭で株式投資に成功したからであるのは、良いことなのか、悪いことなのか。
「全く、ワシも大概気が短い方じゃが、親父には負けるのお。まっさか、高校卒業してすぐに、田舎から追い出されてこんな都会に送られるとは思わんかったわ」
そう、誰に言うともなく独り言ちながら、清盛はつい昨夜に聞いた父親の科白を思い出す。
『おい、キヨ。お前も高校卒業したんじゃし、独り立ちせい。幸い、大阪の方に不動産に詳しい知り合いが居ってのう、ボロくて汚い家じゃが、格安のアパートを見つけて契約したけえ。明日からそこで生活せえ。最初の一年間はワシが家賃を取り持ってやるけえの。その後は好き勝手にせえ』
そう言って、清盛の父、正忠がこのボロアパートの地図と住所と郵便番号を書いた紙をよこしたのは、昨日の夜の夕飯の席であった。
事もあろうに、その日は清盛の高校の卒業式の日であり、しかも、清盛の荷物の大半はその日の内に、新しい住所の書かれた場所へと送られており、そして、清盛がそのことを知ったのはその日のその時であったのだ。
寝耳に水どころか、熟睡時に電気ショックを掛けられたような衝撃で父の顔を見返した清盛は、この時、色々な感情と思考が渦巻いていたが、あまりに大きすぎるショックの為に、何をどう言っていいかもわからず、二三十秒程口をパクパクとさせた後に、『ほうか……』と、一言だけ言うのがやっとであった。
その時の事を思い出して、清盛は、苦々し気な苦笑を浮かべると、一先ず、電話線があるかどうかだけを確認を済ませた後、今後どういう行動をとるか、その場に腰を下ろして考え込み始めた。
「しっかし、親父は一体ワシに何を期待しとるんかのう?幾ら広島に居った時に株で一億、二億稼げたっちゅーても、ありゃ、実家におったからじゃろうに。確かに、金はまだまだ通帳の中に残っとるがのう。所詮は、まだ高校卒業したばかりで、二十歳にもなっとらんガキじゃぞ?そうそう一人暮らしができる訳が無いと思うんじゃがのう………」
彼が独り言で呟いた通り、彼は広島出身の十九歳。青年と言っても差し障りは無いが、人によってはまだ少年と言えなくも無い様な年齢をしている。
誕生日が三月一日という、極めて微妙な時期だけにその立ち位置の微妙さが表れている。
その年齢と、今年で高校を卒業したばかりであるという事実が、彼自身のこれからの生活に対して若干の影を落としているように見えるが、実際の所、清盛は口で言うほどこれからの生活に対して心配していない。
何故なら、中学時代に最初に株で百万円ほど稼いだ時以来、少なからず息子に金儲けの才能が有ることを知った清盛の父親は、最初の百万円以降、株で金を稼ぎ始めた中学二年生の頃から学費と食費を除く一切の生活費の受け渡しを拒否し、代わりに、清盛の懐に入った金は、清盛の好きにする許可を与えていた。
それ以降、稼いだ金の三分の一は貯金に、三分の一は自分の小遣いに、残りの三分の一を家計の足しにしてきたのである。
高校時代に入る頃になると、日々のお小遣いから、交通費、交際費、遊行費、更には家庭用の電気代の一切を全て清盛任せにしたのは、感慨深い記憶である。
この場合、表面だけ見れば、息子の稼ぎに全てを頼ったダメ親にしか見えないが、その実、清盛の父は、食費、服飾費などの生活費に関しては全て自分の稼ぎで賄っており、学費に至っては、息子の方から出すと言いだしても尚、自分が出すと頑として譲らなかった。
更に言えば、家庭の電気代に関して言っても、元はと言えば、資産運用を行う清盛が常時パソコンを点けっぱなしにしていた挙句に、新機種への乗り換えを行った所為で高騰した実家の電気代の責任を持たされたという側面がある。
それ以外の事を振り返っても、清盛の父が清盛へとお金の無心を行ったことは今まで一度も無かったし、清盛が株で稼いだ金を自分に使ってくることに対して、喜んだ素振りを見せたことは一度も無かった。
こうしてみると、清盛の父は、清盛の才能を伸ばすために敢えて一切のお小遣いを断ったのかもしれない。そして、もしそれが本当だとするなら、その目論見は成功を収めたと言って差し支えないだろう。
少なくとも、清盛には、相当な大事件が起こって全財産を失う羽目にならない限りは、どうとでも生活できるような余裕がある。
「そうじゃのう。まずは電器屋に行くのが先じゃのう。いくら電話線は繋がっとるっちゅうても、無線ランは欲しいしのう……。まあ、これからの事は明日決めればええか」
清盛は、明日からのざっくりとした予定を立てると、思い切り膝を叩いて立ち上がり、昨日の内に清盛の父が送ってくれていた私物が全て詰め込まれた段ボールを開けると、服や布団、今のところは読む気の無いマンガなどは押入れへとつっこんでいく。
そんな中開いた段ボール箱の一箱に。清盛はふと手を止めると、その中にしまい込まれていた木目調のフィギュアシリーズを丁寧に一体ずつ取り出して、真新しい畳の敷き詰められた床と並べだし始めた。
それは、フィギュアとして製作された仏像たちであった。
不動明王を筆頭に、愛染明王、孔雀明王、金剛夜叉明王などの明王像から始まり、観音菩薩、弥勒菩薩、地蔵菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、勢至菩薩、虚空蔵菩薩、等の菩薩像、更には、帝釈天や梵天、摩利支天、四天王に十二神将像、弁才天や吉祥天と言った天部衆のみならず、阿修羅王や竜王、迦楼羅王、乾闥婆王、挙句には風神と雷神と言った者達まで、実に多彩な仏像フィギュアを集めている。
極め付けは、オーダーメイドで特注された如来像だろう。
大日如来に、阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来と幾つかあるが、特に釈迦如来は、一般的な説法像だけでなく、誕生像、苦行像、降魔像、涅槃像まで取りそろえる凝りようである。
趣味にしては、ついこの間まで高校生だった人間の物としては、枯れたを通り越して変態じみた物まで感じるが、本人はそんなつもりは毛頭ないのだから、もう末期だろう。
そうして、非常に丁寧な手つきで、所有する全ての仏像フィギュアを並べると、清盛はニマニマとしたえも言われぬ様な気持ちの悪い笑顔を浮かべて、仏像フィギュアを眺めると、ふとしたことを思い立ち、突如として今まで並べ立てていた仏像フィギュアを並べ替え始めた。
「ふふふ。これで完成。なんちゃって曼荼羅の完成じゃあ。五尊の釈迦如来さまに、大日如来と阿弥陀如来と薬師如来と燃燈仏を並べて八葉を作るとは、我ながらやりすぎたかのう。まあ、これだけやるんじゃ。ご利益だけはきっとデカいはずじゃ。写真に撮って記録に残しとくかのう」
そう言うと、清盛は再びニマニマとした気持ちの悪い笑みを浮かべてスマホのカメラで、自分の作った曼荼羅の八葉を写真に撮りまくると、次に明王像の中から自分のお気に入りの仏像だけを取り出して、五壇法を作ると、これまた気持ちの悪い笑みを浮かべながら次々と写真を撮りまくる。
清盛は一時間ほどそんなことを繰り返して、お気に入りの仏像や神像やらを組み合わせた独自の構図を創り上げると、今度は大日如来を中心にして全ての仏像を並べたてて、その仏像の群れに向かって手を合わせ始めた。
「やー、ありがたやー、ありがたやー。やっぱ、仏像はええもんじゃのう。いくら見てもいくら見ても飽きたりんわい。プラスチックで出来とるところが、どうにも申し訳ないが、そんなことどうでもようなる位に良い出来じゃー。やっぱ、仏の真理は人智を超越しとるのう」
一人ぼっちの部屋の中央に座りながら、合掌をして並べ立てられた仏像を前に涙ながらにそんなことを語る清盛の姿は、最早、変態も変人も通り越して、ただクレイジーなだけである。
そうして、暫く仏像を前にうっとりと夢見心地でいた清盛は、スマホから聞こえるニルヴァーナの代表曲に無理矢理現実に引き戻され、渋々ながらその場を立って、スマホを耳に当てた。
「なんじゃあ、小林。今、折角仏像様を並べ立てて拝み倒しておったのに、邪魔をするとは無粋にも程があるじゃろう。全くもー」
「おお、キヨか。相変わらず変態じゃな。実は今、剣道部の奴らで集まって、最後にカラオケでも行こうか言う、話しになったんじゃが、お前は今、時間があいとるか?」
「ああ、無理無理じゃ。ワシは今大阪で一人暮らししとるけえの。今すぐ地元に帰るんは、ちょっと無理じゃのう」
「はあ!?どういう事じゃあ!ワシはそんな事、昨日一言も聞いとらんぞ!何で、何時の間にそんなところに居るんじゃ!」
「それは、ワシの方こそ聞きたいことじゃあ。昨日の夜には、親父にもう大阪にクッソ汚いボロアパートを用意されてとってのう。部屋に入ったのも、ついさっきの事なんじゃあ。嘘じゃと思うんじゃったら、親父でも、秀にでも聞いてみい。儂と同じことを言うはずじゃあ。話はそれだけかのう?」
「ああ、まあそうじゃけども、お前、本当に大阪に居るんか?居留守とか使ってるんじゃないのか?」
「あほか。何が居留守じゃあ、自分の家に来いとか言っといて居留守使うバカがあるか。これで話は終わりじゃ!ほいじゃあ、儂はまた仏様を拝むでな。暫くは、電話もメールもお断りじゃあ!じゃあな」
清盛は、そう怒鳴りつけるのと同時に、スマホの通話を切ると、いそいそと再び仏像の前へと戻り始め、そこで、一つの異変に気付いた。
「なんじゃ!仏さんたちが光り輝き始め取る!い、いや違う!それだけじゃない!この部屋自体も、光り始め取る!」
清盛の言う通り、六畳間の畳の上に並べ立てられていた何の細工もされていない筈のプラスチック製の仏像たちは、薄く弱く、しかし徐々に強まって行く蒼く輝く光の粒に覆われ始めており、その光の粒は今まで何の変哲も無かった筈アパートの室内へと急激に広がり、やがて、その膨大な量の光の粒は、爆発の様な渦を巻き、アパートの室内に有る全ての物体を飲み込み、炸裂した。
そして清盛は、そんな光の爆発に飲み込まれ、そのまま意識が消え去る様な視界のホワイトアウトに巻き込まれていった。
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異世界ミドルディアに存在する大陸、トリア大陸の中央部に位置する大国、フルール王国。
その王都プレーンでは、かつてないほどの大規模な魔法儀式が行われようとしており、その準備に追われる王宮の文官、軍人、聖職者、宮廷魔導士、大学者、それら多くの官吏たちが忙しなく動き回る宮中の様子を眺めながら、バスティアンは一人、愉悦の笑みを浮かべながら来るべきその時を待ち望んでいた。
人類史上、最大の生存圏を有する大陸、トリア大陸。そのトリア大陸は、現在、人類存亡をかけた未曾有の危機に直面していた。
トリア大陸の北に位置する大陸、通称、暗黒大陸と呼ばれる、魔族と魔物たちの跳梁跋扈する恐るべき人外魔境の地から魔物の大群が、強勢を持ってトリア大陸へと侵攻を始めたのである。
魔族や魔物たちにより構成される群れは強大無比であり、現在の人類の持つ技術と能力の全てを駆使しても、小国の一つや二つでは太刀打ちできなかった。
そこで人類は、トリア大陸に存在する七つの大国と三つの宗教組織を中心とした軍事同盟、『大同盟』を結成。迫りくる魔族の脅威に、国境を越えて協力し合うことになったのだが、この大同盟を持ってしても、魔族との戦争は劣勢であり、この苦境を一瞬で覆すほどの『巨大な力』が必要とされ、その力の研究が昼夜を問わず、同盟参加国諸国で行われた。
そんな中、『大同盟』を構築する七つの大国の一国であり、トリア大陸の北西部に覇を唱えるフルール王国は、遂にその『巨大な力』に関する研究を完成させた。
それこそが、古の王家により秘匿された大魔法、『勇者召喚』。
発動に必要な魔力の絶対量と、それを用意するのに膨大な費用と準備期間、そして何より、発動した後に顕現するその余りに巨大すぎる力を持った存在の制御の不可能ぶりに、禁忌とされ封印された魔法。
その魔法を現代に復活させ、費用と準備期間の短縮、更には、召喚した存在の制御、という名の隷属を可能にした新たなる魔法『勇者契約』。
しかし、フルール王国によって再開発されたこの魔法が日の目を見るようになるまでは、実のところ、開発成功したその日から、十年に及ぶまでの期間が流れていた。
人間世界を脅威の縁へと追いやる魔族の軍勢、それらを瞬間的に壊滅させるほどの力を持つ存在。
もしもその存在が、召喚した人間に対して、何の反抗心も持つことなく従順になってくれるならば、これほど心強いことはないだろう。
しかし、逆を言えば、それだけの存在を自由に操れるようになった人間は、それはそのまま、この人間世界の最強最大にして、唯一絶対の支配者となりうる事を示唆している。
その事を悟った時の政争と暗闘は、生半可な戦場よりも血生臭く、後ろ暗く、そして、何よりも非情で、背筋の凍るものであった。
しかし、結局のところ、そんな権謀術数の限りを尽くしたこの政争に勝利したのは、謀略王の異名を持ち、血筋血族の全てを陰謀によって打倒してきたフルール王国の国王であるバスティアンであり、彼の主導の元、『大同盟』は、この新たなる大魔法『勇者契約』を行使することになったのだった。
「長かったな……」
そんな己の過去を振り返り、バスティアンは『勇者契約』の大魔法の行使。その総仕上げの為に、自ら、地下大広間へと赴くと、数百名の王国騎士団が万が一の時の為に守りの為の陣営を築き、数十名の高位宮廷魔導師と、賢者クラスの魔術学者十数名が構築し、魔力制御を行う召喚者守護の為の魔法陣、その中央へと歩みよりながら、そう呟いた。
この大魔法が発動すれば、ほぼ間違いなく、今トリア大陸に攻め寄せている魔族たちは一人残らず駆逐されるであろう。そうして、魔族たちの滅びたトリア大陸を掌握するのは、ほぼ確実に『勇者契約』を発動し、行使することのできる唯一の国家である、フルール王国だけとなる。
そうなれば最早、此の世の全てがバスティアンの思いのまま。まさしく、地上における唯一王。
否、
神と言ってさえ、差し支えないだろう。
この未来を実現するために、一体、今までどれだけの労力を代償に、そしてどれだけの心血を犠牲にし続けたのだろう。
だが、それも報われるのだ。
今まさに、考えうる限り最高の結果となって。
来るべき栄光溢れる未来に、そして、己の持つその強大過ぎる野望を胸に思い描いたバスティアンは、口元に酷薄な微笑みを浮かべると、ゆっくりとした手振りで魔法陣を起動するために必要な魔導具の為の指環を嵌め、そして、召喚者守護の為の魔法陣に魔力の充填を行っていく。
やがて召喚者守護の為の魔法陣が、バスティアンの嵌める指環から送られる魔力に反応して、白銀色に輝く光の粒子を大広間へと放出し始めると、魔法陣に描かれた文字や図形、線の一本一本をなぞるように加速度的にその光を強く、濃くさせていく。
そうして、大広間の中に覆い尽くされた光の粒子は、その白銀色の光で薄暗い大広間の中に幾何学模様と不可思議な文字を組み合わせた魔法陣を浮かび上がらせると、やがて、大広間の中に描かれたもう一つの魔法陣へとその光を充填させ始める。
「ふふふ。どうやら、長かった準備も漸く終わったようだな。それでは、始めようか。我が、野望の成就の魔法を!『我、今まさに救いの手を此処に希わん!』」
その光景を眺めながら、未来への野望に胸を高鳴らせたバスティアンは、最後の大きく宣言した。
その途端、魔法陣から放出されていた白銀色の光の粒子は、蒼く輝く光の粒子へと変貌し、巨大な光の爆発を炸裂させた。
そうして、勇者は召喚される。
異郷の神と、仏の教えを引っ提げて。