仏像と勇者 第二話 勇者、働く。その二
その日、王城の兵舎ではちょっとした騒ぎが起こっていた。
ちょっとした野次馬の群れができた兵舎の訓練所に来たマルケルス軍隊長は、その日のいつもと違う浮ついた空気の兵士達を見て軽く一括すると、手近にいた兵士にその事情を聴く。
すると、マルケルス軍隊長の予想だにしなかった答えが返り、思わず間抜けな声を上げながら二度聞きしてしまった。
「なあにい?勇者殿が?」
「はい。どうも、勇者殿が剣術の訓練をし始めたようでございまして。それも早朝、兵士ですら起きたばかりの時間から訓練を始めており、一体どういう風の吹き回しなのかと、軍内ではもっぱらの評判でして、それでちょっとしたかけ事が起こってしまうありさまです」
部下の大隊長の俄かには信じがたい言葉に、思わず顎に手を当てて考え込んだマルケルス軍隊長であったが、すぐに部下に通常の業務に戻るように言うと、清盛の意思を問いただすべく清盛が剣を振っている訓練場に赴いた。
そこでは、剣道着に着替えた清盛が、今までになく真剣な表情で木刀を振っている姿があり、マルケルス軍隊長は驚きながらもその真意を尋ねようと清盛の下へと近寄ると、マルケルス軍隊長に気付いた清盛の方から話しかけて来た。
「おお、こいつは軍隊長さん。おはようさん。こんな朝っぱらからワシの所に来るとは、一体どういう風の吹き回しですかいのう?珍しいこともあるもんですのう」
「……それは私の言葉ですがね。正直に言えば、最初に部下から話を聞いた時には嘘をつかれたと思いましたよ。一体、どういう心境の変化でいきなり剣など振り始めたのです?そう言えば、昨夜奴隷を何人かまとめて購入したとお聞きしましたが、まさかそれが原因ではありませぬよね?」
マルケルス軍隊長は、半ば冗談だろう思いながらそんなことを口にしたが、当の清盛はその言葉にあっさりと頷くと、カラカラと笑いながら答えて見せる。
「おう、そうよ。ワシじゃって人ですけえ。流石に、奴隷まで買っておきながら何も働きもせんと、ぐうたらしておるんはイカンじゃろうと思いましてなあ。取りあえず、何か仕事の一つでもこなしましょうと思いましたんじゃあ」
清盛は軽く笑いながら言うが、その言葉に逆にマルケルス軍隊長は、不信感を強めていく。
確かに、何かが切欠でヤル気を出す男がいないわけではないが、そう言う人間は大概の場合、簡単な事が理由で辞めてしまうことが多い。
所謂、熱しやすく冷めやすいお調子者という奴である。
今まで軍務はおろか、訓練にさえ禄に参加しなかった人間が今更訓練を始めても、新兵より使えないのは明らかだったし、何より、まともに軍人生活が続くとは思えなかった。
正直、そんな人間が加わっても、迷惑にしかならない。というのが、マルケルス軍隊長の正直な感想であったが、ここで正面から断るのは角が立つし、何より、もしも本当に本人が改心しているのならば、それを邪魔することは『勇者』の本来の仕事からも忌避すべき事態である。
そこでマルケルス軍隊長は、清盛の本気度を試すために、一つだけ条件を提示することにした。
「そうですな。それでは、冒険者ギルドに登録して、一つ何かしら魔獣を討伐してくれませんかね?簡単なもので良いので、一匹分の魔獣の毛皮を持ってきてください。もちろん、何処かで売っている毛皮を買って来るという方法は無しですよ?」
魔獣とは、魔物の中でも特に凶暴性の強いものを刺すが、最低ランクであれば訓練された兵士であれば容易にとはいかなくても、それなりに戦うことも倒すこともできる。
軍人としての本気度を試すには、丁度良い獲物であると言えた。
だが、マルケルス軍隊長がそう言った瞬間、清盛は一瞬、狡猾で冷徹な笑みを浮かべると、その笑みを隠す様に素早く頭を下げて、確認を取る様にわざわざ大声を上げてマルケルス軍隊長の言葉を繰り返す。
「ほうですか。そいじゃあワシは今日から『冒険者ギルドに登録して、魔獣を狩るまでは一切軍隊に関わりませんけえ』。そう言う事で、ええですかいのう?」
清盛は、マルケルス軍隊長に頭を下げたまま人知れずに薄く笑うと、その笑顔を軽薄そうに歪めて面を上げて、その顔を見上げる。
マルケルス軍隊長は清盛の、その妙に大きな声と異様に聞き分けのいい態度に、どことなく薄ら寒い物を感じながらも、一度言った言葉を翻すこともできず、ただ困惑気味に首を縦に振るしかなかった。
「え、……ええ。今から、紹介状と地図を用意しますから、地図の通りに街を行ってくださればそれでよろしいです。…………くれぐれも、不正は働かないでくださいよ?」
「失敬な事を言いますのう。ワシは、ルールを破った事が人生で一度もありゃしませんけえ。安心して下さいや」
(これで言質は取ったけえの。ワシがどう動こうが、不審はない筈じゃ)
清盛はいかにも軽薄な笑顔の裏で、そんな計算高いことを考えながら木刀を慣れた動作で腰元に収めると、その場を立ち去りながらあくどい笑みを浮かべる。
(見とれよ、バカ王。ここからが、ワシの本領よ)
ーーー☆ーーー
体よく追っ払われた形で冒険者ギルドに登録することになった清盛は、マルケルス軍隊長からもらった地図を一瞥もせずに懐にしまって、久しぶりに昼日中の王都の街道を歩いて、すぐさまになじみの酒場に向かっていた。
清盛が召喚されたこの世界には、冒険者ギルドは実は二つの種類がある。
一つ目は、国家により運営されている公的な冒険者ギルド。
二つ目は、個人により運営されている私的な冒険者ギルド。
大きな違いとしては、国家によって運営されているギルドは大規模で、個人により運営されている冒険者ギルドは酒屋や飯屋などの他の商売との兼業であることが上げられる。
では、どちらの方が人気があるかと言えば、圧倒的に後者である。
その理由は単純に、冒険者にもたらされる報酬が高いからである。
国が運営する冒険者ギルドでは、安定した給料に加えて、武具や防具は支給され、大規模な依頼になれば国軍や騎士団からの援護の下、圧倒的に安全な状況で依頼をこなすことができるというメリットがあるが、その報酬は銀貨三枚。
これは私営ギルドの十分の一以下、安月給と言われている軍人の更に五分の一以下になる。
ちなみに、冒険者一人分の相場は平均値で金貨五枚。中央値では金貨二枚と銀貨五枚。
軍人の場合は、平均値で金貨一枚と銀貨五枚。中央値でも金貨一枚と銀貨二枚は支給される。
尚、この世界では金貨一枚は銀貨十枚と等価であり、銀貨一枚は銅貨百枚と等価であり、金貨一枚は日本円でおおよそ十万円と等価である。
そして、平均的な庶民が一か月暮らすには、最低でも金貨一枚分が必要になる。
つまり、私営ギルドに所属した場合、最低限の依頼一回分につき、日本円に直すと大体五十万円から二十五万円の報酬が与えられるが、国営ギルドに所属した場合、一か月につき三万円という破格の安さでこき使われることになる。
このあまりにも酷すぎる報酬の格差の表向きの説明としては、武器や防具などの備品に費用がかかるという事と、軍隊が出動することで軍事費を圧迫している。という理由が上げられている。
しかし、裏側の事情としては、この国の考え方として、そもそも冒険者のような非正規雇用の人間に対して一種の『消耗品』として扱っている節があり、彼らの生命を守っているのだから、その生活までは守る必要は無く、更には、その生命ですらも無理をしてまで守る気はない。という、暗黙の主張の為である。
実際、その主張の証拠として、国営ギルドに所属する冒険者に支給される武器や防具の大半が、国軍からの中古品であり、刃毀れや破れた革鎧などの不良品が手渡され、実戦中に故障することも多い。
その為、国営ギルドにだけ所属している冒険者というのは、ごく一部の例外を除いて存在しておらず、国営ギルドに所属している人間の殆どが、私営ギルドを含む他ギルドにも所属することで糊口をしのぐ。という、けしてありがたくない現実が待っている。
と、此処まで大きく待遇の差があると、冒険者から不満が噴出し国営ギルドが立ちいかなくなりそうなものであるが、やはり安全な状況で危険な依頼を達成できる。というメリットは大きく、圧倒的に生還率が高いというのは、国営ギルドにしかできないことである。
更には軍人の様にある程度の戦闘の訓練を受けることもでき、何も知らない田舎者が右も左も分からぬうちに死ぬ。という、最悪の事態を極力回避することができるのも、冒険者のランクを示すプレート制度を実施することができるのも、国営ギルドならではの強みである。
加えて国営である為に、ギルド所属の上位冒険者の名声は内外に知れ渡り、名声も又大きなものとなっている。
その為、国営ギルドは冒険者全体の五分の一の人数の人間が所属している大規模組織としてこの国に君臨しているのだが、上位冒険者の内、全体の九割が貴族出身の人間であることが、この組織の実態を端的に表しているとも言えなくはない。
つまり、要約すれば国営ギルドは『安全な代わりに貧乏な生活しかできない』という特徴があり、『初心者が所属し、経験を積むためのギルド』という事になる。
一方で、私営ギルドの方はその逆。つまり、『いつ死んでもおかしく無いほど危険だが、報酬が大きい』と言う特徴を持ち、『ある程度経験を積んだベテラン冒険者が所属するギルド』となる。
マルケルス軍隊長が清盛に登録するように勧めたのは、無論、国営ギルドの方であるが、そんなことは清盛の知ったことでは無い。
清盛は、人の悪い笑みを浮かべながらなじみの酒場であり、大手私営ギルドの一角である『明けの雫亭』の前に立つ。
(一応、マルケルス軍隊長の言葉から、ワシが城の外で活動する大義名分はもぎ取った。
あのおっさんが考えはおおよそ理解しとるが、どうでもええ。
今まで散々、窮屈な目に遭わされたんじゃ。ここからはワシのやりたいようにやらせてもらうけえの。
当初は、奴隷どもと組んでパーティを整え、奴隷たちを冒険者として名を上げる裏で暗躍する算段じゃったが、ジンム達を買って気が変った。
あいつは、兵として直接戦う男じゃあないのう。将として人の上に立つか、或いは王にでもなる男じゃあ)
清盛は、檻の中でも尚、欄欄と輝き続けていたジンムの紫色の瞳を思い出しながら、薄く笑う。
(あいつは、一から成り上がるより、先に百を与えるべき男じゃあ。
これからはジンムを中心にあの子たちを育て上げて、武装勢力を組織する。ジンム達にはその組織の幹部、ゆくゆくは指導者としてその武装勢力を率いてもらう。
その為には、今は教育が必要じゃ。基本的な読み書き計算に加えて、剣道やら武道やらも教えたいし、今の内から商売の仕方や軍隊の動かし方まで仕込んで、出来る事なら仏教まで教えて仏像マニアにまでもしてみたいが、流石にそこまではやりすぎかのう)
清盛はそこまで思考を張り巡らして足を止めると、王都の中心にそびえたつ王城を睨み上げながら、獲物を前にした猛獣の様に舌なめずりをする。
(まぁ今は、先の事より今の事よ。今まで散々用意して、漸く儂が動ける時が来たからのう。此処からゆっくりと計画を進めればええわい)
清盛は、その想像に腹の底から湧き上がる笑みをこらえながら、剣道着の懐の中に手を突っ込むと、ゆっくりと酒場の中へと入って行った。




