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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

深淵の魔女

作者: 天野眞亜

「うああぁん、うあああぁん」

 どこかで赤子が泣いている。

 寂しいのだろうか。

 腹が減っているのだろうか。

「うああああぁんっ」

 言葉を紡げない赤ん坊は、泣くことしかできない。

 だが、それに応えてやれる者はいなかった。

 半径数メートルはあろうかというクレーターの中心に、赤子はいる。

 赤と黒が点々と飛び散った大地は円錐型に抉れ、残骸が外周をぐるりと縁取る。どれも原形をとどめておらず、破片を全て集めても元通りにはできまい。

 生と死が共存する光景に、赤子の泣き声だけが拡散していく。



 



 とある王国の辺境に、レッドフィールドの森がある。

 別名『魔女の森』と呼ばれ、狩人もやってこない奥地に一人の魔女が棲みついていた。実際には誰も見たことがないので、そういう噂があるというだけだ。魔女というからには女である。魔女なのだから老女かもしれない。妖艶な美女かもしれない。恐ろしく強い魔法が扱えて、妖しげな薬を調合し、おぞましい使い魔たちと生活している。

「んなわけ、ないっつの」

 ざくざくと獣道を踏み分けながら、わたしは溜息を吐いた。


 日野理江奈、享年19。

 成人式を目前にして、交通事故でぽっくり逝った不運女の名前だ。現代っ子の例にもれず、輪廻転生だの死後の世界だの全然興味がなかったのに、気が付いたら赤ん坊からやり直していた。というか、目が覚めたら赤ん坊だった。

 いわゆる、異世界転生だ。

 日本が存在しない、地球でもない世界のどこかで生を受けた(らしい)わたしは、それこそ生まれたままの姿でわんわん泣いていた。他に何をしろと。

 両親は知らない。

 覚えているのは、鼻につく焦げ臭さだ。

 そのまま飢え死にするのかと思っていたら、運良く通りがかった村人Aに助けてもらった。森の入り口で生活する家族の一員として、わたしは平凡な一生を終えていたかもしれない。でも、そうならなかった。村人には妻がいて、息子が二人いた。レッドフィールドには古くから魔物が棲むと云われ、わたしはその魔物だと疑われていたのだ。

 捨てる捨てない、と夫婦は毎夜喧嘩をしていた。

 やっと四つん這いで歩ける子供が、大人の会話を理解していたとは思うまい。うまく手懐けてやれば将来的に得をすると考えた妻は、わたしをとても可愛がった。とりあえず衣食住に困らなかったのだから、感謝すべきだろう。

 いくら前世、というか死ぬ前の意識が残っていたとしてもだ。

 わたしはまだ2才にも満たない子供で、満足に自分のことも何一つできなかった。必死に読み書きを覚え、生活の知恵を頭に叩き込み、常識や作法を体へ馴染ませた。真面目で、仕事を覚えるのも早く、従順な娘を彼らは慈しんだ。そこに愛情があっただなんて、今も信じてはいない。

 いや、信じかけていたのかもしれない。

 10才になる前に家を出るつもりが、13才になるまで残っていたのだから。


 偽りの家族関係は、あっさり崩壊した。

 上の兄が、わたしに欲情したのだ。

 血の繋がらない妹は他人も同然。もしかすると魔物かもしれないという疑いは晴れていなかったので、真偽を確かめてやるとか何とか勝手な言い分をちらつかせて迫った。大人しく、聞き分けの良い子供で通していたわたしだって、無理矢理されるのは嫌だ。好きでもない男に、しかも一応は兄と呼んでいた相手とやるなんて絶対嫌だ。

 結論だけ言えば、上の兄は死んだ。

 わたしが殺した。

 母は魔の本性を現したと言い、父を詰った。都合よく利用するはずが、成長しても大して特別な能力を発揮しなかったくせに、騎士団へ入る予定だった息子を殺したのだ。どうやって殺したかって? 魔法を使いました。

 ブツブツ呟く呪文なんて知らない。

 魔法の属性についての知識もない。

 血だるまの骸の下でのびているわたしを見つけたのは、下の兄だ。服がボロボロだったので、世間的には盗賊に襲われたということにされた。

 わたしは魔法が使えるらしいけど、彼らは魔法が使えない。

 王都には特別な力を扱える人がいるというから、この世界での魔法は誰でも使えるわけでもなさそうだ。魔力を含めた先天的な能力と、基礎知識が必要のはず。

 それはともかく、わたしは母に襲われた。

 今度は性的な意味でなく、息子の仇として命を狙われたのだ。夫がわたしのことを可愛がるのが気に入らないと言えばいいのに、他の女に孕ませた子供だと疑っていたと言えばいいのに、義妹に欲情した可哀想な息子のためにわたしを殺そうとした。

 だから、全て無かったことにした。

 母から守ってくれた父と、半狂乱で化け物呼ばわりする母と、13年間生きてきた家を丸ごと燃やし尽くした。黒焦げになった土地に、すり切れた靴を転がしておくのも忘れない。

 わたしはあの時、二度目の死を経験したのだ。


 はい、回想終了。

「魔法を使えるんだし、魔女かもしれないけどさ」

 一人暮らしをしていると、どうしても独り言が増える。

 外出着から木の葉を取りつつ、わたしは顔を上げた。誰が棲んでいたか知らないが、蔦だらけの小さな小屋にホッとする。屋根の上には一羽の鷹がいて、ばさばさと翼を動かした。

 鋭い目がこちらを見つめた。

「……何?」

 嫌な予感がする。

 幸いにも、食べ物は何とかなった。狩人の家で育てられたおかげで、兎くらいは捌ける。たまには川で魚を釣ったり、森の中に自生している茸や木の実を食べる。森を彷徨った果てに無人の小屋を見つけられたのは、わたしにとって僥倖だった。

 さすがに日用品は、村まで出向いて買ってこなければならなかったが。

 この世界――というよりも、わたしのいる地域――は硬貨があまり流通しておらず、物々交換が主流だ。山で見つけた希少な鉱石や薬草、狩ってきた獲物など必要な者と交換した。

 そうして、この数年は十分に過ごしてこられたのだ。

(義務教育万歳、よね)

 学ぶことに対する基礎が出来ていたからこそ、狩人の真似事ができる。

 知識を得るための本があるわけもなく、まれに行商人が持ってくる薄い本を期待するしかない。あとはプロの勘というか、生きるために叩き込んだ感覚が頼りだ。

 その勘が、警告している。

(戻るべき? いや、小屋に接近しすぎた。とっくに気付かれてるかも)

 女狩人のレーナは流れ者だ。

 人見知りが激しいので、村から離れた家に住んでいるという筋書きにしている。同じように村はずれに住んでいた家族は、何年も前に火事でもろともに焼け死んだそうだ。赤毛の少女は将来有望だっただけに、村人たちの憐みを誘った。

 同じ赤毛のレーナはその娘に似ている、と彼らは懐かしむ。

 本人だと教えてやる気はなかった。まさか生きているとも、わざわざ両親の死んだ家の近くに住んでいるとも思うまい。ちょいちょいと暴発させた魔法のせいで、すっかりレッドフィールドの森は恐れられている。

 命知らずな娘だの、男勝りで嫁の貰い手がないだのと言われる。

 それでよかった。

 幼い自分を助けなかった村人と馴れ合う気はない。いつか全て焼き払ってやると心に決め、その準備を着々と進めている。過去は完全に消し去らなければならない。魔女の棲む森に誰一人、近づこうという愚か者が出てこないように。


「リア!」

 信じられない。

 とっさに声が出ず、唇が小さく震えた。

「やっぱり、お前だったんだな……」

「…………」

「探したんだぞ、本当に」

 がさ、と足元で音がした。縞模様の蛇が細い体をくねらせ、素早く茂みへ消えていく。揺れる葉先が落ち着くのを見届けてから、ゆっくりと視線を戻した。

 長剣を帯び、肩幅の広い青年である。

 旅装束にしては物騒で、戦へ参加するには軽装だ。わたしが新米レンジャーだとするなら、彼は中級ファイターといったところか。肌は日焼けし、精悍な顔つきになっている。栗色の髪と翠の瞳だけが記憶の一つと一致した。

 下の兄、ケインだ。

 ふらつきながら、わたしの小屋から出てくる。

「焼け跡から子供の死体が見つかったって聞いていたが、俺は信じなかった。お前は絶対生きてるって、俺は信じていた!」

「なぜ」

「何故って? お前は特別な人間だからさ。母さんはちっとも信じなかったけど、お前は魔物なんかじゃない。奇跡の子供だ。神に愛された娘なんだよ!!」

 本当に変わらない。

 美しかったが疑り深い母は、信心深い父と駆け落ちした。どこかの貴族だというか、詳しいことは覚えていない。家から飛び出したくせに、息子たちには栄華の道を歩ませたかったらしい。王都で入団試験を受けさせたのも、そういう期待があったからだ。

 上の兄は母親似で、下の兄は父親似だった。

 森で拾ってきた子供を「奇跡」だとか「神の申し子」だとか、何を根拠にと言いたくなる。敬虔な信者であった父は、クレーターの中で泣く子供が尋常ではないと悟ったのだろう。自分の子として、ではなく「尊い存在」として慈しんだ。あまりにも大事に、大切にするものだから、母は嫉妬せずにいられなかった。

 そして上の兄はロリコンの気があったらしい。

 幼い頃から可愛がってくれていたが、身の危険を感じるようになったのは7才の頃だ。今思えば、彼なりに我慢していたのかもしれない。かといって、行為に及ぼうとしたことを許しはしない。過剰防衛だったとしても、他に自分の身を守る方法がなかったのだ。

「ケイン」

「……リア!」

「今すぐ、ここから立ち去って。そして全て忘れて」

 嬉しそうな顔は一転、落胆に沈む。

 この兄に対して恨みはない。13才まで何も起きなかったのは、ケインが守ってくれたからだ。両親と家を燃やした時、彼は王都にいた。

 二度間に合わなかったから、三度目の正直とでも? 笑わせる。

 わたしがケインを殺さないのは森を燃やしたくないからだ。やっと加減する方法を覚えたばかりで、恥ずかしくて魔法使いなんて自称できない。得意なのは火と水だが、この二つを同時に操るのはとても難しい。

 憎くないから殺さない。それだけなのに、彼は立ち去らない。

「リア、聞いてくれ」

「話すことなどないわ」

「今度こそお前を守りたいんだ。誰にも傷つけさせない。だから、一緒に暮らそう?」

「お断りよ」

 ひどい茶番だ。まるで痴話喧嘩じゃないか。

 交通事故で一度死に、異世界でも生まれた直後に関係者が全滅。血の繋がらない兄に犯されかけ、継母に殺されかけ、家ごと燃やして逃げてきたというのに。過去は、不運は、どうあっても離れてやるつもりがないらしい。

「この森の噂を聞いたことがないの?」

「もちろん、あるさ。恐ろしい魔女が棲んでいるんだろう。こんな危険なところにいたら、お前の身が危ない。今まで無事だったのは、リアが奇跡そのものだからだ。俺と一緒に王都へ行こう。リアに似合うドレスを買ってやる。昔から、綺麗なものが好きだったよな。王都には宝石もたくさんあるんだぞ。お前が欲しいって言うなら、いくらでも」

「いらない」

「遠慮するなよ、リア。唯一の家族じゃないか」

「家族じゃないわ」

 そんな夢を見ていた。

 どうして、死ぬ前の記憶なんか残っていたのだろう。どうして魔法なんか使えるんだろう。普通の赤ん坊として転生していたなら、本当の両親と幸せに暮らしていたかもしれない。

 いや、そもそも転生なんかしたくなかった。

 確かに19年間の人生は短すぎたとは、思う。

 これから恋をして、社会人としてお金を稼いで、年老いていく。結婚したり、子供ができたりとかあったかもしれない。可能性って考えれば考えるほど虚しいと、今知った。

「イメリアッ」

「最後通告よ、ケイン。今すぐ森から出ていって」

 そう言った直後に後悔した。

 仏心なんてロクなもんじゃない。この男も、あの女の息子なのだ。あの馬鹿な青年の弟なのだ。盲目的にしか世界を測れない愚かな男によく似た人間。

 わたしはずっと言いたかったことを舌に乗せた。

「イメリアじゃないわ。わたしは、リエナよ」

 誰も発音できないから、リーナと呼ばれていただけ。

 赤ん坊のわたしが「リエナ」と呼んでほしいと願ったところで、あの愚かな夫婦が信じるわけがない。そうだ、最初から家族ではなかった。愛情なんか存在しなかった。

「リア…………イメリア、じゃないのか? 違うの、か」

「ええ」

 すらり、と金属音が聞こえた。

 頭のどこかでは、こうなることも予想していた。過去は全て消さなければならない。家ごと燃やしてしまった日に、まずやるべきは下の兄を探すことだったのだ。

 否、それは違う。

 レッドフィールドの森に残っていれば、必ず会えると分かっていた。つまりは迷子の法則だ。互いに探し回って歩くよりも、どちらかが動かない方が発見されやすい。人智を超えた力や、天変地異には弱いくせに、見た目で騙されやすいのが人間という生き物だ。時代的にも孤児は珍しくないし、大人しくて無害そうに見える娘を苛めようとは思わない。

 勘違いした男たちが保護者を名乗り出てきたりもしたが、男嫌いと人見知りのキーワードを浸透させれば簡単に排除できた。

 大事なのは、やりすぎないこと。

「俺のリアは…………どこだ」

「さあ?」

「返せ! 俺の、俺の妹を返せっ」

 振り下ろされる刃は、身をよじって避ける。

 わたしは、こんな修羅場を何度も経験してきた。女は男より強いとダメで、強すぎると性別の関係なく化け物扱いされる。血だるまや、黒焦げはご法度だ。この森で生きていくなら、村人たちの前で派手なことはできない。

「でもね」

 わたしの指が、白刃に触れた。

 どろりと溶けていく金属の向こうで、こぼれ落ちんばかりに目を見開く男がいる。わたしが異世界に転生して、ただ可愛がられるままに生きてきたと思っているのか。生まれた瞬間から19才までの記憶があって、意識も残っていた。

 さすがに元の世界での幼少期まで記憶にないが、16年間は無駄にしなかったのだ。最初から一人で生きていくために、わたしは知識を蓄えた。魔法の制御法を知らないから、狩人としての腕を磨いた。街へ出たくないから、サバイバル知識を貪欲に欲した。

(そういうこと、何も知らないでしょう?)

 小さなリア、ぼくたちの可愛い妹。

 彼らは、それが口癖だった。

「さようなら、お兄様」

 一度たりとも使ったことのない呼び名を持ち出して、わたしは笑う。

「あ、ああっ……燃える、あついっ」

「どうして魔女の森だなんて言われたか知ってる? わたしにちょっかいを出す男は、この森で死んだのよ。しつこくて、喧しくて、全然人の話を聞かないんだもの。仕方ないわよね」

 死人に口なしとは、よくいったものだ。

 わたしの素性に気付いた人間、言い寄ってきた馬鹿な男、魔女の噂を聞きつけて遠い所からやってきた騎士、それから何だったか。

「な、なん…………ぎゃああああぁっ」

「3年かかった」

 わたしが最初に使ったのは炎。次に水、そして土。

 めきめきと音を立てるそれを見つめながら、腕を組んだ。呪文は必要ないし、そもそも魔法の原理なんか知らない。頭の中で思い描くイメージが緻密であればあるほど、わたしの魔法は精巧なものになる。

「この森は魔女リーナ、わたしのものよ」

 燃やして冷やし、土に埋めて、苗床にする。

 ケインが軽装で来てくれてよかった。燃えやすい装備だから、あっという間に灰へ還してしまう。そんな簡単な死に方はさせたくない。

 この森へ踏み込んだことを後悔しながら、じわじわと死んでいけ。

「何度も言ったわよね? 帰れ、って」

 まだ聞こえているだろうが、返事はない。

 代わりにケインを飲み込んだ大樹が葉を揺らした。まるで笑いさざめいているようにその音は、森の中をゆっくりと反響していった。


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