稲荷神が申しますには
時は、今よりほんの少し未来。
際限無く増える人間の生活圏を確保するため、ついには神々が住んで居た山は尽く切り崩され、社は取り壊されていった。
そして、住処を追われた神々と、崇拝すべき神を失った神社は、何処かに姿を消していったのである--。
まさか、こんな機械文明万歳な世の中になって、よく分からないものに追われる事になるとは。
僕は、後ろを付けてくる得体の知れないモノから必死に逃げていた。
最初はただの勘違いだと思い、気にしないことにしていたのだがそういうには余りにも存在がはっきりしている。
「まさか……ストーカーかな」
いや、そんなことはまず無いだろう。
何しろ僕はごく普通の男性だし、容姿が特別良いわけでもない。
そうなると、きっとただの過剰な自意識だろう。
それならば、相手の姿を見れば安心できるだろうと曲がり角で僕は僅かに奴が居るはずの方向を見た。
僕は期待していた。
底にいるのはどうせ僕のことなんて気にも留めていない人だろうと。
しかし
「誰も……居ない?」
ただの気の所為だったのだろうか。
いやそんなはずは無い、確かに誰かいる気配が今もあるのだ。
そしてそれはじわじわとこちらへと寄ってくる。
「うっ……」
それが近寄るに連れて、気持ち悪さと絶望感が溢れだしてくる。
得体のしれない強迫観念に追い込まれ、これから望みも無いという無力感。
一昔前なら、『神頼み』だの『お祓い』等としに行けたのだろうが、生憎今の世にはそんな事を気軽にする事はできない。
そんな事を行う『神社』は、土地不足のためになくなっているのだ。
「嫌だ……誰か……」
擦り寄るものも無く、僕は虚空に手を伸ばす。
もし、コレを傍から誰かが見ていたら、酷く滑稽だと思うだろう。
僕も傍観者の側ならば、きっとそう思う。
こんな変人、きっと誰も助けてくれないだろうーー。
「あややー。あなた、憑かれちゃってますね」
ふと、女の子の声が聞こえた。
「稲荷さん、どうしましょうかね……そうですね、とりあえず符で引き剥がしましょう」
横に居た犬の様な動物にそう言うと、何もない筈の場所から御札を二枚ほど取り出した。
「御神札、射出」
少女は二枚の御札を、ごく軽く前へと投げた。
しかし、二枚の札は手から離れた直後、一筋の閃光と共に思わぬ急加速をしてこちらへ飛んできた。
僕の体を掠めて、まだ一直線に飛び、後ろにあった塀へと突き刺さった。
直後、僕を取り巻いていた重たい感覚が消えた。
「祓い給え清め給え祓い給え清め給え……」
呪詛の様に彼女は呟く。
いつの間にか、手には先端に紙の付いた木の棒を持っていた。
あの棒、なんて言うんだっけな……幣だっけ。
余りにも常識とはかけ離れた出来事に、僕の頭は軽い現実逃避を始めていた。
「ダメですか、どうしても還らないと……仕方ないですね」
そう言うと、彼女は何もないはずの空間を掴んだ。
瞬間、触れた部分から結晶が固まっていくように、大きな棒が現れた。
よく見ると、反対側からもその棒はできており、上には棒二つをつなげる様な屋根ができていた。
これって、大きな鳥居……いや、こんなものは観光地の神社とかにしか無いはずだ、小さいサイズとはいえなんでこんな所に。
この時には、僕はもう完全にパニックに陥っていた。
少女は、そんな僕に全く構わずに、軽々と鳥居を持ち上げると、こちら側に足が向かう様に90度回す。
鳥居の足には穴が開いており、さしずめ砲門の様になっていた。
そのまま御札が突き刺さっている所に狙いをつけ、
「危ないので、しゃがんで下さい」
その言葉を聞いて僕が頭を抱えてしゃがみこむと同時に、爆音が響いた。
目を瞑っていても分かる位、周りが一瞬明るくなり……そして静寂が戻る。
後ろを振り返ると、御札が刺さっていた塀が、鉄球でもぶつかったかのような凹み方をしていた。
「まだ強制除霊の際の衝撃が吸収しきれて無いですね、科学もまだまだです……う、私が未熟なのはごもっともです……」
目の前では何故か、偉そうな犬と少ししょんぼりした少女が居た。
いや、よく見ると犬では無い、狐だ……なんでこんな所に居るんだ。
そして少女の方も、コスプレ以外ではなかなかお目にかからない、巫女服を着ている。
「あ、気が付かれましたか」
そう言うと、立ち上がれないと思っているのか、こちらに向かって手を差し出してきた。
「い、一体何なんだよ……あんた」
全く分からない展開に、礼をいうことすら出来なかった。
「私は巫女ですよ、たまに『神者』とも呼ばれています」
そう言って僕の方にはにかむ。
こうして、僕はこの『神者』なる人と関わって行くことになるのだが、それはまた別の機会に。