かみさまのつくり方
全編を通して過度の性表現・グロテスク描写はありませんが、インモラルな表現があるため義務教育終了済みの方の閲覧を推奨します。
おかあさんがおかしくなったのは、お父さんが死んでしまって悲しくて苦しいからなんだってわたしは知ってる。
だから誰にも、わたしにもどうすることもできないんだ。あまり覚えてはいない。でも思い出の中のお母さんはとても優しかったような気がする。いつか、あの優しいころのお母さんに戻るってわたしは、そう思ってる。
マンションの狭いベランダがわたしの居場所だ。お母さんが怒っている時や具合が悪い時は、部屋の中にいると怒られたり叩かれたりしまうから、わたしは着替えをしたらすぐにベランダに出る。
「おはよう。」
隣に住んでいる幸太郎くんが、わたしよりも早くベランダに来ていた。
「おはよう。幸太郎くんはやいね。どうしたの?」
「起きたら、佐那ちゃん家から大きな音がしたから。佐那ちゃん、今日はすぐ来るかなって思って。」
幸太郎くんにありがとうって言って、すぐ隣に座った。
マンションのベランダだから、わたしたちの間には頑丈な柵があるけれど、隙間は大きいから、
それはおしゃべりするのにも、手をつなぐのにもあまり邪魔にはならない。
幸太郎くんとわたしは毎日ここで一緒に過ごす。幸太郎くんのお家もお父さんがいなくて、お母さんが一人で働いているって言っていた。わたしたちは学校には行かせてもらえないけれど、毎日このベランダでいろんなお話しをしたり、絵本やトランプを持ち込んだりして遊んだりしていた。
ベランダはわたしたちの秘密基地だった。
今日はお母さんが寝室から出てこなかった。お母さんはわたしを叩いたり、お電話がかかってきた次の日は具合を悪くして一日中お部屋から出てこないときもある。お母さんは昨日の夜、わたしを怒って叩いたから、きっと今日はお部屋から出てこない日だ。こんな日は、わたしはいつもは絶対に入ってはいけないと言われているお父さんの部屋にこっそりと入る。お父さんの部屋だったここは、壁一面が本棚になっていて沢山の本や写真があった。お母さんは何故かわたしがこの部屋に入るのをすごく嫌がっていた。
木でできた大きな机の上には、赤ちゃんのわたしを抱っこしたお母さんとお父さんの写真が飾ってある。この写真を見ていると、いつかお母さんが元のお母さんに戻ってくれるような気がして元気がでてくる。
「お父さんおひさしぶりです。」
たまにしか見れないお父さんに挨拶をして、さっそく部屋の中をぐるぐる見て回った。
本棚いっぱいに詰め込まれた本たちは、どれも素敵で面白い。
難しい漢字ばかりでわたしにはまだ全然分からないけれど、それでもこの部屋にある本を見るのは面白かった。ちょっとずつ分かる部分を読んだり、不思議な絵や写真を見ることがわたしは大好きだった。
たまたま開いた本の中身はやっぱり難しい漢字ばかりだったけれど、わたしにも分かるところがいくつかあった。
人みたいな絵と、不思議な模様。真ん中に描かれた人のようなものに、それを取り囲むたくさんの人たちが頭を下げたり、手のひらを合わせてお祈りのポーズをとっている。
「...神様の作り方。」
きっとそういう内容だと思う。絵や写真が沢山載っているページでわたしでも少し分かる。
わたしはゆっくりゆっくり字を追いながら、その作り方を頭の中で思い描いていた。
丈夫な紙を用意します。
神様の形をつくります。
お目々は一つだけかきます。
片足を折ります。
神様との約束事を決めます。
神様のことを大事に大事にします。
―神様のつくり方。
わたしは考えただけでわくわくした。神様がどんなものかわたしはよく分からない。けれど、本に載っている絵や写真はわたしの好奇心をくすぐるには十分なものだったのだと思う。
「神様?」
そうだよ。と、わたしは頷いた。ベランダに出て、さっきの本の話をしたら幸太郎くんはとても喜んでいた。
「すごい、すごいよ。」
「神様が何か幸太郎くんは知ってるの?」
「神様はお願い事をすると、それを叶えてくれるんだよ。僕知ってる。神社とか教会とかでお願いしてる人、テレビで見たことあるよ。」
「本当に?」
「絵本も持ってるよ!」
わたしは幸太郎くんから神様について教えてもらってますますわくわくが止まらなかった。
だって、なんでも願い事を叶えてくれる神様がつくれるんだもの。
わたしはさっそく幸太郎くんに話しかけた。
「じゃあ、神様をつくろう!わたしたちのお願いを聞いてくれる神様。」
幸太郎くんはうん、と元気に頷いて「ちょっと待ってて。」と言って部屋の中に入っていった。
「これ、僕のとっておきの折り紙だよ。あのね、紙なんだけど水に濡れても大丈夫なんだよ。」
幸太郎くんは数枚の折り紙を持ってきて、わたしに見えせてくれた。
「すごい!丈夫な紙だから神様をつくるのにぴったりだね。これでつくろう!」
わたしたちはさっき本で読んだ内容を思い出しながら、丁寧に丁寧に神様をつくっていった。
寒かったベランダがぽかぽかとあたたかくなってきて、近くの学校からはキーンコーンカーンコーンという鐘の音が聞こえてきたころ、ようやく神様の形が完成した。
出来上がった神様を嬉しそうに胸に抱きしめながら幸太郎くんは言った。
「約束事を決めよう。」
あぶない。すっかり忘れてしまうところだった。わたしはぐー、と鳴るお腹を摩りながら頷いた。
けれど、わたしはどんな約束をすればいいのか全然分からなかった。約束なんてしたことがないかもしれない。
いや。
―お父さんの部屋には絶対に入らない。
それがわたしにとって約束だよ、と言われた唯一の事柄だった。
「約束事って何を決めればいいのかな?」
わたしは何を決めてたらいいのか、幸太郎くんに尋ねた。
幸太郎くんは持ってきた絵本をぱらぱらとめくりながら一生懸命考えていた。
「んーっと、一人で何個もお願い叶えるのはだめだから一人一個にするとか...神様はお願いをきちんと叶えること、とか?」
わたしは一人一個なんだ、と少し残念に思ったけれど、幸太郎くんは胸に抱いた神様にさっそく約束をしていた。
「お願いは一人一個にします。だからお願いをなんでも叶えてください。」
にこにこ笑いながら、優しく神様を撫でる幸太郎くんを見て、なんだかわたしも嬉しい気持ちでいっぱいになった。
夕方になるまで、わたしたちは手を握りながら二人で約束事を唱え続けた。
それからわたしたちは、毎日交代で神様をポケットに入れて大事に大事にした。
話しかけたり、二人で一緒にひなたぼっこするときは、神様もポケットから出して一緒にひなたぼっこをするようにした。神様をつくったことは二人だけの秘密で、わたしたちの毎日は今までよりほんのちょっと楽しくなった。
髪の毛が引っ張られる痛みで目が覚めた。
「...おかあさん?」
どさっ、とベッドから引き下ろされてぶつけた頭がとても痛い。
目の前にはお母さんが立っていた。
「...部屋に入ったでしょ。」
「ご、ごめんなさい...。」
わたしが部屋に入ったことに、今までお母さんは気づかなかったのにどうしてバレてしまったのだろう。
わたしがしばらく黙っていると、お母さんはしゃがみこんでわたしと視線を合わせ、次の瞬間にぱしん、と頬を叩いた。びっくりして、わたしの目からはぽろぽろと涙が出てきた。
「本の位置が違う...。」
え、と声を出そうとするとお母さんの目からも涙が流れていることに気が付いた。
「本の位置が違うの!あの頃と変わってしまうの!どうして、どうしてこんな事したのよ!」
お母さんはお父さんを名前を呟きながら、わたしの肩を掴んで体を揺らし続けた。
どうしてお母さんはわたしをこんなに怒るのだろう。どうして泣きながら怒るんだろう。わたしがもう少し大人になったら分かるのかな。
「お願いだから、もうあの部屋に入らないで。」
赤く腫れてしまった頬っぺたを摩りながらベランダに出ると、ひくりと喉を鳴らす音と鼻水を啜る音が聞こえてきた。驚いて、柵の向こう側を見ると、幸太郎くんが膝を抱えて泣いていた。
ベランダで泣くのは決まってわたしばかりで、幸太郎くんが泣いているところをわたしは初めて見た。
わたしは慌てて柵に近寄って手を伸ばし、幸太郎くんの手を握りながら何度も「大丈夫?大丈夫?」と聞いた。
「お、母さんと...お出かけするはずだったのに...行けなくなったって。ぼくっ、僕ずっと楽しみにしてたのに。お母さん、が。」
幸太郎くんは目をこすりながら、顔を上げて小さな声で話してくれた。
わたしはポケットから神様を出していつものように約束事を唱えながら、ぎゅっと幸太郎くんの手を握り締めた。
柵越しに手を握りながら、わたしたちは大きな声で約束事を唱え、
交代で神様を優しく抱きしめながら泣いた。
水に強い神様は、わたしたちの涙なんか気にもしていないみたいだった。
昨日わたしを叩いたお母さんはやっぱり部屋から出てこなかった。
けれど、もうお父さんの部屋には入らない。お母さんに怒られるのは嫌だし、お母さんが泣いているところをみるのも嫌だった。
着替えを済ませてポケットに神様を入れ、ベランダに出ようとすると電話が鳴った。
わたしが部屋にいて、お母さんが部屋にはいないという時に電話が鳴ったのは初めてで、
どうすればいいのか分からなかったから、しばらくじっと電話を見つめているとピーという音の後に、
知らない人の声が聞こえた。
「もしもし、佐那ちゃんのお母様ですか?こちら児童相談所の高橋ですが、...」
その声を聞いていると「佐那。」と後ろから声をかけられた。
「お母さん...?」
お母さんはわたしに近づいて膝をつき、ゆっくりとわたしを抱きしめた。
お母さんの手に背を撫でられ、鼻の中がお母さんのにおいでいっぱいになった。
嬉しくて胸がどくどくとなっているのが分かる。
「おかあさ、」
昔のお母さんに戻ってくれたの?
そう聞こうとした瞬間、強く床に突き飛ばされた。
「お母さん、やめて。やめて。...ごめんなさい、ごめんなさい...。」
お母さんはまた悲しそうな顔をしながらわたしのことを叩き続けた。叩かれた頬やお腹が痛くて涙が出てきた。お母さんはいつもは、ここまで痛いことしない。
「もう駄目、ね。」
すっと、お母さんの手がわたしの首に添えられた。
「ごめんね。こんなお母さんで、ごめんね...。お父さんがいないと、お母さん...。耐えられないの。私の佐那なのに、こんなに大きくなってしまって。ごめんね、
一緒にお父さんのところ行こっか。」
お母さんの手に力が込められてわたしは息が苦しくなった。
やめて、やめてと言ってもお母さんは止めてくれなかった。
どうしてお母さんはこうなってしまったの。
どうしてお母さんはわたしを愛してくれないの。
お母さんも、幸太郎くんのお母さんも、どうしてわたしたちを泣かせるの。
頭の中が悲しいことでいっぱいになった。
涙でぐちゃぐちゃの視界の中でお母さんはやっぱり泣いていた。
「お母さん、消えちゃえ...。わたしに優しくしてくれないお母さんなんて消えてしまえ...。」
どさり、と突然倒れ込んだお母さんの重みにわたしは押しつぶされた。
げほげほと咳き込みながら「お母さん?」と聞いても返事は無い。
何度も呼んでいると、倒れているお母さんの向こう側に知らない綺麗な子が立っていた。
綺麗な子はしゃがんでわたしの目を見るとにっこり笑って言った。
「お願い聞いてあげたよ。」
同じ日に、幸太郎くんのお母さんも亡くなった。
私の母は薬品の乱用と心臓麻痺によって。幸太郎くんのお母さんは生計を立てるために仕事外で行っていた売春行為のために免疫不全となって亡くなっていた事が後に分かった。
私たち二人は、施設に入って学校に通った。
ポケットの中にいれていたはずの神様がいなくなっていたことを、
わたしは未だ幸太郎くんに言えないでいる。
神さまのつくり方は、柳田邦男の一つ目小僧に関する資料や日本の風俗文献を参考にさせていただいております。