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目覚めの三日間、魔法が生まれるとき

掲載日:2026/09/13

◆ 世界観設定

この世界の魔力は、「魔核核」と呼ばれる細胞核の中に眠っている。生まれながらに魔力を持つ者と持たない者がいるとされてきたが、実際には「目覚めていない魔力」を持つ者が存在する。それを「潜在型」と呼ぶ。

「三日間の覚醒期」という現象がある。潜在型魔力を持つ者が、ある特定の条件下(強い感情の揺さぶり、肉体的な臨界、または術者の介入)で、三日間の間に一気にゲノムレベルで魔力回路が解放される。これを「ZGA(ゼノム・ゲート・アクティベーション)」と呼ぶ。この三日間を乗り越えれば魔力が定着するが、途中で中断されると逆に魔力が消滅する危険がある。

「ZGA術師」は、この覚醒期を管理し支援する医術師の一分野。患者の魔核核の状態を読み、覚醒のタイミングを測り、三日間を安全に乗り越えさせる専門家だ。世界に数十人しかおらず、王立医術院に直属している。

貴族社会では「魔力のない者は貴族ではない」という価値観が支配的で、魔力ゼロと診断された者は家名を傷つけると見なされる。

◆ 主要登場人物

ルーシェ・アルヴァン 19歳 / ヒロイン

辺境伯爵家の次女。生まれつき「魔力ゼロ」と診断され、貴族社会では事実上透明な存在として扱われてきた。婚約者にも婚約を破棄され、王都の外れにある王立医術院に「潜在型の検査」のため送り込まれた。家族には期待されていないが、本人は「なぜ自分だけ」という疑問を静かに抱えている。好奇心が強く、観察眼がある。読書が好き。

ファル・ノクティス 26歳 / ヒーロー

王立医術院のZGA術師。当代随一の実力を持つが、年齢と比べて無駄に高飛車な態度のせいで院内では孤立気味。感情を見せないが、患者の魔核核の状態を読む際には誰よりも繊細で丁寧。ルーシェを最初に「潜在型」と診断した人物。三日間の覚醒期を管理する役を引き受ける。

セル 40代 / サブキャラクター

王立医術院の院長。ファルの上司。穏やかな性格で、ファルとルーシェの関係を傍観しながら時々介入する。覚醒期の危機の際に技術的サポートをする。

ヴィナ 20歳 / サブキャラクター

ルーシェの同室になった別の患者。明るく騒がしく、ルーシェに最初に話しかけてくれた少女。彼女の存在がルーシェに「自分が一人ではない」と感じさせる役割を持つ。


◆ 詳細あらすじ

辺境伯爵家の次女・ルーシェ・アルヴァンは、生まれつき「魔力ゼロ」とされてきた。貴族社会では魔力のない者は肩身が狭く、婚約破棄も経験した。家族から王立医術院に送られたのは「潜在型かもしれない」という最後の望みからだった。でもルーシェ自身は、期待しないようにしていた。

医術院のZGA術師・ファル・ノクティスの診察で、ルーシェは「潜在型、ZGA可能性あり」と診断された。眠っているだけで、魔力はある。三日間の覚醒期(ZGA)を乗り越えれば、魔力が定着する。ファルが「やるか」と問い、ルーシェは「はい」と答えた。

一日目。表層の魔核核に刺激が入り、微弱な反応が出た。手のひらに小さな光の粒。すぐ消えたが、ファルが「出たことが重要だ」と言った。その言葉が、ルーシェの中で何かを変えた。

二日目。嵐のような日だった。高熱と意識の混濁。過去の記憶が押し寄せた。「魔力がない」と言われ続けた十九年。婚約破棄。家族の視線。「必要のない子」という言葉。ファルが傍を離れなかった。術を送り込み続け、名前を呼び続けた。危機の頂点で、ルーシェは叫んだ——「私はここにいる」。その瞬間、魔核核が全開放に向けて動き出した。二日目の夜明け近く、熱が引いた。ルーシェはファルの手を握っていた。

三日目。定着の日。ルーシェが「魔力のなかった自分も、自分だった」と受け入れた瞬間に、魔力が定着し始めた。ファルがルーシェの手を握り、魔核核の完成を確認した。

ZGA後の測定結果はBランクで、貴族の上位三割に入った。ゼロからBランクに到達した記録は五例で、すべてファルの担当だった。ルーシェは「学びたい」と初めて自分の願いを言った。医術院の研修生として残ることになった。三ヶ月後、ルーシェの手のひらに光が灯った。今度は、消えなかった。


第一章

魔力ゼロの令嬢

医術院の門をくぐったとき、ルーシェはまず石畳の感触を確かめた。

辺境から馬車で四日かかった。尻が痛かった。尻の痛み以外は、はっきり意識に残っていない。期待もなかったし、不安もなかった。いや、正確には、どちらもあったが、どちらも強くなかった。「たぶん、また何もわからないまま終わる」という予感だけが、静かにあった。

王立医術院は、王都の喧騒から外れた丘の上にあった。白い建物が並んでいて、中庭に木がある。秋の始まりで、葉が色づき始めていた。

受付で名前を告げて、案内されて、個室に通された。荷物を置いて、窓を開けた。外に木が見えた。風が入ってきた。少し冷たかった。

ノックがした。「どうぞ」と言うと、同い年くらいの少女が入ってきた。赤い髪で、目が大きかった。

「同室になったヴィナです! アルヴァン家のルーシェさんですよね。よろしくお願いします!」

声が大きかった。この静かな医術院では少し浮いていたが、ルーシェは嫌いではなかった。

「……よろしくお願いします。ルーシェです」

「潜在型の検査ですか? 私もなんです。一緒ですね!」

「そうですか」

「緊張してます? 私はめちゃくちゃ緊張してます。ZGAって怖いらしいですよ。でも先輩に聞いたら、術師の先生がついてくれるから大丈夫って言われたんですけど」

ルーシェはヴィナを見た。話す速度が速く、感情が全部顔に出ていた。こういう人と同室になったことは、今まであまりなかった。辺境の屋敷では、ルーシェに話しかけてくる者は少なかった。魔力がない者は、自然と端に追いやられる。

「……怖いですか、ZGAは」とルーシェは聞いた。

「怖いです! でも試してみたい気持ちの方が大きい。ルーシェさんは?」

ルーシェは考えた。

「……まず、診断を受けてから、考えます」

*  *  *

翌朝、検査室に呼ばれた。

部屋に入ると、術師が一人いた。二十代後半くらい。背が高く、髪が黒く、顔が整っていたが、表情が少なかった。作業台に書類を広げていた。ルーシェが入っても、すぐには顔を上げなかった。

数秒後に顔を上げた。ルーシェを見た。値踏みではなかった。ただ、観察していた。

「ルーシェ・アルヴァン」

「はい」

「ファル・ノクティスだ。ZGA術師。今日は魔核核の精密診断を行う。台に横になってくれ」

ルーシェは長椅子に横になった。ファルが椅子を引いて、横に座った。右手を、ルーシェの胸の中央にかざした。触れずに、かざすだけ。

しばらく、何も起きなかった。ファルが目を閉じていた。集中しているらしかった。ルーシェは天井を見ながら待った。

三分後、ファルが目を開けた。手を下ろした。書類に何かを書いた。

「……結果を聞くか」

「はい」

「潜在型だ。ZGAの可能性がある」

ルーシェは間を置いた。

「……可能性がある、というのは、ないということですか」

「ある、ということだ」

ファルは書類を見たまま言った。簡潔だった。

「魔力ゼロと診断されてきたのは、通常検査が表層の魔力出力しか測らないからだ。精密診断では、魔核核の深部に未解放の魔力回路がある。これが『潜在型』だ。俺が担当した症例では、三日間の周期を支えきれた場合、九割以上が定着している」

ルーシェはしばらく、天井を見ていた。

十九年間、魔力がないと言われてきた。それが「眠っているだけ」だったかもしれない。その言葉の重さを、一度に処理できなかった。

「……なぜ、今まで診断されなかったんですか」

「辺境の通常検査では表層出力までしか見ない。潜在型を判別するには王立医術院の精密診断が必要だ。アルヴァン家から精密診断の依頼が出された記録はない」

ファルは事実を述べていた。感情はなかった。でもルーシェには、その事実を聞いた方がよかった。柔らかい言葉より、事実の方が、受け取れた。

「……ZGAを、試みたいです」とルーシェは言った。

「そうか」とファルは言った。「では、明後日から始める」


第二章

潜在型の意味

ZGAの前日、ファルが説明に来た。

施術室で向かい合って、ファルが図を描きながら説明した。魔核核の構造。ZGAとは何か。三日間で何が起きるか。リスクは何か。

「三日間というのは期限ではない。回路が開き始めてから定着するまでの一周期だ」とファルは言った。「一日目は覚醒の開始。表層の回路が動く。二日目は中層から深層への波及。三日目は定着。二日目までに開いた回路を三日目まで支えられなければ、回路は閉じる」

「三日目で消滅する、ということもありますか」

「ある。ZGAは成功率が百パーセントではない。ただ、俺が担当した症例では、三日間のサポートを正しく行えば九割以上が定着している」

「残り一割は」

「消滅した。一度閉じた回路は、同じ潜在型としては二度と開かない。だから三日間を途中で止められない」

ルーシェは間を置いた。

「……それでも、試みる価値はありますか」

「あなたが決めることだ。俺は価値があると思うが、それは俺の判断だ」

「……あなたが価値があると思う理由を、聞いていいですか」

ファルが止まった。

「……眠ったまま消えるより、目覚めようとして消える方がいい、と俺は思っている。ただ、それは個人的な考えで、強制はしない」

ルーシェはファルを見た。初めて、この人に感情があることを感じた。

「……やります。三日間、お願いします」

*  *  *

準備の二日間、ファルが毎朝来て状態を確認した。

話す量が増えた。ファルが状態を確認し、ルーシェが「昨夜は眠れた」「朝食は全部食べた」という報告をする。それだけだったが、毎日来た。

二日目の夕方、ルーシェがファルに「術師になったのはなぜですか」と聞いた。

「……なぜ聞く」

「知りたいと思ったので。ダメですか」

「ダメではない。……ZGA術師を選んだのは、この現象が面白いと思ったからだ」

「面白い?」

「眠っているものが目覚める。それも三日間という限定的な窓で、一気に。その現象が、他のどんな魔術より面白いと思った」

「……面白い、という言葉が意外でした。もっと使命感とか、そういう理由かと」

「使命感では、長く続けられない。面白いから続けられる」

ルーシェは考えた。

「……それは、正直な言い方だと思います」

「お前は正直な言い方が好きか」

「はい。曖昧な言い方より、はっきりしている方が好きです」

ファルが間を置いた。

「……そうか」

それだけだったが、その夜、ルーシェはよく眠れた。

*  *  *


ファルは何も返せなかった。一拍の沈黙があった。「……問題はない」「そうか」


「それは知っている。ただ、君が自分の患者の施術記録を就業後も読み直すのは、私の知る限り初めてだ。ルーシェ嬢の記録だけ」


「これまでと同じ施術をしている」とファルが答えた。


「ルーシェ嬢の施術に、入れ込みすぎていないか」とセルが言った。


その前日、ファルが院長のセルに呼ばれた。


ZGA前日の夜、ルーシェは庭に出た。

秋の夜で、空気が冷たかった。星が多かった。ルーシェは木のベンチに座って、空を見ていた。

十九年間、魔力がないと思って生きてきた。それが眠っているだけだったかもしれない。明日から三日間で、目覚めるか消えるかが決まる。

怖いか、と自分に問うた。怖い、と答えが来た。でも、それより「知りたい」が強かった。自分の中に何があるのか。眠っているとしたら、何が眠っているのか。

「寒くないか」という声がした。

ファルが庭に来ていた。上着を持っていた。ルーシェの隣に置いた。

「……確認のため来た。明日の準備は整っているか」

「整っています」

「眠れそうか」

「……まだわかりません。でも、昨夜は眠れたので」

ファルが隣に座った。上着をルーシェの肩にかけた。それだけで、何も言わなかった。


ファルが「ルーシェ」と呼んだのは、覚醒の夜だった。それまでずっと「ヴァルド嬢」だったのが名前になった瞬間。意識が戻ったとき、ルーシェはそれを思い出した。「彼が私の名前を呼んだのは、あれが初めてだった」。そのことを、まだ言えないでいた。


二人で少し、星を見た。

「……ファル先生」

「何だ」

「三日間、よろしくお願いします」

ファルは少し間を置いてから「ああ」と言った。

それが、ZGA前夜の最後の会話だった。


第三章

一日目――扉が開く

ZGA第一日目の朝は、早かった。

日の出前に施術室に来るよう言われていた。部屋に入ると、ファルがすでにいた。施術台が整えられていた。白い部屋。窓から外がまだ暗かった。

「来たな」

「来ました」

「台に横になれ。今日の目標は、表層の魔核核回路の初期刺激だ。光が出るかもしれないし、出ないかもしれない。どちらでも問題はない。一日目は始まりの確認だ」

ルーシェは横になった。天井が白かった。外が明るくなっていくのが、窓の光の変化でわかった。

ファルが手をかざした。今日は昨日より近い。胸の中央、魔核核がある場所の、すぐ上に。

術が始まった。

最初は何も感じなかった。でも三十分ほど経つと、体の奥に何かが来た。熱、というより温かさ。痛くない。ただ、体の内側が、少し違う感じ。

「……何か感じるか」

「温かいです。体の奥が」

「どのあたり」

「胸の中央から広がっている感じです」

「それが魔核核の反応だ。続けている」

施術は三時間続いた。途中で眠くなった。うとうとした。ファルが「眠っていい」と言った。眠った。

目が覚めたとき、外は明るくなっていた。ファルがまだいた。

「……ずっといたんですか」

「三日間、傍にいる。それが俺の仕事だ」

*  *  *

夕方、変化があった。

ファルが「手を出せ」と言った。ルーシェが右手を出した。ファルが「手のひらに意識を集中しろ。魔核核に温かさを感じたら、それを手のひらに送るつもりでいろ」と言った。

ルーシェはそうした。体の奥の温かさを感じながら、手のひらに意識を向けた。

何かが来た。

手のひらの中心に、小さな光の粒が現れた。米粒より小さい。でも、確かに光った。

一秒後に、消えた。

「……出た」とルーシェは言った。「でも消えた」

「消えることは問題ない」とファルが言った。「出たことが重要だ」

「……出たことが重要?」

「回路が一瞬でも開いた、ということだ。表層の回路が起動した。一日目の目標を超えた」

ルーシェは手のひらを見た。もう光はなかった。でも、あった。確かにあった。

「……もう一度できますか」

「今日はここまでだ。体を使いすぎると、二日目の負荷が増す。今日は早く寝ろ」

ルーシェは不満だったが、従った。

*  *  *

夜、施術室でファルが後片付けをしていた。ルーシェは帰らずに、椅子に座って手のひらを見ていた。

「……光が出たとき、どんな感じがしましたか」とルーシェが聞いた。「術師の側から見て」

「俺の側からは見ていない。感じた」

「どう感じましたか」

「……扉が開く感覚だ。長い間閉まっていた扉が、少しだけ開いた。その感触」

「きれいな言い方ですね」

「事実の描写だ。きれいかどうかは知らない」

ルーシェはまた手のひらを見た。

「……光が、消えたことが少し寂しかった」

「明日、また出る。今度は消えない」

「保証できますか」

「保証はできない。でも、そうなるために俺がいる」

ルーシェはファルを見た。この人は感情が見えにくいが、言っていることは一本筋が通っている。信頼できる、と思った。

「……おやすみなさい」

「おやすみ。体を温めて寝ろ」

ルーシェは施術室を出た。廊下に出ると、空気が冷たかった。でも体の奥はまだ、温かかった。


翌日、施術が終わった夜、外がもう暗くなっていた。「今日は遅くなった。送る」とファルが言った。「患者が一人で帰って体調を崩すと、次回の施術に影響する」という理由で。門のところでルーシェと別れた後、ファルが少しの間そこに立っていた。ルーシェが角を曲がるまで。そのことはルーシェには見えなかった。



第四章

二日目――嵐の中心

ZGA第二日目の朝、ルーシェはすでに熱があった。

目が覚めたとき、体が重かった。頭がぼんやりしていた。熱を測ると、三十八度を超えていた。ファルが来て確認して「想定の範囲内だ」と言った。

「熱が出るのは正常ですか」

「二日目は魔核核が中層まで活性化する。その過程で体が熱を持つ。今日が一番辛い日だが、これを乗り越えれば三日目がある」

「……乗り越えられますか」

「俺がいる」

その答えが、今日のルーシェには十分だった。

施術が始まった。ファルが術を送り込んだ。一日目より深かった。中層への侵入。体の奥で、何かが動き始めた。温かさではなく、熱さ。

昼頃、熱が三十九度を超えた。意識が揺れた。

記憶が来た。

子供の頃の場面。魔力検査の日。「魔力がありません」と言われた瞬間の、母の顔。がっかりした顔。怒りでも、悲しみでもなく、ただ「そうか」という顔。その顔が、胸に刺さっていた。ずっと。

婚約破棄の日。相手の男性が「申し訳ありませんが」と言いながら、全然申し訳なさそうではなかった。「魔力のない貴族令嬢との婚約は、家の利にならない」と父が後で言った。ルーシェは何も言わなかった。言える言葉がなかった。

「必要のない子」という言葉。誰が言ったのか、はっきりは覚えていない。でも、聞いた。屋敷の廊下で、誰かが言った。その言葉が、十九年間ずっと、体のどこかにあった。

「ルーシェ」

ファルの声がした。

「……ここです」とルーシェは答えた。

「熱が上がっている。記憶が来ているか」

「……来ています」

「それが二日目の特徴だ。魔核核では感情記録と回路が結びついている。深層へ進むと、過去の感情記録が表面に出る。強い拒絶や自己否定が残っていれば、回路が防御的に閉じる。流れるまま、抗うな」

「……流れるまま、どうすれば」

「俺の声を聞いていろ。それだけでいい」

ファルがルーシェの手に触れた。施術のためではなく、ただ触れた。

ルーシェは目を閉じたまま、その手の感触を感じた。温かかった。

*  *  *

夕方、熱が頂点に達した。

意識が半分以上、遠くなっていた。体が動かなかった。記憶が次々と来た。母の顔。婚約者の声。廊下の言葉。それらが重なって、ぐるぐるした。

最も深いところで、何かに行き当たった気がした。

それは「諦め」だった。十九年間積み重なった諦め。「どうせ自分には無理だ」「魔力がなくて当然だ」「自分は必要のない存在だ」。その諦めに反応して、魔核核の深層回路が防御的に閉じていた。それが、ZGAを阻んでいた。

怖かった。その塊に触れることが、怖かった。

「ルーシェ」

ファルの声が来た。遠かった。でも聞こえた。

「ルーシェ。声を出せ。今、どこにいる」

ルーシェは答えようとした。でも声が出なかった。

「ルーシェ。俺はここにいる。名前を呼んでみろ」

名前。私の名前。ルーシェ・アルヴァン。それが私の名前だ。

何かが、動いた。諦めの塊の中で、何かが動いた。

十九年間、自分が「必要のない存在」だと思わされてきた。でも、今この施術室に「いる」。ファルがここにいる。ヴィナが同室にいる。「来てほしい」と医術院が呼んだ。この瞬間、ルーシェは「いる」。

「私はここにいる」

声が出た。

叫んだわけではなかった。でも、確かに声になった。

その瞬間、体の奥で何かが崩れた。諦めの塊が、崩れた。魔核核が、一気に開いた。

光が走った。施術室の中が、一瞬白くなった気がした。

「それだ」とファルが言った。低い声で、でも確かに言った。「それが開放だ」

*  *  *

夜明け近く、熱が引いた。

ルーシェは施術台の上で、ぐったりしていた。体が鉛みたいに重かった。でも、意識はあった。

ファルがまだ横にいた。一日中、ずっとそこにいた。

「……終わりましたか」とルーシェは言った。

「二日目が終わった。三日目に続く」

「……あなたは、一日中ここにいましたか」

「そうだ」

「休まなかったんですか」

「俺のことは心配しなくていい」

ルーシェは手を動かした。ファルの手が傍にあった。触れた。

「……ありがとうございます」

ファルは何も言わなかった。でも、手を引かなかった。

夜明けの光が、窓から少しずつ入ってきた。


第五章

三日目――夜明け

三日目の朝は、静かだった。

熱は下がっていた。体の重さも、昨日より少し軽かった。でも、疲れていた。三日間の中で一番疲れていた。

ファルが来た。ルーシェの状態を確認して「今日が最後だ」と言った。

「今日は、何が起きますか」

「昨日で回路が開いた。今日は、その回路に魔力を定着させる。定着が成功すれば、それがあなたの魔力になる。失敗すれば、回路が閉じて消滅する」

「……定着するためには、何が必要ですか」

ファルが間を置いた。

「……技術的なことは俺がやる。あなたに必要なのは、受け入れることだ」

「受け入れる?」

「自分の魔力を。昨日、長い間眠っていた回路は開いた。でも、自己否定が残っていると深層回路はまた閉じようとする。『これは自分のものだ』と受け入れられれば、防御反応が弱まり、定着を助ける」

「……受け入れられるかどうか、わかりません」

「わからなくていい。やってみろ。俺が傍にいる」

*  *  *

施術が始まって、三時間が経った頃、変化があった。

魔核核の回路を通って、魔力が流れ始めていた。ルーシェはそれを感じた。体の奥から手のひらに向かって、何かが流れてくる。昨日の光の粒より、ずっと大きい。安定していないが、確かに流れている。

でも、途中で止まった。

胸の奥で、何かが引っかかっている。受け入れようとすると、何かが抵抗した。

「……止まっています。途中で」とルーシェは言った。

「何が引っかかっている」

「……わかりません。受け入れようとすると、止まる」

ファルがルーシェの手を取った。両手で包んだ。術を送り込みながら、でも今日は違う。魔核核の状態を読もうとしているだけではなく、何かを伝えようとしている。

「……今、何が見えるか」

ルーシェは目を閉じた。

体の奥に、回路がある。光の通り道みたいなもの。昨日開いた扉を通って、光が流れようとしている。でも手前で止まる。手前に、何がある。

見えた。

暗いものが、あった。昨日の諦めではなかった。もっと古い、根深いもの。「魔力のなかった自分は間違っていた」「十九年間は無駄だった」という感覚。それが光の前に立っていた。

魔力を受け入れることは、魔力のなかった自分を否定することだと、どこかで思っていた。

でも。

魔力がなかった十九年間も、自分だった。あの十九年間があったから、今日ここにいる。婚約破棄があったから、王都に来た。母のがっかりした顔を見てきたから、「自分の目で見たい」という気持ちが育った。魔力のなかった自分が、今日のルーシェを作った。

それを、否定する必要はない。

受け入れるのは、魔力だけではなかった。魔力のなかった自分も含めて、全部を受け入れることだった。

暗いものが、溶けた。

光が流れた。

手のひらに来た。今度は消えなかった。

*  *  *

ファルがルーシェの手を握ったまま、目を閉じていた。

数分後、目を開けた。ルーシェの手を見た。光がまだあった。

「……定着している」とファルは言った。

「本当に?」

「魔核核を確認した。回路に魔力が定着している。ZGAは成功だ」

ルーシェは手のひらを見た。光が、小さく揺れていた。消えなかった。

何かが、喉の奥に来た。泣こうとしているのかと思ったが、そうではなかった。泣くより手前の、何か。全部が終わった、という感覚。

「……ファル先生」

「何だ」

「三日間、ありがとうございました」

ファルは少し間を置いた。

「……よく乗り越えた」

それだけだったが、ルーシェには十分だった。

光が、手のひらで揺れ続けていた。


第六章

三日間の後に

翌日、魔力ランクの測定が行われた。

院長のセルが立ち会い、ファルが測定した。結果が出たとき、セルが眼鏡を外して数字を見直した。

「……Bランクだな」とセルが言った。

「Bランクです」とファルが繰り返した。

ルーシェはBランクが何を意味するのか、完全には知らなかった。でも、ファルとセルの顔で、想定より高かったことはわかった。

「……Bランクというのは、どのくらいですか」

「貴族の中でも上位三割に入るランクです」とセルが言った。「ゼロから始まったZGAでBランクに達した例は、記録に五例しかない」

「……五例、ですか」

「全部ファルが担当した症例です」とセルが続けた。「記録上、ゼロからBランクに到達した五例は、すべて彼の担当です」

ファルは何も言わなかった。でも、視線を外した。

測定が終わって、セルが出ていった後、ルーシェはファルに聞いた。

「……五例全部、あなたが担当したんですか」

「そうだ」

「なぜ、そんなに高いランクが出るんですか」

ファルが間を置いた。

「……三日間、傍を離れないからだと思っている。他の術師は施術時間以外は患者から離れる。俺は離れない。それだけだ」

「それだけ、ではないと思います」

「そうか」

ファルは事務的に答えたが、その「そうか」は、少し柔らかかった。

*  *  *

一週間後、ルーシェは院長室に呼ばれた。

辞去の挨拶をするためだった。ZGAが終わった。医術院での用は済んだ。辺境に戻れる。

でも院長室の前で、ルーシェは少し立ち止まった。

辺境に戻って、何をする。屋敷に戻って、また「魔力のない次女」として暮らす? いや、今はBランクの魔力がある。でも、何に使う。何を学ぶ。

「学びたい」という気持ちがあった。

具体的に何を、とは言えなかった。でも、「学びたい」という感覚が、三日間を経て生まれていた。知らないことが多すぎる。魔法のことも、ZGAのことも、自分の魔力のことも。

院長室の扉をノックした。

「院長、一つお願いがあります」

「何でしょう」

「……医術院の研修生として、しばらく残ることはできますか」

セルが少し驚いた顔をした。それから笑った。

「もちろんです。歓迎します」

*  *  *

研修生として残ることが決まった夜、ルーシェは施術室に行った。

誰もいなかった。三日間を過ごした部屋。空だった。

ルーシェは中央に立って、手のひらを出した。光を出そうとした。

来た。

昨日より少し安定していた。光が、手のひらの上で揺れた。

「良くなっているな」

声がした。振り返ると、ファルが扉の前に立っていた。

「……来てたんですか」

「施術室の灯りがついていたから」

ファルが部屋に入った。ルーシェの横に来て、手のひらの光を見た。

「安定している。三日後にはBランクの魔法が使えるようになる」

「……研修生として残ることにしました」

ファルがルーシェを見た。

「そうか」

「また、怒られますか」

「何故怒る」

「手のひらの光の出し方が下手だと言われるかと思って」

ファルが少し、顔が変わった。口の端が、かすかに動いた。

「……下手だな。でも、まだ始まったばかりだ」

ルーシェも笑った。

施術室に、二人分の光があった。


エピローグ

四日目の光

三ヶ月が経った。

ルーシェは王立医術院の研修生として、毎日を過ごしていた。魔術の基礎を学び、ZGAの理論を学び、ファルの施術の補助をすることもあった。

魔力ランクはBで安定していた。最初の三日間を経て、今は自分の魔力が自分のものだという感覚があった。あの三日間が、ルーシェを変えた。変えた、というより、目覚めさせた。

廊下でファルとすれ違うことが、毎日あった。

ファルは相変わらず言葉が少なく、表情が少なかった。でも、ルーシェに気づくと少し歩を緩めた。それだけだったが、ルーシェには十分だった。

*  *  *

ある朝、廊下でファルが「少し時間があるか」と言った。

「あります」

「中庭に行く」

中庭は秋から冬になっていた。木の葉が全部落ちて、枝だけになっていた。でも光はあった。冬の、薄い光が、石畳に落ちていた。

ふたりで並んでベンチに座った。特に何もなかった。ファルが空を見ていた。ルーシェも空を見た。

「……ZGAの新しい患者が来る」とファルが言った。「二日後に」

「そうですか」

「補助に入るか」

ルーシェは少し驚いた。

「……私でいいんですか」

「三日間を経験した者は、患者の状態を理解できる。それが補助として役立つ」

事実として言っていた。でも、ルーシェには別の意味も聞こえた気がした。

「……はい、入ります」

ファルが頷いた。また空を見た。

「……手が、今でも覚えています」とルーシェは言った。

「何の話だ」

「二日目の夜、あなたが手を繋いでいてくれた。あのときの手の感触が、今でも残っています」

ファルが間を置いた。

「……施術上の必要があった」

「施術上、だけでしたか」

また間。今度は少し長かった。

「……施術上だけ、ではなかったかもしれない」

ファルは一度視線を落とし、右手を差し出した。

ルーシェはその手を見た。

「今日は、施術ではありませんよ」

「知っている」

「それでも、ですか」

「それでもだ」

ルーシェは笑って、その手を取った。

ルーシェは空を見た。冬の薄い光が、中庭に広がっていた。

手のひらに、光を出した。手のひらの光は消えずに安定していた。消えなかった。

ファルが横でそれを見ていた。何も言わなかった。でも、見ていた。

それが、四日目だった。

三日間で生まれた魔法が、四日目の光の中でも燃え続けていた。


了

(本作品は第9回アイリス異世界ファンタジー大賞への応募作品です)


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