また一歩
「いってらっしゃい。」
千早「ん、あんまり無理しないようにね?俺も帰ってから手伝うから。」
「うん、分かった。」
千早「いってきます。」
千早を朝早く送り出す
そのまま骨壷を置いた和室へ
お線香をあげる
「ちゃんと迷わずに行けた?きっと神様がお迎えに来てくれたよね?」
話しかければやっぱり涙が溢れる
でも、我慢しなくていいって千早が言ってくれた
いろいろ検索したら、こういう記述があったらしい
涙は天国の赤ちゃんのミルクになるのだと
だからたくさん泣いていい
むしろ、たくさん泣いてあげてください、と
ほんの少し、心が軽くなった気がした
我慢しなくていいんだ
溢れる涙を、無理に止めなくていいんだ
赤ちゃんのミルクになるなら、今はたくさん泣こう
私には、千早がいる
はやともあやともいる
「でも、やっぱり悲しいよ......。もっと、抱きしめてあげたかった。もっともっと、何かしてあげたかった......っ、しおんっ」
何度か経験した産後の身体
でも、あなたはいない
私の腕に帰ってこない
全部夢だったらよかったのに
朝目が覚めてお腹に手をあてる
大きく膨らんでいたはずのお腹は今はもうぺったんこだ
その度に涙が止まらない
あなたがいないその事実に、毎日毎日目覚めるたびに胸が押しつぶされそうになる
それでも当然のように1日は過ぎていく
徐々に食事も食べれるようになり
泣く回数も減る
それが苦しかった
心はまだまだ苦しいのに
心を置いたまま身体だけは回復していく
それが苦しくて仕方なかった
酷い母親になった気がした
千早「ただいま」
寝てるのかな、と思った
リビングからはテレビの音が聞こえる
千早「絢音?」
(トイレ?寝室?)
どちらにもいない
千早「絢音?」
視線を移すと
和室はぐちゃぐちゃになっていた
散乱した洗濯物の真ん中に絢音がいる
千早「......絢音?」
「.........千早」
千早「うん?」
「私......、最低。」
千早「絢音?」
「身体、元気になるの......」
千早「うん?」
「ダメなのに......。元気になっちゃ、ダメなのにっ、私っ......このまま平気になっちゃうのかなっ?」
千早「っ」
「やだよっ、こんなのやだっ、やだっ」
涙が溢れた
絢音の傷は、自分が想像していたよりも遥かに大きな傷だった
自分が元気になっていくことすら新たな傷になる
そんなこと、考えたこともなかった
元気に産んであげられなかった
その事実は絢音を極限まで追い詰めていたんだ
泣き叫んで疲れて眠ってしまった絢音
涙で貼り付いてしまった髪
拭っても拭っても後から後から涙がこぼれていく
臨月まで大切に大切にお腹で育ててきた
その子が突然事故で亡くなってしまった
それを受け入れるにはあまりにも短い時間だった
その短い時間の中でたくさんの辛い決断をしなくてはならなかった
絢音の手には、手形と足形のカード
握りしめたスマホには、最期に写した我が子
もっと何かしてあげたかっただろうな
もっと何か遺したかっただろうな
分かっていても、もう時間は戻らない
戻せない
元気になっちゃいけないんだと
そんなはずないのに
元気にならなくちゃいけないのに
それを心が許せないなんて
なんて悲しいんだろう
なんて苦しいんだろう
なんで、君がこんなにも苦しまなくちゃいけないんだろう
君はただ、この子を愛しただけなのに
「......」
千早「ぁ、起きた?」
「千、早......?ぁ、おかえ、り。......私」
千早「ただいま。」
「......っ、ごめ、なさ」
もう、何度も何度も聞いている言葉
千早「......謝ることなんて何もないよ?」
「っ、だって......」
千早「ん?」
「あの子の、パパに......してあげられなくて、ごめんなさいっ」
千早「っ」
「はやととあやとを、お兄ちゃんに、してあげられなくて、ごめんなさ」
千早「っ、絢音っ......」
「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさ」
千早「......っ」
涙で絢音の顔が見えない
千早「っ、バカだな......。ちゃんとパパにも、お兄ちゃんにもなれたでしょ?」
「っ?」
骨壷の横から千早が何かを取る
千早「見て?」
「......?」
手紙だった
はやとが書いた手紙
まだ少し覚えただけのひらがなで、一生懸命書いたんだろう
カサッと中を開く
あかちゃんへ
おそらはこわくない?
おなかすいてない?
さむくない?
ぼくはあかちゃんのおにいちゃんだから
ぼくがあかちゃんをたすけてあげるんだ
だからいつでもかえってきていいからね
あかちゃんのおにいちゃんより
だいすき
「ふっ、うっ、ひっく、ひっ」
千早「ちゃんと立派なお兄ちゃんだよ?あやとは字がまだ書けないけど、あやとだってちゃんとあの子のお兄ちゃんだ。そうだろ?」
泣きじゃくる絢音
その震える小さな身体を抱きしめる
千早「絢音が頑張って産んでくれたからだよ?......戸籍に残らないとか、そんなの関係ないよ?あの子は俺達の家族。かわいい三男だ。」
「っ〰、ぅ」
千早「しおんも心配してるよ?早く元気になぁれ、って。」
「っ」
千早「元気になっちゃいけないなんて、そんなことない。あの子の分までしっかり元気に生きていかなきゃ。」
「......しおんの分、まで?」
千早「そうだよ......?しおんに、俺も手紙を書いたんだ。」
「手紙?」
千早「ママが元気になれるようにお空で見守っててって」
「っ?」
千早「君が、ママがこんなに自分を愛してくれているのに、しおんが君が元気にならない事を望むはずないよ?」
「でもっ、私」
千早「しおんは、君を恨んだりしないよ?」
「っ」
千早「そんなことあるわけない。ほら、見て?」
「......っ」
千早「恨んでる顔に見える?」
千早のスマホに残されたしおんの写真
穏やかな顔に見える
苦しそうでもない
穏やかに眠っているような顔
「......っ、見えなっ....ぅ、見えない、よ......ひっく」
千早「そうでしょ?俺もそう思う。すごく穏やかな顔だ。本当に眠ってるみたい......。きっと、君のお腹の中はとっても幸せだったんだよ?だからきっと、出たくなかったのかもね?」
「っ」
苦しい程にぎゅうっと抱きしめる
千早「お線香あげたときにね?教えてあげたんだ。」
「?」
千早「ママの腕の中は、もっともっともーっと、幸せなんだよ、って。」
「っ、ひっく、ひっ」
千早「たぁくさんミルクを飲んで、今頃すっごくムチムチになってるかもよ?」
「たくさん、泣いた、から?」
千早「ふふっ、そうだよ?たくさん泣いて、もっともっとムチムチにしちゃおうか?」
千早のシャツは、もう涙でビチョビチョだ
千早も目にたくさん涙を溜めている
千早もきっとたくさん苦しんでるはず
「っ、ごめんね......っ、千早だって、辛いのにっ......。」
千早「ふふっ、カッコつけなだけだよ......?」
涙でぐちゃぐちゃになった絢音の頬にちゅっとキスをしてぎゅうっと抱きしめる
痩せてしまった身体
貧血、低血圧で起き上がるのも大変そうだ
それでも、子供達の前では明るく振る舞い母の顔を崩さない
そんな絢音を、心から尊敬している
千早「......ありがとう。」
「?」
千早「俺を、あの子達のパパにしてくれて。あの子達の、ママになってくれてありがとう。俺の、妻でいてくれてありがとう......」
「千早......そんなの、私だって......っ。」
千早「俺の前では、我慢しなくていい。こうやって、洗濯物ぐちゃぐちゃにしたって平気だよ?」
「ぅ、意地悪っ......」
千早「ハハッ、だって、ふふっ......」
「そんなに笑わなくてもっ」
千早「物にあたって壊れるのはちょっと危ないけど......、洗濯物っていうのがなんか絢音らしいっていうか......かわいい。」
「も、バカ」
千早「ふふっ......ほら、絢音?」
「なに......っ」
ちゅっと千早がキスをする
「っ、も、急に何っ」
千早「ん?膨れてかわいかったから?」
「っ」
千早「ん?」
「も、1回......」
千早「......」
泣き過ぎて腫れた瞼、真っ赤な瞳
瞼に、頬に、ちゅっとキスをすれば、恥ずかしくなったのかぎゅうっと抱きついてくる
ぐう〰っ、と千早のお腹が大きな音を立てる
「っ......ふっ、ふふっ」
千早「ぁ、笑ったな?」
「ふふっ、ごめんね。何か作る。ふふっ」
千早「カッコつかないわ......」
「......そんなことないよ。かっこいい。」
千早「えっ?」
「......ご飯、何にしよっか?」
千早「あ、ちょっと......ね、聞こえなかった。もう1回!」
「......何の事?」
千早「......顔、真っ赤だよ?」
ボフッとタオルが飛んでくる
「っ、早くお風呂入ってきて。」
千早「一緒に入る?」
「入らない。まだ悪露が出るし。」
千早「......別に平気だけど。」
「私が良くないの。早く行って。」
千早「はぁい。」
お風呂から千早の鼻歌が聞こえる
なんだかそれが、とても懐かしい気がした




