第八話
【港町マリッセル 宿屋 裏手】
マリッセルの朝は潮の香りに満ち、港町特有のざわめきが聞こえていた。エドランたちは宿屋の裏手に集まり、出発の最終準備を進めていた。彼らは計画通り、荷物を二手に分け、一方を港に向かわせることで追っ手を惑わす策を実行する。
「さて、これで奴らを上手く撒けるといいんじゃが。」バーリンが手袋をはめ直しながら言った。「船に向かう荷物の中身もそれらしくしたし、追跡者が引っかかってくれることを祈るだけじゃ。」
「必要な時間を稼げるだろう。」タルヴァスが冷静に応じる。「だが、油断は禁物だ。これ以上、奴らにこちらの動きを掴ませるわけにはいかない。」
エドランは荷物の最後の確認を終えると、深く息をついた。「俺たちはベルカストを目指す。そこからさらに南へと進み、聖都への道を取る。」
彼は仲間たちを見回し、真剣な表情で続けた。「覚悟はいいな?これから向かう場所は奴らの勢力圏だ。」
「覚悟はできておる。」バーリンが笑みを浮かべ、金槌を腰に収めた。「年寄りを甘く見るでないぞ。持ち前の幸運で切り抜けてやるわい。」
「いつでも動ける。」タルヴァスが静かに言葉を発し、腰の剣に手を添えた。
エドランは短く頷き、周囲を警戒しながら言った。「よし、行こう。」
三人は静かに宿を後にし、街を抜ける小道へと歩き出した。背後にある港町の賑わいは次第に遠のき、彼らの足音だけが響く。
【聖都セレスティオン 聖堂 一室】
一方、聖都セレスティオンの奥深い聖堂の一室では、ドミナール・ラクセン枢機卿が重厚な机の前に立ち、黒い外套をまとった男から報告を受けていた。
「……では、第三王子エドランが『天啓』について調べていると?」枢機卿の冷たい灰色の瞳が、報告者を鋭く見据えた。
「はい。スパイからの手紙によれば、彼は冒険者ギルドで情報を集めていた模様です。」外套の男が震える声で答える。
枢機卿は机の上に置かれた手紙を指で弾きながら、興味深げに微笑んだ。
「それで?」
「第二の手紙が……」男はためらいながら続けた。
「エドラン王子は冒険者時代の仲間2人と行動をともにしていて、彼らは翌日にはマリッセルを発ち、鍛治王国ドゥリンハル行きの船に乗ったとのことです。」
その言葉に、枢機卿の微笑みがさらに広がった。
「ドゥリンハルか……面白い。だが、奴らが本当にそこへ向かうのかは疑問だな。これは撒き餌かもしれん。」
枢機卿は手紙を卓上に放り投げると、ゆっくりと背を向け、広い窓の外を見つめた。
「そもそも、彼らがこちらの計画をどこまで知っているのかが問題だ。北国が敵に回る可能性もある……だが、それも想定済みだ。全てを敵にする準備は整いつつある。」
彼は振り返ると、机の脇に立つ鈴を鳴らした。すると、不気味な沈黙の中から七人の人物が姿を現した。彼らはフード付きのローブに身を包み、人面を模した特徴的な仮面をつけていた。その姿は異様で、不気味さと神秘性を併せ持っていた。
「計画を早める。我が神の意志に逆らう愚者どもを一掃し、この地上を我が神のものとする。」
枢機卿は最初の使徒に視線を向けた。
その仮面には、憤怒を表すかのような歪んだ表情が刻まれている。
「お前は聖都で全ての人間に『洗礼』を受けさせよ。」枢機卿は淡々と命じた。
「拒む者は排除し、賢者と真教派に反旗を翻す原理派どもを拘束せよ。この聖都を完全に我らの信仰で染め上げよ。」
使徒は無言で頷き、その仮面の奥の目が光った。
次に、枢機卿は二人目の使徒を見た。
彼の仮面には静かな哀しみを思わせる表情が彫られていたが、その存在からは凶暴な気配が漂う。
「南の錬金術の街アルカメンナを占領せよ。」枢機卿は低い声で続けた。「住民全員に『洗礼』を受けさせた後、鍛治王国ドゥリンハルへの進軍を開始するのだ。南方全土を掌握せよ。もし「天啓」についてかぎ回っている第三王子を発見したら、消せ。」
三人目の使徒に目を向ける。
仮面は無表情だが、彼の体からはどこか狡猾さを感じさせた。
「お前は東のグリモーヴァを拠点とし、ノルディア王国の公爵の兄を支援せよ。」枢機卿の口元に薄い笑みが浮かぶ。
「独立を宣言させ、北国を分断するのだ。そして、その後は北国との緩衝地帯とせよ。」
「そしてお前は北の港湾都市ペラルディーンに向かえ。」枢機卿は四人目の使徒に命じた。
「主要人物を調略し、我が教派の拡大を密かに進めよ。ただし、まだ北で騒ぎを起こす時期ではない。水面下で動け。」
使徒は無言で頷き、痛みを模した仮面をゆっくりと傾けた。
次に、枢機卿は五人目の使徒に命じた。
「お前は西の防備を整えよ。これから必要になる。」
その使徒も静かに頷き、金色の目が光を反射した。
六人目の使徒の仮面には、微笑むような表情が描かれていた。枢機卿はその使徒を見つめ、慎重な口調で言葉を紡ぐ。
「お前は『貴婦人』達との同盟を成立させるための使者として動け。」枢機卿はその目を細めた。
「彼女達が持つ影響力を手に入れることで、この大陸の均衡を崩すのだ。」
最後に、枢機卿は七人目の使徒に目を向けた。その仮面には冷徹な怒りを表すかのような彫刻が施されている。
「北国の第三王子、エドラン・ハーグレンを追跡し、殺害せよ。その仲間も同様だ。」枢機卿は冷たく言い放つ。「まずはマリッセルへ向かい、その動向を探れ。」
全ての命令を終えた後、枢機卿は黒い外套をまとった報告者に目を向けた。
「一つ聞く。エリオン司祭からの話は漏れていないと聞いていたが、どう説明する?」
外套の男は狼狽し、必死に言葉を絞り出した。
「確かに漏れておりません!それでも彼らが情報を掴んでいるのは偶然かと……。」
枢機卿は冷ややかな微笑みを浮かべ、手元の小さな箱を開けると何かを取り出し、男に差し出した。
「挽回の機会をやろう。これを獣王国に届け、友好の証として渡せ。」
男はその物を震える手で受け取ると、頭を下げて部屋を後にした。
枢機卿は再び使徒たちに目を向け、不気味な笑みを浮かべた。
「全ては我が神の意志のままに。」