第五話
北国ノルディラン王国を囲むようにヴァルムリッジ山脈があり、トレイドラン平原と北国の境界線にもなっている。
トレイドラン平原の公爵領からヴァルムリッジ山脈の麓に沿って東に行くと港町マリッセルに到着する。
港町マリッセルは海路で様々な都市や街と繋がっており、そのためドワーフ・エルフ・獣人など人族以外の種族もちらほら見かけることができる。
【トレイドラン平原 東に向かう道】
ヴァルムリッジ山脈が遠くに連なる中、エドラン一行は山脈の麓に沿う街道を進んでいた。道の両脇には広がる穀倉地帯が次第に姿を消し、野花が風に揺れる広大な草原が広がっている。鳥のさえずりと馬蹄の音だけが響く静かな道中、3人は馬を並べながら真教派について話をしていた。
「どうにも全体像が見えないな。」エドランが馬の手綱を引きながら呟く。「エリオン司祭が残した『闇』という言葉、それに真教派が『天啓』を狙っているという情報……目的がさっぱり分からない。」
「奴らが資源や武器を集めているのは間違いない。」バーリンが少し眉間に皺を寄せた。「ただ、それを何に使おうとしているのかが不明じゃ。戦争の準備とも思えるが、相手がわからんことには予測もできん。そもそも聖都にはごく少数の治安維持のための兵士しかおらんはずじゃ。」
タルヴァスが低い声で付け加える。「真教派の教義を考えると、異教徒を敵視しているのは明らかだ。しかし、なぜ『天啓』の加護を持つ者を狙う?加護が彼らの目的にどう関係するのか……。」
エドランは苦笑した。「俺たちが考えても埒が明かないかもしれないな。ただ、天啓の加護を持つ者を守ることが、真教派の計画を阻む鍵になる予感がするんだ。」
「なるほどの。お主の勘は信頼できるものじゃ。」バーリンが頷き、口を開いた。「そのためにも、港町マリッセルでは情報を得ねばならん。まずはギルドに顔を出してみるのがいいじゃろう。かつての仲間も、何か知っておるかもしれん。」
【港町マリッセル】
数日後、一行はマリッセルの門前に立っていた。港町マリッセルは、ノルディア王国南東部の交易の要所であり、賑やかな市場と活気ある港湾が特徴的だった。門をくぐると、石畳の道が街の中心部へと続いている。
「懐かしいな。」エドランが馬を降り、街の喧騒に耳を傾けた。「冒険者としてここを拠点にしていた頃を思い出す。」
「相変わらずの賑やかさじゃ。」バーリンは荷物を整えながら辺りを見回した。「交易が盛んなだけあって、見知らぬ顔も多いのう。」
タルヴァスは静かに周囲を警戒している。「ここでも真教派の影があるかもしれない。油断は禁物だ。」
街には、魚を積んだ荷車を押す商人、鮮やかな布を売る露店の店主たち、そして大声で客を呼び込む果物売りなど、多くの人々が行き交っていた。風に乗って潮の香りが漂い、遠くでは波が岸壁を叩く音が聞こえる。
「久々に海を見るのはいい気分じゃな。」バーリンがにこりと笑った。「遊びで来たわけじゃないのが残念だわい。」
エドランは微笑みながら言った。「そうだな。だが、今回はギルドに向かおう。寄り道はなしだ。」
【港町マリッセル 冒険者ギルド】
冒険者ギルドは街の中心部近くに位置しており、頑丈な木造の建物が目を引いた。中に入ると、ざわめきとともに懐かしい匂いが漂ってきた。冒険者たちが酒を酌み交わし、依頼掲示板を眺め、剣や盾の手入れをしている。
「おや、これは驚いた。」カウンターの奥から聞こえた声に振り向くと、そこにはギルドマスターの姿があった。年老いたが体格のいい男性が腕を広げて迎えてくる。「エドラン!バーリン!そしてタルヴァス!まさかまたここに戻ってくるとは!」
「久しぶりだな、マスター。」エドランが笑顔で応じる。「ただ、昔みたいに冒険のために来たわけじゃないんだ。」
ギルドマスターは目を細めた。「そうか……何か厄介な仕事があるってことか?」
「少し情報を集めたいだけだ。」エドランはギルドマスターに近づき、小声で続けた。「『天啓』の加護について、何か知らないか?」
ギルドマスターは急に真剣な顔つきになり、辺りを見回した。「ここでは話せない。個室に来い。」
そうして、ギルドマスターに連れられエドラン達は個室に向かった。しかし、その姿を訝しそうに見ている人物がいることにエドラン達は気づくことができなかった。
【港町マリッセル 冒険者ギルド 個室】
個室に案内されると、ギルドマスターは扉を閉めて小声で話し始めた。
「正直に言おう。『天啓』については俺も詳しく知らん。だが、最近教会から何度も同じ質問をされた。おまけに情報提供を強要されるような圧力までかけられてな。」
「やはり教会が動いているか。」エドランが険しい表情を浮かべた。「マスター、頼みがある。もし何かつかんでも情報提供はせず、うまくはぐらかしてくれ。これは王国の安全に関わる問題だ。」
ギルドマスターはしばらく考えた後、頷いた。「分かった。お前がそう言うなら信じる。だが、俺に何かあれば、お前たちが責任を取れよ。」
「もちろんだ。」エドランは力強く応じた。
そのやり取りの最中、部屋の外で微かな音がした。タルヴァスが素早く目を向けるが、足音はすぐに消える。
実は、そのやり取りを一人の受付嬢が扉の外で聞いていた。受付嬢は最近ギルドに雇われたばかりの若い女性で、控えめで目立たない存在だったが、その正体は真教派が各地に送り込んだスパイだった。
彼女はエドランたちの会話を一言も漏らさず聞き取り、素早くメモを取りながら心の中で焦りを感じていた。
「ノルディア国第三王子……そんな重要人物がここにいるなんて。」彼女の心臓が早鐘のように鳴る。「すぐに知らせないと……!」
彼女は急いで伝書鳩を入れてある部屋へと忍び込み、紙にメモを走らせる。
『報告。第三王子エドラン・ハーグレンが港町マリッセルの冒険者ギルドを訪問。『天啓』に関する情報を求めている模様。ギルドマスターに情報提供を避けるよう要請。ギルドは現時点で協力姿勢を示しており、継続的な監視が必要。今後の指示を仰ぎたい。』
紙をまとめると、彼女は震える手で伝書鳩にそれを括りつけ、窓を開けた。鳩は一瞬ためらうように翼を震わせた後、空へと飛び立った。
「これで任務は果たせた。」彼女はそう自分に言い聞かせるが、その胸には奇妙な不安が押し寄せていた。
その頃、個室の中ではタルヴァスが扉を見つめ、静かにエドランに言った。
「……聞かれていたかもしれない。」
エドランは眉をひそめた。「確かか?」
「確信はない。ただ、気配があった。」タルヴァスは視線を外さず答えた。
バーリンが静かに言葉を継いだ。「じゃが、今更話を変えることはできん。ここからは慎重に行動するしかないのう。」
「確かに。」エドランは短く息をついた。「急いでこの先の方針を練ろう。俺たちの行動が真教派に漏れていないことを祈るばかりだ。」
こうして、3人は新たな危険を孕む状況の中で、次の行動を模索し始めた。影は確実に近づいていた。