第四十話
【ウィンターホルン/執務室】
夜が、城塞を包んでいた。
執務室には灯りが一つ。
地図と帳簿が、机の上に広げられている。
ロウェル・ハーグレンは無言で報告書に目を通していた。
向かいにはロンドリック・ファールデン。
そして、生きて戻った男――記録上は死んでいるドワーフが立っている。
「……バーリン・グラントハンマー」
ロンドリックが、安堵を隠しきれぬ声で言った。
「生きていてよかった。お主の働きがなければ、我らは今ここにおらぬ」
バーリンは、短く頷いた。
礼を返すより先に、ロウェルの声が落ちる。
「生存を確認した」
「ならば公式記録の修正をせねばならんな」
ロンドリックが言う。
「いや、修正はしない」
ロウェルが即答した。
ロンドリックが、わずかに眉を動かす。
「理由を聞かせてもらえるか」
ロウェルはようやく顔を上げた。
「生きていると知られれば、お前は再び狙われる」
「今は伏せた方が安全だ。お前にとっても、この国にとっても」
一拍置いて、バーリンが低く息を吐いた。
「……異論はありませぬ」
「わしも、ここまで追い手の気配は感じんかった。なら死んだままで構わん」
「この件が片付くまでは、それで問題ないですじゃ」
ロウェルの視線が、初めてバーリンに据わる。
「――では、何があった。簡潔に話せ」
短い命令だった。
バーリンは、姿勢を正した。
「結論から言います」
「地下水路に落ち、そこで施設を見つけました」
「そして、その施設は……今回の反乱に関係があると思いますじゃ」
ロンドリックが即座に問う。
「敵兵の拠点か」
「……違います」
バーリンは首を振る。
「兵はおりませんでした。訓練も、備蓄もない。部隊の形も見えん」
一拍置き、続ける。
「じゃが――“兵にできる人間”が揃う場所でした」
ロウェルの目が細くなる。
「どういう状態だ」
「命令はありません。脅しも、怒鳴り声もない」
「それでも、皆が同じ判断をする」
「引き留められとる様子もなく、急かされてもおらん」
「それでもな……立ち止まる“前”が、なかった」
「考えとる顔を、一度も見とらん」
「行き先も、やることも……もう決まっとる様な顔でな」
「知っとる、というより――決め直す必要がない顔じゃった」
バーリンはそこで言葉を切り、低く続けた。
「……人形を見とる様じゃった」
「糸で引かれとる訳でもない。誰かが命じとる訳でもない」
「じゃが、自分で“決める所”が最初から無い様に見えた」
ロンドリックが、低く唸る。
「それは……賊や訓練兵より厄介だな」
「はい」
バーリンは頷いた。
「あれらは戦場に出せば、即座に機能します」
「恐怖でも信仰でもなく、“当然のこと”として戦うでしょう」
室内が静まり返る。
ロウェルはすぐには言葉を返さず、机の端の帳簿を引き寄せた。
「……鎮圧時の報告でも、似た記述がある」
ページをめくりながら続ける。
「命令なしに同時に動いた者たち」
「撤退命令が出た素振りがないのに、一斉に引いた例もある」
ロンドリックが眉をひそめる。
「統制が取れていただけではないのか」
「そう解釈していた。今まではな」
ロウェルは淡々と言い、帳簿を閉じた。
そしてバーリンを見る。
「お前の話と合致する点が多すぎる。だから聞いている」
バーリンは短く頷いた。
「それは、偶然で済ませるには揃いすぎておりますな」
ロンドリックが歯を食いしばる。
「それでは……我らの民が、そのまま敵になるというのか」
「可能性は高い」
ロウェルが静かに言った。
「敵は、兵を集めているのではない」
「一般市民を、短期間で戦力として運用できる状態に変えている」
「そんなことが許されるのか」
ロンドリックが吐き捨てるように言う。
ロウェルは感情を動かさず、計算だけを進める。
「前線でどれだけ勝っても、兵力差が埋まらない」
「そして鎮圧しても終わらない。発生源が一つではないからだ」
「その通りですな」
バーリンが言った。
「同じ施設が他にもある可能性は否定できません」
「時間をかければ、別の街でも同じ状態を作れるでしょう」
ロウェルは地図に視線を落とし、指先で境界をなぞる。
「……正面戦力だけでは対応できない」
「治安、後方、人口――すべてを守る前提で組み直す必要がある」
地図を、静かに畳む。
「すべての場所が、戦場になり得る」
一拍置いて、結論を置く。
「……戦争の前提が、変わった」
それが、この場で下された判断だった。




