第三十九話
【地下洞窟 / 出口付近】
洞窟の出口付近に出た直後、冷たい風が頬を打った。
地下の湿り気が、一息で剥がれていく。
バーリンは、立ち止まった。
「……生きとる」
声に出してみて、ようやく実感が追いつく。
だが、胸の奥は、軽くならない。
剣を振るい、
殿を務め、
仲間を逃がした。
それは、何度もやってきたことだ。
――じゃが、今回は違う。
死に損なったのではない。
助けられたのでもない。
見せられた。
その言葉が、
頭から離れなかった。
「……わしは、
“生き延びた”んじゃない」
選ばれたのだ。
見て、
理解して、
外へ出る役として。
「…あれは一体なんだったんじゃ」
独り言は、
風にさらわれて消えた。
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【記録院前/夕刻】
石造りの記録院を出たとき、夕刻の光はすでに低く傾いていた。
ロウェルへの報告は終えている。
帳簿も、地図も、証言も、
提出できるものはすべて出した。
それでも――
何かが残ったままだった。
「……これで終わり、という顔ではないな」
タルヴァスが言う。
「ああ...」
エドランは少し疲れた様子で答えた。
理由は言えない。
論理にもならない。
ただ、
盤面の外に置かれた“何か”が、
まだ回収されていない感覚だけがあった。
「行くぞ」
「どこへ」
「……地下洞窟だ」
タルヴァスは一瞬だけ目を細めたが、
否定はしなかった。
二人は、
街の縁へと足を向けた。
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【地下洞窟入口/夕刻】
崩れた石積み。
乾ききらない血痕。
焼け焦げた跡。
――バーリン・グラントハンマー
殿を務め、戦死。
そう記録された場所。
夕暮れは、その“終わった場所”を、淡く照らしている。
「……ここだ」
エドランが言った。
理由はない。
ただ、ここに来るべきだと感じた。
そのとき。
「……おい」
背後から、
擦れた声がした。
二人の動きが、同時に止まる。
タルヴァスが半歩前に出る。
振り返った先に、あり得ないものが立っていた。
煤と血に汚れた外套。
疲労は明らかだが、姿勢は折れていない。
「……わしを、
そんな構えで迎えるな」
バーリン・グラントハンマーが、そこにいた。
「……バーリン」
エドランが名を呼ぶ。
「幽霊なら、
もう少し気配を消すじゃろ」
現実が、ようやく追いつく。
だが、誰も駆け寄らない。
「……生きているのか」
「生きとる」
「どうやって」
バーリンは、
一瞬だけ視線を逸らした。
「……話せば、長くなる」
その一言で、
エドランは悟る。
これは偶然ではない。
「……記録では、
あんたは死んだことになっている」
「ああ」
「わしが戻らん以上、
そうせざるを得んじゃろうな」
タルヴァスが静かに問う。
「……地下で何があった」
バーリンは、夕闇へと視線を投げた。
「殿をつとめてるときに崖に落ちてな、そこで奇妙な連中にあったんじゃ」
「助けられたわけでも、
捕らえられたわけでもない」
「手当てをされ、
見せられ、
歩かされて――」
「最後に、
“もういい”と言われた」
「理由は?」
「分からん」
はっきりと、そう言った。
「向こうは、“そういう扱いだ”という顔をしとった」
「何のために?」
「それも、分からん」
沈黙が落ちる。
「……ただな」
バーリンは、二人を順に見た。
「あそこにはそれなりの人数がいて、
皆、自分から動いとった」
「引き留められとる様子もなく、急かされてもおらん。それでもな、何か不気味は雰囲気を感じたんじゃ。」
「考えとる顔を、一度も見とらん」
「行き先も、
やることも、
もう決まっとる様な顔でな」
バーリンは、
そこで言葉を切った。
「……あれは」
一拍置いて、低く続ける。
「人形を見とる様じゃった」
「糸で引かれとる訳でもない。
誰かが命じとる訳でもない」
「じゃが――
自分で“決める所”が、
最初から、無い様に見えた」
その言葉を聞いた瞬間、
エドランの脳裏に、
昼間見た帳簿の行が浮かんだ。
施療。
保護。
移送。
どれも、
拒否の記録が存在しない。
タルヴァスの耳にも、
街で聞いた市民の声が蘇る。
――「必要だから」
――「皆、そうしているから」
バーリンは、
二人の沈黙に気づかぬまま続ける。
「迷いがなかった。
疑う前に、
もう決まっとる様な顔じゃ」
「……戦場で言えば」
低く、続けた。
「命令を待たず、
合図もなく、
決められた場所に立つ兵と同じじゃ」
エドランは、息を呑んだ。
タルヴァスが、
静かに言う。
「……それは」
一拍置いて、言葉を選ぶ。
「危険だな」
「じゃろうな」
バーリンは頷く。
「だから――」
バーリンは、
わずかに言葉を選んで続けた。
「わしは、死んだままでいい。少なくとも、この話が片付くまでは」
それは隠れるためではない。
守られるためでもない。
“死んだ扱いをされた”という事実を、逆に使う判断だった。
エドランは、
短く息を吐き、頷いた。
「分かった。今は、生きていることだけで十分だ」
「続きは――
安全な場所で聞かせてくれ」
バーリンは、
ほんの僅かに笑った。
「……そう言うと思っとった」
三人は、
夕闇に紛れるように歩き出す。
記録の上では、
一人はすでに死んでいる。
だがその“空白”こそが、これから語られる真実を最も守る盾だった。




