第三話
【城塞都市〜ヴァルム街道】
ウィンターホルンの堅牢な石壁を背に、エドラン一行は馬を進めた。冷たい山風が肩に吹き付ける中、南へ向かう旅路は次第に変化を見せ始めた。荒涼とした山道を抜けると、やがて緩やかな丘陵地帯が現れ、その先には広大なトレイドラン平原が広がっていた。
「ここからがノルディアの心臓部だ。」エドランは馬上から遠くを眺め、微笑んだ。「国中の食を支えるこの地がなければ、王国は成り立たない。」
バーリンは馬の上で体を伸ばしながら、周囲を見渡した。「これだけ広大な土地が一面の穀倉地帯になるとはのう。見ているだけで腹が減るわい。」
タルヴァスは寡黙に頷き、金色の瞳で地平線を追った。「収穫の季節には、ここは黄金の海になるのだろうな。」
エドランは小さく笑った。「そうだ。この時期はまだ種まきの終わり頃だが、秋にはどこまでも続く穀物畑が見られる。地元の人々にとって、この平原は希望そのものだ。」
風が穏やかに吹き抜け、遠くで農夫たちが働く姿が見えた。馬車に積まれた荷物を運ぶ者、肥沃な土地を耕す者、そして畑で歌う女性たちの姿が、一行の旅路に温かな命の息吹を加えていた。
【トレイドラン平原 公爵領 穀倉都市ハーヴェンスロウ】
数日の旅を経て、エドランたちはロンドリック・ファールデン公爵の館がある街に到着した。街は平原の中に立地し、周囲には石造りの壁が巡らされていた。壁内には整然とした町並みが広がり、中央には公爵の館が堂々とそびえ立っている。
「さすがはファールデン公爵の領地だ。秩序が行き届いている。」タルヴァスが館の門を見上げながら静かに言った。
「ふむ、貴族領には珍しいほどの清潔さじゃ。」バーリンが感心したように頷く。「公爵は堅実で、領民を大切にしていると聞いておったが、噂以上じゃのう。」
門番に名を告げるとすぐに迎えが来た。館に案内されると、ロンドリック・ファールデン公爵が笑顔で出迎えてくれた。50代後半という年齢を感じさせない、背筋の伸びた堂々たる姿だった。
「エドラン殿、よく来てくれた。いささか急な訪問ではあったが歓迎しよう。」公爵は温かい声で語りかけ、一行を広間に案内した。
エドランは深々と頭を下げた。「公爵殿、貴方の領地は相変わらず見事です。お会いできて光栄です。」
公爵は微笑みながら頷いた。「この土地は、領民たちの努力によるものだ。私はただ、その背中を押しているだけだよ。」
談笑の後、エドランは領地の状況について尋ねた。公爵は少し険しい表情を浮かべながら答えた。
「全体としては平穏だ。しかし、最近少し気になる動きがある。トレイドラン平原の西端にあるグリモーヴァという街のことだ。」
「グリモーヴァ?」エドランは眉をひそめた。「初耳の名前ですね。」
「ここ数年で急速に発展した新興の街だ。だが、その背後には真教派がいる。」公爵は険しい声で続けた。「街の建設資金の多くが彼らによって提供され、さらに食料や武器をかき集めているという話がある。」
バーリンが口を挟んだ。「ほう、それは少し気になる話ですのう。軍隊を持っているのですか?」
「いまのところ、彼らが軍備を整えている兆候はない。しかし、これほどの資源が集まっているのに理由がないとは思えない。」公爵は深く息をついた。「さらに困ったことに、私の兄が真教派の宣教師を誘致しているようだ。あの男が一体何を考えているのか、私にも理解できない。」
「領地全体に影響が出る前に、何らかの手を打たないといけませんね。」エドランは静かに言った。「公爵殿、情報をありがとうございます。我々も引き続き調査を続けます。」
公爵はエドランの肩に手を置き、真剣な眼差しを向けた。「気をつけてくれ。表向き平和に見えるが、この地には今、得体の知れない影が忍び寄っている。」
エドラン一行は翌朝、公爵の館を後にした。広大なトレイドラン平原を再び進み、南東の港湾都市マリッセルを目指す。馬を進める中で、エドランは心に抱える不安を隠せなかった。
「真教派の影響がこれほどまでに広がっているとは……」彼はつぶやいた。
「公爵殿も手を焼いているようじゃのう。」バーリンが荷車を調整しながら言った。「わしらも気を引き締めねばならん。」
「真教派は厄介だ。」タルヴァスが低く言い、遠くを見つめた。「やつらが何を企んでいるのか、早く突き止める必要がある。」
こうして、一行は表向き平和な平原を進みながら、その奥に潜む不穏な気配に注意を払い続けた。広大な青空の下、彼らはマリッセルへの道をひたすら歩み続けるのだった。