第三十六話
【地下水路深部/目覚め(再改稿・調整反映)】
鋼が噛み合う音。
岩に弾かれた刃の衝撃。
そして――重い衝撃。
背中から、地面に叩きつけられた感触。
「……」
バーリン・グラントハンマーは、そこで記憶が途切れている。
意識が戻ったとき、最初に感じたのは胸の奥の鈍い痛みだった。
息を吸うと、わずかに引っかかる。
だが、呼吸はできる。
「……」
バーリンは、ゆっくりと目を開いた。
石の天井。
削り跡の残る岩肌。
薄暗いが、闇ではない。
地下だ。
自然洞ではない。
人の手が入っている。
「……生きとる、のう」
声は掠れていたが、確かに出た。
身体を動かそうとして、そこで初めて違和感に気づく。
――痛みの割に、楽すぎる。
胸元に視線を落とす。
清潔な布。
きちんと巻かれ、縫われている。
止血も、処置も、行き届いている。
「……誰かが、手当てをしてくれた様じゃな」
戦場の応急処置ではない。
だが、施療院ほど丁寧でもない。
慣れた手だ。
生かす前提でやっている。
バーリンは、状況を整理する。
落ちた。
意識を失った。
目が覚めたら、地下で、傷は処置されている。
「……助けられた、か」
そう口にした、その直後。
足音がした。
一人分。
急がない。
こちらの覚醒を、最初から想定している歩き方だ。
影が伸び、やがて姿を現す。
灰色の外套。
法衣ではない。
武器も持っていない。
「お目覚めですか」
穏やかな声だった。
バーリンは、上体を起こし、相手を見据える。
「……お主が、手当てを?」
「いえ。私ではありません」
男は首を横に振る。
「役割の者が、対応しました」
「役割?」
「ここでは、そう呼んでいます」
バーリンは、目を細めた。
「では聞こう。お主は何者じゃ」
男は、即答した。
「管理の者です」
「何を管理しとる」
「人と、作業と、流れを」
「……目的は?」
ここで、男は一拍置いた。
考えるためではない。
言葉を整えるための間だ。
「必要なことを、必要な形で進めるためです」
「儂を生かす必要が、あったと?」
「負傷していましたから」
「それだけか」
「それだけです」
否定も、付け足しもない。
バーリンは、低く息を吐いた。
「わしは、ついさっきまで刃を振るっとった」
「存じています」
「それでも助けた?」
「はい」
「……わしを捕らえる気は?」
男は、少し考えてから答えた。
「その必要は、今のところありません」
その言い方が、静かに引っかかった。
「“今のところ”とは?」
「状況が変われば、判断も変わります」
「その判断は、誰が下す」
男は、ほんの一瞬だけ視線を逸らした。
「……ここでは、役割に従います」
それ以上は言わない。
「なら、わしはどうなる」
バーリンが問う。
「歩けるようでしたら、移動していただきます」
「無理でしたら、ここで休養を」
「拒めば?」
男は、否定も肯定もしなかった。
「お勧めは、しません」
その言葉で、ようやく輪郭が見えた。
――ここは、選択を装った場所だ。
選ばせている様で、
選ばせていない。
「案内してくれ」
バーリンは立ち上がった。
足は動く。
痛みはあるが、歩ける。
男は頷き、踵を返す。
「こちらです」
通路は広い。
湿気は抑えられ、足元は整備されている。
地下だが、仮設ではない。
長く使われている。
進むにつれ、人の気配が増える。
作業音。
低い会話。
一定の間隔。
「……思ったより、人がおるな」
「ええ」
それ以上、説明はない。
曲がり角を抜けると、空間が開けた。
作業台。
薬草を刻む者。
布を干す者。
帳簿に書き込む者。
誰もが淡々と手を動かしている。
祈りはない。
号令もない。
だが、動きに迷いがない。
バーリンは、作業する人々の顔を順に見た。
視線は合う。
呼びかければ、応じるだろう。
だが――
そこに、逡巡がない。
「……皆、人形のように働いとる様に見えるのじゃが」
糸は見えん。
操り手もおらん。
それでも、同じ速さで、同じ向きに手が動く。
男は、首を傾げた。
「疑う必要が、ありませんから」
その言葉を聞いたとき、
バーリンは、はっきりと理解した。
ここには、
命令も、脅しも、悪意もない。
ただ――
誰も、作業の目的も、意味も、考えていない様に見えた。
それが、
戦場を渡り、裏切りも洗脳も見てきた老兵の感覚に、
静かに、しかし確実に引っかかっていた。




