第三十二話
【ハーヴェンスロウ市街 / 旧監視塔前】
崩れた旧監視塔の影は、夕刻の市街に長く伸びていた。
瓦礫は片付き始め、人の往来も戻りつつある。
泣き声はない。
怒号もない。
――落ち着きすぎている。
タルヴァスは石壁にもたれ、通りを見下ろしていた。
「……思ったより静かだな」
「だから、気になる」
エドランは足を止め、並んで街を見た。
「ロウェル達から話は聞いた。
表の戦は、当面問題ないそうだ」
「兵力で押し負けることはない、と」
「ウィンターホルンと公爵領軍を合わせれば、だな」
タルヴァスが短く頷く。
「だが――街は、落とされかけた」
「正確には、“中から開けられた”」
エドランは視線を巡らせた。
「だから、俺たちの仕事は剣じゃない。
街の内側を見る。どうして、敵が“普通にそこにいた”のか」
二人は、兵舎へと足を向けた。
=======
【ハーヴェンスロウ市街 / 兵舎】
兵舎には、まだ血と油の匂いが残っていた。
鎧を外した兵士たちが、壁にもたれて息を整えている。
エドランは、一人ずつ声をかけて回った。
「最初に敵を見たのは、どこだ」
若い兵士が、少し考えてから答える。
「……倉庫です。
でも、開けたらもう――」
「空き家だった」
別の兵が、言葉を継いだ。
「路地の奥です。普段、人がいない場所で……」
エドランは表情を変えず、続きを促す。
「怪しいと思ったか?」
兵士たちは顔を見合わせ、首を振った。
「住民だと思いました」
「避難しきれなかった人かと……」
熟練の兵が、低い声で言う。
「敵は、“敵らしくなかった”」
「どういう意味だ」
「鎧を着てない者もいた。
剣を持ってない者もいた」
一拍置いて、続ける。
「だが、一瞬で――敵になった」
エドランの胸に、引っかかる感覚が残る。
潜伏ではない。
偽装だ。それも、街の“日常”に溶け込む形の。
いや、本当にただの偽装なのか?
=======
【ハーヴェンスロウ市街 / 倉庫区】
倉庫の中は、拍子抜けするほど整っていた。
「……荒らされた形跡がないな」
タルヴァスが呟く。
「慌てた様子もない」
エドランは床を見下ろした。
「箱の位置も、荷札の並びも……最初から決まっていた」
「戦の直前に集めた物じゃない」
「もっと前から、ここに置く予定だった」
タルヴァスが低く問う。
「検閲記録は?」
「ない」
「……通っているはずなのに、か」
エドランは箱の底を、指で軽く叩いた。
「通った“こと”になっていない」
沈黙が落ちる。
「やり方が分からない」
タルヴァスが言った。
「……気味が悪いな」
=======
【ハーヴェンスロウ市街 / 空き家】
空き家の中は、妙に整っていた。
「……住んでいた形跡はあるな」
タルヴァスが周囲を見渡す。
「だが、生活してない」
エドランは床に落ちた包帯を拾い上げた。
「何人かは、治療を受けている」
人がいた痕跡は確かにある。
だが、想像していた“敵”の姿ではない。
盗賊でもない。
兵士でもない。
(……じゃあ、誰だ)
エドランの中に、疑問が残る。
=======
周辺の住民は、皆同じことを言った。
「危ない人? 見てないね」
「教会の人が出入りしてたよ」
「怪我人を休ませてただけだ」
善意しか、出てこない。
タルヴァスが低く言う。
「……疑う理由が、なさすぎる」
「それが、一番おかしい」
エドランは、そう答えた。
=======
【真教派教会・治療所】
司教は、最初から協力的だった。
「疑われるのは当然でしょう」
疲れの滲む声だったが、硬さはない。
「我々ができるのは、治療と保護だけです」
エドランは、慎重に言葉を選ぶ。
「治療を受けた者たちは、その後どうなりましたか」
「回復の度合いに応じ、別の施設へ移しています」
「その判断は、司教の裁量で?」
「いいえ」
即答だった。
「定められた手順に従っています」
「その手順は?」
司教は、少し考えてから首を振る。
「……私がこの任に就く以前から決まっている手順です」
矛盾はない。
説明も整っている。
エドランは、そこで話題を変えた。
「教会内を見せてください。
被害確認として」
司教は一瞬だけ迷い、それから頷いた。
「構いません。隠すことはありません」
=======
【教会内部】
治療所の奥は、整理されていた。
だが、納棺所でエドランは足を止める。
棺の内側。
木材に走る、細かな傷。
「……引っかき傷じゃない」
タルヴァスが低く言う。
「刃物だ。それも、複数」
外側は丁寧。
内側だけが荒れている。
(弔いだけなら、こうはならない)
エドランは、そう思う。
だが、まだ断定しない。
=======
「司教」
エドランは棺を指した。
「この棺について、特別な指示は?」
司教は内側を見て、言葉を失う。
「……これは……」
「司教の指示ではない?」
「違います」
即答だった。
「我々は棺の中身を検めません。
弔いは、神の御前にあるものです」
困惑と理解が、声に滲む。
「もし、武器が入っていたのなら……
それは、我々の意図ではありません」
エドランは、その表情を見て確信した。
――この男は、本当に知らない。
――知らないまま、役割を果たしている。
=======
教会を出て、しばらく沈黙が続いた。
「……司教じゃないな」
タルヴァスが言う。
「ああ」
エドランは頷いた。
「だが、教会の仕組みは使われている」
「治療、移送、弔い……」
「全部、“正しい手順”としてな」
エドランは、静かに言った。
「なら、次に見るべきは――
誰が、その手順を管理しているかだ」
敵の姿は、まだ見えない。
だが、その正体は、はっきりしてきていた。
それは、人ではない。
役割と手順でできた、構造そのものだった。




