第三十一話
【北国ノルディア・ハーヴェンスロウ公爵城/私室】
暖炉の火は落とされていた。
だが、室内は暗くない。
壁際の燭台が、必要最低限の灯りだけを残している。
扉が閉まる音が、低く響いた。
この部屋にいるのは三人だけだ。
公爵ロンドリック・ファールデン。
第一王子兼ウィンターホルン城主ロウェル・ハーグレン。
そして、エドラン。
ロンドリックは椅子に腰を下ろし、
ロウェルは壁際の地図から目を離さないまま、口を開いた。
「軍の話ではない」
前置きとして、それだけを告げる。
「少なくとも、今の時点ではな」
エドランは小さく頷いた。
城中に満ちている戦時の空気とは、
この場の話題が一線を画していることは明らかだった。
ロンドリックが、静かに言う。
「兵力も、糧も、指揮も整っている。
ウィンターホルンの兵と公爵領兵を合わせれば、
兄の反乱に後れを取ることはない」
事実だった。
だからこそ、その次の言葉が重い。
「……だが、腑に落ちん」
ロウェルが、地図の一点を指でなぞる。
「蜂起のタイミング。
門の閉じ方。
守備の抜かれ方」
視線だけをエドランに向ける。
「計画としては粗い。
だが、必要な場所に、必要な人間が、揃いすぎている」
エドランは、すぐには答えなかった。
一瞬、トレイドラン平原の光景が脳裏をよぎる。
乾いた風。
視線の合わない兵士たち。
命令がなくても揃う動き。
そして、静かに口を開いた。
「……トレイドラン平原で遭遇した兵士に、似ていました」
ロンドリックの視線が上がる。
「似ていた、とは?」
「判断が早い。
迷いがない。
それでいて、前に出すぎない」
エドランは言葉を選ぶ。
「訓練の結果というより、
“そう動くことが自然になっている”感じです」
ロウェルは、わずかに眉をひそめた。
「……つまり」
エドランは頷いた。
「もっと前の段階で、
人そのものが調えられている」
短い沈黙。
ロンドリックが、低く息を吐いた。
「……戦の巧拙の話ではないな」
ロウェルも同意するように言う。
「腕や指揮の問題では説明がつかん」
ロウェルは、そこで決断するように言葉を続けた。
「だから、お前を呼んだ」
視線は、真っ直ぐエドランを捉えている。
「なぜ、内側から敵が出たのか。
どこで、人が取り込まれたのか」
一拍。
「そして——
誰が、裏で糸を引いていたのか」
ロンドリックが、静かに補足する。
「エルバート一人で、
これほど揃った動きを用意できるはずがない」
「必ず“別の手”が居る」
ロウェルが頷く。
「それを、突き止めてほしい」
「公には動けん。
疑いを向けた瞬間、真教派が“調停”を名乗って入ってくる」
「そうなれば、
こちらが騒ぎを大きくした側になる」
エドランは、理解していた。
「……裏から、調べろと」
「そうだ」
ロウェルは迷いなく言った。
「王子としてではない。
第三者として動け、剣を抜くなとは言わん。だが、火を点けるな」
ロンドリックが、エドランを見据える。
「勝っても終わらない戦争になる」
「ならば、始まる前に、
何が仕込まれていたのかを知る必要がある」
エドランは、しばらく考えた後、頷いた。
「……分かりました。戦争の理由を、探します」
ロンドリックは、わずかに表情を緩めた。
「頼む。
これは、お主にしか任せられん」
エドランが扉へ向かう。
その背中に、ロウェルの声がかかる。
「気をつけろ。お前が動けば、思わぬところで目立つこともある」
「好奇心も、警戒心も——
人は、異変をよく見る」
エドランは、振り返らずに答えた。
「承知しています」
扉が閉まる。
残された二人の間に、短い沈黙。
ロンドリックが低く言った。
「……嵐の中心に立つ男だな」
ロウェルは、しばらく黙っていた。
「本人は、
まだ嵐だとは思っていないがな」
その沈黙自体が、
この先に待つ事態を、静かに予告していた。




