第二十七話
【ハーヴェンスロウ公爵城・大評議室/鎮圧報告】
臨時の大評議室には、地図と帳簿と血の匂いがあった。
長机の上には、公爵領全図。
赤い蝋で封じられた報告書。
積み上げられた損耗記録。
ロンドリック・ファールデンは席に着き、ロウェル・ハーグレンはその向かいに立っている。
周囲には、軍務官、財務官、治安官、書記。
誰一人、無駄口を叩く者はいない。
「――市街地でのクーデターは、鎮圧されました」
軍務官の声は、事務的だった。
「反乱の主導勢力は市内から排除。
残存部隊は現在、市街および街道で掃討中」
巻物が開かれる。
「死者数、暫定」
一拍。
「市民、二百三十六。
守備隊および公爵兵、百四名。
反乱勢力、三百二十七以上。正確な数は未確定」
誰も声を上げない。
「行方不明者、多数。
地下水路、焼失区画、崩落地帯により、今後増える見込み」
別の書記が続ける。
「市街南部、倉庫区画の三割焼失。
水路網の一部が破壊。
北街道・南街道、ともに一時使用不能」
地図の上に、赤い印が打たれていく。
「特に南街道沿い――
ベルグ中継市、ルーデン集積地、交易宿場二箇所」
「現在、反乱勢力の実効支配下にあります」
その言葉で、空気が変わった。
ロンドリックが、ゆっくりと地図を見る。
南部。
街道。
川沿い。
そして、そこに刻まれた新しい名前。
「……“新都市グリモーヴァ”」
ロンドリック自身が、その名を口にした。
軍務官が頷く。
「公爵兄――オルディス・ファールデンは、同地に本営を置き、
本日未明、“独立”を宣言」
巻物の一部が読み上げられる。
「――我はもはやハーヴェンスロウに従属せず。
新都市グリモーヴァをもって、新たなる北の正統とする――」
誰かが、息を吐いた。
「周辺都市に檄文を送付。
兵の徴発を開始。
街道の封鎖。関所の再設置」
ロウェルが静かに言った。
「……それはもう、反乱ではない」
軍務官が答える。
「はい。
事実上、国家に準ずる軍事行動です」
ロンドリックは目を閉じ、短く頷いた。
「つまり」
ゆっくりと言う。
「公爵領は分断された。
そして――」
視線が上がる。
「北国ノルディアは、戦争状態に入った」
その言葉を誰も否定しなかった。
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【ハーヴェンスロウ市街・中央広場/公的鎮圧宣言】
正午。
鐘が鳴らされ、市民が集められた。
兵の列。
治療所の幕。
担架。
焼け跡の向こうに、まだ煙。
ロンドリック・ファールデン公爵は壇上に立った。
「反乱は鎮圧された」
明確な宣言。
「だが、我が兄オルディスは南西部に逃れ、
新都市グリモーヴァを拠点に独立を宣言した」
どよめき。
「南街道および周辺都市は、現在、敵対勢力下にある」
泣き声。
怒号。
罵声。
ロンドリックは続けた。
「我々は今、戦争状態にある」
その言葉で、広場が完全に静まった。
「だが、ハーヴェンスロウは落ちていない。
公爵領は、ここに残っている」
「死者は数百に及ぶ」
包み隠さなかった。
「多くの家が焼かれ、多くの街道が失われた」
「それでも、我々はここに立っている」
彼は、周囲を見回して言った。
「そして、これより、取り戻す」
拍手はなかった。
だが、膝をつく者も、背を向ける者もいなかった。
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【ハーヴェンスロウ公爵城・礼拝堂/真教派】
礼拝堂は、白かった。
血も煤も、ほとんどない。
真教派の高位司祭団が揃って跪く。
中央に立つのは、枢機卿代理。
「このたびの内乱、ならびに独立騒動」
彼は、そう呼んだ。
「まことに痛ましく、神の御心も深く嘆いておられましょう」
「真教派は、調停者として、この争いの沈静化に尽力いたします」
“調停者”。
その言葉が、はっきり置かれた。
「負傷者への施療。
街の再建。
避難民の保護。
そして――」
一瞬、間を置く。
「公爵とその兄君の間に立つ、中立の仲介」
巻物が差し出される。
・支援物資
・施療団
・再建資金
・和平交渉の申し出
「血の連鎖を止めねばなりません」
「この戦いが、信仰の名を騙る者に利用されぬよう」
正しい言葉だった。
あまりに、正しい。
ロンドリックはそれを受け取り、視線を上げた。
「……支援には感謝する」
「だが、調停は慎重に検討しよう」
司祭は穏やかに微笑む。
「もちろんです。
我らは、いつでも“橋”になります」
橋。
渡るためのものか。
入ってくるためのものか。
司祭団が去った後、礼拝堂には静寂が残った。
ロンドリックは、低く呟いた。
「刃の戦争は始まった。
そして……信仰の戦争もな」




