第二十六話
【ハーヴェンスロウ郊外・地下洞口周辺/捜索】
夜が明けても、煙は完全には消えていなかった。
市街の方角には、まだ黒い帯が低くたなびいている。
地下洞口の周囲には、松明と臨時の灯が立てられ、
兵と作業者が交代で出入りしていた。
ロープ。
担架。
杭と滑車。
濡れた外套。
地下へ降りていく者。
戻ってくる者。
首を振る者。
誰も、声を荒げてはいなかった。
洞口の前で、エドランは立っていた。
防具も脱がず、外套も外さず、ただそこにいる。
タルヴァスは、何度目かの捜索班の戻りを見てから、静かに言った。
「……水脈に出た。
あの下は、かなり広い」
「……なら、流れに出ている可能性もある」
エドランは即座に返した。
「ある。
あるはずだ」
兵が一人、近づいてくる。
泥と水で汚れた顔。
目だけが、疲れていた。
「……奥は、崩れが多い。
人が通れるのは、確認できた範囲までです」
「その先は?」
「水が深くなっており視界も利きません。
流れもあります」
それ以上は、言わなかった。
必要な言葉は、もう出尽くしている。
自分たちでもすでに確認している。
次の班が出る。
また戻る。
また首を振る。
時間が、ただ“過ぎていく”。
昼を越え、
夕方になり、
火が増え、
灯が減り、
声が枯れ、
それでも、エドランの足は動かなかった。
タルヴァスは、何度か声をかけようとし、やめていた。
日が傾ききった頃、
ロンドリックの部下が来た。
装いは丁寧で、
言葉は慎重だった。
「……殿下。
これ以上の投入は、二次被害の恐れがあります」
エドランは、すぐに返さなかった。
洞口を見ている。
あの縁。
あの闇。
あの音。
(……まだ、あそこは“重い”)
だが、
それは証明できない。
説明もできない。
「……殿下、探索は打ち切りです」
別の声が言った。
軍務官だった。
「これ以上は、損耗が増えるだけになります。
公爵も了承されています」
道具が引き上げられ、記録が付けられる。
洞窟は、
“現場”から“場所”に戻っていった。
タルヴァスが、低く言った。
「……エドラン」
返事はない。
「……戦死扱いになる」
一瞬だけ、エドランの指が動いた。
「遺体がなくても、だ」
「……ああ」
「記録上は、そうなる」
沈黙。
遠くで、鎚の音。
木箱の蓋。
負傷兵の呻き。
戦いは終わっている。
後始末が始まっている。
エドランは、ゆっくり振り返った。
「……納得できない」
声は荒れていない。
震えてもいない。
だが、
**“事実として受け取っていない”**声だった。
「……あの人は、あそこで終わる人間じゃない」
タルヴァスは、すぐには答えなかった。
洞窟を一度見てから、
地面に落ちた水を踏みしめる。
「……生きている可能性があるのも、事実だ」
「だろ」
「だが」
言葉を選ぶ。
「……“扱い”は、別だ」
エドランは、分かっている。
軍は、国は、領は、
“可能性”で動かない。
死体がなければ、行方不明。
長引けば、戦死。
区切りをつけなければ、次へ進めない。
「……俺は、受け入れない」
エドランは、はっきり言った。
「記録がどうであれ、
弔われようが、名が刻まれようが、
俺の中では、終わっていない」
タルヴァスは、しばらく黙っていた。
やがて、静かに言う。
「……俺は」
一度、息を吐く。
「……終わった可能性も、置いて進む」
エドランが、こちらを見る。
「……忘れるわけじゃない」
「だが、今は先に進まねば」
それは諦めではなかった。
覚悟だった。
「……それでも、探す」
タルヴァスは続ける。
「探す準備は、続ける。
だが、今は、ここを離れる」
夕暮れの風が、洞口から吹き出す。
冷たい。
湿った。
何も運んでこない風。
兵が、木板を運んでくる。
入口を塞ぐ準備だった。
エドランは、最後にもう一度だけ洞口を見た。
言葉にはしない。
だが、
胸の奥で、
“終わりの感覚”だけが、決定的に欠けていた。
板が打たれる。
縄が張られる。
松明が一本、消える。
こうして、
バーリン・グラントハンマーは、記録上“戦死”になった。
だが、
エドランの中では、
その項目だけが、どうしても書き込まれなかった。




